短編
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こがね色の個包装、その端をピリリと破って現れるまろやかな乳白色の粒。彼女は指で摘まずに唇で挟んでから舌の上で転がすので、まだ硬い飴玉が奥歯に当たる。カチャン、高く鳴る。
任務終わりにミルクキャンディを舐めるのがルーティーンなのだと、何時だか「あげる」と言いながら教えてもらった。
今日の任務は彼女と2人だった。
正直に言えば、自分一人でも問題なかった。
三級呪霊ばかりが屯たむろする廃屋は、当初、窓の報告では近所の若者が遊び半分で肝試しをするスポットで有名だったため緊急性があっただけで、実力と難易度的には2年生2人も要らなかった。
加えて今は梅雨入りしたばかりで肝を試すには少しばかり早く、餌の寄り付かない廃屋は数はあっても雑魚しかいない。
大した時間もかからず任務はつつがなく終わり、学校へ戻ろうと送迎車に乗り込んだ矢先、補助監督の携帯がなった。
相手は別件の任務に当たっている我らが最強様であった。何やら問題が起きたらしく(ま、いつものわがままだろう)悟に呼ばれた補助監督は可哀想なほどオロオロしていた。
そう言えば、彼は五条の分家の出身だと聞いたことがある。呪術師一族の縦社会がいかほどかは知らないが次期当主の命令に逆らえず、かと言ってこちらの事を気にして即答できないと言ったところか。
煮え切らない態度の補助監督に悟のせっつく声がこちらまで響く。
隣でまた、カチャリと飴が鳴る。
2個目の包装をあけたようだ。
私の視線に気付いた彼女は大粒の飴玉をコロコロコロコロ転がしながら、何を言うでもなくキツめの目尻を下げてじぃと視線だけを返した。
───確実に、苛立っている。
梢子と気が合うだけあって、普段は優等生として振る舞うが、生来、気が強く我が道を自で行く悟とは猿犬の仲だ。自覚ある方こと、彼女、櫟井夕顔は五条悟に関してノータッチを決め込こむ。
唯我独尊を地で行く悟と彼女は相性が悪く(良い方が少ないが)火に油を注ぐ上にこちらが疲れるとこの1年間共にしたことで学習してくれたはいいものの、その都度仲裁をしていた私がその1年間ですっかり保護者役に定着してしまったことは、誇るべきか憂うべきなのか。
ため息ともつかない息を吐き、私は後部座席から乗り出し、運転席に座る補助監督から携帯をかっさらう。
「問題ない悟。私たちは電車で帰るから」
「えっ、夏油くん」
「最寄り駅は覚えてますし、たまには歩くのもいいですからね。こちらのことは気にせず行ってください」
「夏油くぅんっ」
補助監督に話しながら遠回しに言った嫌味が分かったのか、「覚えとけよ傑、帰ったらボコするかんな」と安っぽい捨て台詞が飛んできた。が、そんなこと真に受けていちいち返していたらキリがないのもこの1年で学んだ。
まだ何か騒いでいたようだが聞こえない。帰る頃には忘れてるだろうし、もう電話は切って返した後だ。こっちは自腹で帰るんだ、このくらい許されるだろ。
補助監督は今にも泣きそうな顔でありがとうとすみませんばかり交互に繰り返す。
追い打ちをかけるつもりは無いが、まぁ。これは言っておかなくては。
「では報告は任せますね」
「夏油くん???」
多少心が痛まないでもないが、呪術師になってから大分上手くなった微笑みで押し切って車から降りた。
このくらい、許されるだろう。
*
先に降りていた彼女はすでに蟲を飛ばしていた。
──蠱呪操術。
蠱毒によって呪いを身に付けた蟲を操る術、それが彼女の家系の相伝だ。
蟲の視覚を共有する事で主に周辺の偵察や探索、対象に気付かれず呪毒による攻撃が主な戦術だ。
似たようなのが先輩にいて、その人は周辺の鳥を操るが、蠱呪操術は身の内に蟲を飼っている。
彼女の身体その物が蠱毒の器なのだ。
蟲の呪力を強めるために、幼少期から飲みたくもない毒や蟲(曰く、蠱毒における蟲は人に害する生物であれば虫に限らない、らしい)を摂取していたと、今日の任務て初めて知った。
蟲を出し入れする時に蟲が毒の呪いを纏って出てくるので気分が悪くなるのだと。
反転術式で解毒できるが気持ち悪さは無くならないのだと。
栄養補給と気分を紛らわすためにミルクキャンディを食べるようになったのだと、そうなんてことないように祓いながら話してくれた。
私は呪霊を祓ったりたまに取り込んだりしながら、そうか、とただ頷いた。
そうか、そうなのか。
最後の一体を払い終えた時、初めて声に感情を乗せて「きみ、呪術師向いてないよ」と言われた。
いつも、心の奥底で言葉を押し沈めるようにして笑い、話す彼女が、初めて浮上させた本音。
向いてない。
呪術師に。
ピンと来なくて、つい首を傾げた。
才能のことでは無いだろう。悟にも認められてる。
術式は殊の外。これ以上にないくらい。
家柄のことでも無いだろう。一般家庭から呪術師になる者も珍しく無い。
ならば何か。
少し悩んだが、そうかからず解決した。
例え向いていようがいまいが関係ない。
私は私の力の価値を知っている。その力を存分に発揮できる場所がここであることも。
その場所には頼りになる相棒がいる。仲間がいる。それさえ知っていれば何があっても解決できると信じているから。
だから私は「そうかい」と一言だけ、笑いながら返した。
予想とは違う返答に窮したのか、少しだけ眉間にシワを寄せる。
「夏油くんって、実は馬鹿なのね」
呆れが半分と苦渋が半分といった顔でとうとう彼女はそう溢した。
今日は彼女の色んな表情が見れるなとか、美人は怒っても美人というのは本当なんだなとか、考えていた私を見透されたのか「くだらないこと考えてないで帰るよ、二条ノ宮さんが待ってる」と言い捨て、階段を下り出した。
*
帰りのナビゲートは彼女に任せて、最寄り駅まで私たちは無言で歩く。
携帯のナビ機能はあるがいかんせんそれほど性能が良くないので助かった。
毒蝶に誘われながらの帰路はどこか現実的でなくて、傍から見れば暇を持て余した学生カップルのお遊びに見えるのだろうか?
悟や梢子どちらかいれば騒がしくなるのだが、私と彼女2人きりの時はいつもこんな感じだった。
学生カップルのような初々しさも、甘さも、どれも当てはまらない。
だけど、普通だったら気不味くなる雰囲気でも、彼女の空気がそうさせるのか私たちの間に窮屈さを感じたことはなかった。
つくづく、不思議に思う。
普段梢子たちと話している時の勝気で溌剌とした性格の彼女が、黙々と隣で歩いている彼女と、ちっとも重ならない。
最近は少し違って、二人きりのときは何故か邪険に扱われるのだが、全く身に覚えがない。
初めの頃はそこそこ良くしてくれたはずなのだが。梢子に相談してみても「あー、それね。うん⋯⋯ま、そっとしといてあげてよ」と言われるだけで原因は分からず仕舞いだ。
比例して、彼女と一緒の任務が増えた気がした。気の所為と思えばそれまでだ。理由はいつくも挙げられる。
呪術師は万年人材不足だし2年生でまだまだひよっこの私たちは基本的に2人以上で任務にあたる。緊急事態にあっても2人なら対処しやすいように。ただでさえ少ない規模で回しているからペアになる回数も増えていく。それにもうすぐ、夏になる。忙しさのピークは今だけだろう。
なにも問題は無い。
無いはずなのに、何故か落ち着かない。
*
ふと湿り気を帯びた風が吹いて、今朝の天気予報で午後から雨が降るとあったのを思い出した。
どうせ車で行くからと傘を持ってこなかった。
今にも落っこちてきそうな曇り空にあとどれ位で駅に着くのかと彼女に聞く、その測ったかのようなタイミングで。
白魚のような手と云うのはこのような手のことなんだろう。すべすべとした、ミルクキャンディ色より白い指先を止まり木に、数回、1羽の蝶が羽根を羽ばたかせると、一陣の風が吹きゆらり。微量の呪力を宿す鱗粉を蒔いて、宿主の中へと滑り込む。
指先から手の甲、前腕へぐるりと巻き付くように滑る。やがて、衣替えしたばかりの夏服の、指先よりも眩しい白い二の腕に行き着き──制服の下へ消えていくのを、知らず、目で追ってしまっていて。
はっと視線を外した時にはもう遅かった。外した先も悪かった。
いたずらっ子のような瞳と視線が絡む。駄々をこねる悟よりタチが悪く、時折患者に向ける視線が可笑しい時の梢子より蠱惑的で。
誰かが彼女のことを、アーモンド型の目尻を緩ませる彼女のことを──
「傑さんのえっち」
「な、ん」
──女王蜂(クイーンビー)と洒落た呼び方をしたのは、一体誰だったろうか。
シズカちゃんだってそんな、そんな風に、無邪気に色っぽくのび太くんを窘めないだろうに。いや、言いたいことはそういうことではなくて。
悲しいかな、私だって健全な男子高校生な訳で。ここの所、面倒なストーカーやナンパで精神をすり減らしていた青少年には少々刺激が強過ぎたのだ、などと言い訳させてもらう。
二の句が告げないでいる私を他所に、ぱちりと瞬きひとつして、綺麗に染めたミルクティブラウンを耳に掛けながら一歩、こちらに寄ってくる。
その一歩で彼女と私の距離は拳一個分くらい近くなって、平均より低めの身長のせいか普段は見えない襟首が晒されてしまって。胸元から昇る香水の匂いが強くなって熱がさらに上がる。
ふらつきそうになりながら距離を取ろうとするが上手く頭が働かずいう事をきかない。
いよいよ立っていられなくなって道端に座り込む。小学生の頃、炎天下の中行った運動会でぶっ倒れる直前のことを思い出した。
あの時もしんどくなって組体操どころじゃなくて、先生に名前を呼ばれても一歩でも動けば吐きそうになって喋れなくて、ただじっと照りつける太陽がちりちりと首筋を焼き汗がいく筋も流れるのを耐えるしかない、あの感じ。
夏油くん、と名前を呼ばれる。
顔も覚えていない先生とは違う、囁くような甘さで。
たったそれだけの事なのにどうして。
こんなにも舞い上がって胸がツキツキと傷んで下腹部がズグズグいってて吐く吐息はあつくて。ゆだって今にも溶けてしまいそうな脳裏で何かがおかしいと。そうおもう、のに。
クリクリとした猫目の奥で、法悦に浸った顔の男がいた。
それくらい彼女との距離は近くなっていて、あの薄く細い手のひらで喉から頬へと撫ぜられると、どこから出したのか自分でも分からないような情けない音が漏れた。
ポタリ、額から顎にかけて流れ落ちる汗がアスファルトに吸い込まれていく。
手で拭うこともせず、彼女の動向を少しも漏らさないように見つめ続ける。
否。見つめることしか、出来ないんだ。
近付く、ふっくりした、花弁。が、オレ、のと。
甘く、蕩ける、あらがえない。
強く、長く。
──嗚呼、これは、
ポタリ、また。
頬に冷たいものが流れる。
ポツリポツリと。断続的に落ちる、雫は汗なんかじゃない。
温もりが遠くなっていく。
「⋯⋯あ、め」
口に出した言葉をキッカケに、身体中の熱が急速に冷えていく。
霧が晴れるように頭の中がクリアになればなるほど、先程までの状況がいかに異常で、正気じゃなかったことを痛感する。
本降りになってきた雨足のおかげで顔に張り付く前髪をかき揚げ、繰り返し深く息を吐く。
「あーぁ、雨ってキライ」
ね、そう思わない?
なんでもないような口調で、嘲るような腹ただしいような、ともすれば泣いているような複雑な表情をする、同級生。
無理に例えるなら、友達からやりたくもないいたずらに付き合わされ、その果てに失敗して親に怒られることを恐れる不貞腐れた子供の顔だった。
先ほどの呪力にあてられた余韻か頭の動きが遅い。
彼女はなんと言ったか、雨は嫌いかと言ったのだったか。
雨。雨で連想する。
今は、雨に濡れて彼女の女性らしい曲線があらわになって目の置き場に困っているんだが、あぁと、うん。きっとこういうことではないはずだ。
あめ、は雨。
きらい、は、嫌いか。
口の中で何度か言葉を転がす。
先刻のことも含めて怒ればいいのか詰ればいいのか分からず頬の端をピクピクと変な顔をさせていると、彼女の表情がどんどん抜け落ちていった。
──失敗した、と直感する。
興味を失ったのか彼女は立ち上がって鬱陶しそうに髪を肩へ流して歩き出した。
彼女は、振り返らなかった。
*
残された私は、悟に解放された補助監督から着信があるまでしばらく呆然と突っ立っていて。
雨はとっくに止んでいたことに驚く。
彼女の残穢をたよりに高専へ辿り着く頃には、日はとっぷりと暮れていた。
服に着いた雫を払って、そういえばと、ポケットに入れたままの飴玉を思い出し取り出す。
熱で若干溶けていたが気になる程でもなかったので、彼女を真似てパッケージごと口に含む。
甘ったるいミルク味が舌の上少しずつ解けていく。
夢でも見ていたんだろうか。
飴玉を歯列で遊びながら、今日一日のことを考えていた。
いっそ1日と言わず、あの同級生と初めてあった日からひとつづつ、記憶の棚を開けていく。
いったいどういう了見であの子は自分にあんな真似をしたんだろうか。
答えは出ない。
棚をいくらひっくり返そうとも、同級生は同級生の女の子だった。
同じ呪術師だった。
コロリコロリ、歯列をなぞるそれの味が、果たして今自分が食べている飴のものなのか、彼女の舌から移ったものなのか見当がつかない。
何も分からない。
唇がピリピリとくる、それの意味も。
頭が回らない。
今わかるのは、任務後に食べる甘味は悪くないなと言うことくらいで。
同級生のあの子に習って自分も飴がチョコか、持ち歩くようにしようか。
それをきっかけに、明日あの子と話をしよう。
そうだ。
分からないから、こんなに頭が回らないのだ。
あの子のことがもう少し分かれば、きっと頭のもやもマシになるはずだ。
そうだ、そうしよう。
嗚呼、明日が楽しみだ。
*
**
***
**
*
待てど暮らせど。
次の日、彼女は学校にこなかった。
次の日も、その次の日も。
私が離反するまで。
ずっと、来なかった。
呪いを受けたのだと、判明したのは苦々しくも呪詛師になってからで、それは高専から離れたから耳にするようになった。
高専関係者引いては呪術師全体に箝口令が敷かれていたためだ。
あの子の家、櫟井家は呪術師のなかでも特殊な術式の家系で、代々当主が次代へ引き継がれる。
継ぎ足される。
移し替えられる。
代替品。
あの家での彼女の扱いは「それ」だった。
夕顔は仮の名前だそうで、生まれた時に親からもらった名前ではない。
毒に耐性のある一般の子供を見繕っては、櫟井家は引き取り教育をする。
その際、名前は邪魔だからと捨てられる。
その方が呪いを受け入れやすいから。
毒壺に放り込み毒の耐性をつけ、術式を埋め込み、また壺に放る。
孤独の中に。
蠱毒の中へ。
繰り返し繰り返し、丹念に。
そうして、この世のあらゆる種の生き物の呪詛が蠢く闇を生き抜いた者だけが次の当主の器となる。
頃合いを見て、器は挿げ替えられる。
古いものから、新しいものへと。
新しいものを買った時に出たゴミは、古いものの中に詰め込んで捨てられる。
そんな風に。
櫟井家の世代交代はこうして行われる。
※
だだっ広いだけで手入れの行き届いていない屋敷を歩きながら、飴玉を転がす。
あちこちに飛び散る血糊が、曼珠沙華の花に似ている。
私たちに相応しい花道じゃないか。
カラリコロリ。
ミルクは甘ったるくて、スッキリした味のものが好きだ。キシリクリスタルの葡萄味が一番いい。
小さくなった一欠片を奥歯で噛む。
口いっぱいにハッカの清涼さと葡萄の酸味が広がる。
「やぁ、待たせたね」
地下にぽっかり空いた底を覗き込むと、八つの目玉がこちらを見る。
キィキィと激昂する「それ」。
ゆらゆら揺れる赤い燐光は、泣いているように瞬く。
甘ったるいミルクの匂い。
懐かしい。
湿ったカビの匂いも気にならない。
呪詛と毒と臓物を浴びても尚、その指先は白かった。
待ち侘びていた手のひら。
あの時の温もりはもうないけれど、今度は離さない。
手のひらを合わせる。
恋人同士がするように指と指を絡ませる。
八つの燐光がじっと見つめる。
アーモンド型のくりくりした形の良い瞳で見つめられるのは何年経っても慣れなくて、やっぱりむず痒くなる。
嗚呼、呪霊玉する前に言わねばならないことを思い出す。
キィキィ啼く蟲の聲。
美しき女郎蜘蛛の指先から螺旋を描き始める時、あめは嫌いじゃないよ、とそっと彼女に囁いた。
「君が好きにさせてくれたから」
瞬間、蜘蛛の牙が私の唇を掠める。
名残惜しそうに、牙から猛毒を滴らせて彼女は手のひら大の黒い玉になった。
せっかちなところは変わらずなようだ。
そんなに焦らなくても、これから先時間は沢山あるのに。
両手で包むようにして、かつての同級生を飲み込む。
いつもと変わらぬ敗北の味。
喉元を通り過ぎる時、お前なんか嫌いだと言う声がしたような気がするが、きっと気のせいだろう。
溢れた唾液を親指で拭う。
今日は飴玉はいらない。
※
「お前、呪われてるよ」
あくる日に、指摘されことであの口付けが呪いであると知って、私が思ったことと言えば歓喜だった。
あの口付けに意味があったことが嬉しかった。
あの夏の日にあったことが正しかったのだと思えた。
夢を見るのは、とっくに飽きていたんだ。
蜃気楼のように、朧げなあの初夏の頃を、この呪いだけが知っている。
任務終わりにミルクキャンディを舐めるのがルーティーンなのだと、何時だか「あげる」と言いながら教えてもらった。
今日の任務は彼女と2人だった。
正直に言えば、自分一人でも問題なかった。
三級呪霊ばかりが屯たむろする廃屋は、当初、窓の報告では近所の若者が遊び半分で肝試しをするスポットで有名だったため緊急性があっただけで、実力と難易度的には2年生2人も要らなかった。
加えて今は梅雨入りしたばかりで肝を試すには少しばかり早く、餌の寄り付かない廃屋は数はあっても雑魚しかいない。
大した時間もかからず任務はつつがなく終わり、学校へ戻ろうと送迎車に乗り込んだ矢先、補助監督の携帯がなった。
相手は別件の任務に当たっている我らが最強様であった。何やら問題が起きたらしく(ま、いつものわがままだろう)悟に呼ばれた補助監督は可哀想なほどオロオロしていた。
そう言えば、彼は五条の分家の出身だと聞いたことがある。呪術師一族の縦社会がいかほどかは知らないが次期当主の命令に逆らえず、かと言ってこちらの事を気にして即答できないと言ったところか。
煮え切らない態度の補助監督に悟のせっつく声がこちらまで響く。
隣でまた、カチャリと飴が鳴る。
2個目の包装をあけたようだ。
私の視線に気付いた彼女は大粒の飴玉をコロコロコロコロ転がしながら、何を言うでもなくキツめの目尻を下げてじぃと視線だけを返した。
───確実に、苛立っている。
梢子と気が合うだけあって、普段は優等生として振る舞うが、生来、気が強く我が道を自で行く悟とは猿犬の仲だ。自覚ある方こと、彼女、櫟井夕顔は五条悟に関してノータッチを決め込こむ。
唯我独尊を地で行く悟と彼女は相性が悪く(良い方が少ないが)火に油を注ぐ上にこちらが疲れるとこの1年間共にしたことで学習してくれたはいいものの、その都度仲裁をしていた私がその1年間ですっかり保護者役に定着してしまったことは、誇るべきか憂うべきなのか。
ため息ともつかない息を吐き、私は後部座席から乗り出し、運転席に座る補助監督から携帯をかっさらう。
「問題ない悟。私たちは電車で帰るから」
「えっ、夏油くん」
「最寄り駅は覚えてますし、たまには歩くのもいいですからね。こちらのことは気にせず行ってください」
「夏油くぅんっ」
補助監督に話しながら遠回しに言った嫌味が分かったのか、「覚えとけよ傑、帰ったらボコするかんな」と安っぽい捨て台詞が飛んできた。が、そんなこと真に受けていちいち返していたらキリがないのもこの1年で学んだ。
まだ何か騒いでいたようだが聞こえない。帰る頃には忘れてるだろうし、もう電話は切って返した後だ。こっちは自腹で帰るんだ、このくらい許されるだろ。
補助監督は今にも泣きそうな顔でありがとうとすみませんばかり交互に繰り返す。
追い打ちをかけるつもりは無いが、まぁ。これは言っておかなくては。
「では報告は任せますね」
「夏油くん???」
多少心が痛まないでもないが、呪術師になってから大分上手くなった微笑みで押し切って車から降りた。
このくらい、許されるだろう。
*
先に降りていた彼女はすでに蟲を飛ばしていた。
──蠱呪操術。
蠱毒によって呪いを身に付けた蟲を操る術、それが彼女の家系の相伝だ。
蟲の視覚を共有する事で主に周辺の偵察や探索、対象に気付かれず呪毒による攻撃が主な戦術だ。
似たようなのが先輩にいて、その人は周辺の鳥を操るが、蠱呪操術は身の内に蟲を飼っている。
彼女の身体その物が蠱毒の器なのだ。
蟲の呪力を強めるために、幼少期から飲みたくもない毒や蟲(曰く、蠱毒における蟲は人に害する生物であれば虫に限らない、らしい)を摂取していたと、今日の任務て初めて知った。
蟲を出し入れする時に蟲が毒の呪いを纏って出てくるので気分が悪くなるのだと。
反転術式で解毒できるが気持ち悪さは無くならないのだと。
栄養補給と気分を紛らわすためにミルクキャンディを食べるようになったのだと、そうなんてことないように祓いながら話してくれた。
私は呪霊を祓ったりたまに取り込んだりしながら、そうか、とただ頷いた。
そうか、そうなのか。
最後の一体を払い終えた時、初めて声に感情を乗せて「きみ、呪術師向いてないよ」と言われた。
いつも、心の奥底で言葉を押し沈めるようにして笑い、話す彼女が、初めて浮上させた本音。
向いてない。
呪術師に。
ピンと来なくて、つい首を傾げた。
才能のことでは無いだろう。悟にも認められてる。
術式は殊の外。これ以上にないくらい。
家柄のことでも無いだろう。一般家庭から呪術師になる者も珍しく無い。
ならば何か。
少し悩んだが、そうかからず解決した。
例え向いていようがいまいが関係ない。
私は私の力の価値を知っている。その力を存分に発揮できる場所がここであることも。
その場所には頼りになる相棒がいる。仲間がいる。それさえ知っていれば何があっても解決できると信じているから。
だから私は「そうかい」と一言だけ、笑いながら返した。
予想とは違う返答に窮したのか、少しだけ眉間にシワを寄せる。
「夏油くんって、実は馬鹿なのね」
呆れが半分と苦渋が半分といった顔でとうとう彼女はそう溢した。
今日は彼女の色んな表情が見れるなとか、美人は怒っても美人というのは本当なんだなとか、考えていた私を見透されたのか「くだらないこと考えてないで帰るよ、二条ノ宮さんが待ってる」と言い捨て、階段を下り出した。
*
帰りのナビゲートは彼女に任せて、最寄り駅まで私たちは無言で歩く。
携帯のナビ機能はあるがいかんせんそれほど性能が良くないので助かった。
毒蝶に誘われながらの帰路はどこか現実的でなくて、傍から見れば暇を持て余した学生カップルのお遊びに見えるのだろうか?
悟や梢子どちらかいれば騒がしくなるのだが、私と彼女2人きりの時はいつもこんな感じだった。
学生カップルのような初々しさも、甘さも、どれも当てはまらない。
だけど、普通だったら気不味くなる雰囲気でも、彼女の空気がそうさせるのか私たちの間に窮屈さを感じたことはなかった。
つくづく、不思議に思う。
普段梢子たちと話している時の勝気で溌剌とした性格の彼女が、黙々と隣で歩いている彼女と、ちっとも重ならない。
最近は少し違って、二人きりのときは何故か邪険に扱われるのだが、全く身に覚えがない。
初めの頃はそこそこ良くしてくれたはずなのだが。梢子に相談してみても「あー、それね。うん⋯⋯ま、そっとしといてあげてよ」と言われるだけで原因は分からず仕舞いだ。
比例して、彼女と一緒の任務が増えた気がした。気の所為と思えばそれまでだ。理由はいつくも挙げられる。
呪術師は万年人材不足だし2年生でまだまだひよっこの私たちは基本的に2人以上で任務にあたる。緊急事態にあっても2人なら対処しやすいように。ただでさえ少ない規模で回しているからペアになる回数も増えていく。それにもうすぐ、夏になる。忙しさのピークは今だけだろう。
なにも問題は無い。
無いはずなのに、何故か落ち着かない。
*
ふと湿り気を帯びた風が吹いて、今朝の天気予報で午後から雨が降るとあったのを思い出した。
どうせ車で行くからと傘を持ってこなかった。
今にも落っこちてきそうな曇り空にあとどれ位で駅に着くのかと彼女に聞く、その測ったかのようなタイミングで。
白魚のような手と云うのはこのような手のことなんだろう。すべすべとした、ミルクキャンディ色より白い指先を止まり木に、数回、1羽の蝶が羽根を羽ばたかせると、一陣の風が吹きゆらり。微量の呪力を宿す鱗粉を蒔いて、宿主の中へと滑り込む。
指先から手の甲、前腕へぐるりと巻き付くように滑る。やがて、衣替えしたばかりの夏服の、指先よりも眩しい白い二の腕に行き着き──制服の下へ消えていくのを、知らず、目で追ってしまっていて。
はっと視線を外した時にはもう遅かった。外した先も悪かった。
いたずらっ子のような瞳と視線が絡む。駄々をこねる悟よりタチが悪く、時折患者に向ける視線が可笑しい時の梢子より蠱惑的で。
誰かが彼女のことを、アーモンド型の目尻を緩ませる彼女のことを──
「傑さんのえっち」
「な、ん」
──女王蜂(クイーンビー)と洒落た呼び方をしたのは、一体誰だったろうか。
シズカちゃんだってそんな、そんな風に、無邪気に色っぽくのび太くんを窘めないだろうに。いや、言いたいことはそういうことではなくて。
悲しいかな、私だって健全な男子高校生な訳で。ここの所、面倒なストーカーやナンパで精神をすり減らしていた青少年には少々刺激が強過ぎたのだ、などと言い訳させてもらう。
二の句が告げないでいる私を他所に、ぱちりと瞬きひとつして、綺麗に染めたミルクティブラウンを耳に掛けながら一歩、こちらに寄ってくる。
その一歩で彼女と私の距離は拳一個分くらい近くなって、平均より低めの身長のせいか普段は見えない襟首が晒されてしまって。胸元から昇る香水の匂いが強くなって熱がさらに上がる。
ふらつきそうになりながら距離を取ろうとするが上手く頭が働かずいう事をきかない。
いよいよ立っていられなくなって道端に座り込む。小学生の頃、炎天下の中行った運動会でぶっ倒れる直前のことを思い出した。
あの時もしんどくなって組体操どころじゃなくて、先生に名前を呼ばれても一歩でも動けば吐きそうになって喋れなくて、ただじっと照りつける太陽がちりちりと首筋を焼き汗がいく筋も流れるのを耐えるしかない、あの感じ。
夏油くん、と名前を呼ばれる。
顔も覚えていない先生とは違う、囁くような甘さで。
たったそれだけの事なのにどうして。
こんなにも舞い上がって胸がツキツキと傷んで下腹部がズグズグいってて吐く吐息はあつくて。ゆだって今にも溶けてしまいそうな脳裏で何かがおかしいと。そうおもう、のに。
クリクリとした猫目の奥で、法悦に浸った顔の男がいた。
それくらい彼女との距離は近くなっていて、あの薄く細い手のひらで喉から頬へと撫ぜられると、どこから出したのか自分でも分からないような情けない音が漏れた。
ポタリ、額から顎にかけて流れ落ちる汗がアスファルトに吸い込まれていく。
手で拭うこともせず、彼女の動向を少しも漏らさないように見つめ続ける。
否。見つめることしか、出来ないんだ。
近付く、ふっくりした、花弁。が、オレ、のと。
甘く、蕩ける、あらがえない。
強く、長く。
──嗚呼、これは、
ポタリ、また。
頬に冷たいものが流れる。
ポツリポツリと。断続的に落ちる、雫は汗なんかじゃない。
温もりが遠くなっていく。
「⋯⋯あ、め」
口に出した言葉をキッカケに、身体中の熱が急速に冷えていく。
霧が晴れるように頭の中がクリアになればなるほど、先程までの状況がいかに異常で、正気じゃなかったことを痛感する。
本降りになってきた雨足のおかげで顔に張り付く前髪をかき揚げ、繰り返し深く息を吐く。
「あーぁ、雨ってキライ」
ね、そう思わない?
なんでもないような口調で、嘲るような腹ただしいような、ともすれば泣いているような複雑な表情をする、同級生。
無理に例えるなら、友達からやりたくもないいたずらに付き合わされ、その果てに失敗して親に怒られることを恐れる不貞腐れた子供の顔だった。
先ほどの呪力にあてられた余韻か頭の動きが遅い。
彼女はなんと言ったか、雨は嫌いかと言ったのだったか。
雨。雨で連想する。
今は、雨に濡れて彼女の女性らしい曲線があらわになって目の置き場に困っているんだが、あぁと、うん。きっとこういうことではないはずだ。
あめ、は雨。
きらい、は、嫌いか。
口の中で何度か言葉を転がす。
先刻のことも含めて怒ればいいのか詰ればいいのか分からず頬の端をピクピクと変な顔をさせていると、彼女の表情がどんどん抜け落ちていった。
──失敗した、と直感する。
興味を失ったのか彼女は立ち上がって鬱陶しそうに髪を肩へ流して歩き出した。
彼女は、振り返らなかった。
*
残された私は、悟に解放された補助監督から着信があるまでしばらく呆然と突っ立っていて。
雨はとっくに止んでいたことに驚く。
彼女の残穢をたよりに高専へ辿り着く頃には、日はとっぷりと暮れていた。
服に着いた雫を払って、そういえばと、ポケットに入れたままの飴玉を思い出し取り出す。
熱で若干溶けていたが気になる程でもなかったので、彼女を真似てパッケージごと口に含む。
甘ったるいミルク味が舌の上少しずつ解けていく。
夢でも見ていたんだろうか。
飴玉を歯列で遊びながら、今日一日のことを考えていた。
いっそ1日と言わず、あの同級生と初めてあった日からひとつづつ、記憶の棚を開けていく。
いったいどういう了見であの子は自分にあんな真似をしたんだろうか。
答えは出ない。
棚をいくらひっくり返そうとも、同級生は同級生の女の子だった。
同じ呪術師だった。
コロリコロリ、歯列をなぞるそれの味が、果たして今自分が食べている飴のものなのか、彼女の舌から移ったものなのか見当がつかない。
何も分からない。
唇がピリピリとくる、それの意味も。
頭が回らない。
今わかるのは、任務後に食べる甘味は悪くないなと言うことくらいで。
同級生のあの子に習って自分も飴がチョコか、持ち歩くようにしようか。
それをきっかけに、明日あの子と話をしよう。
そうだ。
分からないから、こんなに頭が回らないのだ。
あの子のことがもう少し分かれば、きっと頭のもやもマシになるはずだ。
そうだ、そうしよう。
嗚呼、明日が楽しみだ。
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***
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待てど暮らせど。
次の日、彼女は学校にこなかった。
次の日も、その次の日も。
私が離反するまで。
ずっと、来なかった。
呪いを受けたのだと、判明したのは苦々しくも呪詛師になってからで、それは高専から離れたから耳にするようになった。
高専関係者引いては呪術師全体に箝口令が敷かれていたためだ。
あの子の家、櫟井家は呪術師のなかでも特殊な術式の家系で、代々当主が次代へ引き継がれる。
継ぎ足される。
移し替えられる。
代替品。
あの家での彼女の扱いは「それ」だった。
夕顔は仮の名前だそうで、生まれた時に親からもらった名前ではない。
毒に耐性のある一般の子供を見繕っては、櫟井家は引き取り教育をする。
その際、名前は邪魔だからと捨てられる。
その方が呪いを受け入れやすいから。
毒壺に放り込み毒の耐性をつけ、術式を埋め込み、また壺に放る。
孤独の中に。
蠱毒の中へ。
繰り返し繰り返し、丹念に。
そうして、この世のあらゆる種の生き物の呪詛が蠢く闇を生き抜いた者だけが次の当主の器となる。
頃合いを見て、器は挿げ替えられる。
古いものから、新しいものへと。
新しいものを買った時に出たゴミは、古いものの中に詰め込んで捨てられる。
そんな風に。
櫟井家の世代交代はこうして行われる。
※
だだっ広いだけで手入れの行き届いていない屋敷を歩きながら、飴玉を転がす。
あちこちに飛び散る血糊が、曼珠沙華の花に似ている。
私たちに相応しい花道じゃないか。
カラリコロリ。
ミルクは甘ったるくて、スッキリした味のものが好きだ。キシリクリスタルの葡萄味が一番いい。
小さくなった一欠片を奥歯で噛む。
口いっぱいにハッカの清涼さと葡萄の酸味が広がる。
「やぁ、待たせたね」
地下にぽっかり空いた底を覗き込むと、八つの目玉がこちらを見る。
キィキィと激昂する「それ」。
ゆらゆら揺れる赤い燐光は、泣いているように瞬く。
甘ったるいミルクの匂い。
懐かしい。
湿ったカビの匂いも気にならない。
呪詛と毒と臓物を浴びても尚、その指先は白かった。
待ち侘びていた手のひら。
あの時の温もりはもうないけれど、今度は離さない。
手のひらを合わせる。
恋人同士がするように指と指を絡ませる。
八つの燐光がじっと見つめる。
アーモンド型のくりくりした形の良い瞳で見つめられるのは何年経っても慣れなくて、やっぱりむず痒くなる。
嗚呼、呪霊玉する前に言わねばならないことを思い出す。
キィキィ啼く蟲の聲。
美しき女郎蜘蛛の指先から螺旋を描き始める時、あめは嫌いじゃないよ、とそっと彼女に囁いた。
「君が好きにさせてくれたから」
瞬間、蜘蛛の牙が私の唇を掠める。
名残惜しそうに、牙から猛毒を滴らせて彼女は手のひら大の黒い玉になった。
せっかちなところは変わらずなようだ。
そんなに焦らなくても、これから先時間は沢山あるのに。
両手で包むようにして、かつての同級生を飲み込む。
いつもと変わらぬ敗北の味。
喉元を通り過ぎる時、お前なんか嫌いだと言う声がしたような気がするが、きっと気のせいだろう。
溢れた唾液を親指で拭う。
今日は飴玉はいらない。
※
「お前、呪われてるよ」
あくる日に、指摘されことであの口付けが呪いであると知って、私が思ったことと言えば歓喜だった。
あの口付けに意味があったことが嬉しかった。
あの夏の日にあったことが正しかったのだと思えた。
夢を見るのは、とっくに飽きていたんだ。
蜃気楼のように、朧げなあの初夏の頃を、この呪いだけが知っている。
