短編
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異世界から来た監督生は、文学少女だった。
癖のない艶やかな黒髪、聡明そうな澄んだ瞳。
反して黒く細い眉は利発そうにピンと弧を描く。
触れば壊れてしまうガラス細工のような、薄い肩。
ふわり微笑むと薔薇色に染まる白磁の頬。
その白く繊細な指先で、彼女は宝石箱を開けるようにそっと頁をつまみ、めくる。
本を読む時がいっとう好きだと、想像の世界へ旅立つことが何より楽しいと無邪気に云う唇が。
菩提樹の花弁がごとき唇が割れると、歯並びの良い白い歯とピンク色の舌がちろり垣間見える。
黙ってさえいれば、いいトコのお嬢さん然とした"文学少女"である監督生は、そうして自分にこういうのだ。
「ジャミル先輩、ごはん、出来ましたか?」
ワクワクと、漫画なら効果音がつきそうな顔で子供のように「ごはん」の催促をする姿を、いつもつるんでいる1年坊主共は知らないだろう。
普段、食堂の食事のほとんどをグリムにあげて、さも少食ですといわんばかりの彼女が、実は万年腹ぺこの食いしん坊なんて。
そんなこと、夢にも。
ちらりと、彼女の手の中のストップウォッチを見やる。
「まだ20分もたっていないだろう。口じゃなく手を動かせ」
「先輩はこれ以上私を飢えさせたいんですか、もうとっくにお腹と背中がくっつきそうです。早くつくってくれないと、うっかりつまみ食いしちゃいますよ」
「なら大人しく制限時間まで補習課題をこなすんだな」
「無理です〜〜〜、お腹が減って力が出ません〜〜〜〜」
「泣き言言えるうちは無理に入らない」
「ジャミル先輩のごはんたべるの、先週からずっとまってたんですよ?この日のためにアダムス先生の数秘学もバルガス先生の体力育成も、クルーウェル先生の錬金術だって乗り越えてきたし、学園長の雑用もぜぇ〜〜んぶ頑張ったんですから!!先にご褒美があってもいいと思います!!」
「君の言い分は全て学生の本分だし、学園長の雑用は君が学園生活を送る上での救済措置みたいなものだ。むしろ優遇されているくらいだろ」
「そうですけど、そうなんですけど!!」
有難いと思ってますから雑用引き受けてるんですもん。
でもそれとこれとは別じゃないですかぁ。
監督生はぐずぐずと立て付けの悪いテーブルに伏すので、お陰で手元が狂って澱みなく走らせていた文字がガタついた。
ついと眉が上がりねめつけるように見てしまうも、肝心の文学少女は尚も課題から逃れるために「ごはん」の催促を辞めない。
とうとう防音設備など無いオンボロ寮全体に響く腹の音に、俺が痺れを切らした。
継ぎ接ぎだらけで固いソファから立ち上がった俺を、不思議そうな顔が追いかける。
何度も出入りしているのでキッチンにどこに何があるかは、家事が苦手な監督生より頭に入ってる。勝手知ったる顔で年代物の冷蔵庫からミルクを出す。
流しの近くにあるカゴから、洗ったまま自然乾燥させているコップに注いでから談話室へ戻った。
「ジャミル先輩?」
眉間にシワを寄せて、テーブルに突っ伏したままこちらを見上げる彼女にコップを渡すと戸惑いながら受け取った。
「まだ飲むなよ」
「え?」
頬に課題プリントの跡をつけた間抜け面を鼻で笑って、胸ポケットからマジカルペンを取り出す。
両手で包み込むように持ったコップに向かって、口の中で小さく呪文を唱えると、身体の内側から魔力が流れペン先に収束して行く。
小さい頃から何度も経験した当たり前のことが、オーバーブロットした直後は上手く制御出来ず歯痒い思いをしたものだった。
もう問題なく作動することを再確認し内心で安堵する。
マジカルペンでコップの周囲をくるくるなぞる。
数回、そうしているとコップの中のミルクが次第に波打ち、ペンに釣られるようにゆるりゆるり渦を巻いていく。
「あ!」
ひとつ目の後、変化はふたつ起きた。
「いい匂い……、それにあったかい」
監督生は手の中のコップを大事そうにしっかりと包み込む。
手とそろいのちいちゃな鼻腔をコップに寄せて、スパイスの効いた紅茶の香りを嗅ぐと頬を緩ませた。
その表情だけは「らしさ」があって、なるほどリドル含めハーツラビュル生や監督生といつもつるんでる一年生どもが守ってやりたくなると言っていた意味が、ほんの少し、紅茶の最後の一滴分くらいは分かった気がした。
「それでも飲んで、少しは腹の怪獣を大人しくさせるんだな」
「あーッまたそういう意地悪いぅー!」
幼さと艶やかさの淡いにいた少女は、俺がそう言うと途端に頬を膨らませてきゃんきゃん吠え出す。
チワワかポメラニアンに吠えられた気分だ。
書きかけの「ごはん」の続きを書くため、マジカルペンを握り直すと監督生に名前を呼ばれる。
返事はせずに黙って視線だけ向けると、彼女はずいぶんと穏やかな眼差しでこちらを見ていた。
まずい。直感的にそう思って。
俺はすぐに視線をレポート用紙に戻すフリをして眼を逸らした。
監督生の、あの眼が、俺は苦手なのだ。
「ジャミル先輩ありがとうございます。"美味しいです"」
異世界から来た監督生は、本を食べちゃうくらい愛してる文学少女は、そう緩やかに微笑むと、さらにもうひと口分、チャイの匂い香るホットミルクに口付けた。
こくり、ほぅ、嚥下し吐息を溢す、そんな音が小さくとも嫌によく響く。
それを聞いて、聴いて。ペンを走らせる指に力が入る。
その温かな言葉に、優しい声に横顔に、また。
また、打ちのめされそうになる。
やらなきゃよかったと、後悔しそうになる。
でも、それでも。
あんまりにもこの怪物は嬉しそうに笑うので、だから俺はいつものように別に、とぶっきらぼうに吐き捨てて、「ごはん」の最後の仕上げに取り掛かるのだ。
テーブルに置かれたストップウォッチの残り時間は30分を切っていた。
ミルクに熱魔法と、香り魔法を使った。
熱魔法は何かを温めるときに使う、よくよく初歩的な生活魔法。ミドルスクールでも実技魔法として習う代表的なものだ。
香り魔法は付与魔法(エンチャント)の派生の派生で、何かの香りを別の何かに纏わせる中級魔法。
効果は短いがその分強さの微調整が出来るし人体への影響もなくアレルギー持ちに重宝されるため、ほんの少しだけ香りをつけたい料理にもよく使われる。
どちらも単独で使用する際は特別難しくない魔法だが、それを同時に行うのはかなりの集中力と熟練度が必要になる。
異世界から来たこの少女は、そういったこちら側の事情などつゆほども知らない。
知らないからこそこうして素直に謝礼だけを送る。
それでいい。
いまはそれが、心地よかった。
ウィンターホリデー前なら、自分がいかに努力して我慢して相応の称賛を受けたいと願っていただろう。
もっと感謝しろとか、俺はこんなにもすごいんだぞとか、そういう幼児じみた浅ましい承認欲求でいっぱいだった。
それを支えに生きていた。
あの日までは。
――――――――――――――
ピピピっ、ピピピっ。
目覚ましとかタイマーとか時間を告げる音というのはどうしてこう煩わしいのだろう。
香りがすっかり霧散したホットミルクを飲み終えた彼女は、待ちきれないと言わんばかりに瞳を輝かせている。
おかしいな、小型犬が尻尾をぶんぶん振ってる幻覚が見える。
最後の詰めをどうにかこうにか文字で埋め完成させ、ペンを置くと同時に「できましたか!?」と食いしん坊がすかさず食いつく。
チワワとポメラニアン、どっちかな。ポメラニアンの方かな。まぁ俺は鳥派だからどうでもいいけど。
「はいはい」
「むぅ、なんか馬鹿にされてる気がする。まぁ今はごはんが大事ですので許してあげます。ごはんごはん〜〜!!」
「はぁ、ハイハイ」
レポート用紙3枚分をまとめて手渡すと、ホットミルクを作ってやった時より3倍くらい嬉しそうな顔をするので素直にイラッとした。
「味は保証しない」
「毎回言いますよねそれ。ジャミル先輩が作ったものなら残さず食べますよ?」
「……いつまで続くか見ものだな」
「また意地悪言う……」
軽口を叩き合いながらも、文学少女の視線は俺が書いた物語へ注いでいる。
1枚目の最後の行を読み終えると、少女の指先は紙の端っこをぴりっと破く。
一口大に千切った紙片を、まるで神聖な儀式をする様に、そおっと大切に大切に口元へ運ぶ。
ぱくり。
しゃくしゃく。ごくん。
「ん〜〜〜〜〜〜っ、美味しい〜〜〜〜!!」
神秘性漂う面差しから一転、無邪気な子供の笑顔。
そこからは手を休めることなく千切ってはパクり千切ってはパクりと、"俺が書いた物語を食べていく"。
何度見ても信じられない光景だ。
異世界から来た監督生は、文学少女だった。
そして、本を、物語を、食べちゃうくらい愛してる怪物(モンスター)だった。
最初にそう告げられて、証拠を見せられても。
誰が物理的に紙を食べる生き物がいると想像できるだろうか。
それとも。
それとも、異世界の女の子は、文学少女はみな。
皆んな紙を食べて生きているのだろうか。
「夏祭りに喧嘩別れした幼なじみの二人が夕焼けをバックに仲直りして、約束のラムネを半分こするんですね!初々しい〜〜〜美味しい〜〜!!ラムネ味のシャーベットに赤いチェリーが添えられたシンプルだけどレトロなデザートみたいです〜〜〜レモンの風味と苦味があとからきて美味しい〜〜〜爽やかで甘くて美味しい〜〜〜!!」
「……そもそもだが、今回のお題はごはんというよりおやつじゃないか?」
「ご飯どきに食べれば皆んなごはんなのでのーぷろぶれむでーす!」
「子供か。後で空腹だからって図書館で借りた本はもう食うなよ」
「あぅ、その節はすみませんでした……。ジャミル先輩が修復魔法知っててくれて助かりました」
「おい、返事をしろ。食べないと、いま、ここで、誓うんだ!」
文学少女には味覚がない。
文章を読み、想像したものにしか味を感じない。
それ以外の食べ物飲み物は、乾燥させたパスタや無味無臭の水のように感じられるのだという。
さっきのホットミルクも美味しくなんてなかったはずなのだ。
味なんてしなかったはずなのだ。
気休めに香りを添えても、彼女は、彼女の頭の中でしかチャイの味を知らない。
彼女の想像するチャイの味と、俺の知るチャイの味は同じとは限らない。
彼女の想像のチャイの味も、ラムネの味も俺には分からないように。
それでも彼女が"美味しい"と、言ったのは。
味は分からなくとも気持ちは分かるからと。
いつだかバーツラビュルのお茶会で、調子に乗ってお茶とお菓子をたべ過ぎてこっそりお腹を壊した時。
(カリムが怪我をして包帯を切らしたから)たまたま保健室へ用事があって来ていた俺にそう答えたのを。
ホットミルクをのんでいた時に思い出してしまって、何だかそれがしゃくで。
つい予定とは違う終わり方に変更してしまったのは致し方ないことだったと、心の中で弁明する。
今日のお題: 「瓶ラムネ」「夕焼け」「綱渡り」
「イヤーーーーーーーーーーーッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
オンボロ寮にて文学少女の絶叫が、今日も響き渡る。
小さな眉間に深い皺を寄せ、元々白い顔色がさらに蒼白になっている。
「辛い辛い辛い辛い辛い辛い、からーーーーーーい!!!!!!舌が焼け切りそう!!!!!!!!!!なんで、どうしてそうなるの!!!!???仲直りの印にラムネを二人で仲良く分け合ってたじゃないですか!!!!!!美味しいラムネ味のアイスの中からタバスコとハバネロとチリソースをミックスしたデスソースが出てきたみたいな味!!!!酷すぎる!!!!!!イヤーーーーーーっッッ辞めて辞めて辞めて!!!!ラムネの瓶を叩き割らないで!!!!割れた瓶で綱を切らないで!!!!!!!夕焼けが血で染まるエンドなんてイヤーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
はた迷惑な後輩である、文学少女な監督生は。
宣言通り涙と鼻水を流しながらも、酷い味付けの料理を最後の一欠片まで残らず食べ切った。
癖のない艶やかな黒髪、聡明そうな澄んだ瞳。
反して黒く細い眉は利発そうにピンと弧を描く。
触れば壊れてしまうガラス細工のような、薄い肩。
ふわり微笑むと薔薇色に染まる白磁の頬。
その白く繊細な指先で、彼女は宝石箱を開けるようにそっと頁をつまみ、めくる。
本を読む時がいっとう好きだと、想像の世界へ旅立つことが何より楽しいと無邪気に云う唇が。
菩提樹の花弁がごとき唇が割れると、歯並びの良い白い歯とピンク色の舌がちろり垣間見える。
黙ってさえいれば、いいトコのお嬢さん然とした"文学少女"である監督生は、そうして自分にこういうのだ。
「ジャミル先輩、ごはん、出来ましたか?」
ワクワクと、漫画なら効果音がつきそうな顔で子供のように「ごはん」の催促をする姿を、いつもつるんでいる1年坊主共は知らないだろう。
普段、食堂の食事のほとんどをグリムにあげて、さも少食ですといわんばかりの彼女が、実は万年腹ぺこの食いしん坊なんて。
そんなこと、夢にも。
ちらりと、彼女の手の中のストップウォッチを見やる。
「まだ20分もたっていないだろう。口じゃなく手を動かせ」
「先輩はこれ以上私を飢えさせたいんですか、もうとっくにお腹と背中がくっつきそうです。早くつくってくれないと、うっかりつまみ食いしちゃいますよ」
「なら大人しく制限時間まで補習課題をこなすんだな」
「無理です〜〜〜、お腹が減って力が出ません〜〜〜〜」
「泣き言言えるうちは無理に入らない」
「ジャミル先輩のごはんたべるの、先週からずっとまってたんですよ?この日のためにアダムス先生の数秘学もバルガス先生の体力育成も、クルーウェル先生の錬金術だって乗り越えてきたし、学園長の雑用もぜぇ〜〜んぶ頑張ったんですから!!先にご褒美があってもいいと思います!!」
「君の言い分は全て学生の本分だし、学園長の雑用は君が学園生活を送る上での救済措置みたいなものだ。むしろ優遇されているくらいだろ」
「そうですけど、そうなんですけど!!」
有難いと思ってますから雑用引き受けてるんですもん。
でもそれとこれとは別じゃないですかぁ。
監督生はぐずぐずと立て付けの悪いテーブルに伏すので、お陰で手元が狂って澱みなく走らせていた文字がガタついた。
ついと眉が上がりねめつけるように見てしまうも、肝心の文学少女は尚も課題から逃れるために「ごはん」の催促を辞めない。
とうとう防音設備など無いオンボロ寮全体に響く腹の音に、俺が痺れを切らした。
継ぎ接ぎだらけで固いソファから立ち上がった俺を、不思議そうな顔が追いかける。
何度も出入りしているのでキッチンにどこに何があるかは、家事が苦手な監督生より頭に入ってる。勝手知ったる顔で年代物の冷蔵庫からミルクを出す。
流しの近くにあるカゴから、洗ったまま自然乾燥させているコップに注いでから談話室へ戻った。
「ジャミル先輩?」
眉間にシワを寄せて、テーブルに突っ伏したままこちらを見上げる彼女にコップを渡すと戸惑いながら受け取った。
「まだ飲むなよ」
「え?」
頬に課題プリントの跡をつけた間抜け面を鼻で笑って、胸ポケットからマジカルペンを取り出す。
両手で包み込むように持ったコップに向かって、口の中で小さく呪文を唱えると、身体の内側から魔力が流れペン先に収束して行く。
小さい頃から何度も経験した当たり前のことが、オーバーブロットした直後は上手く制御出来ず歯痒い思いをしたものだった。
もう問題なく作動することを再確認し内心で安堵する。
マジカルペンでコップの周囲をくるくるなぞる。
数回、そうしているとコップの中のミルクが次第に波打ち、ペンに釣られるようにゆるりゆるり渦を巻いていく。
「あ!」
ひとつ目の後、変化はふたつ起きた。
「いい匂い……、それにあったかい」
監督生は手の中のコップを大事そうにしっかりと包み込む。
手とそろいのちいちゃな鼻腔をコップに寄せて、スパイスの効いた紅茶の香りを嗅ぐと頬を緩ませた。
その表情だけは「らしさ」があって、なるほどリドル含めハーツラビュル生や監督生といつもつるんでる一年生どもが守ってやりたくなると言っていた意味が、ほんの少し、紅茶の最後の一滴分くらいは分かった気がした。
「それでも飲んで、少しは腹の怪獣を大人しくさせるんだな」
「あーッまたそういう意地悪いぅー!」
幼さと艶やかさの淡いにいた少女は、俺がそう言うと途端に頬を膨らませてきゃんきゃん吠え出す。
チワワかポメラニアンに吠えられた気分だ。
書きかけの「ごはん」の続きを書くため、マジカルペンを握り直すと監督生に名前を呼ばれる。
返事はせずに黙って視線だけ向けると、彼女はずいぶんと穏やかな眼差しでこちらを見ていた。
まずい。直感的にそう思って。
俺はすぐに視線をレポート用紙に戻すフリをして眼を逸らした。
監督生の、あの眼が、俺は苦手なのだ。
「ジャミル先輩ありがとうございます。"美味しいです"」
異世界から来た監督生は、本を食べちゃうくらい愛してる文学少女は、そう緩やかに微笑むと、さらにもうひと口分、チャイの匂い香るホットミルクに口付けた。
こくり、ほぅ、嚥下し吐息を溢す、そんな音が小さくとも嫌によく響く。
それを聞いて、聴いて。ペンを走らせる指に力が入る。
その温かな言葉に、優しい声に横顔に、また。
また、打ちのめされそうになる。
やらなきゃよかったと、後悔しそうになる。
でも、それでも。
あんまりにもこの怪物は嬉しそうに笑うので、だから俺はいつものように別に、とぶっきらぼうに吐き捨てて、「ごはん」の最後の仕上げに取り掛かるのだ。
テーブルに置かれたストップウォッチの残り時間は30分を切っていた。
ミルクに熱魔法と、香り魔法を使った。
熱魔法は何かを温めるときに使う、よくよく初歩的な生活魔法。ミドルスクールでも実技魔法として習う代表的なものだ。
香り魔法は付与魔法(エンチャント)の派生の派生で、何かの香りを別の何かに纏わせる中級魔法。
効果は短いがその分強さの微調整が出来るし人体への影響もなくアレルギー持ちに重宝されるため、ほんの少しだけ香りをつけたい料理にもよく使われる。
どちらも単独で使用する際は特別難しくない魔法だが、それを同時に行うのはかなりの集中力と熟練度が必要になる。
異世界から来たこの少女は、そういったこちら側の事情などつゆほども知らない。
知らないからこそこうして素直に謝礼だけを送る。
それでいい。
いまはそれが、心地よかった。
ウィンターホリデー前なら、自分がいかに努力して我慢して相応の称賛を受けたいと願っていただろう。
もっと感謝しろとか、俺はこんなにもすごいんだぞとか、そういう幼児じみた浅ましい承認欲求でいっぱいだった。
それを支えに生きていた。
あの日までは。
――――――――――――――
ピピピっ、ピピピっ。
目覚ましとかタイマーとか時間を告げる音というのはどうしてこう煩わしいのだろう。
香りがすっかり霧散したホットミルクを飲み終えた彼女は、待ちきれないと言わんばかりに瞳を輝かせている。
おかしいな、小型犬が尻尾をぶんぶん振ってる幻覚が見える。
最後の詰めをどうにかこうにか文字で埋め完成させ、ペンを置くと同時に「できましたか!?」と食いしん坊がすかさず食いつく。
チワワとポメラニアン、どっちかな。ポメラニアンの方かな。まぁ俺は鳥派だからどうでもいいけど。
「はいはい」
「むぅ、なんか馬鹿にされてる気がする。まぁ今はごはんが大事ですので許してあげます。ごはんごはん〜〜!!」
「はぁ、ハイハイ」
レポート用紙3枚分をまとめて手渡すと、ホットミルクを作ってやった時より3倍くらい嬉しそうな顔をするので素直にイラッとした。
「味は保証しない」
「毎回言いますよねそれ。ジャミル先輩が作ったものなら残さず食べますよ?」
「……いつまで続くか見ものだな」
「また意地悪言う……」
軽口を叩き合いながらも、文学少女の視線は俺が書いた物語へ注いでいる。
1枚目の最後の行を読み終えると、少女の指先は紙の端っこをぴりっと破く。
一口大に千切った紙片を、まるで神聖な儀式をする様に、そおっと大切に大切に口元へ運ぶ。
ぱくり。
しゃくしゃく。ごくん。
「ん〜〜〜〜〜〜っ、美味しい〜〜〜〜!!」
神秘性漂う面差しから一転、無邪気な子供の笑顔。
そこからは手を休めることなく千切ってはパクり千切ってはパクりと、"俺が書いた物語を食べていく"。
何度見ても信じられない光景だ。
異世界から来た監督生は、文学少女だった。
そして、本を、物語を、食べちゃうくらい愛してる怪物(モンスター)だった。
最初にそう告げられて、証拠を見せられても。
誰が物理的に紙を食べる生き物がいると想像できるだろうか。
それとも。
それとも、異世界の女の子は、文学少女はみな。
皆んな紙を食べて生きているのだろうか。
「夏祭りに喧嘩別れした幼なじみの二人が夕焼けをバックに仲直りして、約束のラムネを半分こするんですね!初々しい〜〜〜美味しい〜〜!!ラムネ味のシャーベットに赤いチェリーが添えられたシンプルだけどレトロなデザートみたいです〜〜〜レモンの風味と苦味があとからきて美味しい〜〜〜爽やかで甘くて美味しい〜〜〜!!」
「……そもそもだが、今回のお題はごはんというよりおやつじゃないか?」
「ご飯どきに食べれば皆んなごはんなのでのーぷろぶれむでーす!」
「子供か。後で空腹だからって図書館で借りた本はもう食うなよ」
「あぅ、その節はすみませんでした……。ジャミル先輩が修復魔法知っててくれて助かりました」
「おい、返事をしろ。食べないと、いま、ここで、誓うんだ!」
文学少女には味覚がない。
文章を読み、想像したものにしか味を感じない。
それ以外の食べ物飲み物は、乾燥させたパスタや無味無臭の水のように感じられるのだという。
さっきのホットミルクも美味しくなんてなかったはずなのだ。
味なんてしなかったはずなのだ。
気休めに香りを添えても、彼女は、彼女の頭の中でしかチャイの味を知らない。
彼女の想像するチャイの味と、俺の知るチャイの味は同じとは限らない。
彼女の想像のチャイの味も、ラムネの味も俺には分からないように。
それでも彼女が"美味しい"と、言ったのは。
味は分からなくとも気持ちは分かるからと。
いつだかバーツラビュルのお茶会で、調子に乗ってお茶とお菓子をたべ過ぎてこっそりお腹を壊した時。
(カリムが怪我をして包帯を切らしたから)たまたま保健室へ用事があって来ていた俺にそう答えたのを。
ホットミルクをのんでいた時に思い出してしまって、何だかそれがしゃくで。
つい予定とは違う終わり方に変更してしまったのは致し方ないことだったと、心の中で弁明する。
今日のお題: 「瓶ラムネ」「夕焼け」「綱渡り」
「イヤーーーーーーーーーーーッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
オンボロ寮にて文学少女の絶叫が、今日も響き渡る。
小さな眉間に深い皺を寄せ、元々白い顔色がさらに蒼白になっている。
「辛い辛い辛い辛い辛い辛い、からーーーーーーい!!!!!!舌が焼け切りそう!!!!!!!!!!なんで、どうしてそうなるの!!!!???仲直りの印にラムネを二人で仲良く分け合ってたじゃないですか!!!!!!美味しいラムネ味のアイスの中からタバスコとハバネロとチリソースをミックスしたデスソースが出てきたみたいな味!!!!酷すぎる!!!!!!イヤーーーーーーっッッ辞めて辞めて辞めて!!!!ラムネの瓶を叩き割らないで!!!!割れた瓶で綱を切らないで!!!!!!!夕焼けが血で染まるエンドなんてイヤーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
はた迷惑な後輩である、文学少女な監督生は。
宣言通り涙と鼻水を流しながらも、酷い味付けの料理を最後の一欠片まで残らず食べ切った。
