みやぶる
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
生まれた時から私は「普通」ではなかった。
どうやら私は生まれつき足の骨が特に脆く、自重に耐え切れないため歩くことが出来ないらしい。また、目の色だって左右で全然違うし、他人、ポケモン、命があるものなら恐らくほぼすべての生物の感情が「視え」たりもできちゃう。こんなにも異常てんこ盛りな人間、ガラル中、いや世界中見てもどこにもいないと思う。
足と目の色まではまだ許容範囲ではあった。車椅子は正直楽ではあったし、目だってカラコンで誤魔化すことができるから。でもこの「能力」だけはひどく私との相性が最悪で最高だった。
人の感情は常に一定ではなく、当たり前だが状況によってころころ変わる。嬉しいときは「ピンク」や「赤」に近い暖かい色。悲しいときは「青」や「灰色」に近い冷たい色。色と感情の関係性も実を言うと「何となく分かってしまう」表情と照らし合わせているのかもしれないけど。
小さい頃の私は好奇心がなかなかに旺盛でいろんな人の感情を「視た」りして様々な色を確かめて楽しんでいたりした。両親からは、まるで春に咲き誇る花園のようなパステルカラーがあふれ出ていた。そんな幸せな家庭で育っていたから、きっと外の世界もこんなに綺麗な色で満ち溢れているに違いないと、思い込んでしまっていた。
そんな私の想像はあっけなく打ち砕かれた。昔住んでいたとある片田舎では近所の人たちは「青紫」や「黒に近い灰色」の視線ばかり私に向けてきた。「同情」「嫌悪」、そんな「異物」を見る目で私の視界は埋め尽くされた。そして一番恐ろしかったのは、そんな色を向けているのにも関わらず表情はほぼ決まって笑顔なのだ。まるで心の内を取り繕うように。
表情と感情の乖離を知ってしまった私はこの能力の恐ろしさを知ってしまい、何ならもう二度と他人のなんて視たくないとまでも思った。こんなおぞましいものが「視えて」しまうくらいなら。
けれども、結局視ることをやめることが出来なかった。
理由は簡単。表情と感情の乖離を知ってしまった以上、自分が他人にどう思われているか、どう立ち回るべきかの知る術として手放すことが出来なくなってしまったのである。一応この能力のおかげで相手の下心を見抜き、いち早く危機から逃れられた場面も何回もある。流石に昔のように人に会うたびに使っているわけではないが、不安に思ったときに使わないと気が済まないくらいに私は能力に頼り切る臆病者になってしまっていた。
「普通じゃない」私は他人からどう見られている?私がいて嫌な気分になっていないだろうか?
私は、「普通」の人と分かり合えないのだろうか?
どうやら私は生まれつき足の骨が特に脆く、自重に耐え切れないため歩くことが出来ないらしい。また、目の色だって左右で全然違うし、他人、ポケモン、命があるものなら恐らくほぼすべての生物の感情が「視え」たりもできちゃう。こんなにも異常てんこ盛りな人間、ガラル中、いや世界中見てもどこにもいないと思う。
足と目の色まではまだ許容範囲ではあった。車椅子は正直楽ではあったし、目だってカラコンで誤魔化すことができるから。でもこの「能力」だけはひどく私との相性が最悪で最高だった。
人の感情は常に一定ではなく、当たり前だが状況によってころころ変わる。嬉しいときは「ピンク」や「赤」に近い暖かい色。悲しいときは「青」や「灰色」に近い冷たい色。色と感情の関係性も実を言うと「何となく分かってしまう」表情と照らし合わせているのかもしれないけど。
小さい頃の私は好奇心がなかなかに旺盛でいろんな人の感情を「視た」りして様々な色を確かめて楽しんでいたりした。両親からは、まるで春に咲き誇る花園のようなパステルカラーがあふれ出ていた。そんな幸せな家庭で育っていたから、きっと外の世界もこんなに綺麗な色で満ち溢れているに違いないと、思い込んでしまっていた。
そんな私の想像はあっけなく打ち砕かれた。昔住んでいたとある片田舎では近所の人たちは「青紫」や「黒に近い灰色」の視線ばかり私に向けてきた。「同情」「嫌悪」、そんな「異物」を見る目で私の視界は埋め尽くされた。そして一番恐ろしかったのは、そんな色を向けているのにも関わらず表情はほぼ決まって笑顔なのだ。まるで心の内を取り繕うように。
表情と感情の乖離を知ってしまった私はこの能力の恐ろしさを知ってしまい、何ならもう二度と他人のなんて視たくないとまでも思った。こんなおぞましいものが「視えて」しまうくらいなら。
けれども、結局視ることをやめることが出来なかった。
理由は簡単。表情と感情の乖離を知ってしまった以上、自分が他人にどう思われているか、どう立ち回るべきかの知る術として手放すことが出来なくなってしまったのである。一応この能力のおかげで相手の下心を見抜き、いち早く危機から逃れられた場面も何回もある。流石に昔のように人に会うたびに使っているわけではないが、不安に思ったときに使わないと気が済まないくらいに私は能力に頼り切る臆病者になってしまっていた。
「普通じゃない」私は他人からどう見られている?私がいて嫌な気分になっていないだろうか?
私は、「普通」の人と分かり合えないのだろうか?