とある七日間、夜桜家長男はいなくなった
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夢を見る。ふわふわと空中に佇んで気づけば見知らぬような、よく見知っているような場所にクロは気が付いたら立っていた。地に足を着く感覚はなく現実味はない、きっとここは夢の中で現実の自分は布団の中だ。一体ここはどこなのだろう、とあたりを見渡すと急に自分の横に白いゴスロリ服を着た少女が現れた。
ぱっちりと涼やかな目をしていて、背は小学生かと思うくらい低く……ちまっとしているのにも関わらず只者ではない雰囲気を纏わせている。けれど服装は見えるのに顔がごちゃごちゃと落書きをしたような黒く塗りつぶされていてよく、見えない。
「さっきの話は本当かい?」
「え?な、何が……?」
「���」
言葉が聞き取れなかった、口元では喋っているのにその単語だけが聞こえず……いやその他にもいくつか雑音のようになって話が理解できなかった。
そして少女はこちらを見ているのではなく向こう側を見ていた、夢なのかこちらの存在を認識はしていないらしい。
少女が見ている方向に視線を向けると。一人の人物が立っていた。男なのか女なのかクロには判別出来なかった。そういう容姿というわけではなく……こっちは完全に全体に墨がかかっていて外見が確認できない。だが言葉のいくつかは何とか聞き取れた。
「ああ、………………から��があってな」
「別に��が来るのは珍しくもない、業界的にはそっちに踏み込んでてもおかしくないくらいだね、問題は…………これ受ける気かい?」
全身が黒塗りな人物もゴスロリ服の少女も全くこちらを気にする素振りを見せない、やはり視認されていなのか。
少女は何を気にしているのかはわからないが、表情は読み取れなくても声色で強い拒否感を感じた。
「しかもあんたが出したこれ……いくらなんでも無理があるよ、ここまでする義理はあるのかい?そもそも……」
「あるとも」
男はさも当然のようにはっきりと述べる、強い言い方にゴスロリ服の少女は思わず口をつぐんでしまった。
何を言ってもこの男?には届かない、それどころか単独で、一人で成すだろうと思ったのか、分かったよ、とため息を吐く。
「実行する時は必ず連絡するんだよ、日程も」
「分かってる」
何故確実性のない、かつネジ曲がりもつれた糸のような……物に突っ込むのか少女には理解出来なかったが、これは本人しか知らない。男?は少女が居なくなると丁重に厳重に閉じられた鍵付きの小箱を取り出し……鍵を開けてその中身をとった。やはりその中身が何たるかもクロには分からなかった。男?はその中身をゆっくりと眺めると……再び箱の中へと仕舞う。
「あるとも、意味は」
男?がそう呟いたのを最後にテレビの電源をシャットアウトするように、ぶつり、と映像が途絶えた。
「………………さん」
誰かが俺の名を呼んでいる、聞き覚えのあるような、ないような…………ゆさゆさと体を揺すられて次第に目をうっすらと開くと。あきらが頭上でほほ笑んでいた。カーテンから溢れる日差しが降り注いでまるで昨日出会った時の再現かと思うくらい。その様子に思わず見惚れてしまった。
「クロさん、おはようございます」
「………………おはよう」
「ふふ、クロさん寝てるのか起きているのか分からなくて……つい揺さぶっちゃいました」
自分は非常に目が細いようで一見すると閉じているように他の人にはそう見えるらしい。起こされたのか、それとも寝顔を見られたのかどちらが恥ずかしいのか分からないがクロは気恥ずかしそうに頬をかく。それにしても何と清々しい気分なのだろう、何となしに昨日より遥かに調子が良いと思える。寝具は至って普通の客人用の布団だが……とクロは首を捻った。まさか普段の自分が睡眠をとらない人間だとは露にも思うまい。
むくりと布団から起き上がり……やけに快適な体の調子に怪しく思いつつ……パシャパシャと洗面台で顔を洗うとやはり目につくのは傷だらけの手。何とまぁズタボロなことだ、しかし痛みはないので随分と前に出来た傷跡なのだろう。普通の人間とはかけ離れた手をみていると……いやきっと考えすぎだ、と再び闇に葬った。
朝食も当然彼女に任せるわけにもいかず今回も担当はクロだ。彼女には大人しく待っていて貰うことにしている、流石に何も起こらないとは思うが念の為に。何かしでかすんじゃないか?とちょっぴり思ったが、何もないことを祈りつつ。
着々と調理をしていると…………遠くの方からきゃー!!と悲鳴が聞こえ……クロはコンロの火を止めて再びため息をついた。予想は当たったようだ。
悲鳴の現場へと向かうとあわあわと泡を噴き出す洗濯機を前にあきらが慌ててふき取っていた。いやどれだけ洗剤を入れたらそうなるんだ、まさか全部入れたのか?と床に目を落として思わず天を仰いだ。床には空の洗剤パックが転がっている、全部使うやつがいるか、バカ。
………………溢れた洗剤を残らず拭き取り、洗濯機は洗剤が残らぬようすすぎをして……クロは調理を中断して説教をしていた。
「洗濯もしたことがないと?」
「面目ないです……」
「はぁ……全くここまでできないとは……親御さんは一体どのように手解きをしたのやら」
そう呟くとあきらの表情が曇る。言おうか言うまいか迷った仕草を見せた後……
「何も……教えて貰ってないんです」
「は?何もって……何も、かも……?」
「生まれてから今まで何も……させてくれなかったんです、料理も、皿洗いも……やり方を教えてって言ってもいつも首を横に振るだけでした」
クロは唖然と口を開ける、まさかここまで箱入り娘だとは思わなかった。しかしそれなら世話人として誰かをつけるならしそうだが……それなのによく一人暮らしを許可されたな、と疑問が生じた。いやむしろこれはわざと何も教えない状態で放り出して諦めさせる思惑なのか……?ふつふつとマグマが煮えたぎるのをクロはうっすらと感じた、矛先は本人ではなく。
「何も見ずにできたら……なんて浅はかな考えでした、父からしたらほれ見たことか、と嘲笑うのでしょうね……お前にはできない……と」
「…………そうかもしれませんが」
親の思惑も知らない、どうしてこんなに無垢の状態で居るのかもクロは知らない、が……この状態を見て、はいオシマイとは言えない。成すべきことをしていないだろう。
「やり方を知らないのなら俺が教えます」
「えっ、で、でも……お、覚えが悪かったら……」
「それなら何回でも教えて付き合います、諦めずに」
「クロさん……」
「今日は俺がやるので少しずつ覚えていきましょう」
あくまでも自分の負担を減らすことと世話になっている礼ですよ、と述べつつ……ひとまず洗濯かごに手を伸ばし……たまたま掴み掴み取った物は――ぷらんとぶら下がり二つのカップの薄く鮮やかな色が目に入る、それはあきらのぶ…………
「きゃー!!!」
なっ……!と驚くもクロの手から慌てて赤面したあきらが奪い返しごそごそと懐にしまい込んだ。形も色もはっきりと……視認してしまい気まずい空気が流れる。
「こ、これは……!下着だけは……!きょ、今日!自分でやります!ので!」
「あ、ああ……、そうしてくれると助かる、いや助かります」
動揺のせいか敬語が消えかけ、手早くやり方を教えると少しドジの気配は感じつつも……そつなく洗濯を始めたのでクロはやっと調理に戻れた。ほっと安堵しつつ……脳裏には……ふとするとさっきの記憶が蘇ってしまうのでこの時ばかりはもう一回記憶喪失したい、なんて思ってしまったのだった――――
家事を片付け(ほぼクロ担当だが)、手隙となった二人は近所にある商店街へと赴くことにした。日々の食事の材料、そしてクロの必要な服等を買う為である。
普段なら足を運ばない安めの服屋に入り色々と吟味していたクロだが気がつくと籠に入れていたのは全てスーツ服だった。あきらから不思議そうに見られ元の場所へと戻す。とはいえ一着はいるだろうから一つだけでも。後は……とじっくり見るもあまりぱっと買いたい服が浮かばない。しかし着るものに困るし……ととりあえず目についた一般的な服を手当たり次第サイズの合った物を適当に入れる。下着も買ったし……と会計をしようとして。
「あれ?クロさん、パジャマがないです」
「パジャマ?」
「寝間着ですよ、寝間着!昨日はなかったので仕方ないですけど……流石に記憶を失う前も着てたはずです」
「…………ああそうか、寝間着か、寝間着…………」
すっかり忘れていた、と誤魔化していくつか手にとるが……やはりしっくりこない。まるで寝間着など着る機会がなかったかのような感覚にクロは昨日目覚めてから何度か味わった違和感を再び覚えた。自分はどこかオカシイ、と共通認識とのズレに目眩がする。
「クロさん?」
「あ、いえ、その……似合う寝間着って難しい、なって!え、選んでもらえませんか?」
そんな違和感に蓋をしてクロはぎこちなく笑う。そんなクロにあきらは目の前にある寝間着をじーーーっと見つめ…………一着を手に取った。
「これ!これなんてどうですか?」
「…………猫?」
「猫ちゃんの足跡がついてます、かわいいですね!」
「…………俺に?や、その…………に、似合わないですよ」
他にもっとシンプルな!クールなやつがあるというのに!いやそもそも彼女に選んでと言ったのは自分だった――――何でもいいからさっさと選ぶべきだった――と後悔するも。あきらは似合います!と猫の足跡付きパジャマをクロにあてがう。くっ、こんなのを着てると誰かに知られたら…………きっと…………にからかわられて……
「…………誰に?」
「?クロさん?」
「あ、いえ、なんでもないです、分かりました、それでいいですよ」
何か言いたげのあきらは言葉を飲み込みじゃあ会計しましょうか、と微笑みクロも合わせて微笑んだ。
その誰か、はわからないままだった――――――
商店街は人でにぎわっている、今日は……日付的には日曜で休日な者も多い。買い物客や観光客、休日の部活帰りの学生などなど……商店街は活気だっていた。
スーパーでの買い出しを終えて、大体は買うべきものを買い終えた。
「クロさんのお気に入り茶葉どこかにあるといいですね、また今度探しましょう」
「…………ええ」
スーパーに入ったクロの目に映ったのはコーヒー、紅茶コーナー。あきらも紅茶を嗜むらしいがまずスーパーで買ったことがなく珍しそうに目移りする彼女とは反対にクロはラインナップされた紅茶のどれにもピンとこなかった。紅茶が好きだということは何となく分かった、けれど普段愛用していた品物はこの中にはない気がした。それもそのはずクロが愛用していた茶葉がこんなところにあるはずがないのだから。
それにしてもあきらは物珍しそうに商店街を見て周る。クロも初めてのはずだがそうでない気がするのは以前の自分もここを通ったなのだろうか……でもあきらの初々しい反応は……まるで初めてそういう場所自体を訪れたかのように見受けられる。
ふと商店街内にあるクレープ屋にあきらの目が止まった。立ち止まりじーーーっと中のクレープが焼かれる様子を見ている。あまり食べては晩御飯が入らなくなってしまうが……
「クロさん……」
「…………いいですよ、一つだけなら」
「やった!何にしようかな……クロさんは?」
「俺?…………じゃあ……」
何気なくメニューを見て、一つの単語が目に入る。『六つのフルーツてんこもりのクレープ』…………その『六つ』が妙に気になって……クロはそれを頼んでいた。あきらの方とは言うとフルーツやアイス色んなものが混ざった物を注文していた。えらく豪華だが晩御飯入るのだろうか……近くのベンチに座ってお互いにクレープを頬張る。甘いクレープ生地と酸味のあるフルーツは相性が良い。同じようにクレープを味わっていたあきらはぽつりと、夢みたい、と呟く。口元にクリームがついていてハンカチで拭いとってやると恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「ふふ、夢だったんです、こうしてクレープ食べるの」
「……初めて、なんですか?」
「はい、こうやって商店街を歩くのも初めてで……ありがとうございます」
「いや……俺に礼を言われても……」
「あ、そうですよね、ごめんなさい」
商店街が近くにあったのはたまたまで、クレープ屋があったのも偶然。ならば俺に礼を言うのは見当違いだろうと訂正してしまった。
「…………帰りましょうか」
「そうですね」
クレープを食べ終わったことだしもう商店街に用はない、後は家に帰るのみだと立ち上がった時。
少し遠くの方から、ひったくり!捕まえて!と年配の女性の声が聞こえた。ばっと振り返ると帽子にマスク、そして明らかに女性用のバッグを抱えた男性が疾走していた。気づけば素早く走っていて男性の前に立ちふさがっていた。
「なっ」
「止まれ!そしてその鞄を元の人へと返せ!」
「くっ!!!」
足払いをして地面に倒し男性の体を無理やり拘束する、両腕でしっかりとホールドをし抜け出せないようにがっちりと固定をした。多少男性が苦しそうな顔をしているが窃盗犯だ、これぐらいやってもいいだろう。おろおろとみているあきらに通報しろ、と言っても多分通報方法が分からないだろう。今からやり方を教えるのも無理があるので周辺でざわざわと遠巻きに見ている通行人に警察官を呼ぶように言っていたのが不幸を招いたのか。
ただではすまない、とその男性は……懐からナイフを取り出し、クロの腕へと突き刺した。
「がっ……!?!?」
「く、くろ……さん!?!?」
「っ!はぁ……はぁ……!」
痛みで締めていた力が抜けするりと男性が拘束から抜がれようとして……咄嗟に足で止めようと思い切り蹴ってしまった。とりあえず転ばせてまた確保しようとしただけなのだが……蹴っただけなのに触れた足先からはボキリと骨の折れる音がした。折れてしまえばもう逃げられない、男性は反対に地面に疼くまる形になりクロと立ち場が逆転した。後は警察官がやってくるのを待つだけだが……と今更になって腕を刺された事に漸く気づき迸る痛みが脳裏を突き刺す。
爛れるように熱く、痛く、ぼたぼたと鮮血が地面に滴り落ちる。脳内を痛みの信号が走り回る、どたどたと頭上で大きな人間が歩き回っているように頭の中も腕の中もどちらも痛いように錯覚しまう。傷口を手で覆ったが刃物で深くに突き立てられたせいかそんなことでは出血は収まらない。
「クロさん!クロさん!きゅ、救急車、でもどうやってよ、呼べ……ば……?」
「…………」
何故かそれは不味いと思った、呼んではいけない、明るみになってしまう。俺は普通の体ではないのだから、と。
「い、いい…………それより、かえ、ろう…………」
「で、でも……何か……覆わないと……!」
でも、何で……?どうやって覆えばいい?買った服……いやでもあれはクロさんの服だ、駄目。あきらはぎゅっと自身の足先までもある白いスカートしか、握りしめることができなくて…………スカート。
「………………!」
そういえば家にハサミがないと言われ先ほど買ったばかりだった。ビニール袋の中を漁り……ハサミを手に取って…………あきらは躊躇いもなくハサミを自身のスカートへと向ける。そしてジャギジャギとその綺麗な白いスカートを切り刻んでいった。
「なっ、何をしているんですか!?!?」
ぎょっとするもあきらは止めようとしない。切り込まれたスカートは足先まであったのにザンバラに乱雑に段をつけて膝丈までとなっていた。切り取った部分を包帯くらいの大きさに切り揃えるとあきらは慌ててクロの右腕の患部へと巻きつける。だが止血としては不十分なのかやや緩く感じられたがないよりかはましだ。とりあえず地面に落ちる心配は無くなった。
ばたばたと警官が駆けつける音が聞こえる、事情聴取されると不味いとやはり脳が警告した。
「ありがとう、早く……家に……少し、肩を貸して、くれますか」
「は、はい……!」
クロはあきらの肩を借りてよたよたとその場を後にした――――
あきらの家に戻ってきて一息つく。あきらはやはりお医者さんにかからなくていいのかと心配していたが名前も素性も分からない身元不明の男が病院にかかるのは躊躇ったのとかかってはまずいと脳が警告してクロは首元を横に振った。
あきらの止血は不十分だったが家に帰ってきて頭が冷えるとまるでしょっちゅうやっていたように体が自然と動き布を再度巻きつけて止血を終えた。これでひとまずは大丈夫なはずだ…………それにしても。
「…………スカート……こんなにさせてしまってすいません」
「…………!いいえ、気にしないでください、洋服なんて買い替えればいいんですから……腕、痛い……ですよね」
「大丈夫ですよ、これくらいっ……!」
元気アピールをしようと上半身を動かすとビリビリと痛みが駆け巡り思わず腕を押さえた。どっと冷や汗をかいて痛みが引くのを待つ。
「…………やっぱり痛いじゃないですか、今日の晩御飯私がし……」
「駄目です」
「…………でも……」
子犬のように懇願するあきらに実際問題この状態では満足に動かせないか、とクロはため息をついた。
「…………横で俺が教えるので簡単な物でも作ってもらっていいですか?」
「…………!はい!」
「その前にそのスカートは着替えた方がいいかもですね」
「あ」
助けてもらった上でなんだがやはり見栄えは悪い、それになんだがそれを見ていると……すごく罪悪感が芽生えてしまう。じゃあちょっと着替えてきますね、と自室に引っ込もうとしたあきらをクロは呼び止めた。
「ありがとうございます、2度も助けてもらって」
「…………?2度も?」
「え、あ、ごめんなさい、言い間違えました、おかしいですよね、昨日出会ったばっかりなのに……」
「…………いえ、きっと怪我をしたので頭が混乱しているんですよ」
何故自分は2度も、と間違えてしまったのか。つい口にしてしまった言葉に疑問が浮かぶ。
ふわりと微笑む彼女の顔と巻き付けられた白い布にクロは何故か既視感を覚えたのだった――――――
商店街のざわめきの中、ひったくりをした男は警察に連れられ……男は警察署で自分を捕まえようとした男を刃物で刺したと素直に供述したのだが。刃物もそれらしき男とそれどころか血痕一つさえ発券されなかった。
周りの目撃者もいつの間にか血痕が綺麗に無くなっていて狐につままれたかと思ったほどだった。
それもそのはず。彼の血痕や血がついた刃物はとある男によって回収、痕跡を無くされていた。ビルの屋上で人混みにのまれ疲弊した筋肉質の男はやっと人がいないと安堵する。
「びっくりした――――兄ちゃん急に刺されるんだもん……大丈夫かな……」
『…………まぁ出血量は大したことねぇし多分大丈夫だろ、バイタルも普通だし、刃物に毒は?』
「…………ない、キットも使ったけど検知されなかった、本当に偶然にひったくりがでたんだと思う、計画には組まれてないよね?」
『ああ、でももし今の状況が他の連中に知られるとなると厄介だな……一部の奴らには共有はいってるけど……』
通信で少女らしき声と会話する肩を小さく丸めた男はうんうん、と頷き刃物を布で包んで鞄に入れた。作戦終了まであと数日。何事もトラブルがこれ以上起きませんように……と祈って男は家に帰宅した。
ぱっちりと涼やかな目をしていて、背は小学生かと思うくらい低く……ちまっとしているのにも関わらず只者ではない雰囲気を纏わせている。けれど服装は見えるのに顔がごちゃごちゃと落書きをしたような黒く塗りつぶされていてよく、見えない。
「さっきの話は本当かい?」
「え?な、何が……?」
「���」
言葉が聞き取れなかった、口元では喋っているのにその単語だけが聞こえず……いやその他にもいくつか雑音のようになって話が理解できなかった。
そして少女はこちらを見ているのではなく向こう側を見ていた、夢なのかこちらの存在を認識はしていないらしい。
少女が見ている方向に視線を向けると。一人の人物が立っていた。男なのか女なのかクロには判別出来なかった。そういう容姿というわけではなく……こっちは完全に全体に墨がかかっていて外見が確認できない。だが言葉のいくつかは何とか聞き取れた。
「ああ、………………から��があってな」
「別に��が来るのは珍しくもない、業界的にはそっちに踏み込んでてもおかしくないくらいだね、問題は…………これ受ける気かい?」
全身が黒塗りな人物もゴスロリ服の少女も全くこちらを気にする素振りを見せない、やはり視認されていなのか。
少女は何を気にしているのかはわからないが、表情は読み取れなくても声色で強い拒否感を感じた。
「しかもあんたが出したこれ……いくらなんでも無理があるよ、ここまでする義理はあるのかい?そもそも……」
「あるとも」
男はさも当然のようにはっきりと述べる、強い言い方にゴスロリ服の少女は思わず口をつぐんでしまった。
何を言ってもこの男?には届かない、それどころか単独で、一人で成すだろうと思ったのか、分かったよ、とため息を吐く。
「実行する時は必ず連絡するんだよ、日程も」
「分かってる」
何故確実性のない、かつネジ曲がりもつれた糸のような……物に突っ込むのか少女には理解出来なかったが、これは本人しか知らない。男?は少女が居なくなると丁重に厳重に閉じられた鍵付きの小箱を取り出し……鍵を開けてその中身をとった。やはりその中身が何たるかもクロには分からなかった。男?はその中身をゆっくりと眺めると……再び箱の中へと仕舞う。
「あるとも、意味は」
男?がそう呟いたのを最後にテレビの電源をシャットアウトするように、ぶつり、と映像が途絶えた。
「………………さん」
誰かが俺の名を呼んでいる、聞き覚えのあるような、ないような…………ゆさゆさと体を揺すられて次第に目をうっすらと開くと。あきらが頭上でほほ笑んでいた。カーテンから溢れる日差しが降り注いでまるで昨日出会った時の再現かと思うくらい。その様子に思わず見惚れてしまった。
「クロさん、おはようございます」
「………………おはよう」
「ふふ、クロさん寝てるのか起きているのか分からなくて……つい揺さぶっちゃいました」
自分は非常に目が細いようで一見すると閉じているように他の人にはそう見えるらしい。起こされたのか、それとも寝顔を見られたのかどちらが恥ずかしいのか分からないがクロは気恥ずかしそうに頬をかく。それにしても何と清々しい気分なのだろう、何となしに昨日より遥かに調子が良いと思える。寝具は至って普通の客人用の布団だが……とクロは首を捻った。まさか普段の自分が睡眠をとらない人間だとは露にも思うまい。
むくりと布団から起き上がり……やけに快適な体の調子に怪しく思いつつ……パシャパシャと洗面台で顔を洗うとやはり目につくのは傷だらけの手。何とまぁズタボロなことだ、しかし痛みはないので随分と前に出来た傷跡なのだろう。普通の人間とはかけ離れた手をみていると……いやきっと考えすぎだ、と再び闇に葬った。
朝食も当然彼女に任せるわけにもいかず今回も担当はクロだ。彼女には大人しく待っていて貰うことにしている、流石に何も起こらないとは思うが念の為に。何かしでかすんじゃないか?とちょっぴり思ったが、何もないことを祈りつつ。
着々と調理をしていると…………遠くの方からきゃー!!と悲鳴が聞こえ……クロはコンロの火を止めて再びため息をついた。予想は当たったようだ。
悲鳴の現場へと向かうとあわあわと泡を噴き出す洗濯機を前にあきらが慌ててふき取っていた。いやどれだけ洗剤を入れたらそうなるんだ、まさか全部入れたのか?と床に目を落として思わず天を仰いだ。床には空の洗剤パックが転がっている、全部使うやつがいるか、バカ。
………………溢れた洗剤を残らず拭き取り、洗濯機は洗剤が残らぬようすすぎをして……クロは調理を中断して説教をしていた。
「洗濯もしたことがないと?」
「面目ないです……」
「はぁ……全くここまでできないとは……親御さんは一体どのように手解きをしたのやら」
そう呟くとあきらの表情が曇る。言おうか言うまいか迷った仕草を見せた後……
「何も……教えて貰ってないんです」
「は?何もって……何も、かも……?」
「生まれてから今まで何も……させてくれなかったんです、料理も、皿洗いも……やり方を教えてって言ってもいつも首を横に振るだけでした」
クロは唖然と口を開ける、まさかここまで箱入り娘だとは思わなかった。しかしそれなら世話人として誰かをつけるならしそうだが……それなのによく一人暮らしを許可されたな、と疑問が生じた。いやむしろこれはわざと何も教えない状態で放り出して諦めさせる思惑なのか……?ふつふつとマグマが煮えたぎるのをクロはうっすらと感じた、矛先は本人ではなく。
「何も見ずにできたら……なんて浅はかな考えでした、父からしたらほれ見たことか、と嘲笑うのでしょうね……お前にはできない……と」
「…………そうかもしれませんが」
親の思惑も知らない、どうしてこんなに無垢の状態で居るのかもクロは知らない、が……この状態を見て、はいオシマイとは言えない。成すべきことをしていないだろう。
「やり方を知らないのなら俺が教えます」
「えっ、で、でも……お、覚えが悪かったら……」
「それなら何回でも教えて付き合います、諦めずに」
「クロさん……」
「今日は俺がやるので少しずつ覚えていきましょう」
あくまでも自分の負担を減らすことと世話になっている礼ですよ、と述べつつ……ひとまず洗濯かごに手を伸ばし……たまたま掴み掴み取った物は――ぷらんとぶら下がり二つのカップの薄く鮮やかな色が目に入る、それはあきらのぶ…………
「きゃー!!!」
なっ……!と驚くもクロの手から慌てて赤面したあきらが奪い返しごそごそと懐にしまい込んだ。形も色もはっきりと……視認してしまい気まずい空気が流れる。
「こ、これは……!下着だけは……!きょ、今日!自分でやります!ので!」
「あ、ああ……、そうしてくれると助かる、いや助かります」
動揺のせいか敬語が消えかけ、手早くやり方を教えると少しドジの気配は感じつつも……そつなく洗濯を始めたのでクロはやっと調理に戻れた。ほっと安堵しつつ……脳裏には……ふとするとさっきの記憶が蘇ってしまうのでこの時ばかりはもう一回記憶喪失したい、なんて思ってしまったのだった――――
家事を片付け(ほぼクロ担当だが)、手隙となった二人は近所にある商店街へと赴くことにした。日々の食事の材料、そしてクロの必要な服等を買う為である。
普段なら足を運ばない安めの服屋に入り色々と吟味していたクロだが気がつくと籠に入れていたのは全てスーツ服だった。あきらから不思議そうに見られ元の場所へと戻す。とはいえ一着はいるだろうから一つだけでも。後は……とじっくり見るもあまりぱっと買いたい服が浮かばない。しかし着るものに困るし……ととりあえず目についた一般的な服を手当たり次第サイズの合った物を適当に入れる。下着も買ったし……と会計をしようとして。
「あれ?クロさん、パジャマがないです」
「パジャマ?」
「寝間着ですよ、寝間着!昨日はなかったので仕方ないですけど……流石に記憶を失う前も着てたはずです」
「…………ああそうか、寝間着か、寝間着…………」
すっかり忘れていた、と誤魔化していくつか手にとるが……やはりしっくりこない。まるで寝間着など着る機会がなかったかのような感覚にクロは昨日目覚めてから何度か味わった違和感を再び覚えた。自分はどこかオカシイ、と共通認識とのズレに目眩がする。
「クロさん?」
「あ、いえ、その……似合う寝間着って難しい、なって!え、選んでもらえませんか?」
そんな違和感に蓋をしてクロはぎこちなく笑う。そんなクロにあきらは目の前にある寝間着をじーーーっと見つめ…………一着を手に取った。
「これ!これなんてどうですか?」
「…………猫?」
「猫ちゃんの足跡がついてます、かわいいですね!」
「…………俺に?や、その…………に、似合わないですよ」
他にもっとシンプルな!クールなやつがあるというのに!いやそもそも彼女に選んでと言ったのは自分だった――――何でもいいからさっさと選ぶべきだった――と後悔するも。あきらは似合います!と猫の足跡付きパジャマをクロにあてがう。くっ、こんなのを着てると誰かに知られたら…………きっと…………にからかわられて……
「…………誰に?」
「?クロさん?」
「あ、いえ、なんでもないです、分かりました、それでいいですよ」
何か言いたげのあきらは言葉を飲み込みじゃあ会計しましょうか、と微笑みクロも合わせて微笑んだ。
その誰か、はわからないままだった――――――
商店街は人でにぎわっている、今日は……日付的には日曜で休日な者も多い。買い物客や観光客、休日の部活帰りの学生などなど……商店街は活気だっていた。
スーパーでの買い出しを終えて、大体は買うべきものを買い終えた。
「クロさんのお気に入り茶葉どこかにあるといいですね、また今度探しましょう」
「…………ええ」
スーパーに入ったクロの目に映ったのはコーヒー、紅茶コーナー。あきらも紅茶を嗜むらしいがまずスーパーで買ったことがなく珍しそうに目移りする彼女とは反対にクロはラインナップされた紅茶のどれにもピンとこなかった。紅茶が好きだということは何となく分かった、けれど普段愛用していた品物はこの中にはない気がした。それもそのはずクロが愛用していた茶葉がこんなところにあるはずがないのだから。
それにしてもあきらは物珍しそうに商店街を見て周る。クロも初めてのはずだがそうでない気がするのは以前の自分もここを通ったなのだろうか……でもあきらの初々しい反応は……まるで初めてそういう場所自体を訪れたかのように見受けられる。
ふと商店街内にあるクレープ屋にあきらの目が止まった。立ち止まりじーーーっと中のクレープが焼かれる様子を見ている。あまり食べては晩御飯が入らなくなってしまうが……
「クロさん……」
「…………いいですよ、一つだけなら」
「やった!何にしようかな……クロさんは?」
「俺?…………じゃあ……」
何気なくメニューを見て、一つの単語が目に入る。『六つのフルーツてんこもりのクレープ』…………その『六つ』が妙に気になって……クロはそれを頼んでいた。あきらの方とは言うとフルーツやアイス色んなものが混ざった物を注文していた。えらく豪華だが晩御飯入るのだろうか……近くのベンチに座ってお互いにクレープを頬張る。甘いクレープ生地と酸味のあるフルーツは相性が良い。同じようにクレープを味わっていたあきらはぽつりと、夢みたい、と呟く。口元にクリームがついていてハンカチで拭いとってやると恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「ふふ、夢だったんです、こうしてクレープ食べるの」
「……初めて、なんですか?」
「はい、こうやって商店街を歩くのも初めてで……ありがとうございます」
「いや……俺に礼を言われても……」
「あ、そうですよね、ごめんなさい」
商店街が近くにあったのはたまたまで、クレープ屋があったのも偶然。ならば俺に礼を言うのは見当違いだろうと訂正してしまった。
「…………帰りましょうか」
「そうですね」
クレープを食べ終わったことだしもう商店街に用はない、後は家に帰るのみだと立ち上がった時。
少し遠くの方から、ひったくり!捕まえて!と年配の女性の声が聞こえた。ばっと振り返ると帽子にマスク、そして明らかに女性用のバッグを抱えた男性が疾走していた。気づけば素早く走っていて男性の前に立ちふさがっていた。
「なっ」
「止まれ!そしてその鞄を元の人へと返せ!」
「くっ!!!」
足払いをして地面に倒し男性の体を無理やり拘束する、両腕でしっかりとホールドをし抜け出せないようにがっちりと固定をした。多少男性が苦しそうな顔をしているが窃盗犯だ、これぐらいやってもいいだろう。おろおろとみているあきらに通報しろ、と言っても多分通報方法が分からないだろう。今からやり方を教えるのも無理があるので周辺でざわざわと遠巻きに見ている通行人に警察官を呼ぶように言っていたのが不幸を招いたのか。
ただではすまない、とその男性は……懐からナイフを取り出し、クロの腕へと突き刺した。
「がっ……!?!?」
「く、くろ……さん!?!?」
「っ!はぁ……はぁ……!」
痛みで締めていた力が抜けするりと男性が拘束から抜がれようとして……咄嗟に足で止めようと思い切り蹴ってしまった。とりあえず転ばせてまた確保しようとしただけなのだが……蹴っただけなのに触れた足先からはボキリと骨の折れる音がした。折れてしまえばもう逃げられない、男性は反対に地面に疼くまる形になりクロと立ち場が逆転した。後は警察官がやってくるのを待つだけだが……と今更になって腕を刺された事に漸く気づき迸る痛みが脳裏を突き刺す。
爛れるように熱く、痛く、ぼたぼたと鮮血が地面に滴り落ちる。脳内を痛みの信号が走り回る、どたどたと頭上で大きな人間が歩き回っているように頭の中も腕の中もどちらも痛いように錯覚しまう。傷口を手で覆ったが刃物で深くに突き立てられたせいかそんなことでは出血は収まらない。
「クロさん!クロさん!きゅ、救急車、でもどうやってよ、呼べ……ば……?」
「…………」
何故かそれは不味いと思った、呼んではいけない、明るみになってしまう。俺は普通の体ではないのだから、と。
「い、いい…………それより、かえ、ろう…………」
「で、でも……何か……覆わないと……!」
でも、何で……?どうやって覆えばいい?買った服……いやでもあれはクロさんの服だ、駄目。あきらはぎゅっと自身の足先までもある白いスカートしか、握りしめることができなくて…………スカート。
「………………!」
そういえば家にハサミがないと言われ先ほど買ったばかりだった。ビニール袋の中を漁り……ハサミを手に取って…………あきらは躊躇いもなくハサミを自身のスカートへと向ける。そしてジャギジャギとその綺麗な白いスカートを切り刻んでいった。
「なっ、何をしているんですか!?!?」
ぎょっとするもあきらは止めようとしない。切り込まれたスカートは足先まであったのにザンバラに乱雑に段をつけて膝丈までとなっていた。切り取った部分を包帯くらいの大きさに切り揃えるとあきらは慌ててクロの右腕の患部へと巻きつける。だが止血としては不十分なのかやや緩く感じられたがないよりかはましだ。とりあえず地面に落ちる心配は無くなった。
ばたばたと警官が駆けつける音が聞こえる、事情聴取されると不味いとやはり脳が警告した。
「ありがとう、早く……家に……少し、肩を貸して、くれますか」
「は、はい……!」
クロはあきらの肩を借りてよたよたとその場を後にした――――
あきらの家に戻ってきて一息つく。あきらはやはりお医者さんにかからなくていいのかと心配していたが名前も素性も分からない身元不明の男が病院にかかるのは躊躇ったのとかかってはまずいと脳が警告してクロは首元を横に振った。
あきらの止血は不十分だったが家に帰ってきて頭が冷えるとまるでしょっちゅうやっていたように体が自然と動き布を再度巻きつけて止血を終えた。これでひとまずは大丈夫なはずだ…………それにしても。
「…………スカート……こんなにさせてしまってすいません」
「…………!いいえ、気にしないでください、洋服なんて買い替えればいいんですから……腕、痛い……ですよね」
「大丈夫ですよ、これくらいっ……!」
元気アピールをしようと上半身を動かすとビリビリと痛みが駆け巡り思わず腕を押さえた。どっと冷や汗をかいて痛みが引くのを待つ。
「…………やっぱり痛いじゃないですか、今日の晩御飯私がし……」
「駄目です」
「…………でも……」
子犬のように懇願するあきらに実際問題この状態では満足に動かせないか、とクロはため息をついた。
「…………横で俺が教えるので簡単な物でも作ってもらっていいですか?」
「…………!はい!」
「その前にそのスカートは着替えた方がいいかもですね」
「あ」
助けてもらった上でなんだがやはり見栄えは悪い、それになんだがそれを見ていると……すごく罪悪感が芽生えてしまう。じゃあちょっと着替えてきますね、と自室に引っ込もうとしたあきらをクロは呼び止めた。
「ありがとうございます、2度も助けてもらって」
「…………?2度も?」
「え、あ、ごめんなさい、言い間違えました、おかしいですよね、昨日出会ったばっかりなのに……」
「…………いえ、きっと怪我をしたので頭が混乱しているんですよ」
何故自分は2度も、と間違えてしまったのか。つい口にしてしまった言葉に疑問が浮かぶ。
ふわりと微笑む彼女の顔と巻き付けられた白い布にクロは何故か既視感を覚えたのだった――――――
商店街のざわめきの中、ひったくりをした男は警察に連れられ……男は警察署で自分を捕まえようとした男を刃物で刺したと素直に供述したのだが。刃物もそれらしき男とそれどころか血痕一つさえ発券されなかった。
周りの目撃者もいつの間にか血痕が綺麗に無くなっていて狐につままれたかと思ったほどだった。
それもそのはず。彼の血痕や血がついた刃物はとある男によって回収、痕跡を無くされていた。ビルの屋上で人混みにのまれ疲弊した筋肉質の男はやっと人がいないと安堵する。
「びっくりした――――兄ちゃん急に刺されるんだもん……大丈夫かな……」
『…………まぁ出血量は大したことねぇし多分大丈夫だろ、バイタルも普通だし、刃物に毒は?』
「…………ない、キットも使ったけど検知されなかった、本当に偶然にひったくりがでたんだと思う、計画には組まれてないよね?」
『ああ、でももし今の状況が他の連中に知られるとなると厄介だな……一部の奴らには共有はいってるけど……』
通信で少女らしき声と会話する肩を小さく丸めた男はうんうん、と頷き刃物を布で包んで鞄に入れた。作戦終了まであと数日。何事もトラブルがこれ以上起きませんように……と祈って男は家に帰宅した。
