君の一番になれたら
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空っぽな奴だな、と一目見た時思った。
初めての任務は先輩とやらのサポート。
なかなか戻らない一つ上の先輩の様子を見てきてくれって行った先、そこには雑魚にやられてボロボロな女の姿。
生きてはいたらしく雑魚を祓えば傑に手を借り、硝子に治癒され礼を言うわけでもなくゆっくり身体を起こす女は俺を見上げ手を伸ばした。
あ、空っぽ。
頭を過ったのは女の目がガラス玉みたいに全て映っているはずなのに何も見えていなかったから。
此方の世界で生まれ育った欲に利用され諦めきった瞳だった。
欲に濁ることも、足掻くわけでもなく……諦めて受け入れてしまった奴の目。
伸ばされた手が一瞬、助けを求めているように見えたのに次の瞬間その指先は俺じゃない方向を向いた。
「………こども」
「子供?」
「あっち……」
指差した方向に顔を向ける。
歩いて行けば崩れた瓦礫の下、ダラリと力無い小さな腕があった。
生きていないことを確認し、ありのままを伝えれば何も感じることの無い無機質な表情のまま小さく息を吐く姿。
そのまま何事もなかったように傑に支えられながらフラフラした足取りで戻る女。
気にしていたくせに、何も無いのかよ。
助けられなかったと偽善者になれと言う訳じゃないが、割り切った冷たさに薄気味悪く感じた。
苗字 名前 たった一人の高専2年。
のちに寮宛に届いた手紙の中から苗字家という弱小であろう聞いたことの無い一族の当主から手紙が届くようになった。
その他にも釣書は届くが苗字と聞いて手に取ったのはあの女と同じ苗字だったから。
内容はクソそのもので下心しかないもの。嫁にしてくれだの、妾にしてくれだの、娘を好きにしていいから目をかけてくれだの……胸糞悪い。
一枚読まずにゴミ箱へ捨て、その後見ることは無かった。
同じ苗字だからといって繋がりがあるわけじゃないと願いつつ女の事を軽く調べれば糞な手紙の送り主の娘でガッカリした。
あの女にも親から俺に取り入れだの似た内容が届いているなら近い内媚びてくるであろうと予測がつく。
万が一に備えて傑や硝子には伝えた。俺に取り入ろうとするならば傑は一般家庭出身だから見下すであろうし、硝子は数少ない他者へ反転術式を施せるから手出しは出来なくても蹴落とそうとすればやり方は選ばないはずだ。
何をするかわからない。
姑息で陰湿で汚ならしい雑魚。
どう、手酷くフッてやろうか。
どう、傷付けてやろうか。
どう、泣かしてやろうか。
俺の大切なものに手を出そうと企むのなら此方が牙を見せても何も言えないだろう。
少し脅せば大人しくなる。
そう、考えていたのにあの女はいつまでたっても近付いてくるどころか傑や硝子の前にすら姿を見せていないらしい。
「悟」
「何?」
モヤモヤしていれば夜蛾先生に引き止められた。
「あまり名前に敵意を向けてやるなよ」
「はぁ?向こうが糞みてーな手紙送り付けて来てんじゃん」
「家が全てではない」
お前ならわかるだろう?なんて言葉で諭すように言われれば納得はいかないものの思い当たるものはある。
だからと言って家の言いなりに生きるような腐りきった奴に敵意を向けるな、なんて無理な話だ。
久々に女と会ったのは相変わらず胸糞悪い娘を売るような気持ちの悪い手紙の内容が届いてすぐだった。
ボーッと一人、人気の無いベンチに座って空を見上げていた女。
何も映していない瞳は空っぽで、空に手を伸ばしていた。
姿を見れば何を腹に隠しているのか、何を考えて何もしないのか意図がわからず腹が立つ。
こんな弱い奴に警戒しなきゃいけないなんて。
文句の一つでも言ってやろうと近寄れば……泣いて、たんだ。
本人は気付いてなかった。
全てに諦めた顔をしながらも、空という何かに手を伸ばし、感情の全てを押し込めきれず零れた一筋の涙。
「どこ見てんの?」
気付けばその涙を近くで見たくなった。
空っぽな奴が流す涙の理由が知りたくて覗き込んだのに、相変わらず無気力な無表情。
涙の跡はあるのに泣いたのは見間違えかと思うほど。
空を見ていたという女。
楽しく無いと言うのに俺の瞳を食い入るように映す瞳はやはり空っぽ。
「楽しくないもん見てて何になんの?」
綺麗だ、と口にしながらそんな事思っていなさそうな回答。
ありきたりだな、なんて思っていたら
「羨ましくて、憎らしくなるよ」
初めて。
子供が死んだ時も、俺を見た時も、今すら何も考えていなさそうで考えることすら放棄していたくせに。
初めて、空っぽな瞳から明確な意思を感じた。
怒り?
憎しみ?
憧れ?
ぐちゃぐちゃと様々な負の色を圧縮したように瞳が濁ったのに……それもすぐに消えて、また空っぽに。
一瞬の事だったので見間違えたかと思ったが、女は瞳を逸らして人の良さそうな笑みを貼り付けた。
「学生生活は楽しいかい?」
「………親戚のババァかよ」
「おや、すまない。そんなつもりは無かったんだが」
「楽しいわ。クソみてーな家の縛りも無ければ好きなお菓子食って好きなゲームしてられっし」
「そうか」
「………友達がいるし」
テンポの良いズレた会話。
何話てんだ、俺。
傑や硝子の事を友達だと思っていることを口にして恥ずかしくなる。マジで何話てんだ。
同期ではなく友達か、と馬鹿にされてんのかと睨み付けたら女は笑った。
「いいことだね」
寂しそうに。
悲しそうに。
羨ましそうに。
言葉と感情を飲み込んで笑う姿は憐れで悲しくて可哀想になった。
「ツマンネェ人間だな」
あぁ、コイツは呪術界の被害者なんだって。
逃れられない家の言いなりとなり、いつかはコイツも家に染まるのだろう。
そして子を産む道具となり、子へ引き継がれ…抗わず死んでいく呪術界の生きた道具だ。
「気持ち悪ィ」
なぜ、戦わない?
なぜ、歯向かわない?
なぜ、なぜ、なぜ…
従わなければいけない理由などないのに。
自分の道を親に用意され、親の家の道具とされ怒りがないのか。
俺に向けれた一瞬だけども禍々しい感情があるくせに、それを封じ込めていけるとでも?
「アンタ、なんのために此処にいんの?」
俺に向ける事が出来たのに。
「悪足掻き」
「ふーん」
「君も家から出たくて此方に来たんだろ」
「関係ねぇじゃん」
「此処に逃げてもいずれは戻らなきゃいけない。
束の間の非行みたいなものさ」
ゆらゆら揺れている。
悲しみ、憧れ、虚無、絶望。
どれもいい感情ではないものの、無気力な表情が少しだけ人間らしくなる。
「普通を体験してみたかった」
普通、というものがどんなものか俺にもわからない。俺達はいつだって非日常に生きていて望んだところで普通から遠ざかってしまう。
どんなに普通に振る舞っても、それは呪術側の"普通"であり……どう足掻いても"一般的な普通"にはなれない。
「長年腐って生きてきたせいで身に付いた諦め癖が抜けず、普通がわからない」
吐き捨てるように自身を嘲笑う。
面倒そうにまた表情を失くす女。
腐った自覚があり、諦めながらも足掻こうとしていたらしい女はちぐはぐに見えた。
可哀想な奴。
逃げるようにベンチから立ち、ポケットを漁りながら歩いていく。
硝子の吸うものとは違うが煙草を取り出し火をつけ煙を吐き出す姿は似合っていないのに、何故か目を惹いた。
広がる煙は確かに煙草臭いのに……硝子みたいにキツイ臭いではなく、甘くて優しい匂いがした。
「なにその匂い」
思わず追いかけて近付いて嗅いでしまう。
煙草に種類があるのは知っていたが、こんな香りは初めてだった。
匂いにつられて思わず近付けば思っていたよりも小さな背。硝子よりは高そうだけど小さいな、なんてつむじの見える頭を見ていたら無表情を崩して本当に訳がわからないとでも言い出しそうな程困惑した顔を見せた。
「君……私に興味失くしたんじゃないの?」
「………気持ち悪ィ、とは思ってる」
「改めて言われると傷付くよ?一応」
「けど、オマエ……俺に興味無ぇじゃん」
「んん?」
「俺の家に取り入ろうとか無ぇし。
人形みたいで気持ち悪ィとは思うしツマンネェ生き方してんなとは思うけど」
「遠慮というものを知らないな?」
「こっちの世界で遠慮なんかしてたら楽しい事も楽しめ無いだろ。
やりたいことをやりたいようにして何が悪い?」
さっきも思ったがこの人話しやすいな。
傑みたいに本音と建前を隠したり出したりして煽りや癖のある嫌味な感じもなく、硝子みたいにバッサリと落とすわけでもない。
どちらかといえば夜蛾先生に近いものを感じる。
「アンタ、苦しくねぇの?」
だからこそ、聞いてみた。
「苦しいよ」
なんてことない、とでも言うように帰って来た言葉には何の感情も無かった。
「苦しいけれど……私には選ぶ事など出来ない」
そう言って笑ったこの人は
笑っているのに俺を睨み付けていた。
「ほっといてくれ」
煙草を口にしながら、俺に敵意を向けている。
自覚しているのか、無自覚なのかわからないが……俺が思っていたよりずっとこの人は子供で、自分を押し殺すのが下手くそなんじゃないかと感じた。
ゾワゾワと背中がムズムズした。
傑とも、硝子とも、夜蛾先生とも違う俺を見てくれる人。
だとしたら彼女自身もまた……俺と理由は違っても自身を見て欲しいんじゃないかって思った。
「へぇ。人っぽい反応出来るじゃん」
「悪趣味」
「頭の悪ィクソみてーな手紙送られて来たから文句言ってやろうと思っただけだし」
「頭の悪い親の遺伝子から産まれたので由緒正しきご子息様の気分を害してしまい大変申し訳ありませんでした」
「止めろよ。血筋とか家柄とか興味ねぇっつーの」
隠そうともせず俺にハッキリと嫌悪感を見せ始めた。
家の事を出せば気まずそうにしているあたり、多分何かしら家から言われているのに俺へ近付かなかったのはこの人も抗おうとした結果なのかもしれない。馬鹿の一つ覚えのように言いなりになるだけの奴かと思っていたが違ったようだ。関わりたくない、とでも言うように俺の目の前で俺の興味を惹いた煙草を踏み潰す姿は苛立っていてその姿がまた似合っていなくて笑ってしまう。
この人は酷く不器用なのかもしれない。
諦めているのに足掻こうとして足掻ききれず。
諦めたくないのに行動出来ず。
感情があるのに無理矢理押し込めて何でもないふりしながら、感情を抑えきれてない。
ちぐはぐで、不器用な人。
「生き方下手くそなアンタに俺が楽しいこと教えてやるよ」
「……は?」
「まずは後輩との交流だな!」
無理矢理連れていったのは俺らの教室。
傑と硝子としていたトランプはそのままだったのでもう一回と何事かわかっていないこの人を座らせた。
訳がわかっていない2人も、とりあえずこの人の人となりを見極めようと思ったのか何事も無かったようにトランプを始める。
ルールを知らないこの人は傑と硝子に容赦なくボコられていた。
コイツら容赦無いよな。俺もさっきルール知ったのに容赦なくボコられたから。
罰ゲームだと飲み物を頼めば煙草を吸いながら出ていった。
「で?
煙たがっていた相手を連れてきた理由は?」
「あの人面白いぜ」
「初対面よりはまあ……硝子は寮で会わないのかい?」
「ほぼ会わないよ」
「へぇ。あまり高専にいる姿を見かけないから忙しい人なのか?」
「さーな。嫌味の一つでも言って泣かしてやろうかと思ったんだけどさ、スゲェ面倒臭い拗らせ方してるが話しやすいちぐはぐな奴だったわ」
連れてきてみた、と溢せば傑も硝子も何言ってんだと言い出しそうな顔をしていた。
戻って来たあの人は全く希望通りに買って来てくれなかった。文句を言えば飲むなと苛立ちを隠しもしない。
傑も硝子も考えていたものと違う印象に驚いていた。
家の道具だと受け入れながらも、大人しく道具となりたくないから高専に居るのだろう。
高専なら否応なしに任務が舞い込む。死ぬ気は無くても、死を感じる場所に身を置くことで生きている自分を保つ。
そして家では叶えられない"普通"を願う。
この人なりの悪足掻きだ。
面倒臭そうに、苛立った様子で俺らの相手から解放されたいとでもいう雰囲気を出している。
いつの間にやら教室は夕焼けに照らされてオレンジ色が差し込んでいた。
その夕焼けをやはり寂しそうに見ている姿は、放っておくとすぐに死んで消えていきそう。
掴んでいなきゃ消えそうで……掴まずにはいられなかった。
「楽しい?」
「……無理矢理連れて来られてゲームに負けて奢らされ、文句を言われたら五条は楽しいのか。それはいいことを知ったよ」
「根に持つじゃん」
悪態をつく余裕はあるのに。
消えそうな雰囲気は消えていない。
空っぽな奴から、消えそうな奴となった。
それから気が向けばあの人の元へ足を向けた。
あの人の仮面を崩したくて悪戯したり、遊びに捕まえた。
呆れた顔をするようになった。
仕方ないな、という顔をするようになった。
笑ってくれるようになったのに……なかなか仮面は崩れない。
「楽しいよ」
そう言ってくれるし、微笑んでくれている。
けど、その瞳は消えそうな色が残ってる。
楽しい、という言葉に嘘は無いだろうがこの人はそれで満足している。
もっと、と意欲が無く大切な思い出にして終いこむように。
「……また、空見てる」
やめろよ。
いつもいつも、その日の終わりに空を見上げ目に焼き付ける姿は腹が立つ。
最期に見るのが空で思い出に浸るなんていつでも死ぬ準備が出来て覚悟が決まっている姿は楽しくない。
「五条の思う"楽しんでいる私"にはなれないよ」
その言葉の意味を理解していても、この時の俺はあまり深刻には考えていなかった。
何時家に戻されても不思議じゃないのだろう。だからこそ、この人は毎日を心に刻むように生きる。
一緒に過ごす内に柔らかく笑うようになった。
時々大口開けて笑う姿が見れるほど打ち解けてきたら傑や硝子も懐いていた。
その分、垣間見せる死を受け入れている覚悟の瞬間が嫌いになった。
寂しそうに笑うな。
悲しそうに認めるな。
欲しがれよ。
何度も伝えたのに、頑固なこの人は認めてくれない。
"楽しんでいる私"になれない。
その本当の意味を理解したのは怒鳴り散らす訪問者を見た時。
遠目だったが、頭の低い男と老人があの人の目の前に立っていた。老人は辺りに響き渡るほど怒鳴っていて、それを受けて平然としているセンパイは興奮した老人に殴られていた。
傑と共に割り込もうとしたが、硝子に止められる。
止めるな、と言いたかったのに聞こえてきたのは信じがたい事に老人がセンパイの婚約者だという事。
喚いていなくなった老人と男を黙って見つめるセンパイは表情が無くなっていて空っぽで。
硝子だけが動いてセンパイの手を取り医務室へ。
俺も傑も何も出来る事は無いがあんな光景を見て心配する気持ちはある。
医務室の外で待っていればセンパイと硝子が入って来て、硝子が手当てを始めた。
楽しめない理由。
受け入れている理由。
諦めている理由。
「私の物語に正義は無い」
その一言にどれだけの重みがあるのか。
「……ごめんね。私にはこの道しかないから」
優しい声なのに。
優しくない言葉。
当たり前にある風習。
家の中での格差。外での格差。
媚を売るために子供を差し出す親なんて当たり前。
「親に恵まれなかったと嘆くより
己の立場を理解して、己の立ち位置を理解して」
抗え、なんて言葉……
この人には響かないはずだ。
「早く終わることを願うんだよ」
人生の終わりこそ解放だと信じている。
生きたいと願っているのに、終わりを望む。
誰かがこの人に生きる理由を与えない限り、この人は生きながら死んでいく。
そして死の瞬間、笑って逝くのだろう。
俺が婚約者の問題を解決したところでセンパイは喜ばない。
センパイ自身が生きたいと強く思ってくれなきゃ、家に反抗してくれなきゃ意味がない。
どうしたら、この人に生きる意味を与えられるのか。
そんなことばかり考えてしまう。
この気持ちを言葉にするには認めたくなくて誤魔化した。
センパイが死にたがりだからって事にして。
アレコレ考えて、手っ取り早く恋仲にでもなって俺に依存でもしてくれたら……。
安易な考えだと馬鹿にされても仕方がないくらい焦っていたんだと思う。
センパイには時間が無い。
婚約者に逆らえないであろう父親が俺が駄目だと判断したら早めにセンパイを売るかもしれない。
胸糞悪くてもセンパイが老人の内に堕ちるのを食い止められるのならば、と提案した恋人ごっこ。
勿論センパイは頷いてくれなかった。
覚悟の決まっている相手に持ちかける内容ではなかったにせよ……時間が無い。
上手くいかない計画にモヤモヤしてしまう。
「悟、素直になりなよ」
「はぁ?何が」
「回りくどい事せず苗字先輩と話すんだよ」
傑が馬鹿にしたように笑う。
最近センパイと一緒の任務になっているから何かしら話したのだろう。
俺には言わないのに傑には話すセンパイに腹が立つ。
「そんな睨まなくても取らないよ。
ただ、相談されただけ」
「………」
「悟がゲーム感覚で恋愛しようとする事があまりいい気分じゃなさそうだった。一夜の相手ならまだしも、この先も一緒に居たいと思うならちゃんと話さなきゃ」
「ウルセェっつの」
恋愛なんてしたことがない。
いつも下心を持って寄ってくる奴らばかりなんだから。
漫画のような恋愛なんて夢物語。
誰もが同じように幸せに終わることなんて無い。
傷付かないための予防線くらい作っていてもいいじゃないか。
この先、なんてわからない。
わからないけど……センパイが老人の妻としていいようにされるのは嫌だ。
だからと言って他の男ならいいかと問われるとそれも嫌だ。
誰も信じられない、信じたくない中高専に来てやっと信じたいと思える友が出来た。
無条件でありのままを受け止めてくれ、ぶつかってくれる傑と硝子。
「悟。世の中の恋愛は何がスイッチかわからない。決まった答えなんて無いんだよ」
「………」
「キミが"変わって欲しい"と思う彼女への気持ちがまだ完成されたものでなくとも
"他の男に渡したくない"と思った時点で」
傑の笑う顔が憎らしい。
認めろ、とでも言うように正論をぶつけてくる。
ウルセェ、わかってんだよ。
センパイに生きる理由を作りたい、生きるきっかけを作るなんて建前で。
ガラス玉みたいな瞳に宿った一瞬の負の感情を見せたあの日のように。
空っぽなあの人を埋めるのが俺であればいいのに、なんて。
子供みたいな独占欲をセンパイに向けて、答えてくれる可能性の低さに自信が無かった。
でも
渡したくない。
俺を見て欲しい。
俺を愛して欲しい、なんて欲をぶつけて引かれるのが怖くなったなんてダセェ事言えやしない。
「うまく行かなかったら傑のこと消し飛ばすからな」
「早く行っておいで」
センパイの部屋の下。
女子寮には入れないから部屋の外の窓に待機していれば、煙草を吸うために窓を開けたセンパイ。
相変わらず俺がセンパイをからかって遊びだと思われている好き、の言葉は受け入れて貰えない。今までは遊びだった。本気じゃなかった。
でも、今からは違う。
「センパイが俺を愛せないなら、俺がその倍愛すから。
センパイの弱さも、悲しみも、欲も、喜びも全部俺に頂戴」
全部欲しい。
「今のセンパイを俺に頂戴」
俺の言葉に頷いてくれなかった名前の唇を奪っても名前は泣きそうになるだけで頷いてくれなかった。
無理矢理恋人という位置に置く俺の自分勝手さに怒るわけでも拒絶するわけでもなく、受け入れた名前。
最低だと言われても、無理矢理なところが婚約者や名前の家と変わらないと言われようと手放せる気にはなれなかった。
遊びではないことを証明するのは骨が折れそうだったが…言葉に、態度に、行動に出して俺なりの精一杯の愛情表現を行った。
俺にとって、名前のいる世界で笑えたことは幸せだった。
傑がいて、硝子がいて、後輩らがいて、先生がいて。
高専は俺の欲しかったものがギュッと詰め込まれた宝箱のよう。
……名前にとっても同じであれば良かったのに。
俺の見る未来にオマエがいなくて恨んだこともあった。
なんで?どうして?って何度問いかけても答えてくれる名前はいない。
変わらなかったはずだった。近寄れたはずだった。あとは周りを認めさせればいいはずだったのに。
灰原がいなくなり、傑がいなくなり、名前がいなくなり、七海もいなくなっていった。
残ったのは硝子と俺だけ。
問い掛けても、俺が欲しい答えをくれる人はいなかった。
なのに
なんで、、、
「悟。先輩は元気だよ」
「………は?」
百鬼夜行を決行すると宣言しに来た傑はにっこりと笑って言った。
僕の生徒達は傑の呪霊に囲まれている。
僕が傑を理解しているように、傑も僕を理解しているからか余裕そうに笑っている。
「お前が手引きしたのか」
「目指すべき思考は違えど、彼女も私の家族さ」
「傑」
「怖いねぇ。そんな気を高ぶらせるなよ」
"あの人の意思だよ"
そう言い残して消えた傑。
先輩の行方を探したものの、あの人はフラりと存在を出したかと思えばふわりと消えていく。
呪力も極僅かで駆け付けても後手に回っている。
消えかけた残穢と地獄のような黒くこびりついた空間と息途絶えた人が無数に転がる。
血縁関係かと定めた時には既に遅く、ほとんどの彼女の血筋は途絶えていた。
かと思えば関係無さそうな上層部を狙ってみたり。
彼女の目的も意図もわからないまま。
一番最初に殺されそうな元婚約者は生きているし。
ねぇ。何考えてんの?
記憶力には自信があるのに。
僕はもう
彼女の声も
温もりも
態度も
全て思い出せなくなってるんだ。
けど
キミが今も僕を想ってくれている自信だけはある。
あの傑がわざわざ僕に言うくらいなんだから。
自慢のように、煽るように、自分の家族だといいながら思想は違うと言った。
傑とは別の目的がありながらも、都合がいいから傑と行動をして、傑も受け入れている。
一緒に行動するのは傑が情報を持っているから。
傑も彼女がいると何かしら得する事があるのだろう。
「名前のバカ。なんっもわかんねぇーよ」
目を閉じて思い出せるのは
空を寂しそうに見上げる横顔だけ。
「次だ。次こそ手に入れる!!」
建物の隙間から血だらけで片腕を失くしても野望を口にしている友がいた。
「遅かったじゃないか、悟」
諦めたかのようにその場に座り込む。
「君で詰むとはな。家族達は無事かい?」
「揃いも揃って逃げ果せたよ」
僕が生徒達を送り込んだ事を優しくないと言うが、どっちがだよ。
殺さなかったくせに。
僕の信用に答えたのはオマエだろ。
渡された憂太の学生証。
「何か言い残すことはあるか」
「………誰がなんと言おうと非術師は嫌いだ。
でも別に高専の連中まで憎かったわけじゃない。
ただ、この世界では私も先輩も心の底から笑えなかった」
先輩、ね。
「傑、」
僕にとってオマエはーーーーー
「はっ、最期くらい呪いの言葉を吐けよ」
笑う傑へ印を組む。
「わぁ」
聞こえる声は知らないはずなのに
懐かしくも心を揺さぶられ、締め付けられる声。
「ボロボロだね、夏油」
クスクスと笑う声がする。
「……来ちゃったか」
「言ったでしょう?"止めるな"って」
カツカツとヒールの鳴る靴音。
あの頃よりも柔らかく、明るい声。
「やぁ、悟。久しぶり」
あの頃より楽しそうに。
あの頃より幸せそうに。
あの頃より綺麗になった名前がいた。
初めての任務は先輩とやらのサポート。
なかなか戻らない一つ上の先輩の様子を見てきてくれって行った先、そこには雑魚にやられてボロボロな女の姿。
生きてはいたらしく雑魚を祓えば傑に手を借り、硝子に治癒され礼を言うわけでもなくゆっくり身体を起こす女は俺を見上げ手を伸ばした。
あ、空っぽ。
頭を過ったのは女の目がガラス玉みたいに全て映っているはずなのに何も見えていなかったから。
此方の世界で生まれ育った欲に利用され諦めきった瞳だった。
欲に濁ることも、足掻くわけでもなく……諦めて受け入れてしまった奴の目。
伸ばされた手が一瞬、助けを求めているように見えたのに次の瞬間その指先は俺じゃない方向を向いた。
「………こども」
「子供?」
「あっち……」
指差した方向に顔を向ける。
歩いて行けば崩れた瓦礫の下、ダラリと力無い小さな腕があった。
生きていないことを確認し、ありのままを伝えれば何も感じることの無い無機質な表情のまま小さく息を吐く姿。
そのまま何事もなかったように傑に支えられながらフラフラした足取りで戻る女。
気にしていたくせに、何も無いのかよ。
助けられなかったと偽善者になれと言う訳じゃないが、割り切った冷たさに薄気味悪く感じた。
苗字 名前 たった一人の高専2年。
のちに寮宛に届いた手紙の中から苗字家という弱小であろう聞いたことの無い一族の当主から手紙が届くようになった。
その他にも釣書は届くが苗字と聞いて手に取ったのはあの女と同じ苗字だったから。
内容はクソそのもので下心しかないもの。嫁にしてくれだの、妾にしてくれだの、娘を好きにしていいから目をかけてくれだの……胸糞悪い。
一枚読まずにゴミ箱へ捨て、その後見ることは無かった。
同じ苗字だからといって繋がりがあるわけじゃないと願いつつ女の事を軽く調べれば糞な手紙の送り主の娘でガッカリした。
あの女にも親から俺に取り入れだの似た内容が届いているなら近い内媚びてくるであろうと予測がつく。
万が一に備えて傑や硝子には伝えた。俺に取り入ろうとするならば傑は一般家庭出身だから見下すであろうし、硝子は数少ない他者へ反転術式を施せるから手出しは出来なくても蹴落とそうとすればやり方は選ばないはずだ。
何をするかわからない。
姑息で陰湿で汚ならしい雑魚。
どう、手酷くフッてやろうか。
どう、傷付けてやろうか。
どう、泣かしてやろうか。
俺の大切なものに手を出そうと企むのなら此方が牙を見せても何も言えないだろう。
少し脅せば大人しくなる。
そう、考えていたのにあの女はいつまでたっても近付いてくるどころか傑や硝子の前にすら姿を見せていないらしい。
「悟」
「何?」
モヤモヤしていれば夜蛾先生に引き止められた。
「あまり名前に敵意を向けてやるなよ」
「はぁ?向こうが糞みてーな手紙送り付けて来てんじゃん」
「家が全てではない」
お前ならわかるだろう?なんて言葉で諭すように言われれば納得はいかないものの思い当たるものはある。
だからと言って家の言いなりに生きるような腐りきった奴に敵意を向けるな、なんて無理な話だ。
久々に女と会ったのは相変わらず胸糞悪い娘を売るような気持ちの悪い手紙の内容が届いてすぐだった。
ボーッと一人、人気の無いベンチに座って空を見上げていた女。
何も映していない瞳は空っぽで、空に手を伸ばしていた。
姿を見れば何を腹に隠しているのか、何を考えて何もしないのか意図がわからず腹が立つ。
こんな弱い奴に警戒しなきゃいけないなんて。
文句の一つでも言ってやろうと近寄れば……泣いて、たんだ。
本人は気付いてなかった。
全てに諦めた顔をしながらも、空という何かに手を伸ばし、感情の全てを押し込めきれず零れた一筋の涙。
「どこ見てんの?」
気付けばその涙を近くで見たくなった。
空っぽな奴が流す涙の理由が知りたくて覗き込んだのに、相変わらず無気力な無表情。
涙の跡はあるのに泣いたのは見間違えかと思うほど。
空を見ていたという女。
楽しく無いと言うのに俺の瞳を食い入るように映す瞳はやはり空っぽ。
「楽しくないもん見てて何になんの?」
綺麗だ、と口にしながらそんな事思っていなさそうな回答。
ありきたりだな、なんて思っていたら
「羨ましくて、憎らしくなるよ」
初めて。
子供が死んだ時も、俺を見た時も、今すら何も考えていなさそうで考えることすら放棄していたくせに。
初めて、空っぽな瞳から明確な意思を感じた。
怒り?
憎しみ?
憧れ?
ぐちゃぐちゃと様々な負の色を圧縮したように瞳が濁ったのに……それもすぐに消えて、また空っぽに。
一瞬の事だったので見間違えたかと思ったが、女は瞳を逸らして人の良さそうな笑みを貼り付けた。
「学生生活は楽しいかい?」
「………親戚のババァかよ」
「おや、すまない。そんなつもりは無かったんだが」
「楽しいわ。クソみてーな家の縛りも無ければ好きなお菓子食って好きなゲームしてられっし」
「そうか」
「………友達がいるし」
テンポの良いズレた会話。
何話てんだ、俺。
傑や硝子の事を友達だと思っていることを口にして恥ずかしくなる。マジで何話てんだ。
同期ではなく友達か、と馬鹿にされてんのかと睨み付けたら女は笑った。
「いいことだね」
寂しそうに。
悲しそうに。
羨ましそうに。
言葉と感情を飲み込んで笑う姿は憐れで悲しくて可哀想になった。
「ツマンネェ人間だな」
あぁ、コイツは呪術界の被害者なんだって。
逃れられない家の言いなりとなり、いつかはコイツも家に染まるのだろう。
そして子を産む道具となり、子へ引き継がれ…抗わず死んでいく呪術界の生きた道具だ。
「気持ち悪ィ」
なぜ、戦わない?
なぜ、歯向かわない?
なぜ、なぜ、なぜ…
従わなければいけない理由などないのに。
自分の道を親に用意され、親の家の道具とされ怒りがないのか。
俺に向けれた一瞬だけども禍々しい感情があるくせに、それを封じ込めていけるとでも?
「アンタ、なんのために此処にいんの?」
俺に向ける事が出来たのに。
「悪足掻き」
「ふーん」
「君も家から出たくて此方に来たんだろ」
「関係ねぇじゃん」
「此処に逃げてもいずれは戻らなきゃいけない。
束の間の非行みたいなものさ」
ゆらゆら揺れている。
悲しみ、憧れ、虚無、絶望。
どれもいい感情ではないものの、無気力な表情が少しだけ人間らしくなる。
「普通を体験してみたかった」
普通、というものがどんなものか俺にもわからない。俺達はいつだって非日常に生きていて望んだところで普通から遠ざかってしまう。
どんなに普通に振る舞っても、それは呪術側の"普通"であり……どう足掻いても"一般的な普通"にはなれない。
「長年腐って生きてきたせいで身に付いた諦め癖が抜けず、普通がわからない」
吐き捨てるように自身を嘲笑う。
面倒そうにまた表情を失くす女。
腐った自覚があり、諦めながらも足掻こうとしていたらしい女はちぐはぐに見えた。
可哀想な奴。
逃げるようにベンチから立ち、ポケットを漁りながら歩いていく。
硝子の吸うものとは違うが煙草を取り出し火をつけ煙を吐き出す姿は似合っていないのに、何故か目を惹いた。
広がる煙は確かに煙草臭いのに……硝子みたいにキツイ臭いではなく、甘くて優しい匂いがした。
「なにその匂い」
思わず追いかけて近付いて嗅いでしまう。
煙草に種類があるのは知っていたが、こんな香りは初めてだった。
匂いにつられて思わず近付けば思っていたよりも小さな背。硝子よりは高そうだけど小さいな、なんてつむじの見える頭を見ていたら無表情を崩して本当に訳がわからないとでも言い出しそうな程困惑した顔を見せた。
「君……私に興味失くしたんじゃないの?」
「………気持ち悪ィ、とは思ってる」
「改めて言われると傷付くよ?一応」
「けど、オマエ……俺に興味無ぇじゃん」
「んん?」
「俺の家に取り入ろうとか無ぇし。
人形みたいで気持ち悪ィとは思うしツマンネェ生き方してんなとは思うけど」
「遠慮というものを知らないな?」
「こっちの世界で遠慮なんかしてたら楽しい事も楽しめ無いだろ。
やりたいことをやりたいようにして何が悪い?」
さっきも思ったがこの人話しやすいな。
傑みたいに本音と建前を隠したり出したりして煽りや癖のある嫌味な感じもなく、硝子みたいにバッサリと落とすわけでもない。
どちらかといえば夜蛾先生に近いものを感じる。
「アンタ、苦しくねぇの?」
だからこそ、聞いてみた。
「苦しいよ」
なんてことない、とでも言うように帰って来た言葉には何の感情も無かった。
「苦しいけれど……私には選ぶ事など出来ない」
そう言って笑ったこの人は
笑っているのに俺を睨み付けていた。
「ほっといてくれ」
煙草を口にしながら、俺に敵意を向けている。
自覚しているのか、無自覚なのかわからないが……俺が思っていたよりずっとこの人は子供で、自分を押し殺すのが下手くそなんじゃないかと感じた。
ゾワゾワと背中がムズムズした。
傑とも、硝子とも、夜蛾先生とも違う俺を見てくれる人。
だとしたら彼女自身もまた……俺と理由は違っても自身を見て欲しいんじゃないかって思った。
「へぇ。人っぽい反応出来るじゃん」
「悪趣味」
「頭の悪ィクソみてーな手紙送られて来たから文句言ってやろうと思っただけだし」
「頭の悪い親の遺伝子から産まれたので由緒正しきご子息様の気分を害してしまい大変申し訳ありませんでした」
「止めろよ。血筋とか家柄とか興味ねぇっつーの」
隠そうともせず俺にハッキリと嫌悪感を見せ始めた。
家の事を出せば気まずそうにしているあたり、多分何かしら家から言われているのに俺へ近付かなかったのはこの人も抗おうとした結果なのかもしれない。馬鹿の一つ覚えのように言いなりになるだけの奴かと思っていたが違ったようだ。関わりたくない、とでも言うように俺の目の前で俺の興味を惹いた煙草を踏み潰す姿は苛立っていてその姿がまた似合っていなくて笑ってしまう。
この人は酷く不器用なのかもしれない。
諦めているのに足掻こうとして足掻ききれず。
諦めたくないのに行動出来ず。
感情があるのに無理矢理押し込めて何でもないふりしながら、感情を抑えきれてない。
ちぐはぐで、不器用な人。
「生き方下手くそなアンタに俺が楽しいこと教えてやるよ」
「……は?」
「まずは後輩との交流だな!」
無理矢理連れていったのは俺らの教室。
傑と硝子としていたトランプはそのままだったのでもう一回と何事かわかっていないこの人を座らせた。
訳がわかっていない2人も、とりあえずこの人の人となりを見極めようと思ったのか何事も無かったようにトランプを始める。
ルールを知らないこの人は傑と硝子に容赦なくボコられていた。
コイツら容赦無いよな。俺もさっきルール知ったのに容赦なくボコられたから。
罰ゲームだと飲み物を頼めば煙草を吸いながら出ていった。
「で?
煙たがっていた相手を連れてきた理由は?」
「あの人面白いぜ」
「初対面よりはまあ……硝子は寮で会わないのかい?」
「ほぼ会わないよ」
「へぇ。あまり高専にいる姿を見かけないから忙しい人なのか?」
「さーな。嫌味の一つでも言って泣かしてやろうかと思ったんだけどさ、スゲェ面倒臭い拗らせ方してるが話しやすいちぐはぐな奴だったわ」
連れてきてみた、と溢せば傑も硝子も何言ってんだと言い出しそうな顔をしていた。
戻って来たあの人は全く希望通りに買って来てくれなかった。文句を言えば飲むなと苛立ちを隠しもしない。
傑も硝子も考えていたものと違う印象に驚いていた。
家の道具だと受け入れながらも、大人しく道具となりたくないから高専に居るのだろう。
高専なら否応なしに任務が舞い込む。死ぬ気は無くても、死を感じる場所に身を置くことで生きている自分を保つ。
そして家では叶えられない"普通"を願う。
この人なりの悪足掻きだ。
面倒臭そうに、苛立った様子で俺らの相手から解放されたいとでもいう雰囲気を出している。
いつの間にやら教室は夕焼けに照らされてオレンジ色が差し込んでいた。
その夕焼けをやはり寂しそうに見ている姿は、放っておくとすぐに死んで消えていきそう。
掴んでいなきゃ消えそうで……掴まずにはいられなかった。
「楽しい?」
「……無理矢理連れて来られてゲームに負けて奢らされ、文句を言われたら五条は楽しいのか。それはいいことを知ったよ」
「根に持つじゃん」
悪態をつく余裕はあるのに。
消えそうな雰囲気は消えていない。
空っぽな奴から、消えそうな奴となった。
それから気が向けばあの人の元へ足を向けた。
あの人の仮面を崩したくて悪戯したり、遊びに捕まえた。
呆れた顔をするようになった。
仕方ないな、という顔をするようになった。
笑ってくれるようになったのに……なかなか仮面は崩れない。
「楽しいよ」
そう言ってくれるし、微笑んでくれている。
けど、その瞳は消えそうな色が残ってる。
楽しい、という言葉に嘘は無いだろうがこの人はそれで満足している。
もっと、と意欲が無く大切な思い出にして終いこむように。
「……また、空見てる」
やめろよ。
いつもいつも、その日の終わりに空を見上げ目に焼き付ける姿は腹が立つ。
最期に見るのが空で思い出に浸るなんていつでも死ぬ準備が出来て覚悟が決まっている姿は楽しくない。
「五条の思う"楽しんでいる私"にはなれないよ」
その言葉の意味を理解していても、この時の俺はあまり深刻には考えていなかった。
何時家に戻されても不思議じゃないのだろう。だからこそ、この人は毎日を心に刻むように生きる。
一緒に過ごす内に柔らかく笑うようになった。
時々大口開けて笑う姿が見れるほど打ち解けてきたら傑や硝子も懐いていた。
その分、垣間見せる死を受け入れている覚悟の瞬間が嫌いになった。
寂しそうに笑うな。
悲しそうに認めるな。
欲しがれよ。
何度も伝えたのに、頑固なこの人は認めてくれない。
"楽しんでいる私"になれない。
その本当の意味を理解したのは怒鳴り散らす訪問者を見た時。
遠目だったが、頭の低い男と老人があの人の目の前に立っていた。老人は辺りに響き渡るほど怒鳴っていて、それを受けて平然としているセンパイは興奮した老人に殴られていた。
傑と共に割り込もうとしたが、硝子に止められる。
止めるな、と言いたかったのに聞こえてきたのは信じがたい事に老人がセンパイの婚約者だという事。
喚いていなくなった老人と男を黙って見つめるセンパイは表情が無くなっていて空っぽで。
硝子だけが動いてセンパイの手を取り医務室へ。
俺も傑も何も出来る事は無いがあんな光景を見て心配する気持ちはある。
医務室の外で待っていればセンパイと硝子が入って来て、硝子が手当てを始めた。
楽しめない理由。
受け入れている理由。
諦めている理由。
「私の物語に正義は無い」
その一言にどれだけの重みがあるのか。
「……ごめんね。私にはこの道しかないから」
優しい声なのに。
優しくない言葉。
当たり前にある風習。
家の中での格差。外での格差。
媚を売るために子供を差し出す親なんて当たり前。
「親に恵まれなかったと嘆くより
己の立場を理解して、己の立ち位置を理解して」
抗え、なんて言葉……
この人には響かないはずだ。
「早く終わることを願うんだよ」
人生の終わりこそ解放だと信じている。
生きたいと願っているのに、終わりを望む。
誰かがこの人に生きる理由を与えない限り、この人は生きながら死んでいく。
そして死の瞬間、笑って逝くのだろう。
俺が婚約者の問題を解決したところでセンパイは喜ばない。
センパイ自身が生きたいと強く思ってくれなきゃ、家に反抗してくれなきゃ意味がない。
どうしたら、この人に生きる意味を与えられるのか。
そんなことばかり考えてしまう。
この気持ちを言葉にするには認めたくなくて誤魔化した。
センパイが死にたがりだからって事にして。
アレコレ考えて、手っ取り早く恋仲にでもなって俺に依存でもしてくれたら……。
安易な考えだと馬鹿にされても仕方がないくらい焦っていたんだと思う。
センパイには時間が無い。
婚約者に逆らえないであろう父親が俺が駄目だと判断したら早めにセンパイを売るかもしれない。
胸糞悪くてもセンパイが老人の内に堕ちるのを食い止められるのならば、と提案した恋人ごっこ。
勿論センパイは頷いてくれなかった。
覚悟の決まっている相手に持ちかける内容ではなかったにせよ……時間が無い。
上手くいかない計画にモヤモヤしてしまう。
「悟、素直になりなよ」
「はぁ?何が」
「回りくどい事せず苗字先輩と話すんだよ」
傑が馬鹿にしたように笑う。
最近センパイと一緒の任務になっているから何かしら話したのだろう。
俺には言わないのに傑には話すセンパイに腹が立つ。
「そんな睨まなくても取らないよ。
ただ、相談されただけ」
「………」
「悟がゲーム感覚で恋愛しようとする事があまりいい気分じゃなさそうだった。一夜の相手ならまだしも、この先も一緒に居たいと思うならちゃんと話さなきゃ」
「ウルセェっつの」
恋愛なんてしたことがない。
いつも下心を持って寄ってくる奴らばかりなんだから。
漫画のような恋愛なんて夢物語。
誰もが同じように幸せに終わることなんて無い。
傷付かないための予防線くらい作っていてもいいじゃないか。
この先、なんてわからない。
わからないけど……センパイが老人の妻としていいようにされるのは嫌だ。
だからと言って他の男ならいいかと問われるとそれも嫌だ。
誰も信じられない、信じたくない中高専に来てやっと信じたいと思える友が出来た。
無条件でありのままを受け止めてくれ、ぶつかってくれる傑と硝子。
「悟。世の中の恋愛は何がスイッチかわからない。決まった答えなんて無いんだよ」
「………」
「キミが"変わって欲しい"と思う彼女への気持ちがまだ完成されたものでなくとも
"他の男に渡したくない"と思った時点で」
傑の笑う顔が憎らしい。
認めろ、とでも言うように正論をぶつけてくる。
ウルセェ、わかってんだよ。
センパイに生きる理由を作りたい、生きるきっかけを作るなんて建前で。
ガラス玉みたいな瞳に宿った一瞬の負の感情を見せたあの日のように。
空っぽなあの人を埋めるのが俺であればいいのに、なんて。
子供みたいな独占欲をセンパイに向けて、答えてくれる可能性の低さに自信が無かった。
でも
渡したくない。
俺を見て欲しい。
俺を愛して欲しい、なんて欲をぶつけて引かれるのが怖くなったなんてダセェ事言えやしない。
「うまく行かなかったら傑のこと消し飛ばすからな」
「早く行っておいで」
センパイの部屋の下。
女子寮には入れないから部屋の外の窓に待機していれば、煙草を吸うために窓を開けたセンパイ。
相変わらず俺がセンパイをからかって遊びだと思われている好き、の言葉は受け入れて貰えない。今までは遊びだった。本気じゃなかった。
でも、今からは違う。
「センパイが俺を愛せないなら、俺がその倍愛すから。
センパイの弱さも、悲しみも、欲も、喜びも全部俺に頂戴」
全部欲しい。
「今のセンパイを俺に頂戴」
俺の言葉に頷いてくれなかった名前の唇を奪っても名前は泣きそうになるだけで頷いてくれなかった。
無理矢理恋人という位置に置く俺の自分勝手さに怒るわけでも拒絶するわけでもなく、受け入れた名前。
最低だと言われても、無理矢理なところが婚約者や名前の家と変わらないと言われようと手放せる気にはなれなかった。
遊びではないことを証明するのは骨が折れそうだったが…言葉に、態度に、行動に出して俺なりの精一杯の愛情表現を行った。
俺にとって、名前のいる世界で笑えたことは幸せだった。
傑がいて、硝子がいて、後輩らがいて、先生がいて。
高専は俺の欲しかったものがギュッと詰め込まれた宝箱のよう。
……名前にとっても同じであれば良かったのに。
俺の見る未来にオマエがいなくて恨んだこともあった。
なんで?どうして?って何度問いかけても答えてくれる名前はいない。
変わらなかったはずだった。近寄れたはずだった。あとは周りを認めさせればいいはずだったのに。
灰原がいなくなり、傑がいなくなり、名前がいなくなり、七海もいなくなっていった。
残ったのは硝子と俺だけ。
問い掛けても、俺が欲しい答えをくれる人はいなかった。
なのに
なんで、、、
「悟。先輩は元気だよ」
「………は?」
百鬼夜行を決行すると宣言しに来た傑はにっこりと笑って言った。
僕の生徒達は傑の呪霊に囲まれている。
僕が傑を理解しているように、傑も僕を理解しているからか余裕そうに笑っている。
「お前が手引きしたのか」
「目指すべき思考は違えど、彼女も私の家族さ」
「傑」
「怖いねぇ。そんな気を高ぶらせるなよ」
"あの人の意思だよ"
そう言い残して消えた傑。
先輩の行方を探したものの、あの人はフラりと存在を出したかと思えばふわりと消えていく。
呪力も極僅かで駆け付けても後手に回っている。
消えかけた残穢と地獄のような黒くこびりついた空間と息途絶えた人が無数に転がる。
血縁関係かと定めた時には既に遅く、ほとんどの彼女の血筋は途絶えていた。
かと思えば関係無さそうな上層部を狙ってみたり。
彼女の目的も意図もわからないまま。
一番最初に殺されそうな元婚約者は生きているし。
ねぇ。何考えてんの?
記憶力には自信があるのに。
僕はもう
彼女の声も
温もりも
態度も
全て思い出せなくなってるんだ。
けど
キミが今も僕を想ってくれている自信だけはある。
あの傑がわざわざ僕に言うくらいなんだから。
自慢のように、煽るように、自分の家族だといいながら思想は違うと言った。
傑とは別の目的がありながらも、都合がいいから傑と行動をして、傑も受け入れている。
一緒に行動するのは傑が情報を持っているから。
傑も彼女がいると何かしら得する事があるのだろう。
「名前のバカ。なんっもわかんねぇーよ」
目を閉じて思い出せるのは
空を寂しそうに見上げる横顔だけ。
「次だ。次こそ手に入れる!!」
建物の隙間から血だらけで片腕を失くしても野望を口にしている友がいた。
「遅かったじゃないか、悟」
諦めたかのようにその場に座り込む。
「君で詰むとはな。家族達は無事かい?」
「揃いも揃って逃げ果せたよ」
僕が生徒達を送り込んだ事を優しくないと言うが、どっちがだよ。
殺さなかったくせに。
僕の信用に答えたのはオマエだろ。
渡された憂太の学生証。
「何か言い残すことはあるか」
「………誰がなんと言おうと非術師は嫌いだ。
でも別に高専の連中まで憎かったわけじゃない。
ただ、この世界では私も先輩も心の底から笑えなかった」
先輩、ね。
「傑、」
僕にとってオマエはーーーーー
「はっ、最期くらい呪いの言葉を吐けよ」
笑う傑へ印を組む。
「わぁ」
聞こえる声は知らないはずなのに
懐かしくも心を揺さぶられ、締め付けられる声。
「ボロボロだね、夏油」
クスクスと笑う声がする。
「……来ちゃったか」
「言ったでしょう?"止めるな"って」
カツカツとヒールの鳴る靴音。
あの頃よりも柔らかく、明るい声。
「やぁ、悟。久しぶり」
あの頃より楽しそうに。
あの頃より幸せそうに。
あの頃より綺麗になった名前がいた。