夜桜凶一郎R夢まとめ
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きゅっとネクタイを締めて姿鏡の前で自分の姿をチェックする。
…………よし格好良し、髪型も良し、いやもう1回髪を整えて……っともうこんな時間か、と時計の針が進んでいる事に気付き気持ち程度に香水をつける。
あまり香っても花の香りを邪魔してしまうだろうしそもそも彼女が何の匂いが好きなのか全然知らない、まぁ花屋を営んでいるのだから花の香りは嫌いというわけでもないと思うが。
もう幾度も訪問してるというのに今日も家を出るのに時間がかかってしまった、とにかく悪印象をとられないように身だしなみを整えた結果がこれだ。
本日の曜日は日曜日、週に一度花を買いに……いや店主であるあきらに会いに行く日である。
そして今日こそは、と決心をして凶一郎は玄関を出た。
今度こそ自分の思いを伝えてみせる。
と決心した結果は。
「お兄ちゃん!!またお花持って帰ってきちゃったの!!!いつになったらちゃんと店主さんにプレゼントするの!?このままじゃ一生渡せないままよ!?」
「う…………む、六美……今日こそは……!渡すつもりだったんだ!今日こそは……」
「今日こそはと言って何度目だい?もう数えるのをやめたよ」
「いつかは言えるようになるかもしれんだろう!!!
いつかは!!!!」
「結果同じじゃないかい?」
「どーせ変わんねぇよ、結果は。つーか最初は週に一度買いにいく話だったのにいつのまにかまた連日押しかけてるしな、用もないのに話しかけられて店主も困ってんじゃねぇか?」
「そんなことはない…………!はず…………はずだ!」
妹達に冷たく指摘され最初はぎゃいぎゃい反論していた凶一郎だったが、次第に風船がしぼむがごとく言葉をすぼめしょげくれた。
9月に再び花屋を訪れてから早2ヶ月、11月初めになり冬の足音が聞こえ始めた頃凶一郎は何度も告白してくると言って出かけ、すごすご自宅に帰るのを繰り返していた。
と言うのも凶一郎があきらの店で花を買い、それを彼女にプレゼントして告白しようと考えたのだが、面と向かって貴方に上げる花を買いたいですと中々言い出させずいつも妹弟達に上げるのを探していると誤魔化していたのだった。
次こそは……!と毎度のようにメラメラとやる気を燃やしているが結果はこの様である。
最初は一週間に一度訪れていたのが次第に頻度が早まり今では毎日のように店に通っている常連客だ。
とっくにスパイデーには取り上げられており、『あの夜桜家の長男が猛烈アピール!?!?』だの『結婚秒読み!?!?』と最初は持て囃されていたものの、うだうだ足踏みしているのに飽きられたのかうだつがあがらないのか(多分スクープが欲しいのだろう)記者からは『さっさと告白しろ』とネタにされているのは言うまでもない。
凶一郎がスパイデーに、店に迷惑をかけたらただじゃすまないと脅……協力を頼んでいるので裏業界のみこの恋の発展を見守っている……かと思いきや。
何かと暇を見つけては訪れる為たまたま通りかかったからと何かと理由をつけて誤魔化しているからか、当然他の客からは好意がバレバレで彼氏か何かと噂され、当然客からも見守れているのであった。
ちなみに今日の一連のやり取りは。
いつも通り店を訪れると店主であるあきらが凶一郎に気づき笑顔を綻ばせる。
ここのところ毎日のように訪れて昨日も会ったのにも関わらずあきらは嬉しそうに声をかけた。
「あっ、常連さんこんにちは!今日はどなたにプレゼントのご予定ですか?」
「あ…………その………………て…………」
「て?」
店主である貴方に花を贈りたくて何かいい花はあるだろうか、花言葉は好きとかプロポーズに相応しいやつで。
と頭には言葉が浮かんでいるが今日も相対すると喉に引っかかって出てこない。
ドッドっと心臓の音が激しくなり、凶一郎は口を開けて数秒後。
「天気がいいな、こんな日は妹弟達に花を贈りたくなる」
決めポーズまでして、誤魔化しにしてはちょっと苦しい台詞を吐いた。
あきらは素敵、とそれでも嬉しそうに微笑んでいて胸がきゅっと締め付けられた。
性格が素直なのか裏を読んでいないのか彼女はいつもこの苦しい言い訳をすんなりと信じる。
「わあ!とても素晴らしい動機ですね!!
今回は妹さんですか?それとも弟さん?」
「今回は…………」
と言いかけて苦し紛れの嘘の為の贈る相手がもういない事に気付いた。
ことある事に妹弟を言い訳にするので上から順番に贈った結果、こないだは七悪に贈ったばかりである。
メイドである殺香やアイなどでもいいが少し説明に困る…………他にいい相手は……と思案して脳内に太陽が浮かび咄嗟に表情を険しくさせた。
と、普段なら不機嫌オーラをバシバシに出すところだが、あきらを怖がらせるわけにはいかない……と凶一郎は感情を抑える。
太陽…………太陽か…………奴に…………花を……???贈る……???反吐が出る。
だがもう選択肢は残っていない。
「……………………嫌いな奴に贈ろうかと、花言葉は……憎悪で」
「え、ええ?えっと…………それは…………
あっ常連さんは苦手な方にも友好的に接する方なんですね、尊敬します!でも……そのリクエストはちょっと難しいかも……」
「すまん、言い方が悪かった、言い過ぎた
その妹弟ではないんだが…………妹に彼氏に出来て…………
それはもう!!大の!大大大大!大嫌いなんだが!!!!しゅっ…………祝福の゙だめ゙に゙!!ぞう!花言葉はじゅぐぶぐがい゙い゙な゙!!!」
血の涙を流しながら贈ると言う凶一郎にあきらはニコニコと微笑んで花言葉に祝福が含まれるハボタンを選んでラッピングをし凶一郎に手渡した。
「常連さんは妹さん思いの方なんですね
だから彼氏さんの為にお花をプレゼントをしようと…………すごく立派ですね、きっと彼氏さんも妹さんにも喜んでくれると思います」
そう言ってあきらは本当に良いことだと微笑んだ。
その笑顔に凶一郎はまたどきりと胸が高鳴る。
出来ればずっとこのまま時が止まっていてほしい、ずっと…………彼女の笑顔を見ていたい…………
微笑んでいたあきらだったが、凶一郎の熱の籠もった視線に気づき頬を赤く染めて恋をした乙女の表情で凶一郎を見つめ返した。
しばし見つめ合った後凶一郎の手がふいに動きあきらに触れようとして…………
「あきらちゃん!お花買いに来たんだけど……
あらやだ、ごめんなさい、彼氏さんいるのに邪魔しちゃったわね」
「そ、そそそそんなことないです!!!ね!常連さん!!」
「あ、あああそうだ!!店が繁盛するなら万々歳だ!!!店主いつもありがとう!!また!!来る!!」
「は、はい!お待ちしてます!!」
あたふたしながら見送られて、今日もまた告白は出来なかったのだった………………
ちなみに他の花屋で花を買ってプレゼントするのはどうかと以前妹弟から案が出されたのだが。
凶一郎は浮気になるだろう!と却下したのは言うまでもない。
「つーかさ、その店主さんも毎日のように来る厄介客に迷惑してねーのほんと不思議だよな」
「それは!!!彼女が俺の事を好きに決まってるからだろう!!!!」
「勘違いじゃね?」
「なわけない!!!!!!俺が来る度に笑顔になるんだぞ!!!!絶対に!!!俺の事が好きなはずだ!」
まぁ実際その通りなのだがはたから見ると好きになるがあまり周りが見えていない男に見える、現在進行系で。
まぁまぁ…………とやんわり辛三が宥め凶一郎が持っている花束を見て聞いた。
「そういえば兄ちゃん今回は誰に買ってきたの?」
「そ、それは………………」
「先週は僕だったよね、また二刃お姉ちゃんに逆戻り?」
「凶一郎気持ちは嬉しいけどあんまりプレゼントするのも迷惑なんだけどね」
「あ、いや……二刃ではなく…………」
妙に歯切れの悪い凶一郎に周囲が不思議そうな視線でみやる。
奥の方には周りと同じく、どうしたんだろうとこちらを見る太陽がいた。
これは太陽に買ってきた……いやそうせざるをおえなかった花だ、なら本人に渡すべきなのだが…………
どう渡すか、いっそぶん投げて渡してしまおうかと思い浮かんではっと気づき慌てて案を消す。
花をぶん投げる?冗談じゃない。
彼女が丁寧に、気持ちを込めて綺麗にラッピングしてくれた花束を投げるなど失礼だ。
見ていようと見てなかろうとそれは彼女を傷つける行為であり、冒涜で決して行ってはいけない、と凶一郎はずかずかと太陽に近づいた。
「えっ……えっ……きょ、凶一郎兄さん?」
ビクリと怯えるように固まった太陽に凶一郎は花束を太陽に押し付けた。
一瞬太陽含め全員が凶一郎の行動に驚愕した、凶一郎の性格ならばぶん投げると思っていたが予想外だった。
押し付けられた花束を太陽は受け取ると凶一郎はそっぽを向いた。
「お、俺にって事ですか…………?」
「もう上げる選択肢がお前しかいないからな、しょうがなくだ!!!!!!!ふん!!!」
「あ、ありがとうございます!」
「感謝を言われる覚えはない!!!!」
ぷんぷんと怒りながら不器用な凶一郎に太陽は苦笑いしつつ花束に目を向けて、昨日どこかで見たポスターの存在を思い出した。
もしかすると快く受け取って貰えないかもしれない、けれど手元に残った花束に視線を向けて太陽は決心しとある物を調達しにいった。
翌日の朝ドアのノックがなり開けると太陽の顔が見えて凶一郎の顔がそれはもう険しくなった。
「………………なんだ、朝っぱらからお前の顔など見たくもないんだが」
明らかに不機嫌と見られる程度にも負けずと太陽は凶一郎にチケットを2枚差し出した。
「す、すみません…………あの!これだけでも受け取ってください!」
「…………?花とどうぶつの園チケット?……何のつもりだ」
「こないだ宣伝のポスターを見た事を思い出したんです、秋にはコスモスの展示があるらしいですがここは11月でも見られるらしくて……お花だけじゃなくてどうぶつとも触れ合いますし……
花屋の店主さんと2人で観に行ってはどうでしょうか?」
こないだの花束の礼のつもりらしいが太陽からの施しなど受けたくもない。
普通に断るつもりだったが、もし彼女が誘いをOKしたら?とつい想像してしまう。
季節は11月、私服となれば秋服の装いが通常。
デートに誘えば…………あきらのデート服が見られる!!!!!普段は動きやすいスボンスタイルらしいが外に出かける時の私服姿はどんなのだろう…………と凶一郎は期待を胸に膨らませる。
ふふふふふふ………………とつい笑みがこぼれてしまい傍に太陽がいる事を思い出してごほんと咳をし、差し出すチケットを渋々受け取った。
「礼は言わんからな」
「はいはい、分かってます、これはただのお節介なので」
微笑む太陽にチッと舌打ちして凶一郎は早速誘うべく花屋に向かった。
思い通りになっているようで癪に障るが遊びに誘うのは良い手かもしれない。
しかも彼女の好きな花の展示で雄大なコスモスに囲まれ………
『コスモスがこんなに…………綺麗ですね』
『俺は貴方の笑顔の方が魅力的だ、これを受け取ってくれないか?』
『常連さん……!はい…………!』
指輪を受け取り2人は見つめ合って……
脳内でりんごーーんりんごーん、と祝福の鐘の音が鳴る、これしかない……!
花屋にたどり着き凶一郎は胸ポケットにしまったチケットを取り出して店主を呼んだ。
「常連さんこんにちは!あれ……そのチケット……」
「知り合いから偶然貰ってな…………その……」
「いいですよね、私も行ったことがあります、コスモス綺麗でいいところですよ」
「………………そ、そうか…………それは…………たの、しみだ…………」
既に行ったことがあるのなら再度赴く必要はない、そう思って凶一郎は気分が下がった。
ああ、どうしてこうも上手くいかないのか、と凶一郎はしゅん……と肩を落とした。
もう既に行ったのなら誘っても意味はないだろう……と思いポケットにしまおうとしたところで店主が聞いてきた。
「あ、あの…………どなたかと行く予定だったりします……?」
おや……?と諦めていた希望に光が差す。これは……もしやと期待に胸膨らませているのを押し隠し凶一郎は困ったと演技をする。
「いや、2枚組だしな、妹弟達と二人きりというのもあれと思ってな、どうしようかと思っていたところだ
一緒に行く相手は……募集中だ」
「そ、それなら…………り、立候補しても構いませんか……?」
おずおずと手を上げるあきらに凶一郎は飛び上がりたくなる衝動を抑え、そっぽを向いた。
「構わないが……以前行ったと言っていたがいいのか?」
「はい……!わ、私でよければご一緒します……!」
「良かった、じゃあ次の店の定休日に駅で待ち合わせでいいか?」
「分かりました!…………常連さんと一緒に出かけるなんて初めてですね、楽しみです」
「………………ああ、俺もだ、…………じゃあまた今度」
滅入った気分などどこか行き、浮ついた心のまま店を退店ししばらく歩いて………
凶一郎はぐっ!!!!とガッツポーズをとったのだった。
そしてデート当日。
凶一郎はまたもや姿鏡で格好をチェックしていた。
…………よし、とこれで完璧だと上機嫌で家族の前を通ると皆ぎょっと自分を凝視していた。
…………どこか変……なわけがない、おかしなところなど何もないはずだと思っていると引きつった顔で六美が聞いてきた。
「お兄ちゃん……今からどこいくの?」
「どこって……昨日言っただろう
花屋の店主とコスモスを見に行くんだが、それがどうかしたか?」
「どうかしたかって……その格好よ!!!」
「格好?至って普通のタキシードだが……はっ、黒じゃなくて他の色の方が良かったか…………?」
妹弟全員から違う違うそこじゃない、と突っ込まれ黒のタキシード服に身を包んだ凶一郎ははて、と首を傾げた。
まるで今から結婚式にでも行くかのような明らかに場から浮く服装にも関わらず凶一郎はどこがおかしいのか本当に分かっていないらしい。
そんなにデートが楽しみなのか普段の凶一郎からかけ離れた姿に六美はため息をついた。
こうなると服装以外にも何か問題点がありそうだ。
二刃に目線を贈ると彼女も感づいてるのか、何か隠してそうだねと周囲に目配せする。
「二刃姉ちゃん、おねがい」
「はいはい、辛三」
「あっ、う、うん、ごめんね兄ちゃん」
六美の掛け声に二刃と辛三が立ち上がり、辛三が凶一郎を抑え二刃が凶一郎の胸元をまさぐった。
「なっ、お、おい!!!!二人とも!!!何のつもりだ!!!」
「ちょっと辛抱してな、すぐすむから…………
………………凶一郎、これはなんだい???」
二刃が凶一郎の服の中に隠されていた小さな箱を取り出す。
こじんまりとした黒い小さな箱はどう見てもあれだった。
一方凶一郎はバレてしまっては仕方ない…………と白状した。
「結婚指輪だ、特注の」
「結婚指輪!?!?!?!?」
何をそんなに驚くことがある、と凶一郎は眉間に皺を寄せて、ああそうか、と理由が分かった。
「なるほどな、夜桜の指輪じゃなくてわざわざ作ってきたのに驚いたのか
店主にいきなりうちの指輪を渡しても困惑するだろうと思ってな、こっそりサイズを測って作っておいたんだ
形としては婚約指輪という感じにはなるが……ちゃんとうちのも渡す予定だから安心しろ」
「あ……いやそういうことじゃなくてですね…………しかもそんな高そうな……」
「俺としてはもっと高くても良かったんだが……あまり高価な物を贈られても困るだろうと思ってな、控えめにした、ああ渡すのが楽しみだな……」
違うそうじゃない、この男なにも分かっていない、今日はあくまでも一緒に出かけるというだけだ。
しかもひっきりなしに店に通ってるものの……関係性としては店員と客なわけで。
向こうが結婚したいかも分からないのに一方的に先走ってしまっている。
いきなりプロポーズする者もいないわけじゃないだろうが…………一般的ではないだろう。
恐らくデートの終わりにプロポーズする気なのか、プロポーズ=結婚、と意識が寄ってしまって服装がおかしな事になっているようだ。
「ばりっばりに決めてるけど……がちがちに意識しすぎてむしろ気持ち覚める女だっているぜ?お付き合いもまだなのに将来の事考えてて気持ち覚める……とかな」
「えっ……………………」
もう既に結婚する気満々なのか凶一郎はショックのあまり灰となった。
とにかく今の状態で行かせるわけにはいかない。
とりあえず普段のスーツに着替えていくように六美が諭したところ六美の言うことにはすんなり……とはいかないようだが渋々従って用意した指輪も置いていくと姿勢を見せた。
兄を見送り六美は安堵し、少々不安なところはあるがこれなら大丈夫だろう……としたところでふと時計が目に入った。
時刻は8時前を示している、話ではお昼前に待ち合わせて向かうと聞いていたが家を出るのが早すぎるような……もしかして待ち合わせの前に任務でも入ってたかな?とスケジュールを確認したが今日はそもそも仕事が入っていない日だった。
プレゼントを買う為とも思ったが先程の指輪の件を考慮するとそれもない、もしや………………
「お兄ちゃん…………何時間前から待つつもりなの……?」
恐らく待ち合わせ場所で3時間超目印と化した兄を連想し頭が痛くなった六美と同じくあまりの浮かれ様に二刃もやれやれとため息をついたが凶一郎らしくない行動にぽつりと、あの子はちゃんと分かっているのかね、と呟いたのだった。
そわそわそわ、起床(厳密に言えば睡眠をとらないので語弊があるが朝くらいから)いやその前日からずっと、家を出て待ち合わせ場所である駅の時計台の前で凶一郎は待ち人がいつ来るか待ち侘びていた。
最初は凶一郎と同じく人を待っていると思われる人々も次第に待ち人が来て居なくなっていく、その中で一人ポツンと立つ凶一郎をちょうど時計台が見える位置にある改札口の駅員が、ずっとあのスーツの人待ってるなーーと怪しんでいることなんて知らずに凶一郎はずっと上の空だった。
彼女がどんな服装で来るのか、色んな想像を繰り返しては消してを繰り返して忙しなく脳内がぐるぐると巡る。
ああ、季節はもうすぐ冬にさしかかろうとしているのにずっと胸が暖かい。
早く、早く、時間にならないか、と何度も時刻を確認して……を繰り返して、その時がやってきた。
ぱたぱた、と焦るような足音でこちらに向かってくるあきらがしっかりと見えた。
まるで遅刻するかのような忙しさに何かあったのかと思い凶一郎も駆け寄る。
「はぁ…………はぁ…………じょ、常連さん…………こんにちは…………」
「こんにちは、……そんなに急いでどうかしたのか?もしかして……急用でも……!?」
「あっい、いえ!待ち合わせ時間まであと二十分もあるのに既に待ってらっしゃったから………なんだか申し訳なくて……ごめんなさい遅くて……お待たせしました」
あまり走ることがないのか息を切らせながらぺこぺこ謝るあきらに凶一郎は気を負わせないよう偽りの説明をした。
「いやいや!たまたま!この近くに用があってカフェで時間を潰そうにも混んでたからここで待ってただけだ
ちょうど10分前に来たからそれほど待っていない大丈夫だ」
「…………良かった……私ずっと常連さんがここで待っているとばかり…………そろそろ冬になりますしお風邪を引かせてしまったらどうしようかと……」
ほっと安堵したあきらだが、この男既に3時間ほど待っていたのである、それを凶一郎はさらっと表情を変えずのほほんと十分前などと嘘をついていた。
とりあえず信じてもらえたようだ……と思ったところで凶一郎はあきらの格好に気付いた。
秋色のモダンなコートに暖かそうなニットと控えめな色合いのロングスカート、ブーツに頭には可愛らしいこじんまりとしたベレー帽がちょこんと居座っている。
自分の服装をまじまじと見られたあきらはもじもじと恥ずかしそうに手を交差した。
「あ……すみません、お、男の人と一緒に出かけるのは……家族以外ではなくて……自分なりに精一杯お洒落なのを選んできたつもりなんですが……変、ですか……?」
「……!いや!そんなことはない、とても……似合っていると思う……」
服も可愛いと思うさながら彼女が自分とデートしにいくと意識していた事が分かって胸が熱くなる。
デートと思っていたのは自分だけではなかった――――とつい頬を綻ばせているとあきらの視線が自分の胸元に吸い寄せられているのに気づく。
そう、普段のスーツに戻したものの……これではいつもと変わらない、せめてネクタイだけでもデートに寄せられないかとあまりつけない少し明るめの色を選んでいたのだが……
「ネクタイ、いつものと少し色が違うんですね、か、かっこいい、です、ね」
「そ、そうか」
僅かな変化に気付いてくれたことと褒められた事どちらが嬉しいのか分からないが、少し照れくさい。
お互い無言が続いた後両方同時に切り出してタイミングが合ってしまい、思わず笑みが溢れる。
「そろそろ、行くか」
「はい」
二人は足並みを揃えて歩き始めた、店員と客というまだ何にも名前がついていない関係性からかちょっぴり隙間を空けて。
けれど何となく今日この日、何かが変わるとお互いにそう思っていた。
バスに揺られること数十分、目的地に着いたバスが停車する。
ブーツを履いている事とさり気なくエスコートしたくて凶一郎は先に降りてすっと手を差し出し、あきらは控えめに手を乗せて降りた。
…………これでさり気なく手を繋ぐ事ができた!!(手を繋いだ訳では無い)と思うもありがとうございました、とすぐに離れてしまったので凶一郎はちょっと残念に思った。
「じゃあ入りましょうか、常連さん」
「…………少しいいか?」
「はい、なんでしょう?」
不思議そうにこちらを見るあきらの顔を凶一郎は真剣な眼差しで見つめた後。
出会ってからずっと常連さん、と呼ばれ続ける現状を変えたくて一歩踏み出した。
「常連さん、ではなく、名前で呼んでくれないだろうか」
「へっ!?!?あ、そ、そう、ですね……お店じゃないのに、常連さん、だと変、ですね……?えっと……苗字は確か……」
「凶一郎」
勇気を出して自らの名前を言うとあきらは凶一郎の内心に何となく察しがついたのか、目を右往左往させる。
「それが俺の名前だ、出来れば……名前の方で呼んで欲しい」
「な、名前、ですか……」
「さんでも、くんでも、何なら呼び捨てだっていい」
「よ、呼び捨ては流石に……!!し、失礼です……!
じゃ、じゃあ……きょ、凶一郎、さん……」
「なんだ?」
きっと知り合いが聞いたら驚くようなとろけた甘い声で返事をしてしまった、表情はいつものポーカーフェイスを崩し俺は今とても優しい顔をしているのだろう。
あきらが反応に困った感じで照れているので、くすりと笑いつつ悪かった、と詫びる。
さて。
「頼んでばかりで悪いんだが……俺も名前で呼んでいいか?」
「は、はい!!どうぞお好きなように!!あ、って私一度も自分の名前言ったことなかった……えっとですね……」
「無論知っている」
どうして?と不思議がる彼女に凶一郎は以前貰った店のカードを差し出す、そこには彼女の名前が記されていた。
あ、道理で……と納得する彼女だが、凶一郎はカードがなくても調べるつもりでいたのはさておき。
凶一郎は緊張しているのを悟られないよう静かに一呼吸置いて。
「あきら」
「………………はい、あきらです」
名前を呼ばれたあきらは幸せそうにはにかんで返事をした。
名前を呼びあっただけなのに、ああ、もうこれだけで胸が満たされている、とお互い無言で見つめあった後、受付の店員からじっっと視線を感じて慌てて咳払いをした。
受付の店員にチケットを2枚渡して園内に入ると雄大なコスモスの景色が広がっていた。
色とりどりのコスモスが秋風に揺れている。
一人では胸に響かない景色も彼女といると不思議と愛おしく見えてくる。
今日この日は天気もよくゆったりとコスモスを見るのにはもってこいの気温で照らす日差しが心地よい。
入口付近のコスモスを少し散策して時刻はお昼にさしかかろうとしていた。
予約していた飲食店に入り、各々注文した料理を食べ終わり食後にコーヒーと紅茶が運ばれていた。
勿論紅茶を頼んだのは凶一郎だ、そしてあきらが頼んだのはコーヒーなのだが何も追加で頼まなかったので意外だなと驚いた。
ふんわりとした印象を受ける彼女だからてっきり甘い物が好きなのとばかり……とティーカップを掴み飲んでいると明らか無理をしているのが目に見えて分かった。
恐る恐るコーヒーを口に含んだかと思えばきゅっと目を瞑り苦い……と顔に書いてあって思わず笑ってしまうとあきらの眉間が寄せた。
「苦いのは苦手か?」
「はい……凶一郎さんがスマートにされてるのに合わせたくて……見栄を張ったらこの様です……でも笑わないでほしかった……」
「すまない、笑うつもりはなかった、ただ仕草がかわいくて……つい……」
知らない面を知れたのとそんな面も愛おしくて本音を洩らしてしまう、かわいいと言われたあきらは先程までの気持ちがどっかに言ってしまったのか、誤魔化すようにコーヒーを含みまたきゅっと目を瞑ったのだった。
穏やかな時間を過ごしていると凶一郎はあきらが外をどこか残念そうな目で眺めていたのに気づいた。
「どうかしたか?」
「あっいえ……実はここ食べ物持ち込みできて外で食べることも出来るんですよね……ほらちょうどあそこに見えるところで」
指さした先には風に吹かれる木のテーブルがポツンと居座っていた。
どのテーブルにも客は座っておらず舞った枯れ葉が椅子の上に残ったままのが見えた。
無理もない、日差しは暖かいとはいえ季節はもうすぐ冬だ。
この薄ら寒い気温で中々外で食べようと思う者は少ないだろう。
かくいう凶一郎も選択肢の中にあったものの……自分だけなら寒さなど気にはしないが、あきらと一緒となると彼女を震えさせるわけにはいかない。
「もう少し暖かったら手作りのサンドイッチでも作ったのに……」
「何!?!?!?手作り!?惜しいことをした……!食いたかった……!」
ぽつりと聞こえた呟きに凶一郎はわなわなと震える。
まさか手作り料理が食べれるとは思わず機会を逃してしまった事実に悔しがっているとあきらは慌てて訂正した。
「て、手作りといっても簡単な物で……私そんなに料理が上手なわけじゃないです、きっとがっかりさせちゃう……」
「あきらの手作りが食べれるのならどんなのだっていい、味がなんだろうも気にはしない、もし機会が……次もあるのなら作ってきてくれないだろうか」
「そう、ですね……じゃ、じゃあ……今度は……春にどこかピクニックでも行きませんか?お弁当持って」
「それはいいな、サンドイッチなら紅茶がよく合う」
「紅茶ですか……それはとてもいいですね」
「では俺のオススメの銘柄を持っていこう」
彼女の作ったサンドイッチと俺のお気に入りの紅茶をテーブルに囲み花畑を眺めたのどかなティータイム、それはどんなに幸福な事だろう。
いっそスコーンも持っていってアフタヌーンティーをするのもよいかもしれない。
そんな光景が目に浮かび凶一郎は口角を上げ、まだ見ぬ春を待ちわびた。
ここ花とどうぶつの園には文字通り動物ふれあいコーナーがある。
せっかくあるのなら行ってみようと話になり小動物がいるエリアにやってきた。
エリアに入ると地面をちょろちょろとモルモットやウサギなどがうろついている。
「凶一郎さんっ、うさぎさんです、撫でれるかな……?あっ帽子被ってたら怖がらせちゃうかな………」
触りたいのかそわそわとしていた彼女だが頭の上の帽子にはっと気づきあきらは被っていたベレー帽を鞄の中に押し込んでからしゃがみこんで恐る恐る近づく。
するとウサギがモヒモヒと鼻をひくつかせて手の匂いを嗅いだかと思うと警戒心が和らいだのか、いいぜ撫でろよと言わんばかりに茶色の背中を手の甲に擦り付けた。
許可を得てからゆっくりと撫でるとふわふわとした毛並みの感触がしてあきらは目を瞬かせて凶一郎の方を見た。
「凶一郎さんも撫でてみませんかっ!?ふわふわで可愛いですよ〜〜〜ウサギさんっ」
お星さまのようなきらきらとした目が俺を見あげてきた。
早くなでろと急かしてくる、小首を傾げて愛くるしい笑顔を浮かべて。
胸が苦しいほど締め付けられて脳内に撫でろ……撫でろ……と声が木霊した。
そうだな、こうなったらもう撫でるほかない、と俺は気づけば手を頭に伸ばしていた。
導きにより撫でるとさらさらとした感触が手袋越しに伝わる。
茶色のさらさらとした手触りは実にいい、撫でていると不思議と天に昇ったかのような感覚に陥る。
ああ……なんて幸福な時間なのだろう。
「あ、あの………………」
ずっと撫でていたい、この時間が続けばいいのに…………
「きょ………凶一郎さん………?」
胸がこそばゆい、かと言って撫でるのも止められない、止まらない、幸せだ…………
「…………………………ぅぅ……」
先程からあきらがとても耐えられないと言わんばかりの声を上げているがなんだろう、俺はただ撫でているだけなのだが。
「えっと……さっきから凶一郎さんが撫でているの……私の頭…………なんですが……」
「…………………………はっ!?!?!?」
そこまで言われて凶一郎はずっとウサギを撫でていると勘違いしていたが、どうやらあきらの頭を撫でていたらしい。
どう言及しようか迷っていたのかそもそも頭を撫でられるのが恥ずかしかったのかあきらは小動物のようにプルプル震えて顔を真っ赤にしている。
「すすすすすすまない、これはあの、その、そう!ウサギの体が茶色だったからな、つい間違えてしまった!うっかり!!」
「そ、そうなんですね…………私びっくりしちゃって……ふふ、うっかり屋さんなとこもあるんですね」
クスクスと俺の失態をあきらはそんなところも素敵だなぁ……と思いながら照れながら笑った。
「何度もすまん、撫でられて嫌だっただろう……?」
きっと中々言い出せなくて困っただろう、と言うとあきらは首をブンブンと横に振った。
「い、いえ……!ぜ、全然っ!嫌じゃなかったです……!嬉しかったです!!!」
「そ、そうか、それはよかった……」
「な、なんならもう一回撫でて貰って構いませんっ!どうぞ!!」
「そ、そう言うのなら撫でさせてもらおう……!」
お互いにテンパっていたのかあきらは再度撫でを要求し凶一郎はそれに驚きつつも応じた。
震える手つきで彼女の頭に手をぽん、と乗せるとあきらの目がきゅっと瞑る。
ここからどうすればいいんだ、そもそも俺は何故彼女の頭を撫でようと……?ああいや彼女が自ら撫でてと言ったんだったな。
とりあえず手を動かさなくては、と動かすも先程よりも緊張していたからかワシャワシャと犬でもあやすかのようにかなり強めに撫でてしまった。
ウサギを放っておいて戯れる二人に茶色のウサギは、こいつらここに来てなにしてんだ、と呆れたのだった。
「すまん…………髪が乱れてしまったな……」
「い、いえ…………私の方こそ……変な事お願いしてしまってすみません……」
あまりにも髪をぐしゃぐしゃと撫でてしまったものだから綺麗に整えられていたセットはもう見るも無惨になり嵐に巻き壊れたかのようなヘアースタイルになってしまった。
どうしよう……せっかく美容院で整えてもらったのに……と肩を落としかけて自らが招いた事なのだから変に落ち込むのは彼に申し訳ない……
とりあえず櫛だけでも通そう、せめてそれくらいは……とお手洗いに行こうとすると凶一郎が呼び止めた。
「俺に整えさせてくれないか?元はといえば俺のせいだしな」
「え?そ、それは全然いいんですが……」
少し不安そうなあきらに凶一郎は大丈夫だ、器用だからなと微笑んだ。
設置されたベンチに腰掛けたあきらの髪に櫛を通していく。
するとあっという間にぐしゃぐしゃの髪は綺麗に整えられていき、手鏡に映った自分の姿を見てあきらは驚き凶一郎は自慢げに笑った。
「ほら、元通りになっただろう?」
「すごい……凶一郎さんって美容師さんだったんですか!?」
「いや?違うが」
「じゃあ何か手先が細かい仕事でも?」
「…………まぁそんなところだ」
本業はスパイ……なんて言えるはずもなく誤魔化した凶一郎に気づかずすごいですね!と微笑むあきらにちくりと痛みが走った。
改めて手鏡に映った自分の姿をまじまじと見てあきらは感嘆しているのか目を丸くしていた。
「そんなに驚くことか?」
「あ、いえ……もしかして妹さんにも同じ事されてるのかなぁって」
「まぁ、昔はしてたりもあったな、別の妹がする頻度は多かったが……懐かしい記憶だ」
「とても中の良いご兄妹なんですね」
にこやかに笑うあきらにつられて凶一郎も口角を上げる。
さて、気を取り直してコスモスを見に行こう。
咲いているコスモスの解説をされながら花畑を巡る。
心地よさそうに揺れるコスモスを見てあきらはすっとしゃがんでコスモスに話しかけた。
「元気そう、君たちがたくさん目一杯お世話されてるのが分かるなぁ、ふふ」
「…………」
「あっ、すみません、お花に向かって喋るなんて変ですよね、つい癖で……」
「いや特にそうは思っていないが、あと前々から喋りかけているのは目にしてたから今更だ、名前もつけているところも見たことがある」
知ってらしたんですね…………とあきらは照れ隠しに目を逸らしてはにかんだ。
ああ、今日一緒に過ごしていて色んな面を知ったがやはり花に囲まれている彼女が好きだ。
この光景をいつまでも胸に留めておきたいくらい、花とあきらは相性がいい。
花を眺めて笑う様子を凶一郎は一歩離れて静かに見守る。
この笑顔を見ていたい、守りたい……そう思った。
ずっと彼女を眺めているだけのも何なので何か話題を探して凶一郎はどうして花屋をやろうと思ったのかと聞いた。
当然花が好きだからという答えが帰ってくるだろうと予想していたが答えは違った。
「…………母の夢だからでしょうか」
帰ってきた返答に思わず足を止める。
あきらは立ち話も何ですからと、近くのベンチを指さして二人で座る。
「少し重い話になりますが話してもいいでしょうか、あまり聞いていて楽しいお話ではないのですけれど……」
「構わない、気にせず話してくれ」
さぁ……と風が吹いて一呼吸おいた後あきらは語り始めた。
「何から話した方がいいのか……
元々母が花がとても好き方だったんです、庭にたくさんの花を植えて物心つく頃には色とりどりの花で溢れていました、いつか自分のお店を持ちたい……と話していましたけど……」
「けど?」
「それが叶うことはありませんでした
私が小学生の頃亡くなってしまったので」
凶一郎は少し沈黙した後辛い記憶を思い出させてしまってすまないと謝るとあきらは大丈夫です、昔の事ですから、と悲しげに微笑んだ。
「母との思い出はどれも温かな物でした、種を買いに行って一緒にお花のお世話をして……芽が芽吹き花が咲くのをいつも一緒に眺めていました、…………母が病で倒れる前までは」
「………………」
「最初はすぐ元気になるもんだと幼い私は思っていて、また一緒にお花を育てられる……と何も知らずに呑気に水を与えていました、けれど…………」
母は何ヶ月経っても家に帰ってくることはありませんでした、とあきらは話す。
やがて……ある日ひょっこり母が家に帰ってきたんです、幼い私はもう母が元気になったと思い込んでそれはもう喜びました、母と父が説明にあぐねている事には気付かずに……と話すが無理もない。
恐らく自宅で看取る事を決めたのだろうが幼い子に事実を伝えるのは難しい。
「余命僅かだった事には気づいてませんでしたが、ずっとベッドに寝たきりの母を見て何となく異変に気づきました。何度お花のお世話しようと言っても、今日は具合が悪いの、また明日ねと断られて……その明日が来ることはありませんでした」
一人で世話をするうちに段々と笑う気力も無くなって、母も起きる時間が少しずつ少なくなった頃気づいたんです、とあきらは続けた。
「暗い気分で世話をしていたからでしょうか、ある時ふと気づいたんです、花の元気のない様子に
気の所為かもしれませんけど、いつもまっすぐに植わっているはずの花壇の花達が萎れているように見えました、私の心も母も」
「…………それで?」
「このままじゃ、自分も母もお花達も皆倒れてしまう……そんな気がして、せめて自分だけでも無理矢理笑顔を取り繕う……そんな風に思いました
心は沈んでいても元気つけられるように笑顔で接して明るくしようと、そうすればきっと母もお花も元気を取り戻せる……と願ったんです」
願掛けみたいなものですけど、とあきらは苦笑する。
けれどそうしなければ自分の心を保てなかったのだろう、しかし最初の口ぶりを見るに……その願掛けは効果をなさなかった……何と返答すればいいのか重い表情をしているとあきらは無理に何か言わなくても大丈夫です、聞いてくださるだけで十分です、と微笑んだ。
「結局母の具合が良くなる事はありませんでした
あれ以来なるべく笑顔を続ける努力は継続はしているけれど……自分でも意味があるのか、分からなくなっちゃって……誰が喜ぶわけでもないのに……」
「意味はあるだろう」
はっきりと言葉にした凶一郎はまっすぐな目であきらを見つめた。
あきらは驚いたのか目を丸くしている。
「客は皆、あきらの笑顔があるから店に来ているんだ、優しく暖かい笑顔が客も快くにこやかにさせる
ここしばらく毎日来ていてわかった、花を買っていく客は皆笑顔で帰っていく」
それはきっとあきらの笑顔があるからだ、そう伝えると照れてくさそうに目線を反らせた。
それと……と凶一郎は続ける。
「少しそれとは異なるが……初めて出会った時……あきらの笑顔を見た時の感覚を忘れた事はない」
こうしていても思い出す、あの痺れるような雷をうたれたかのような強烈な一目惚れを。
あきらの笑顔を見る度に…………何度も何度もあのときめきが走る。
甘くとろけるような感情に空気が沈み込んでいく。
気づけば凶一郎はあきらとの距離を縮めていた。
すぐそこに手を伸ばせば抱きしめれるくらい近づいてじっと瞳を見つめた。
「俺は…………笑顔がとても素敵だと思う、見る人を優しく明るくさせるそんな笑顔が……」
「そ、そんな急に褒められたら…………て、照れちゃいます……え、笑顔が素敵な人なんて他にも……」
「それに俺はあきらの笑顔だからこそ特別に感じた」
誰でもいいわけじゃない、と言うとぱちり、と瞳が瞬いてあきらの頬が徐々に赤くなる。
薔薇のように赤く染まった頬を見てきっと俺もそうかもしれない、と体温が熱く上がっていく。
差し込む夕暮れの光のせいかそれともこれから言おうとしている言葉のせいなのか。
「笑顔だけじゃない、コーヒーを意地でも飲もうとするところ、うさぎと無邪気に戯れるところ……今日だけで素敵なところが何個見つかった事か……ああ、いや話題が逸れてしまった、その、つまり…………」
「つ、つまり……?」
あきらは凶一郎の言葉を待っている、言わなければ。
言え、言え、と自分に発破をかける。
この衝動のまま言ってしまえ、そうして…………
揺れ動く瞳を真剣な眼差しで捉え凶一郎は深呼吸をして。
「俺は……そんなあきらの事が…………」
好きだ、予定と違い用意していた指輪はないが自分と人生を共にしてほしい、と言おうとして。
凶一郎はあきらの背後、ほど遠くない場所で何かが煌めいたのが見えた。
それが爆発の前兆である事に瞬時に気づきあきらを勢いよく抱き寄せ衝撃に備える。
「くっ……」
思いの他衝撃は大したことがなかった、ちらりと前を見れば例の爆弾魔たま屋の仕業かと脳裏を過ったが奴は極度のsns中毒で犯行をする時には必ず予告する癖がある。
なら模倣犯か……?と考えていると偶然訪れていた公務員スパイが犯人を確保するところが見えた。
爆発が小規模なおかげで周りにはほぼ被害はなく、負傷した者もいない、全く迷惑なことだ。
こちらは一世一代の告白を行おうとしていたところだったのに……さて気を取り直して再開といこう。
「あきら大丈夫か?…………あきら……?」
呼びかけても返事がない、爆発は大したことがなかった気絶するほどではなかったはずだが……はっ、そういえば衝撃から守る為に咄嗟に抱きしめてしまった!
しまった!いやいいのか!?俺としては不幸中の幸いともいえるが……未だかつてないほどに密着している。
ハグ……してしまった……!!!どうしよう、離そうか、いや離したくない……!と心が揺れる。
くっ、ああ急にドキドキしてきた……あきらの体は小さくて柔らかいしいい匂いもするな……って俺が挙動不審になってどうするんだ、ともかく向こうも赤面してテンパっているだろうしとりあえず説明を……と彼女の顔を見て凶一郎は先程まで浮き上がっていた心が急激に冷めていくのを感じた。
「………………ぅ、……っ、」
「……………………………………」
あきらの目は潤み恐怖でいっぱいになっていた。
カタカタと風邪を引いたかのように震わせて、顔は青ざめている。
原因が先程の爆発である事に自ずと分かり凶一郎は悟った。
彼女は自分とは異なる世界の人間である事を。
「色々とすみません……落ち着くまで隣で面倒みてもらった上に家まで送って貰って本当に何から何までしてもらって……」
「気を使う必要はない、あんな事があったのでは仕方がないだろう、まだ気分は優れないか?」
そう問うとあきらは不安げな表情で、はい……と頷いた。
それならと凶一郎は懐から小袋を出してあきらの手を取り、その小さな手にのせた。
「これは……?」
「茶葉だ、夜思い出して眠れない事もあるだろう、その時にはこれを淹れて飲むといい
リラックス効果もあってぐっすり眠れるだろう」
「…………ありがとうございます、凶一郎さん」
あきらは微笑もうとして上手く口角が上がらず、困った様子で眉を下げた。
あやすように凶一郎は優しく肩を擦ると少し和らいだが、それでも笑顔は戻らなかった。
凶一郎はすっと躊躇いもなく、彼女の肩から手を離してそろそろ家に入ったらどうだ、と声をかけた。
「今日は疲れただろう、ゆっくり休むといい」
「そう、ですね……最後に思いかげない出来事はありましたけど……今日一緒にお出かけできてとても楽しかったです、ありがとうございました」
「……ああ、俺もだ、すごく……楽しかった」
凶一郎の表情はいつも通りだった、本心を言い凶一郎は店から背を向ける。
去り際、あきらは凶一郎に問いかけた。
「お店…………また、来てくれますか……?」
どこか不安げなあきらの声に凶一郎は振り返らなかった。
そして一言、気が向いたらまた来るとだけ言って凶一郎は店から遠ざかっていった。
もう二度とあきらには会わないと心に決めて。
あきらはあの出来事以降ずっと顔が浮かない様子だった。
凶一郎にとって大したことのない事でもあきらにとっては恐怖する出来事だったのだ。
そこで初めて自分とあきらは別の世界の人間である事に今更気づいた。
スパイという裏社会で暮らす凶一郎とあきらは決して相容れないということを。
昼の世界で健やかにのびのびと笑顔で暮らすあきらを日差しの届かない世界に連れて来る事は出来ない。
今日笑顔が失われたようにひだまりの花を真っ暗闇に植えては元気を失い枯れてしまうだろう。
凶一郎にとってあきらの笑顔は惚れたきっかけでもあったし、何よりあんな暗い表情をさせるくらいなら………………もう会わない方がいい、そう思った。
一緒にいれたらいいな、あわよくば結婚したいなどと思ったのが間違いだったのだ、そう思おう。
その選択が彼女を悲しませてしまうことになっても。
凶一郎は淡々と足を進める、その足取りに迷いはなかった。
彼の言った通り夜、布団に入ったものの脳裏にあの光景がこびりついて中々眠れなかった。
貰った茶葉を湯に通すと安心する香りが漂ってきて飲むと不思議とさっきまで眠れなかったのが嘘かのようにぐっすりと眠れた。
本当に彼にはお世話になった、茶葉の礼も言いたいな……と思いつつ郵便受けを開けると何か入っていることに気づいた。
なんだろう、と中を探り出してみてあきらは目を見開いた。
「………………え?」
透明な袋に包まれた造花にどこか胸騒ぎがする、だってこれは…………
誰に贈られたのかも分からない、分からないけれど…………
どうしてもあの黒いスーツ姿の背中が脳裏に過る。
すごく不安が押し寄せて、あきらは造花に涙を落とした。
入っていたのはチューリップだった、黒色の。
花言葉は………………『私を忘れて』
