君の一番になれたら
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幼い頃……まだ、私は未来を信じていた。
いつか
いつか、大人になったら
真っ白なワンピースに麦わら帽子。
キレイな海辺の砂浜を裸足で歩く。
その隣には大好きな人がいて、私と一緒に歩いてくれるの。
あとはそうだなぁ……教会なんかあったら素敵。
海が見渡せて明るい日差しが差し込むなか、大好きな人と愛を誓うんだ。
"私"は幸せだって笑うんだ。
そう、夢を見ていた。
そんな私の"夢"は鼻で笑われる。
ーーーお前は幸せになんてなれないよ。
見てみろ。現実を。
上層部にどうにか取り入ろうと必死な両親。
兄妹達は皆長兄を残して本人の意思などなく売り払われた。
次男はどこだかの孫娘へ。
長女は20も年上のおじいさんへ。
私も同じ道を辿るに決まっている、と。
夢など持つな。
夢など見るな。
幸せを願うな。
幸せになろうとするな。
夢は夢で現実は変わらない。
どんなに足掻いても無理だ。
ーーーお前に未来などない。
そう言って私の目の前で喉を刺しいなくなった姉は涙を流していた。
姉は嫁に行くことを拒み、自害した。
姉は綺麗な着物を真っ赤に染めて、嫁入りする日に私と母の前で母が止める間もなくいなくなった。
怒った相手を宥める為に父は私を身代わりにしようとした。
この時に姉の残した言葉の意味が何となく理解出来た。
確かに。
夢も幸せも無い方がいいな、と。
糞のような親から産まれ、同じように生きるよりも。
自らが同じような子を産み、子に同じ思いをさせることも。
だから、私はーーー……
「どこ見てんの?」
空が陰り、小さな空を見た。
「空を見てた」
「空なんか見て楽しいか?」
「楽しくはないな」
今年入学してきた後輩達の一人、五条家の五条悟。
どこから聞き付けたのか父親からの手紙には五条悟といい仲になれと書かれた手紙が来ていたがすぐに燃やした。
とことん自身の地位の事しか考えていない内容は見なくても予想が出来る。
母親からは姉のようにはなるなと、女としての立場を忘れるなと説教のような手紙が毎月届いているが読まずに燃やしている。
初めての初対面がなかなかにキツイ現場となって気まずさはあれど、嫌悪感を漂わせているところを見るに……多分五条にも何かしら連絡が行っているのだろう。
「楽しくないもん見てて何になんの?」
率直に気になった事を口に出しているであろう五条。
「綺麗だなって思うかな」
「毎日毎日代わり映えしねーじゃん」
「羨ましくて、憎らしくなるよ」
「は?」
「そう思っても意味無くて……虚しくなる、かな」
羨ましくても、憎らしくても
欲しいものは手に入らない。
「五条」
「なに」
欲しいものは手にしてきただろう。
我が儘を押し通せる力があるだろう。
不自由など無いはずの世界は君にどう映る?
そんなことを聞いても八つ当たりで惨めになるだけだ。
わかってる。
彼と私とじゃ同じ世界で生まれても、同じ立場ではない。
彼の境遇がどんなものか私は知らない。
勝手に想像し、勝手に妬み、勝手に嫌なやつだなんて思ってはいけない。
五条は五条なりの苦労があるだろうから。苦労の無い人間なんていないはずだから。
「学生生活は楽しいかい?」
「………親戚のババァかよ」
「おや、すまない。そんなつもりは無かったんだが」
「楽しいわ。クソみてーな家の縛りも無ければ好きなお菓子食って好きなゲームしてられっし」
「そうか」
「………友達がいるし」
ポツリ。
言われた言葉の意味を理解するまで時間がかかった。
友達。
普通の事、と言われたら普通の事。
だが私には馴染みのない言葉だったので理解するまでに少し時間を要した。
「んだよ」
「同期、ではなく友達かぁ」
「何か悪いかよ」
不機嫌になってしまった五条。
私には無いものを持っていて羨ましい、という思いと五条でも手に入らなかったものがあったのかという思いに何とも言えない気持ちになる。
「いいことだね」
いいなぁ。
君には仲間がいて。
いいなぁ。
君には友達がいて。
いいなぁ。
君は欲しいものを手に出来て。
全ての言葉と感情を飲み込んで笑う。
どんなに羨んでも私には手にすることのないモノを欲しがったところで……手にしたところでいずれは手放さなきゃいけないのだから。
「……アンタさ」
「ん?」
「ツマンネェ人間だな」
興味が無くなりました、とでも言うように表情を失くす五条。
「気持ち悪ィ」
吐き出された言葉に思うことはない。
何を言うわけでもなく此方をじっと見る五条の気持ちなんかわからない。
気持ち悪いと思うのなら立ち去ればいいものを。
「なぁ」
「んー?」
「アンタ、なんのために此処にいんの?」
なんのために、か。
高専に通わなくてもいい。私も五条も得枠で呪術師をやっていける。
仕事も自身にあったものを選べるし、報酬だって高専を通すより多額のお金が入る。
なら何故通うのか、と言われたら……家から出たいからだ。
「悪足掻き」
「ふーん」
「君も家から出たくて此方に来たんだろ」
「関係ねぇじゃん」
「此処に逃げてもいずれは戻らなきゃいけない。
束の間の非行みたいなものさ」
高専生でいる間は逃げられる。
普通の学生がどんな風に過ごすのかはわからないが……ほんの僅かな一時でいい。
「普通を体験してみたかった」
夢を追ってみたかった。
夢を作ってみたかった
……いずれ捨ててしまわなければいけなくても。
苦しむことになろうとも。
「長年腐って生きてきたせいで身に付いた諦め癖が抜けず、普通がわからない」
「………」
「不愉快にさせてすまなかったね」
あぁ、疲れる。
ひらり、と手を振り五条に背を向けて歩き出す。
望もうとするくせに諦める。
諦めていているくせに望もうとする。
矛盾した自分への苛立ちと相手への羨望に疲れる。
まだ、望もうとする自身が卑しく思えて仕方がない。
後輩が出来たからと浮かれているせいだ、と自身に言い聞かせてポケットを漁る。
煙草を口に咥えて火をつければ吐き出した紫煙に包まれ少しだけ落ち着く。
「なにその匂い」
「!?」
「バニラ?いや、チョコ?」
くんくんと匂いを嗅ぐ五条に驚く。
今さっき別れたはずなのに音もなく真後ろにいて驚いた。
「煙草なのに臭くねぇんだな」
「………なんで」
「ん?」
キョトンとしながらこちらを見られても困ってしまう。
「君……私に興味失くしたんじゃないの?」
「………気持ち悪ィ、とは思ってる」
「改めて言われると傷付くよ?一応」
「けど、オマエ……俺に興味無ぇじゃん」
「んん?」
「俺の家に取り入ろうとか無ぇし。
人形みたいで気持ち悪ィとは思うしツマンネェ生き方してんなとは思うけど」
「遠慮というものを知らないな?」
「こっちの世界で遠慮なんかしてたら楽しい事も楽しめ無いだろ。
やりたいことをやりたいようにして何が悪い?」
五条家であり、最強の術式と眼を持つ君だからそれが通じるのであって………。
後ろ楯も無ければ実力もない、弱小である立場の私が同じようには振る舞えない。
「何でも言うこと聞いて生きるだけなんかツマンネェだろ」
「まぁね」
「アンタ、苦しくねぇの?」
五条の言葉は素直で真っ直ぐだから胸をチクチクと刺されている感覚になる。
「苦しいよ」
苦しい。
「苦しいけれど……私には選ぶ事など出来ない」
苦しいことに慣れてしまった。
次々に襲いかかってくる苦しみに耐えれば、苦しくてもいずれ薄れゆく。
「この世界ではよくあることだろう」
「なぁ」
「気にしなくていい。ただの愚痴さ。
たまたま、君の先輩だっただけ。
たまたま、同じ学校だっただけ。
関わることはあっても君が私の事情に付き合う筋などないし、君に迷惑かけるつもりもない」
苛立ちを抑え込むように煙草を吸う。
吸い口を噛んでしまった。
「ほっといてくれ」
五条を見ればキョトンとしたあと、ニヤリと笑った。
長い足でスタスタと寄ってきたかと思えば、綺麗な顔を近付けられた。
「へぇ。人っぽい反応出来るじゃん」
ニヤニヤと楽しそうに笑う五条。
何を言われているのかわからなかったが、その言葉の意味を理解する頃には苛立ちを隠せなかった。
「悪趣味」
「頭の悪ィクソみてーな手紙送られて来たから文句言ってやろうと思っただけだし」
「頭の悪い親の遺伝子から産まれたので由緒正しきご子息様の気分を害してしまい大変申し訳ありませんでした」
「止めろよ。血筋とか家柄とか興味ねぇっつーの」
うげぇ、と素晴らしいはずの顔面を歪ませる五条。
「当たり前の世界だろうと、当たり前ってうけいれてる人生なんかクソだろ。
自己犠牲に酔って、可哀想な自分に同情されてぇの?」
「……そう言われても仕方がないだろうけど、そもそもの話。
君には関係無い」
「まぁな。俺には関係無い……けど。
今にも死にたそうにしながら私は可哀想なんですオーラ撒き散らされて胸くそ悪い」
君に何がわかる!
声を荒げたところでかわらない。
五条に八つ当たったところでかわらない。
煙草を噛み言葉を飲み込んで耐える。
一気に吸い込み中途半端な煙草を地面に落として踏み潰す。
「生き方下手くそなアンタに俺が楽しいこと教えてやるよ」
「……は?」
「まずは後輩との交流だな!」
無理矢理腕を捕まれて大股で歩き出す五条。
抵抗しても腕は離れないし引きずられていく。
あっという間に一年の教室に連れられ、中には夏油と家入が。
「傑!硝子!もう一回!!」
「……悟、説明しろ」
「カモ連れてきた」
夏油と家入の目の前にはトランプがある。
「さっ!やろうぜ!」
「苗字先輩、大富豪のルールわかりますか?」
「いや……」
「仕方ねぇから教えてやるよ」
あれよあれよという間に簡単にルールを教えられ、始められた大富豪。
「ハイ、大貧民」
「………」
「ってことで可愛い後輩にジュースな」
ニヤニヤとしている五条。
此処が教室だということを忘れ、煙草を取り出して火をつける。
「先輩も煙草吸うんですね」
「苛立つと余計な言葉を吐き出してしまうから」
「さっきも吸っていたから短気かよ」
オマエのせいだよ、と言い出しそうになった。
「何でもいいよね」
「ビール」「コーラ」「コーヒー」
遠慮などない後輩が可愛くない。
煙を吐き出しながら立ち上がり教室から出る。
自販機がある場所、教室から遠いんだよ。ショートカットとして窓から飛び降りて行くが彼らの意見を無視して全員無糖の紅茶にした。
戻れば五条がトランプでタワーを作っている。
家入は煙草を吹かし、夏油は携帯をいじっていた。
「はい」
「苗字先輩、1つも合ってません」
「わざと」
「やり直し」
「我が儘言うならあげないよ」
「オマエめんどくさい性格してんね」
「君にだけは言われたくないかな」
五条は紅茶を一口飲んで不味いと言って此方に渡した。
「苗字先輩って思っていたより意地悪なんですね」
「そうかな?」
「違ェよ傑。コイツただの死にたがりの悲観女」
「黙ろうか」
「先輩死にたいの?」
「死にたくは無いよ」
死にたくは、ない。
ただ、死ねたら楽なのに……とは思っている。
「どーにもならないクソな未来に死にたくなる事はあっても、死にたく無いよ」
「拗らせてるね」
「だろ?」
「……何とでも言っておくれ」
ヒソヒソとしながら普通の声で話していられたら嫌でも耳に届く。
調子が狂いそうだ。
教室は夕焼けに照らされてオレンジ色が差し込んでいる。
窓の外から見える夕焼けの眩しさに目を細める。
「なぁ」
「ん?」
ぐいっ、と腕を引かれた。
何?と返すが五条は眉間にシワを寄せて答えない。
「楽しい?」
「……無理矢理連れて来られてゲームに負けて奢らされ、文句を言われたら五条は楽しいのか。それはいいことを知ったよ」
「根に持つじゃん」
ニヤニヤと笑う五条。
「楽しそうだね、君は」
「気持ち悪ィアンタの仮面がぶっ壊れてるから」
「失礼だな」
「先輩御愁傷様」
「悟はしつこいので……」
何だか変に同情されている。
根に持つ事が馬鹿馬鹿しくなってきてため息が出てしまう。
それから五条はちょくちょく嫌がらせをしてきた。本人は楽しいのかニヤニヤとしながらだが、虫や爬虫類の玩具を渡してきたり、ゲームをしようと誘って来たり、どこかへ行こうと連れ出された。
そうしているうちに夏油や家入が毎回巻き込まれ、仕方ないなと一緒に過ごすようになっていった。
「アンタはどーしたら楽しいの?」
「………まるで私が楽しくなさそうな言い方だね」
五条の言葉にそう返せば、五条はつまらなさそうな顔をした。
「笑ってんのに笑わねーじゃん」
五条達と一緒にいるのは楽しい。
今までにない体験をしている。
五条は時間さえあれば私を見付けて夏油と家入を巻き込み色んな事を誘ってくる。
朝まで様々な形のゲームをしたり、先生への低俗な悪戯。子供がするような鬼ごっこやかくれんぼを全力で始めたかと思えば頭を使う推理ゲームをしたりなど……興味の持った事を何でもやりたがり、そして一緒にしようと巻き込む。
始めはまたか、と呆れる夏油や家入も一緒になってやりこみ揃って寝坊して先生に怒られる事が増えた。
私がやりたくても出来なかった事を五条は一緒にやってくれる。
それが楽しくないわけがなかった。
「楽しいよ」
「………あっそ」
きちんと言ったのに五条にとっては面白くなかったらしい。
拗ねてしまった五条を目の前にどうしたものかと考える。
五条から視線を外して窓の外を見上げれば今日は曇り空だ。
「……また、空見てる」
ボソリ、と呟かれた言葉。
空を見る癖が出来てしまっているからつい。
恨みがましい視線を向けてくるのでからかってやろうと思った。
「嫉妬かい?」
「嫉妬?んなわけないじゃん」
あまりにも面白くなさそうな顔をするから笑ってしまう。
「腹立つ」
「どう言えば信じてくれるかな?」
「楽しそうにしろ。空見んな」
「困った子だね」
ガキ扱いすんな!と騒ぐ五条にまた笑ってしまう。
毎日が色付いたかのように楽しかった。
その反面、この楽しかった記憶をいつまで大事に出来るのだろうと思うと苦しくなった。
いつか、忘れてしまうのか。
いつか、こんな記憶を残さなければ良かったと恨むのか。
いつか、知らなければ良かったと後悔するのか。
輝いた宝物を大事にしておけるのかと不安を抱くくらいには……少しだけ、楽しい日々が当たり前となっていくのが怖かった。
でも、楽しい日々を手放せない私がいて……この日々が私の人生にとって何よりも大切に輝いていられるように大事にしたい。
「五条の思う"楽しんでいる私"にはなれないよ」
あと2年。
私の決められた時間。
「でも……去年よりずっと楽しい。
今までの人生の中で今が一番だよ」
「オレも大概だけどアンタもクソな人生すぎ」
「楽しもうと思えることが無かったから。
……どうやれば、楽しいって表現出来るのかわからない」
「楽しい!!って表情筋豊かに身体で表現しろよ」
「紙に書いて見やすいように突きつけようか?」
「なっっっんでそうなんだよ!」
「じゃあ万歳しながら跳び跳ねればいいかな」
「ぶはっ!!」
想像したのかお腹を抱えて笑い出す。
自分で言ってあれだが……正直怖くないか?
ケラケラ笑う五条と一緒に笑ってしまった。
夜更かししながらゲームも
先生に隠れてお酒や喫煙するのも
買い物へ行くのも
今までは一人だったのに……気付けば必ず後輩達がいた。
真っ直ぐ静かに行って帰って来ていた任務は後輩の横暴さや破天荒に振り回されながら、帰りにお土産物を物色したり寄り道で遊びに行く事が増えた。
一年にも満たない月日の中、一人になり静かな空間に違和感を覚えてしまうくらいには……私にとって後輩達の存在が、笑顔を浮かべられる自分が当たり前となっていた。
「綺麗」
「ただの海だね」
「感性が育って無いなぁ」
「貴女に言われたくない」
お互いの顔を見合わせて笑う。
冬の海ではしゃぐ夏油の家族達は楽しそうだ。
サクサクと砂の上を歩いているだけなのにいつもの倍疲れてしまう気がした。
「海は広いね」
海風の冷たさに身震いする。
波の満ち引きを見ているだけなのに、引き込まれていきそうな魅力があった。引き込まれたらちっぽけな私一人くらい簡単に飲み込んでしまう恐ろしい自然。
「しみじみとオバサン臭いよ」
「酷いなぁ」
歩きなれない砂浜に足を取られ、転びそうになったが夏油がひょいっと私を軽々と抱き上げた。
「どうも?」
「悟の所に近々挨拶に行くけど行くかい?」
突然の報告についに、か。と思った。
「行こうかな」
とびっきりお洒落しなきゃ、なんて笑って言えば夏油も笑う。
「キミの姿に驚く悟が楽しみだよ」
「どうかな?怒るかも」
「あまり怒らせて刺激するんじゃないよ」
「夏油と手を繋いで"幸せでーす"って笑えばいい?」
「ははっ!!それはそれでどんな反応するか見てみたいな」
クスクス、ケラケラ。
声を出して笑う私達。
「……苗字先輩」
「くどい。
何度も言ってるけど後悔なんて無い」
「私が、貴女に願うことすら煩わしいかい?」
「……夏油。
君のその優しさが君を苦しめ追いつめるんだよ」
私は
私達は
もう、引き返さないと決めたのだから。
「どんな結果であっても
私は今が一番幸せだよ」
くしゃり、と笑ったはずなのに。
夏油の方がくしゃくしゃな顔をしていた。
嘘ではない。
でも
嘘でもある。
私達を照らす朝日は肌寒くて、静かで、とても綺麗に輝いていた。
いつか
いつか、大人になったら
真っ白なワンピースに麦わら帽子。
キレイな海辺の砂浜を裸足で歩く。
その隣には大好きな人がいて、私と一緒に歩いてくれるの。
あとはそうだなぁ……教会なんかあったら素敵。
海が見渡せて明るい日差しが差し込むなか、大好きな人と愛を誓うんだ。
"私"は幸せだって笑うんだ。
そう、夢を見ていた。
そんな私の"夢"は鼻で笑われる。
ーーーお前は幸せになんてなれないよ。
見てみろ。現実を。
上層部にどうにか取り入ろうと必死な両親。
兄妹達は皆長兄を残して本人の意思などなく売り払われた。
次男はどこだかの孫娘へ。
長女は20も年上のおじいさんへ。
私も同じ道を辿るに決まっている、と。
夢など持つな。
夢など見るな。
幸せを願うな。
幸せになろうとするな。
夢は夢で現実は変わらない。
どんなに足掻いても無理だ。
ーーーお前に未来などない。
そう言って私の目の前で喉を刺しいなくなった姉は涙を流していた。
姉は嫁に行くことを拒み、自害した。
姉は綺麗な着物を真っ赤に染めて、嫁入りする日に私と母の前で母が止める間もなくいなくなった。
怒った相手を宥める為に父は私を身代わりにしようとした。
この時に姉の残した言葉の意味が何となく理解出来た。
確かに。
夢も幸せも無い方がいいな、と。
糞のような親から産まれ、同じように生きるよりも。
自らが同じような子を産み、子に同じ思いをさせることも。
だから、私はーーー……
「どこ見てんの?」
空が陰り、小さな空を見た。
「空を見てた」
「空なんか見て楽しいか?」
「楽しくはないな」
今年入学してきた後輩達の一人、五条家の五条悟。
どこから聞き付けたのか父親からの手紙には五条悟といい仲になれと書かれた手紙が来ていたがすぐに燃やした。
とことん自身の地位の事しか考えていない内容は見なくても予想が出来る。
母親からは姉のようにはなるなと、女としての立場を忘れるなと説教のような手紙が毎月届いているが読まずに燃やしている。
初めての初対面がなかなかにキツイ現場となって気まずさはあれど、嫌悪感を漂わせているところを見るに……多分五条にも何かしら連絡が行っているのだろう。
「楽しくないもん見てて何になんの?」
率直に気になった事を口に出しているであろう五条。
「綺麗だなって思うかな」
「毎日毎日代わり映えしねーじゃん」
「羨ましくて、憎らしくなるよ」
「は?」
「そう思っても意味無くて……虚しくなる、かな」
羨ましくても、憎らしくても
欲しいものは手に入らない。
「五条」
「なに」
欲しいものは手にしてきただろう。
我が儘を押し通せる力があるだろう。
不自由など無いはずの世界は君にどう映る?
そんなことを聞いても八つ当たりで惨めになるだけだ。
わかってる。
彼と私とじゃ同じ世界で生まれても、同じ立場ではない。
彼の境遇がどんなものか私は知らない。
勝手に想像し、勝手に妬み、勝手に嫌なやつだなんて思ってはいけない。
五条は五条なりの苦労があるだろうから。苦労の無い人間なんていないはずだから。
「学生生活は楽しいかい?」
「………親戚のババァかよ」
「おや、すまない。そんなつもりは無かったんだが」
「楽しいわ。クソみてーな家の縛りも無ければ好きなお菓子食って好きなゲームしてられっし」
「そうか」
「………友達がいるし」
ポツリ。
言われた言葉の意味を理解するまで時間がかかった。
友達。
普通の事、と言われたら普通の事。
だが私には馴染みのない言葉だったので理解するまでに少し時間を要した。
「んだよ」
「同期、ではなく友達かぁ」
「何か悪いかよ」
不機嫌になってしまった五条。
私には無いものを持っていて羨ましい、という思いと五条でも手に入らなかったものがあったのかという思いに何とも言えない気持ちになる。
「いいことだね」
いいなぁ。
君には仲間がいて。
いいなぁ。
君には友達がいて。
いいなぁ。
君は欲しいものを手に出来て。
全ての言葉と感情を飲み込んで笑う。
どんなに羨んでも私には手にすることのないモノを欲しがったところで……手にしたところでいずれは手放さなきゃいけないのだから。
「……アンタさ」
「ん?」
「ツマンネェ人間だな」
興味が無くなりました、とでも言うように表情を失くす五条。
「気持ち悪ィ」
吐き出された言葉に思うことはない。
何を言うわけでもなく此方をじっと見る五条の気持ちなんかわからない。
気持ち悪いと思うのなら立ち去ればいいものを。
「なぁ」
「んー?」
「アンタ、なんのために此処にいんの?」
なんのために、か。
高専に通わなくてもいい。私も五条も得枠で呪術師をやっていける。
仕事も自身にあったものを選べるし、報酬だって高専を通すより多額のお金が入る。
なら何故通うのか、と言われたら……家から出たいからだ。
「悪足掻き」
「ふーん」
「君も家から出たくて此方に来たんだろ」
「関係ねぇじゃん」
「此処に逃げてもいずれは戻らなきゃいけない。
束の間の非行みたいなものさ」
高専生でいる間は逃げられる。
普通の学生がどんな風に過ごすのかはわからないが……ほんの僅かな一時でいい。
「普通を体験してみたかった」
夢を追ってみたかった。
夢を作ってみたかった
……いずれ捨ててしまわなければいけなくても。
苦しむことになろうとも。
「長年腐って生きてきたせいで身に付いた諦め癖が抜けず、普通がわからない」
「………」
「不愉快にさせてすまなかったね」
あぁ、疲れる。
ひらり、と手を振り五条に背を向けて歩き出す。
望もうとするくせに諦める。
諦めていているくせに望もうとする。
矛盾した自分への苛立ちと相手への羨望に疲れる。
まだ、望もうとする自身が卑しく思えて仕方がない。
後輩が出来たからと浮かれているせいだ、と自身に言い聞かせてポケットを漁る。
煙草を口に咥えて火をつければ吐き出した紫煙に包まれ少しだけ落ち着く。
「なにその匂い」
「!?」
「バニラ?いや、チョコ?」
くんくんと匂いを嗅ぐ五条に驚く。
今さっき別れたはずなのに音もなく真後ろにいて驚いた。
「煙草なのに臭くねぇんだな」
「………なんで」
「ん?」
キョトンとしながらこちらを見られても困ってしまう。
「君……私に興味失くしたんじゃないの?」
「………気持ち悪ィ、とは思ってる」
「改めて言われると傷付くよ?一応」
「けど、オマエ……俺に興味無ぇじゃん」
「んん?」
「俺の家に取り入ろうとか無ぇし。
人形みたいで気持ち悪ィとは思うしツマンネェ生き方してんなとは思うけど」
「遠慮というものを知らないな?」
「こっちの世界で遠慮なんかしてたら楽しい事も楽しめ無いだろ。
やりたいことをやりたいようにして何が悪い?」
五条家であり、最強の術式と眼を持つ君だからそれが通じるのであって………。
後ろ楯も無ければ実力もない、弱小である立場の私が同じようには振る舞えない。
「何でも言うこと聞いて生きるだけなんかツマンネェだろ」
「まぁね」
「アンタ、苦しくねぇの?」
五条の言葉は素直で真っ直ぐだから胸をチクチクと刺されている感覚になる。
「苦しいよ」
苦しい。
「苦しいけれど……私には選ぶ事など出来ない」
苦しいことに慣れてしまった。
次々に襲いかかってくる苦しみに耐えれば、苦しくてもいずれ薄れゆく。
「この世界ではよくあることだろう」
「なぁ」
「気にしなくていい。ただの愚痴さ。
たまたま、君の先輩だっただけ。
たまたま、同じ学校だっただけ。
関わることはあっても君が私の事情に付き合う筋などないし、君に迷惑かけるつもりもない」
苛立ちを抑え込むように煙草を吸う。
吸い口を噛んでしまった。
「ほっといてくれ」
五条を見ればキョトンとしたあと、ニヤリと笑った。
長い足でスタスタと寄ってきたかと思えば、綺麗な顔を近付けられた。
「へぇ。人っぽい反応出来るじゃん」
ニヤニヤと楽しそうに笑う五条。
何を言われているのかわからなかったが、その言葉の意味を理解する頃には苛立ちを隠せなかった。
「悪趣味」
「頭の悪ィクソみてーな手紙送られて来たから文句言ってやろうと思っただけだし」
「頭の悪い親の遺伝子から産まれたので由緒正しきご子息様の気分を害してしまい大変申し訳ありませんでした」
「止めろよ。血筋とか家柄とか興味ねぇっつーの」
うげぇ、と素晴らしいはずの顔面を歪ませる五条。
「当たり前の世界だろうと、当たり前ってうけいれてる人生なんかクソだろ。
自己犠牲に酔って、可哀想な自分に同情されてぇの?」
「……そう言われても仕方がないだろうけど、そもそもの話。
君には関係無い」
「まぁな。俺には関係無い……けど。
今にも死にたそうにしながら私は可哀想なんですオーラ撒き散らされて胸くそ悪い」
君に何がわかる!
声を荒げたところでかわらない。
五条に八つ当たったところでかわらない。
煙草を噛み言葉を飲み込んで耐える。
一気に吸い込み中途半端な煙草を地面に落として踏み潰す。
「生き方下手くそなアンタに俺が楽しいこと教えてやるよ」
「……は?」
「まずは後輩との交流だな!」
無理矢理腕を捕まれて大股で歩き出す五条。
抵抗しても腕は離れないし引きずられていく。
あっという間に一年の教室に連れられ、中には夏油と家入が。
「傑!硝子!もう一回!!」
「……悟、説明しろ」
「カモ連れてきた」
夏油と家入の目の前にはトランプがある。
「さっ!やろうぜ!」
「苗字先輩、大富豪のルールわかりますか?」
「いや……」
「仕方ねぇから教えてやるよ」
あれよあれよという間に簡単にルールを教えられ、始められた大富豪。
「ハイ、大貧民」
「………」
「ってことで可愛い後輩にジュースな」
ニヤニヤとしている五条。
此処が教室だということを忘れ、煙草を取り出して火をつける。
「先輩も煙草吸うんですね」
「苛立つと余計な言葉を吐き出してしまうから」
「さっきも吸っていたから短気かよ」
オマエのせいだよ、と言い出しそうになった。
「何でもいいよね」
「ビール」「コーラ」「コーヒー」
遠慮などない後輩が可愛くない。
煙を吐き出しながら立ち上がり教室から出る。
自販機がある場所、教室から遠いんだよ。ショートカットとして窓から飛び降りて行くが彼らの意見を無視して全員無糖の紅茶にした。
戻れば五条がトランプでタワーを作っている。
家入は煙草を吹かし、夏油は携帯をいじっていた。
「はい」
「苗字先輩、1つも合ってません」
「わざと」
「やり直し」
「我が儘言うならあげないよ」
「オマエめんどくさい性格してんね」
「君にだけは言われたくないかな」
五条は紅茶を一口飲んで不味いと言って此方に渡した。
「苗字先輩って思っていたより意地悪なんですね」
「そうかな?」
「違ェよ傑。コイツただの死にたがりの悲観女」
「黙ろうか」
「先輩死にたいの?」
「死にたくは無いよ」
死にたくは、ない。
ただ、死ねたら楽なのに……とは思っている。
「どーにもならないクソな未来に死にたくなる事はあっても、死にたく無いよ」
「拗らせてるね」
「だろ?」
「……何とでも言っておくれ」
ヒソヒソとしながら普通の声で話していられたら嫌でも耳に届く。
調子が狂いそうだ。
教室は夕焼けに照らされてオレンジ色が差し込んでいる。
窓の外から見える夕焼けの眩しさに目を細める。
「なぁ」
「ん?」
ぐいっ、と腕を引かれた。
何?と返すが五条は眉間にシワを寄せて答えない。
「楽しい?」
「……無理矢理連れて来られてゲームに負けて奢らされ、文句を言われたら五条は楽しいのか。それはいいことを知ったよ」
「根に持つじゃん」
ニヤニヤと笑う五条。
「楽しそうだね、君は」
「気持ち悪ィアンタの仮面がぶっ壊れてるから」
「失礼だな」
「先輩御愁傷様」
「悟はしつこいので……」
何だか変に同情されている。
根に持つ事が馬鹿馬鹿しくなってきてため息が出てしまう。
それから五条はちょくちょく嫌がらせをしてきた。本人は楽しいのかニヤニヤとしながらだが、虫や爬虫類の玩具を渡してきたり、ゲームをしようと誘って来たり、どこかへ行こうと連れ出された。
そうしているうちに夏油や家入が毎回巻き込まれ、仕方ないなと一緒に過ごすようになっていった。
「アンタはどーしたら楽しいの?」
「………まるで私が楽しくなさそうな言い方だね」
五条の言葉にそう返せば、五条はつまらなさそうな顔をした。
「笑ってんのに笑わねーじゃん」
五条達と一緒にいるのは楽しい。
今までにない体験をしている。
五条は時間さえあれば私を見付けて夏油と家入を巻き込み色んな事を誘ってくる。
朝まで様々な形のゲームをしたり、先生への低俗な悪戯。子供がするような鬼ごっこやかくれんぼを全力で始めたかと思えば頭を使う推理ゲームをしたりなど……興味の持った事を何でもやりたがり、そして一緒にしようと巻き込む。
始めはまたか、と呆れる夏油や家入も一緒になってやりこみ揃って寝坊して先生に怒られる事が増えた。
私がやりたくても出来なかった事を五条は一緒にやってくれる。
それが楽しくないわけがなかった。
「楽しいよ」
「………あっそ」
きちんと言ったのに五条にとっては面白くなかったらしい。
拗ねてしまった五条を目の前にどうしたものかと考える。
五条から視線を外して窓の外を見上げれば今日は曇り空だ。
「……また、空見てる」
ボソリ、と呟かれた言葉。
空を見る癖が出来てしまっているからつい。
恨みがましい視線を向けてくるのでからかってやろうと思った。
「嫉妬かい?」
「嫉妬?んなわけないじゃん」
あまりにも面白くなさそうな顔をするから笑ってしまう。
「腹立つ」
「どう言えば信じてくれるかな?」
「楽しそうにしろ。空見んな」
「困った子だね」
ガキ扱いすんな!と騒ぐ五条にまた笑ってしまう。
毎日が色付いたかのように楽しかった。
その反面、この楽しかった記憶をいつまで大事に出来るのだろうと思うと苦しくなった。
いつか、忘れてしまうのか。
いつか、こんな記憶を残さなければ良かったと恨むのか。
いつか、知らなければ良かったと後悔するのか。
輝いた宝物を大事にしておけるのかと不安を抱くくらいには……少しだけ、楽しい日々が当たり前となっていくのが怖かった。
でも、楽しい日々を手放せない私がいて……この日々が私の人生にとって何よりも大切に輝いていられるように大事にしたい。
「五条の思う"楽しんでいる私"にはなれないよ」
あと2年。
私の決められた時間。
「でも……去年よりずっと楽しい。
今までの人生の中で今が一番だよ」
「オレも大概だけどアンタもクソな人生すぎ」
「楽しもうと思えることが無かったから。
……どうやれば、楽しいって表現出来るのかわからない」
「楽しい!!って表情筋豊かに身体で表現しろよ」
「紙に書いて見やすいように突きつけようか?」
「なっっっんでそうなんだよ!」
「じゃあ万歳しながら跳び跳ねればいいかな」
「ぶはっ!!」
想像したのかお腹を抱えて笑い出す。
自分で言ってあれだが……正直怖くないか?
ケラケラ笑う五条と一緒に笑ってしまった。
夜更かししながらゲームも
先生に隠れてお酒や喫煙するのも
買い物へ行くのも
今までは一人だったのに……気付けば必ず後輩達がいた。
真っ直ぐ静かに行って帰って来ていた任務は後輩の横暴さや破天荒に振り回されながら、帰りにお土産物を物色したり寄り道で遊びに行く事が増えた。
一年にも満たない月日の中、一人になり静かな空間に違和感を覚えてしまうくらいには……私にとって後輩達の存在が、笑顔を浮かべられる自分が当たり前となっていた。
「綺麗」
「ただの海だね」
「感性が育って無いなぁ」
「貴女に言われたくない」
お互いの顔を見合わせて笑う。
冬の海ではしゃぐ夏油の家族達は楽しそうだ。
サクサクと砂の上を歩いているだけなのにいつもの倍疲れてしまう気がした。
「海は広いね」
海風の冷たさに身震いする。
波の満ち引きを見ているだけなのに、引き込まれていきそうな魅力があった。引き込まれたらちっぽけな私一人くらい簡単に飲み込んでしまう恐ろしい自然。
「しみじみとオバサン臭いよ」
「酷いなぁ」
歩きなれない砂浜に足を取られ、転びそうになったが夏油がひょいっと私を軽々と抱き上げた。
「どうも?」
「悟の所に近々挨拶に行くけど行くかい?」
突然の報告についに、か。と思った。
「行こうかな」
とびっきりお洒落しなきゃ、なんて笑って言えば夏油も笑う。
「キミの姿に驚く悟が楽しみだよ」
「どうかな?怒るかも」
「あまり怒らせて刺激するんじゃないよ」
「夏油と手を繋いで"幸せでーす"って笑えばいい?」
「ははっ!!それはそれでどんな反応するか見てみたいな」
クスクス、ケラケラ。
声を出して笑う私達。
「……苗字先輩」
「くどい。
何度も言ってるけど後悔なんて無い」
「私が、貴女に願うことすら煩わしいかい?」
「……夏油。
君のその優しさが君を苦しめ追いつめるんだよ」
私は
私達は
もう、引き返さないと決めたのだから。
「どんな結果であっても
私は今が一番幸せだよ」
くしゃり、と笑ったはずなのに。
夏油の方がくしゃくしゃな顔をしていた。
嘘ではない。
でも
嘘でもある。
私達を照らす朝日は肌寒くて、静かで、とても綺麗に輝いていた。