凶一郎の婚約者さん
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「お前さ、あきらの事好きって気付いたきっかけってなんなの?」
「………………いきなり何の話だ、聖司」
恒例の呑み会を行っていたのだが酔いが回ってきたのか聖司がとんでもない話題を切り出してきたことに頭が痛む。
当の本人が店主からのサービスの一品が酒浸けであったことが原因ですやすや眠っている事が幸いか。
リンが海外出張でいないこともあって普段なら恋の話題など出ないに等しいが何の気まぐれだ。
もうあきらと同じく眠ってくれないだろうか。
「そもそもいつ俺があきらの事を好きだと言った?」
「いや言ってないけどほぼ言ってるようなものだろ、顔に書いてある」
「……………………解せん」
そんなに分かりやすいのか?ここ最近は表情には出さないようにしてあるんだがと自らのポーカーフェイスを崩されたような気がして凶一郎は酒を煽った。
「そりゃ顔はわかんねーけど、態度見りゃ一発で分かる」
そう言うと聖司は徐ろにあきらに手を伸ばし、凶一郎は反射的にその手を払ってしまった。
しまった、と思うのと同時に聖司がほらな?としたり顔で笑い、凶一郎は参ったように額に手を当てた。
すぐ行動に出てしまう自分も悪いがその思わせぶりな行動は致しかねる。
そもそも。
「………………その気もないくせに人をからかうのはやめろ」
「普段からかってるのそっちだろ、あーーいつだっけな…………そうだ、中学3年の時の夏休み
夏休み明けたらお前すげー嫉妬心出しまくりしてた記憶あるけど……やっぱその時?」
中学3年の夏休みという単語を聞いて凶一郎は遥か昔の記憶を思い出した。
あれはそう、とある夏の一連の出来事だった。
あの時俺は…………六美とは異なるもう一つの特別に気づいた。
うだるような暑さがやってきて、通っている中学校は夏休みに入った。
だがスパイに夏休みなどない、全く休みがないというわけではないが他の生徒のように遊び呆ける訳にはいかない。
そんな中あきらはじきに訪れる長期海外出張の練習としてイギリスに2週間ほど滞在することになった。
ちょうどイギリスで会議がある京子にお世話になる事になり、海外出張に慣れる為初めて長期間夜桜家を離れる事となる。
そして出発当日、あきらを見送る為夜桜家全員で国際空港を訪れていた。
「ちゃんと必要な物は荷物に入れた?しばらく皆と離れることになって寂しいだろうけど頑張るのよ」
「うん頑張る!、じゃあ行ってきます、零お母さん」
と元気に笑ったあきらだが凶一郎と目が合うと途端にへにょんと眉を下げて俯いてしまった。
荷物をぎゅっと握り心細いのか先程まではこぼしていなかった弱音を吐く。
悲しそうなあきらの頭をぽんぽんと撫でたがそれでも寂しさは消えないらしい。
「………………凶一郎、しばらく会えないなんてやっぱり寂しいよ」
「仕方がないだろう、ほらあんまりのんびりしていると飛行機に乗り遅れるぞ」
「…………うん、じゃあまた2週間後にね」
「ああ」
それから妹弟全員に手を振って空港ゲートからあきらの姿が見えなくなるとその前から挙動不審だった百がおろおろと狼狽え始めた。
「ああ、心配だ……向こうで風邪引かないか?変な輩に声をかけられるんじゃないか?…………ブツブツ」
「貴方心配しすぎ、大丈夫よ
向こうにはお母さんがいるんだし、もしもの事があったら父さんが出てきてくれるみたいだから」
「…………うん、そうだな……」
零に諭されやっとのこさ落ち着いた百に凶一郎はやれやれとため息をついた。
心配症の父だが、海外にちょっと滞在するだけだ、何も心配する事とはないと少し大げさではないだろうかと少し呆れている。
「父さん心配しすぎだ、たかが2週間だぞ?
あっという間に過ぎる、あきらなら問題ないだろう
…………まぁ俺が恋しくて今頃飛行機で泣いてるかもしれない事だけが気がかりだが」
「………………凶一郎冷たいな…………」
「これでも一応心配はしてるんだが?」
凶一郎の言う通り飛行機内で寂しくて泣いているのは事実だったのだが、何も変わらぬ様子の凶一郎に家族全員が冷ややかな視線が集中し肩を竦めた。
だが本人は知る由もない。
百以上に取り乱す事になるとはこれっぽっちも予想していなかったのだから。
翌日、年々少なくなる睡眠時間でもしゃっきりと起床し凶一郎は目覚ましにダークスイートを飲んで居間に下りてきた。
学校がないせいか幾分いつもよりゆったりと過ごせる日はとても珍しい。
まぁ学校が再開すれば元の慌ただしさに戻るだろうが……六美達も夏休み中だ、そして凶一郎も今日一日はオフである。
ここは羽根を伸ばして家族とゆっくりするのもいいか、と今日は何をしようかと頭の中でパズルのように予定を組み立てる。
各々の好みや得意な事を元にスケジュールを組んで早速声をかけようと凶一郎はそれぞれの妹弟の部屋を訪れた。
勿論全員が凶一郎の誘いに乗る……という事はなく、良い返事があったのは辛三と七悪のみだった。
まぁ全員から良い返事が貰えるとは思ってはいないのでそこまでショックはない。(六美を除く)
さて、次はあきらだ。
彼女ならば二つ返事でイエス、と言うだろう。
ただ自分といれば十分幸せ、と肝心の一緒に過ごす方法が決めづらい事が難点だが。
何でも喜んでくれるのは嬉しい事だがこういう時は少々悩ましいものだと思いながら部屋の前に着いてノックをするも返事がない。
おかしいな、と思いドアノブを開くと誰もおらず、そもそもこの家……さしては日本にいない事にようやく気付いた。
「………………そういえば昨日からイギリスだったな」
今頃向こうの空港に着いている頃だろうか。
飛行機での移動時間は約半日を超える、慣れない長距離移動にくたくただろう。
一瞬電話をかけるか迷ったが長旅で疲弊しているかもしれない。
今日はやめておくか、とスマホをポケットに仕舞った。
………………少し、誰もいないこの部屋が寂しく思えた。
それから二、三日が過ぎた頃。
当主としての仕事を普段と変わりなくこなしているといつもより騒がしい我が家の光景に零は口角を上げた。
普段学校に言っている子供達が家にいる事に慌ただしさを感じつつも共に過ごせる事に喜びを噛み締めつつ家事をしているとドタバタと足音を大きくして凶一郎が居間に入ってきた。
「か、母さんっ!!!!」
「凶一郎……?」
かなり慌てた様子で何事かと零が驚く。
凶一郎はかなり取り乱した様子でただ事ではない事を察し零は表情を強張らせた。
今日は特に目立った任務はなかったけれど何かアクシデントでも起きてしまったのだろうか。
凶一郎にとりあえず落ち着くよう声をかけたがあまり耳に入っていないのか、母さん、母さんとかなり混乱しているようだった。
「凶一郎、落ち着いて、何があったの……?」
「っ、あきらがっ」
「あきら……!?何かあったのね、どうしたの?」
「返事が…………届かないんだ!」
「うんうん…………ん?」
恐らく携帯でやり取りの事だと思われるが零ははて、と時計の針を確認しもしや……と原因に気付いた。
しかし凶一郎が見落とすとは考えにくい、と考え込んでいる零に対し凶一郎はわたわたと部屋をぐるぐると回る。
「メッセージを送ったのに1時間しても返事が来ないんだ!!!今まではすぐ返信があったのに既読すらつかないんだ!!」
「凶一郎、あのね」
「何かあったのかもしれない、誰かに連れ去られたとか!」
「凶一郎、落ち着いて」
「落ち着いてなんかいられない!!今すぐにでもイギリスにいかないと……!!!」
完全にパニクっている息子に零は両肩を掴み残酷な事実を告げた。
「あのね、凶一郎……向こうは今夜中2時よ」
「…………………………あ」
そう、現在日本の時刻は午前10時。
あきらが滞在しているイギリスとの時差は約8時間、つまりは向こうの時刻午前2時なのである。
当然就寝中で返事が返ってくるはずがないのである。
灯台下暗しと凶一郎は恥ずかしいのか誤魔化そうと背を向ける、あまりにも簡単な見落としなものだからつい零は笑ってしまった。
「…………母さん、間違えた俺も悪いんだが笑わないでくれ」
「ごめんごめん、凶一郎がまさか時差の事忘れてるなんて思わなくて」
「……昨日までは何時でも返信があったから時差なんてすっかり忘れてたんだ」
「慣れない環境で疲れちゃったのかしらね」
スパイたるもの夜中でも対応しなければならないのが常だが、それでも睡眠は必要だ。
昨日までは眠たくとも凶一郎からメッセージがあれば眠たい瞼を擦って返信を送ってくれていたのだろう。
だがそれにも限界はある、きっと今頃夢の中に違いない。
帰ってきたらゆっくり寝かせてあげようね、と零が言い、ああと凶一郎は答えた。
あきらはまだ帰ってこない。
日本に帰国する日までまだ1週間以上もあった。
カレンダーに✕印をつけてその日が来るのを待つ。
一日の終わりが遠く、長く感じた、せめて仕事をすれば早く過ぎるだろうと思ったがそれでも経過実感は変わらず。
そして次第にあきらからの返信やメッセージ頻度は少なくなっていった。
恐らく向こうでの暮らしや任務が忙しいのだろう、メッセージには、すぐ返事できなくてごめんなさい、とあった。
それはいい、仕方のない事だ。
けれど凶一郎はどこか寂しさを感じつつあった。
日が経つにつれてその感情は大きくなっていく。
………………ああ、早く会いたい。
「お兄ちゃん最近何か元気ないね」
机にべそーーっと上半身をくっつけて項垂れている凶一郎に六美は心配そうに呟いたのが聞こえたのか元気だぞ!とアピールするもそれが空元気なのは皆分かりきっていた。
二刃がちょい、と指でつつけば萎んだ風船のようにソファに倒れ込む。
「こりゃ重症だね、あと一週間で帰ってくるんだ、しっかりしな」
「あと一週間もあるじゃないか…………二刃は寂しくないのか……!?」
「そりゃ寂しいに決まってるよ、でもこれから各々出張が始まったら皆に起こることだ、今のうちに慣れておきな」
二刃は愛用の器を使い静かにお茶を飲んでいる、それに対して自分は腑抜けていないだろうか。
確かに二刃の言う通りだ、夜桜家の長男として妹弟達に情けない姿を見せる訳にはいかない、と背筋を直す。
…………それにしても僅か1週間でこんなにも寂しく思う事になるとは全く予想していなかった。
むしろ父を宥めるとばかり思っていたのである。
それが家族と離れる寂しさだと凶一郎は思い込んでいたが、家族とはまた別の物であると後日気づくのだった。
「お土産たくさん買いすぎちゃった…………うーんっ、荷物が重い……」
買い込んでしまった自分が悪いのだがあまりにも重くなりすぎた荷物を抱えあきらはしくしく心の中で泣く。
それに加えて京子からも零達にあげてと更に色々と貰ってしまった。
「零お母さんはもう着いてるって言ってたけど……誰が来てるんだろう」
零からのメッセージには誰が来るか書いていなかった。
車で待つ零と百を置いて妹弟のいずれかが迎えに来ているらしいが…………
とりあえずこの荷物の一部を持ってくれる人だと有り難い。
「………………凶一郎だったらいいな」
なんて思うも彼は夏休み中も多忙だったはず。
まめにメッセージはくれていたもののあまり電話をする機会は少なかった。
こちらも時間がとりにくいことと気にしなくていいとは言われたが国際電話なのでつい料金を気にしてしまい遠慮してしまった。
声を聞いたのももう1週間以上も前のことだ。
イギリスについてすぐのあの日以来彼の声を聞いていない。
早く会いたいな、とゲートを出てただっぴろいロビーに着くとよく見る黒い背中が目に入った。
見間違えるはずがない、あの背中は………………
「凶一郎!」
「!」
声をかけると黒い背中が振り返る、やはりその姿は凶一郎だった。
迎えに来てくれたんだ、と嬉しくなって重い荷物を抱えてとことこ彼の元へと向かう。
「えへへ、久しぶり、元気だった?
あのね、お土産あるのと……いっぱい話したい事があって……」
「あきら」
「あっ、その前に挨拶だよね、ただいま……」
再会の言葉を言おうとするとくん、と引っ張られ気がつくと凶一郎に抱きしめられていた。
唐突な事に頭が追いつかないあきらに凶一郎は一言。
「遅い、待ちくたびれた」
と文句を言って腕の力を込める。
するとどうしてだろう、先程まであったむしゃくしゃして悲しい気持ちが一気に吹き飛んだ。
と同時に、胸の中に火が灯り、ついた灯りは心を暖める。
暖かくて、甘酸っぱくて、胸がきゅん、と締め付けられて。
それは今までもあった気持ちだけれど凶一郎はこの時初めて気持ちに気付いた。
こんな感情は初めてだ、この気持ちは何なのかと知りたいと、腕の力を強めてあきらに更に密着すると火が更に強く燃える。
どくどくどく……と心臓の音が早くなって体が熱くなるのを感じる。
この感情は一体なんなのだろう……と徐々に熱くなっていく体温が自分の物だけではなくて周囲も熱くなっている事に気づく。
おかしい、夏とはいえ空港内は空調が聞いているはず、エアコンが壊れたか?と見回すと周りの者は特に気にしていない素振りだった。(その代わりこちらを見ていた)
じゃあこの熱いのはなんなのだろうと(あきらを見て、あ、としまったと言わんばかりに慌てて引き離した。
「おい、あきら」
「………………」
当然あきらは急に抱きつかれてたのが原因か顔を真っ赤にして目をぐるぐる回し失神していたのだった。
夏休み終了まであと2週間を切った。
自室でミステリー小説を読んでいた凶一郎はふとこないだの出来事を思い出す。
結局あの感情がなんだったのか分からずじまいだ。
生まれて十数年あんな気持ちは経験したことがない。
正確にはないことはないがあれほど実感した事はなかった。
別に気持ちに名前をつけるとか言語化する理由はないが今この時は無性に気になって仕方がない。
もう一回経験するには……同じ事をする他ないだろう。
しょうがない、トリガーである本人に会いにいくことにしよう。
「あきらちょっといいか」
「?何?凶一郎」
「少し協力してもらいたいことがあってな」
あきらの部屋を訪れて中に入る許可を貰いあきらに近づく。
協力?と首を傾げる彼女の肩を抱き寄せてぎゅっと抱きしめる。
………………ああ、また、だ。
胸が締め付けられて苦しいような痛いようなあの感覚が来る。
そして不思議と磁石のように強く引っ付きたくなってあきらの肩に頭を埋めた。
首元に彼女の毛先が当たり少し擽ったいがそれすらも良く感じる。
……そういえばこうしてあきらを抱きしめるのはこないだの空港での件が初めてかもしれない。
それにしても自分は何故あの時抱きついてしまったのか。
久しぶりに顔を見たら自然と体が動いてしまい気づいたら抱きしめていた。
こうして抱きしめ続けていたら分かるだろうかと思っているとこないだと同じくあきらの体温が上昇していることに気付いた。
ぐんにゃりと力が抜けているあきらに気づき気絶させたまま抱きついているわけにもいかない、とベッドに寝かす。
…………今日も分からなかったな。
翌日、廊下であきらと鉢合わせ今日も感情の名前を知ろうと近づこうとすると、自分の顔を見てあきらが後ずさった。
「………………」
「………………」
一方近づくと一方下がる。
じりじりと歩を進めると反対に離れようとするあきらに凶一郎は眉を上げた。
あまり自分を拒否らない彼女に遠ざけられているようで胸にわだかまりが残る。
「何で遠ざかる」
「だ、だって……今から、は、ハグしようって考えてるよね……?」
「そうだが、それの何が悪い」
「っ、だ、駄目……!とにかく!駄目!」
駄目駄目と抗議するあきらに凶一郎はむっとした様子で再び足を進めた。
じりじりと壁に追いやられていくことを察知したのか、あきらは窓を開けて外に逃げていく。
そうか、それならと凶一郎は鋼蜘蛛を取り出し彼女の逃げ先を読んだ。
逃げようとするなら捉えるのみだ。
当然凶一郎から逃げられるわけとなくあっさりとあきらは捕まってしまった。
「ふふふ、捕まえたぞ!!」
「は、離してぇ…………」
誇らしげに勝ちを喜ぶ凶一郎に対しあきらはこれから起こるであろう事態を予測し子犬のように震えている。
だが凶一郎は聞く耳をもたず、当初予定していた通りあきらの体を抱きしめた。
ぎゅうっと鋼蜘蛛を巻いたまま腕の中に収めるとまたあの感覚が来る。
ずっとこのまま抱きしめていたい……と思っていると頭を凶一郎の体に押しつけなんとか体を引きはなさそうとしているあきらに気づく。
それが嫌いと言われているみたいで暖かい気持ちがどこかにいった。
「……………………そんなに嫌か、俺に抱きしめられるのは」
「えっ、そ、そんな事ない……けど…………」
「じゃあなんで逃げる、嫌がるんだ」
「そ、それは………………」
あきらはもじもじと指を交差し頬を赤らめる。
少し黙った後正直に自分の思いを告げた。
「…………凶一郎に抱きしめられると恥ずかしいというか緊張っていうか…………嫌ってわけじゃないんだけど……ほ、ほら、私、気失っちゃって迷惑にもなるし、その、えっと」
「…………………………」
凶一郎にも申し訳ないし、は、恥ずかしいし……と更に真っ赤になるあきらを見て凶一郎はたまらず再び抱きしめてしまった。
あきらは湯気が出そうなほど真っ赤にして、さっき理由を言ったのになんでー!?と目を白黒させている。
凶一郎は悪い……と体から離れたものの何で抱きしめたくなったのか未だ理由が分からないままだった。
それどころか感情を確かめるというよりは先ほどの行動は抱きつきたくて抱きついたように思われる。
自分でも自らの行動に驚いていたのだがそれは向こうも同じようで。
鋼蜘蛛の拘束を解かれたあきらは以前から気になっていた疑問を聞いた。
「凶一郎は何で私を抱きしめようとするの……?前まではそんなのなかったよね……?」
「………………分からん」
理由を聞かれたものの当の凶一郎でさえ理由にピンときていなかった。
理由を解説されなかったが、困っているのは凶一郎もなんだ、とあきらは思い自分なりに原因を考えてみる。
うーーん……とここ最近の様子を思い浮かべていたあきらはあ、ととある事を思い出した。
「そうだ、きっとオキシトシン?が足りないんだよ
ハグするとオキシトシン?が出て安心感とかなんとか聞いた気がする」
「………………何だ急に」
「ここ最近だけど凶一郎、六美ちゃんにハグするの止められてるでしょ?」
「ああ、母さんが止めろって、六美からも嫌がられるしな」
ここ1年ほど前のことだ、六美に抱きつこうとして。
いい加減やめなさい、と零にハグ自体を禁じられているのである。
理由は六美が思春期に差し掛かろうとしているからなので、凶一郎としては止められてる理由も理解はしているが納得は出来ていないし今もハグしたいと思っている。
「………………つまり六美とハグ出来ていなくて欲求不満だと?」
「うん」
「………………辻褄はあうが、その矛先があきらに向いているのを知られたら更に怒られそうだな……」
「私は別に構わないんだけど……」
あきらの呟きに凶一郎は驚愕する、あれほど嫌、嫌と言っていたではないかと怒るとあきらは慌てて訂正した。
「ぜ、全然嫌ってわけじゃないから……!
その度に迷惑かけちゃうのが嫌って理由だけで…………
ちょ、ちょっぴり……なら……大丈夫、だよ……」
だから時々ならハグしてもいいよ、と微笑まれ凶一郎はまた抱きついてしまったのだった。
「なぁ七悪」
「なぁに?凶一郎兄ちゃん」
「兄ちゃん、嫌五に唐突で悪いんだがハグしてもいいかって聞いたんだ、そしたらあいつ何て言ったと思う?」
「うーーん、寒気がする?とか?」
「ちょっと違うな、正解は……キショいだ!………………七悪ーー!!!弟が冷たい!!!!」
「よしよし」
ああ、末っ子の弟はこんなにも優しいなぁ………………
もちもちの七悪を抱きしめ幸福感に包まれる。
やはり七悪だ、妹弟の中でも七悪は特に俺に対して毒を吐かない。(次点で辛三)
何より背が小さくてカワイイ、とくっついているとピピピ、とアラームが鳴る。
「あっ、時間だ、お兄ちゃん、また今度ね
お代の薬、絶対飲んでね」
「ああ、七悪必ず飲もう」
「じゃあ僕は部屋に戻って薬の実験してくるから」
かぽっとバケツを被り七悪はみるみるうちに自分と同等くらいの身長にまで背が伸び体つきがゴツくなった。
年々体格が増しているような………………いや、どの姿の七悪も愛しい弟には変わりない。
この姿の七悪だって好ましい……だが、やはり凶一郎としては小さい方が収まりがいいし何よりカワイイ。
そして素直な七悪でさえハグの対価は実験薬だった、悲しいかな。
さて七悪で分かった事だが、自分は特に弟達にわさわざハグしたいと思ってはいないらしい。
小さい姿の七悪なら多少効力はあったが、やはり弟とはいえ成長した今では少し抵抗がある。
かと言ってOKを貰ったあきらに頼りきりでは彼女がまたダウンしてしまう、どうしたものか……と自室で考え込んでいるとこんこん、とノックがあった。
誰が来たのか?と思い扉を開くと扉を覆い尽くすほどどデカいクマのぬいぐるみが目に映って思わず面を食らう。
戸惑っているとぬいぐるみの横からひょっこりあきらが現れた。
「何だお前か」
「えへへ、驚いた?」
「なんなんだ、これ」
「クマのぬいぐるみだよ?」
それは見れば分かる、俺が聞きたいのは何でわざわざ俺に見せにきていることなんだが。
まぁだいたい彼女の言おうとしていることは予測出来るが。
「…………要するにぬいぐるみで代用が出来ないか、ということだな?」
「うん、そうそう、ぬいぐるみでもほっこりするらしいよ、ほら」
ぬいぐるみに抱きつきながらクマの手を動かし満面の笑みで実行してみせるあきらを見てまたハグの欲求が湧き上がる。
さっき七悪成分を摂取したばかりだというのにもう尽きたのかオキシトシンは。
では早速ぬいぐるみで代用出来るか試してみるとするか。
あきらからクマのぬいぐるみを受け取りベッドにぬいぐるみごと倒れ込む。
大きなクマのぬいぐるみに抱きついてみたが。
「……………………いや普通に変化ないな」
むくりと起き上がってぬいぐるみから手を離す。
毛糸の感触がするだけで心が満たされるとか、特に変化はなかった。
そりゃあ何もないよりはましだろう、だがそれ以上にじき大人に差し掛かろうとする自分がぬいぐるみに抱きついているのを想像するだけで小っ恥ずかしい。
あきらには悪いがぬいぐるみはなしだ。
あいつに返してくるか、とぬいぐるみに視線を移してそういえば毛糸の色があきらの髪の色と同じ茶色だなと気づく。
たまたまなのかそれとも意識してこの色にしたのか、持ち上げようとしたまま凶一郎はぬいぐるみと向き合った。
思い浮かべるのはやはりあきらの笑顔だった。
先程やり取りした会話が浮かび上がる、表情がころころと変わりあの光景を。
胸がきゅっと痛くなった。
思わず胸に手を当てると心臓は早く動いていた。
そう、あの感覚だ。
そしてふと脳裏に過る、このぬいぐるみをあきらと思えばいいのでは、と。
そう思い抱きつけば胸の窮屈さが更に増したところで凶一郎は勢いよくクマのぬいぐるみから離れる。
理由は一つ、散々探していた感情の名前の正体が分かりつつあったからだ。
「………………いやいやいや」
浮かんだ言葉を消す、そんなバカな、はずがない。
相手がどうこうというより自分がそんな物に左右されるなど想像したことがなかった。
でも予想が当たれば弟やぬいぐるみを抱きしめても関係がなかった説明がつく。
ないないない、と否定する中かっと体温が上がっていく。
じゃあ今まで俺は。
あんなにあきらに抱きつきたかったのは、衝動があったのは。
ずっと無自覚だった感情をはっきりと自覚する。
だってもうあきらに抱きついていないのにも関わらずずっとあれに苛まれている。
ずっと眠っていたのにどうやら目覚めてしまったらしい。
「いやだから、それはない」
否定すればするほどその思いは増していく。
明日からどんな顔をして会話をすればいいんだ…………と凶一郎は頭を抱えたのだった。
「………………いきなり何の話だ、聖司」
恒例の呑み会を行っていたのだが酔いが回ってきたのか聖司がとんでもない話題を切り出してきたことに頭が痛む。
当の本人が店主からのサービスの一品が酒浸けであったことが原因ですやすや眠っている事が幸いか。
リンが海外出張でいないこともあって普段なら恋の話題など出ないに等しいが何の気まぐれだ。
もうあきらと同じく眠ってくれないだろうか。
「そもそもいつ俺があきらの事を好きだと言った?」
「いや言ってないけどほぼ言ってるようなものだろ、顔に書いてある」
「……………………解せん」
そんなに分かりやすいのか?ここ最近は表情には出さないようにしてあるんだがと自らのポーカーフェイスを崩されたような気がして凶一郎は酒を煽った。
「そりゃ顔はわかんねーけど、態度見りゃ一発で分かる」
そう言うと聖司は徐ろにあきらに手を伸ばし、凶一郎は反射的にその手を払ってしまった。
しまった、と思うのと同時に聖司がほらな?としたり顔で笑い、凶一郎は参ったように額に手を当てた。
すぐ行動に出てしまう自分も悪いがその思わせぶりな行動は致しかねる。
そもそも。
「………………その気もないくせに人をからかうのはやめろ」
「普段からかってるのそっちだろ、あーーいつだっけな…………そうだ、中学3年の時の夏休み
夏休み明けたらお前すげー嫉妬心出しまくりしてた記憶あるけど……やっぱその時?」
中学3年の夏休みという単語を聞いて凶一郎は遥か昔の記憶を思い出した。
あれはそう、とある夏の一連の出来事だった。
あの時俺は…………六美とは異なるもう一つの特別に気づいた。
うだるような暑さがやってきて、通っている中学校は夏休みに入った。
だがスパイに夏休みなどない、全く休みがないというわけではないが他の生徒のように遊び呆ける訳にはいかない。
そんな中あきらはじきに訪れる長期海外出張の練習としてイギリスに2週間ほど滞在することになった。
ちょうどイギリスで会議がある京子にお世話になる事になり、海外出張に慣れる為初めて長期間夜桜家を離れる事となる。
そして出発当日、あきらを見送る為夜桜家全員で国際空港を訪れていた。
「ちゃんと必要な物は荷物に入れた?しばらく皆と離れることになって寂しいだろうけど頑張るのよ」
「うん頑張る!、じゃあ行ってきます、零お母さん」
と元気に笑ったあきらだが凶一郎と目が合うと途端にへにょんと眉を下げて俯いてしまった。
荷物をぎゅっと握り心細いのか先程まではこぼしていなかった弱音を吐く。
悲しそうなあきらの頭をぽんぽんと撫でたがそれでも寂しさは消えないらしい。
「………………凶一郎、しばらく会えないなんてやっぱり寂しいよ」
「仕方がないだろう、ほらあんまりのんびりしていると飛行機に乗り遅れるぞ」
「…………うん、じゃあまた2週間後にね」
「ああ」
それから妹弟全員に手を振って空港ゲートからあきらの姿が見えなくなるとその前から挙動不審だった百がおろおろと狼狽え始めた。
「ああ、心配だ……向こうで風邪引かないか?変な輩に声をかけられるんじゃないか?…………ブツブツ」
「貴方心配しすぎ、大丈夫よ
向こうにはお母さんがいるんだし、もしもの事があったら父さんが出てきてくれるみたいだから」
「…………うん、そうだな……」
零に諭されやっとのこさ落ち着いた百に凶一郎はやれやれとため息をついた。
心配症の父だが、海外にちょっと滞在するだけだ、何も心配する事とはないと少し大げさではないだろうかと少し呆れている。
「父さん心配しすぎだ、たかが2週間だぞ?
あっという間に過ぎる、あきらなら問題ないだろう
…………まぁ俺が恋しくて今頃飛行機で泣いてるかもしれない事だけが気がかりだが」
「………………凶一郎冷たいな…………」
「これでも一応心配はしてるんだが?」
凶一郎の言う通り飛行機内で寂しくて泣いているのは事実だったのだが、何も変わらぬ様子の凶一郎に家族全員が冷ややかな視線が集中し肩を竦めた。
だが本人は知る由もない。
百以上に取り乱す事になるとはこれっぽっちも予想していなかったのだから。
翌日、年々少なくなる睡眠時間でもしゃっきりと起床し凶一郎は目覚ましにダークスイートを飲んで居間に下りてきた。
学校がないせいか幾分いつもよりゆったりと過ごせる日はとても珍しい。
まぁ学校が再開すれば元の慌ただしさに戻るだろうが……六美達も夏休み中だ、そして凶一郎も今日一日はオフである。
ここは羽根を伸ばして家族とゆっくりするのもいいか、と今日は何をしようかと頭の中でパズルのように予定を組み立てる。
各々の好みや得意な事を元にスケジュールを組んで早速声をかけようと凶一郎はそれぞれの妹弟の部屋を訪れた。
勿論全員が凶一郎の誘いに乗る……という事はなく、良い返事があったのは辛三と七悪のみだった。
まぁ全員から良い返事が貰えるとは思ってはいないのでそこまでショックはない。(六美を除く)
さて、次はあきらだ。
彼女ならば二つ返事でイエス、と言うだろう。
ただ自分といれば十分幸せ、と肝心の一緒に過ごす方法が決めづらい事が難点だが。
何でも喜んでくれるのは嬉しい事だがこういう時は少々悩ましいものだと思いながら部屋の前に着いてノックをするも返事がない。
おかしいな、と思いドアノブを開くと誰もおらず、そもそもこの家……さしては日本にいない事にようやく気付いた。
「………………そういえば昨日からイギリスだったな」
今頃向こうの空港に着いている頃だろうか。
飛行機での移動時間は約半日を超える、慣れない長距離移動にくたくただろう。
一瞬電話をかけるか迷ったが長旅で疲弊しているかもしれない。
今日はやめておくか、とスマホをポケットに仕舞った。
………………少し、誰もいないこの部屋が寂しく思えた。
それから二、三日が過ぎた頃。
当主としての仕事を普段と変わりなくこなしているといつもより騒がしい我が家の光景に零は口角を上げた。
普段学校に言っている子供達が家にいる事に慌ただしさを感じつつも共に過ごせる事に喜びを噛み締めつつ家事をしているとドタバタと足音を大きくして凶一郎が居間に入ってきた。
「か、母さんっ!!!!」
「凶一郎……?」
かなり慌てた様子で何事かと零が驚く。
凶一郎はかなり取り乱した様子でただ事ではない事を察し零は表情を強張らせた。
今日は特に目立った任務はなかったけれど何かアクシデントでも起きてしまったのだろうか。
凶一郎にとりあえず落ち着くよう声をかけたがあまり耳に入っていないのか、母さん、母さんとかなり混乱しているようだった。
「凶一郎、落ち着いて、何があったの……?」
「っ、あきらがっ」
「あきら……!?何かあったのね、どうしたの?」
「返事が…………届かないんだ!」
「うんうん…………ん?」
恐らく携帯でやり取りの事だと思われるが零ははて、と時計の針を確認しもしや……と原因に気付いた。
しかし凶一郎が見落とすとは考えにくい、と考え込んでいる零に対し凶一郎はわたわたと部屋をぐるぐると回る。
「メッセージを送ったのに1時間しても返事が来ないんだ!!!今まではすぐ返信があったのに既読すらつかないんだ!!」
「凶一郎、あのね」
「何かあったのかもしれない、誰かに連れ去られたとか!」
「凶一郎、落ち着いて」
「落ち着いてなんかいられない!!今すぐにでもイギリスにいかないと……!!!」
完全にパニクっている息子に零は両肩を掴み残酷な事実を告げた。
「あのね、凶一郎……向こうは今夜中2時よ」
「…………………………あ」
そう、現在日本の時刻は午前10時。
あきらが滞在しているイギリスとの時差は約8時間、つまりは向こうの時刻午前2時なのである。
当然就寝中で返事が返ってくるはずがないのである。
灯台下暗しと凶一郎は恥ずかしいのか誤魔化そうと背を向ける、あまりにも簡単な見落としなものだからつい零は笑ってしまった。
「…………母さん、間違えた俺も悪いんだが笑わないでくれ」
「ごめんごめん、凶一郎がまさか時差の事忘れてるなんて思わなくて」
「……昨日までは何時でも返信があったから時差なんてすっかり忘れてたんだ」
「慣れない環境で疲れちゃったのかしらね」
スパイたるもの夜中でも対応しなければならないのが常だが、それでも睡眠は必要だ。
昨日までは眠たくとも凶一郎からメッセージがあれば眠たい瞼を擦って返信を送ってくれていたのだろう。
だがそれにも限界はある、きっと今頃夢の中に違いない。
帰ってきたらゆっくり寝かせてあげようね、と零が言い、ああと凶一郎は答えた。
あきらはまだ帰ってこない。
日本に帰国する日までまだ1週間以上もあった。
カレンダーに✕印をつけてその日が来るのを待つ。
一日の終わりが遠く、長く感じた、せめて仕事をすれば早く過ぎるだろうと思ったがそれでも経過実感は変わらず。
そして次第にあきらからの返信やメッセージ頻度は少なくなっていった。
恐らく向こうでの暮らしや任務が忙しいのだろう、メッセージには、すぐ返事できなくてごめんなさい、とあった。
それはいい、仕方のない事だ。
けれど凶一郎はどこか寂しさを感じつつあった。
日が経つにつれてその感情は大きくなっていく。
………………ああ、早く会いたい。
「お兄ちゃん最近何か元気ないね」
机にべそーーっと上半身をくっつけて項垂れている凶一郎に六美は心配そうに呟いたのが聞こえたのか元気だぞ!とアピールするもそれが空元気なのは皆分かりきっていた。
二刃がちょい、と指でつつけば萎んだ風船のようにソファに倒れ込む。
「こりゃ重症だね、あと一週間で帰ってくるんだ、しっかりしな」
「あと一週間もあるじゃないか…………二刃は寂しくないのか……!?」
「そりゃ寂しいに決まってるよ、でもこれから各々出張が始まったら皆に起こることだ、今のうちに慣れておきな」
二刃は愛用の器を使い静かにお茶を飲んでいる、それに対して自分は腑抜けていないだろうか。
確かに二刃の言う通りだ、夜桜家の長男として妹弟達に情けない姿を見せる訳にはいかない、と背筋を直す。
…………それにしても僅か1週間でこんなにも寂しく思う事になるとは全く予想していなかった。
むしろ父を宥めるとばかり思っていたのである。
それが家族と離れる寂しさだと凶一郎は思い込んでいたが、家族とはまた別の物であると後日気づくのだった。
「お土産たくさん買いすぎちゃった…………うーんっ、荷物が重い……」
買い込んでしまった自分が悪いのだがあまりにも重くなりすぎた荷物を抱えあきらはしくしく心の中で泣く。
それに加えて京子からも零達にあげてと更に色々と貰ってしまった。
「零お母さんはもう着いてるって言ってたけど……誰が来てるんだろう」
零からのメッセージには誰が来るか書いていなかった。
車で待つ零と百を置いて妹弟のいずれかが迎えに来ているらしいが…………
とりあえずこの荷物の一部を持ってくれる人だと有り難い。
「………………凶一郎だったらいいな」
なんて思うも彼は夏休み中も多忙だったはず。
まめにメッセージはくれていたもののあまり電話をする機会は少なかった。
こちらも時間がとりにくいことと気にしなくていいとは言われたが国際電話なのでつい料金を気にしてしまい遠慮してしまった。
声を聞いたのももう1週間以上も前のことだ。
イギリスについてすぐのあの日以来彼の声を聞いていない。
早く会いたいな、とゲートを出てただっぴろいロビーに着くとよく見る黒い背中が目に入った。
見間違えるはずがない、あの背中は………………
「凶一郎!」
「!」
声をかけると黒い背中が振り返る、やはりその姿は凶一郎だった。
迎えに来てくれたんだ、と嬉しくなって重い荷物を抱えてとことこ彼の元へと向かう。
「えへへ、久しぶり、元気だった?
あのね、お土産あるのと……いっぱい話したい事があって……」
「あきら」
「あっ、その前に挨拶だよね、ただいま……」
再会の言葉を言おうとするとくん、と引っ張られ気がつくと凶一郎に抱きしめられていた。
唐突な事に頭が追いつかないあきらに凶一郎は一言。
「遅い、待ちくたびれた」
と文句を言って腕の力を込める。
するとどうしてだろう、先程まであったむしゃくしゃして悲しい気持ちが一気に吹き飛んだ。
と同時に、胸の中に火が灯り、ついた灯りは心を暖める。
暖かくて、甘酸っぱくて、胸がきゅん、と締め付けられて。
それは今までもあった気持ちだけれど凶一郎はこの時初めて気持ちに気付いた。
こんな感情は初めてだ、この気持ちは何なのかと知りたいと、腕の力を強めてあきらに更に密着すると火が更に強く燃える。
どくどくどく……と心臓の音が早くなって体が熱くなるのを感じる。
この感情は一体なんなのだろう……と徐々に熱くなっていく体温が自分の物だけではなくて周囲も熱くなっている事に気づく。
おかしい、夏とはいえ空港内は空調が聞いているはず、エアコンが壊れたか?と見回すと周りの者は特に気にしていない素振りだった。(その代わりこちらを見ていた)
じゃあこの熱いのはなんなのだろうと(あきらを見て、あ、としまったと言わんばかりに慌てて引き離した。
「おい、あきら」
「………………」
当然あきらは急に抱きつかれてたのが原因か顔を真っ赤にして目をぐるぐる回し失神していたのだった。
夏休み終了まであと2週間を切った。
自室でミステリー小説を読んでいた凶一郎はふとこないだの出来事を思い出す。
結局あの感情がなんだったのか分からずじまいだ。
生まれて十数年あんな気持ちは経験したことがない。
正確にはないことはないがあれほど実感した事はなかった。
別に気持ちに名前をつけるとか言語化する理由はないが今この時は無性に気になって仕方がない。
もう一回経験するには……同じ事をする他ないだろう。
しょうがない、トリガーである本人に会いにいくことにしよう。
「あきらちょっといいか」
「?何?凶一郎」
「少し協力してもらいたいことがあってな」
あきらの部屋を訪れて中に入る許可を貰いあきらに近づく。
協力?と首を傾げる彼女の肩を抱き寄せてぎゅっと抱きしめる。
………………ああ、また、だ。
胸が締め付けられて苦しいような痛いようなあの感覚が来る。
そして不思議と磁石のように強く引っ付きたくなってあきらの肩に頭を埋めた。
首元に彼女の毛先が当たり少し擽ったいがそれすらも良く感じる。
……そういえばこうしてあきらを抱きしめるのはこないだの空港での件が初めてかもしれない。
それにしても自分は何故あの時抱きついてしまったのか。
久しぶりに顔を見たら自然と体が動いてしまい気づいたら抱きしめていた。
こうして抱きしめ続けていたら分かるだろうかと思っているとこないだと同じくあきらの体温が上昇していることに気付いた。
ぐんにゃりと力が抜けているあきらに気づき気絶させたまま抱きついているわけにもいかない、とベッドに寝かす。
…………今日も分からなかったな。
翌日、廊下であきらと鉢合わせ今日も感情の名前を知ろうと近づこうとすると、自分の顔を見てあきらが後ずさった。
「………………」
「………………」
一方近づくと一方下がる。
じりじりと歩を進めると反対に離れようとするあきらに凶一郎は眉を上げた。
あまり自分を拒否らない彼女に遠ざけられているようで胸にわだかまりが残る。
「何で遠ざかる」
「だ、だって……今から、は、ハグしようって考えてるよね……?」
「そうだが、それの何が悪い」
「っ、だ、駄目……!とにかく!駄目!」
駄目駄目と抗議するあきらに凶一郎はむっとした様子で再び足を進めた。
じりじりと壁に追いやられていくことを察知したのか、あきらは窓を開けて外に逃げていく。
そうか、それならと凶一郎は鋼蜘蛛を取り出し彼女の逃げ先を読んだ。
逃げようとするなら捉えるのみだ。
当然凶一郎から逃げられるわけとなくあっさりとあきらは捕まってしまった。
「ふふふ、捕まえたぞ!!」
「は、離してぇ…………」
誇らしげに勝ちを喜ぶ凶一郎に対しあきらはこれから起こるであろう事態を予測し子犬のように震えている。
だが凶一郎は聞く耳をもたず、当初予定していた通りあきらの体を抱きしめた。
ぎゅうっと鋼蜘蛛を巻いたまま腕の中に収めるとまたあの感覚が来る。
ずっとこのまま抱きしめていたい……と思っていると頭を凶一郎の体に押しつけなんとか体を引きはなさそうとしているあきらに気づく。
それが嫌いと言われているみたいで暖かい気持ちがどこかにいった。
「……………………そんなに嫌か、俺に抱きしめられるのは」
「えっ、そ、そんな事ない……けど…………」
「じゃあなんで逃げる、嫌がるんだ」
「そ、それは………………」
あきらはもじもじと指を交差し頬を赤らめる。
少し黙った後正直に自分の思いを告げた。
「…………凶一郎に抱きしめられると恥ずかしいというか緊張っていうか…………嫌ってわけじゃないんだけど……ほ、ほら、私、気失っちゃって迷惑にもなるし、その、えっと」
「…………………………」
凶一郎にも申し訳ないし、は、恥ずかしいし……と更に真っ赤になるあきらを見て凶一郎はたまらず再び抱きしめてしまった。
あきらは湯気が出そうなほど真っ赤にして、さっき理由を言ったのになんでー!?と目を白黒させている。
凶一郎は悪い……と体から離れたものの何で抱きしめたくなったのか未だ理由が分からないままだった。
それどころか感情を確かめるというよりは先ほどの行動は抱きつきたくて抱きついたように思われる。
自分でも自らの行動に驚いていたのだがそれは向こうも同じようで。
鋼蜘蛛の拘束を解かれたあきらは以前から気になっていた疑問を聞いた。
「凶一郎は何で私を抱きしめようとするの……?前まではそんなのなかったよね……?」
「………………分からん」
理由を聞かれたものの当の凶一郎でさえ理由にピンときていなかった。
理由を解説されなかったが、困っているのは凶一郎もなんだ、とあきらは思い自分なりに原因を考えてみる。
うーーん……とここ最近の様子を思い浮かべていたあきらはあ、ととある事を思い出した。
「そうだ、きっとオキシトシン?が足りないんだよ
ハグするとオキシトシン?が出て安心感とかなんとか聞いた気がする」
「………………何だ急に」
「ここ最近だけど凶一郎、六美ちゃんにハグするの止められてるでしょ?」
「ああ、母さんが止めろって、六美からも嫌がられるしな」
ここ1年ほど前のことだ、六美に抱きつこうとして。
いい加減やめなさい、と零にハグ自体を禁じられているのである。
理由は六美が思春期に差し掛かろうとしているからなので、凶一郎としては止められてる理由も理解はしているが納得は出来ていないし今もハグしたいと思っている。
「………………つまり六美とハグ出来ていなくて欲求不満だと?」
「うん」
「………………辻褄はあうが、その矛先があきらに向いているのを知られたら更に怒られそうだな……」
「私は別に構わないんだけど……」
あきらの呟きに凶一郎は驚愕する、あれほど嫌、嫌と言っていたではないかと怒るとあきらは慌てて訂正した。
「ぜ、全然嫌ってわけじゃないから……!
その度に迷惑かけちゃうのが嫌って理由だけで…………
ちょ、ちょっぴり……なら……大丈夫、だよ……」
だから時々ならハグしてもいいよ、と微笑まれ凶一郎はまた抱きついてしまったのだった。
「なぁ七悪」
「なぁに?凶一郎兄ちゃん」
「兄ちゃん、嫌五に唐突で悪いんだがハグしてもいいかって聞いたんだ、そしたらあいつ何て言ったと思う?」
「うーーん、寒気がする?とか?」
「ちょっと違うな、正解は……キショいだ!………………七悪ーー!!!弟が冷たい!!!!」
「よしよし」
ああ、末っ子の弟はこんなにも優しいなぁ………………
もちもちの七悪を抱きしめ幸福感に包まれる。
やはり七悪だ、妹弟の中でも七悪は特に俺に対して毒を吐かない。(次点で辛三)
何より背が小さくてカワイイ、とくっついているとピピピ、とアラームが鳴る。
「あっ、時間だ、お兄ちゃん、また今度ね
お代の薬、絶対飲んでね」
「ああ、七悪必ず飲もう」
「じゃあ僕は部屋に戻って薬の実験してくるから」
かぽっとバケツを被り七悪はみるみるうちに自分と同等くらいの身長にまで背が伸び体つきがゴツくなった。
年々体格が増しているような………………いや、どの姿の七悪も愛しい弟には変わりない。
この姿の七悪だって好ましい……だが、やはり凶一郎としては小さい方が収まりがいいし何よりカワイイ。
そして素直な七悪でさえハグの対価は実験薬だった、悲しいかな。
さて七悪で分かった事だが、自分は特に弟達にわさわざハグしたいと思ってはいないらしい。
小さい姿の七悪なら多少効力はあったが、やはり弟とはいえ成長した今では少し抵抗がある。
かと言ってOKを貰ったあきらに頼りきりでは彼女がまたダウンしてしまう、どうしたものか……と自室で考え込んでいるとこんこん、とノックがあった。
誰が来たのか?と思い扉を開くと扉を覆い尽くすほどどデカいクマのぬいぐるみが目に映って思わず面を食らう。
戸惑っているとぬいぐるみの横からひょっこりあきらが現れた。
「何だお前か」
「えへへ、驚いた?」
「なんなんだ、これ」
「クマのぬいぐるみだよ?」
それは見れば分かる、俺が聞きたいのは何でわざわざ俺に見せにきていることなんだが。
まぁだいたい彼女の言おうとしていることは予測出来るが。
「…………要するにぬいぐるみで代用が出来ないか、ということだな?」
「うん、そうそう、ぬいぐるみでもほっこりするらしいよ、ほら」
ぬいぐるみに抱きつきながらクマの手を動かし満面の笑みで実行してみせるあきらを見てまたハグの欲求が湧き上がる。
さっき七悪成分を摂取したばかりだというのにもう尽きたのかオキシトシンは。
では早速ぬいぐるみで代用出来るか試してみるとするか。
あきらからクマのぬいぐるみを受け取りベッドにぬいぐるみごと倒れ込む。
大きなクマのぬいぐるみに抱きついてみたが。
「……………………いや普通に変化ないな」
むくりと起き上がってぬいぐるみから手を離す。
毛糸の感触がするだけで心が満たされるとか、特に変化はなかった。
そりゃあ何もないよりはましだろう、だがそれ以上にじき大人に差し掛かろうとする自分がぬいぐるみに抱きついているのを想像するだけで小っ恥ずかしい。
あきらには悪いがぬいぐるみはなしだ。
あいつに返してくるか、とぬいぐるみに視線を移してそういえば毛糸の色があきらの髪の色と同じ茶色だなと気づく。
たまたまなのかそれとも意識してこの色にしたのか、持ち上げようとしたまま凶一郎はぬいぐるみと向き合った。
思い浮かべるのはやはりあきらの笑顔だった。
先程やり取りした会話が浮かび上がる、表情がころころと変わりあの光景を。
胸がきゅっと痛くなった。
思わず胸に手を当てると心臓は早く動いていた。
そう、あの感覚だ。
そしてふと脳裏に過る、このぬいぐるみをあきらと思えばいいのでは、と。
そう思い抱きつけば胸の窮屈さが更に増したところで凶一郎は勢いよくクマのぬいぐるみから離れる。
理由は一つ、散々探していた感情の名前の正体が分かりつつあったからだ。
「………………いやいやいや」
浮かんだ言葉を消す、そんなバカな、はずがない。
相手がどうこうというより自分がそんな物に左右されるなど想像したことがなかった。
でも予想が当たれば弟やぬいぐるみを抱きしめても関係がなかった説明がつく。
ないないない、と否定する中かっと体温が上がっていく。
じゃあ今まで俺は。
あんなにあきらに抱きつきたかったのは、衝動があったのは。
ずっと無自覚だった感情をはっきりと自覚する。
だってもうあきらに抱きついていないのにも関わらずずっとあれに苛まれている。
ずっと眠っていたのにどうやら目覚めてしまったらしい。
「いやだから、それはない」
否定すればするほどその思いは増していく。
明日からどんな顔をして会話をすればいいんだ…………と凶一郎は頭を抱えたのだった。
