桜花歳時記
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萩と牡丹
山といえば川。
月といえば地蔵。
忍者の使う言葉には、いくつもの暗喩がある。
それでは、萩といえば。
「夕飯、と書かれていますが」
「夕飯?」
小平太が、萩の枝に文を結んで、委員会の途中だった蓬川遥のもとへ届けてきた。
これが艶めいた恋文ならば、さぞかし情緒のあるものだったのだろうが、書かれた文字は前述の通りである。
「夕飯が萩ですか?」
「では、ぼたんかな」
「牡丹ですか?」
庄左ヱ門は首を傾げ「萩と牡丹では、ぜんぜん季節が違いますよ」と呟いた。
「それはね」
一年生の言葉に、遥は棚から巻物を取って、しゅるりと紐解いた。
「暗号だよ」
絵巻物である。
平安期に描かれた、古いものだった。
武家を中心に平安懐古の機運が高まったのも手伝って、価値がはねあがっている。
とん、と遥の指先が、片隅を指した。
野の、萩。
萩の傍らに、臥せた猪が描かれていた。
「なるほど、猪ですね」
萩と臥猪。
絵画や和歌の世界では、萩に猪は常識なのである。
「しかし、先輩のさっき言った牡丹というのは?」
「それは、これが発祥だな」
同じように、しゅるりと巻物を広げる。それは、先ほどのものとは打って変わって絢爛豪華な錦絵だった。
「獅子に牡丹」
「そう。獅子に牡丹。つまり
「では、今日のお夕飯は…」
「そうだね」
遥は、手元の巻物を書庫に戻した。
「たぶん、猪鍋になると思う」
仏教の普及に至り、宮廷では肉は食べない。
しかし、薬猟りというものが、薬草だけでなく鳥獣にまで広がり、寒い時期に身体を温める目的で、「薬食い」をする。
つまり獣の肉を食べることは、忍者にとって少なくなかった。
「なんだか…七松先輩、暗号に手が込んでますね…」
「食べ物に関しては覚えが良くて」
「そうですか」
諦めの境地といったふうに呟いた遥に、後輩はひどく納得して頷いた。
他に、猪は山鯨ともいう。
確かに、獣の臭さのある鯨肉に少し似ている。
「庄左ヱ門、ご飯一緒に食べる?」
「え、良いんですか?」
「この時期はとても冷えるから、しし鍋は身体が温まると思う。その代わり、まあ、小平太に絡まれるけど」
「肉食った報い、というやつですね」
「その程度、報いになるかなあ?」
「遥先輩は感覚がマヒしていらっしゃるから平気でしょうけども」
そのとき、ごとんっと音がした。
振り替えると、体育委員会の平滝夜叉丸が、泥にまみれてそこにいた。
「滝夜叉丸」
「滝夜叉丸先輩、そのボロボロなお姿は」
「……いいか、庄左ヱ門。裏山の食物連鎖の頂点はあの方だ、決して熊や狼ではなく」
「大丈夫ですか、滝夜叉丸先輩」
「情けは無用だ……」
「…………」
普段面倒くさいくらい絢爛豪華で眉目秀麗な先輩の落武者さながらの風体には、情けのひとつもかけたくなる。
庄左ヱ門は、そっと滝夜叉丸の背中を見送ったのである。
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