桜花歳時記
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おいなりさん
伏見稲荷大社は『お稲荷さん』の総本宮だ。
白い狐が神格をもつというが、白とは素。無色ということであって、別に本当に真っ白い狐であるわけではないらしいが、絵巻などでは白に描かれているから、あまり関係ないのかもしれない。歳を経るごとに尻尾が増えていくとも、身体が金になるともいう。
とにかく、狐というのは人を化かす。
僧侶に化けて人間に紛れたり、ときに子を成すものもいる。
それだけ霊格を備えている獣だということだろう、そう後輩の鉢屋三郎は言った。
私はため息をついた。
狐や狸に負けず劣らず、この後輩は人を化かすことにかけては、天武の才がある。
「お前は狐狸の類じゃないの?」
「そうかもしれませんね」
そういって、鉢屋三郎は口元をあげた。
「おいなりさんは良いですよねえ。あまり甘すぎるものは苦手ですが」
「三年生にもなって、我儘を言うな」
勝手に隣にきては、そんな他愛のない話をし出す。
私は鍋の中の落とし蓋を持ち上げた。油揚げは煮汁をすってふっくらとしている。甘辛い匂いがした。
この後輩は、探せば出てこないくせに、人が何かしていると傍らにいつの間にか沸いて出る。
「三郎」
「はいはい?」
「またお前は悪戯をして逃げ回ってるのか」
「悪戯などと人聞きが悪いです。ちょっと先日の実習で組んだ先輩に嫌みを言われたので正論を言い返してしまったら、あちらが一方的に怒っていらっしゃるわけです」
「なにをしたんだ」
「わたしの方がその先輩よりも偵察に向いていると思うんですけど…と言ったら、怒られました」
鉢屋三郎は、間違いなく逸材だった。
だが、面倒臭がりな一方で負けず嫌いで反骨精神がある。
優秀で教師陣の覚えもめでたい三郎は、多くの年上にとって可愛いだけの後輩ではない。
「あまり嫌わないでやってくれるか。お前のためを思っているんだ」
「いやあ、別に嫌ったりしてませんよ。本当に嫌いな先輩には言い返しもしません」
「で、今回は嫌いじゃない『潮江先輩』には何をしたんだ?」
「あれ?悪戯先が潮江先輩だって言いましたっけ?」
「さっき文次郎が真っ赤になって三郎を探しにきた」
「あちゃあ…。いや、そんなに大それた事はしてませんよ。…蛇を布団に仕込んだりしましたけど」
「それは文次郎でなくとも怒るわ」
「蛇も狐もお米を守る神獣ですけどねえ」
おにぎりばっかり食べてる方ですから丁度良いかと。そう三郎は楽しそうに笑った。
狐も蛇もネズミを狩る。この学園でも米蔵で蛇を飼っている。
煮た油揚げを取り出して冷ます。米をつつめば、おいなりさんだ。
「そうやって見ていても、まだおいなりさんは出来上がらないぞ。はやく文次郎に謝ってきなさい。お小言をもらって帰ってくる頃には形になっているかもしれないが」
「それでは私が食い意地が張っているように聞こえます。私はセンパイとお話したいと思っているんですよ」
「なら、おいなりさんはいらないと」
「小皿を用意いたしました」
「よーし」
従順な三郎に、私は頷く。
それから勝手口を開けて長屋の部屋の方へ声をあげた。
「文次郎ー、三郎はここだぞー」
「げっ、ちょっとセンパイ!」
「逃げまわってないで、頭下げて謝ってきなさい」
ドタドタと廊下の鳴る音がする。
眉を下げて三郎は味のついた油揚げをつまみ食いすると、ひょこっと身軽な様子で立ち上がる。
「狐というのはもともと神獣ですからね」
「なに?」
「神というのは気まぐれなものです」
そう言って三郎は笑った。
その晩、私の布団の中に蛇が入っていた。
嫌われているわけじゃないということだけは分かったが。
あのガキ…。
※三郎三年生の頃の悪戯。
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