桜花歳時記
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卵酒
夜半から強い風が吹いていた。
かたん、と音がした気がして目を開ける。
いまだ夜の明けぬ薄暗い中、私は炭櫃の小さな灯の中でうたたねをしていたようだった。
風邪で屋根でも飛んだのかといぶかしんで、それから隣の部屋からだと気が付く。
「戸部先生…?」
「起きている、入りなさい」
戸を開けると、戸部新左ヱ門先生が起き上って灯をさしていた。
寝間着一枚では身体にさわる。
あわてて上着を差し出す。
「駄目ですよ、起きては」
先生は、私の顔を見るなり息を吐いた。
「ずいぶん心配をかけたようだな」
申し訳なさ半分、呆れ半分、といった表情に、私はようやく安堵した。
「だって先生がご飯を残されたときには、本当に…、何か、大変な病かと思ったんですもの…。もしくは敵に毒を盛られたのかなとか…」
「お前はなぜそう極端なのだ…」
「ただの食中毒で本当に良かった」
いや、それはそれで辛いのだが。
そう、口には出さずに視線で訴えてくる先生に、私は安堵する。
先日とは違い、受け答えもはっきりとしていて、背筋も伸びている。
とりあえず、山場は越えたようだった。
枕元にある茶碗に白湯を注ぐと、戸部先生は視線で頷いてそれを傾けた。
「本当に心配しました」
「うむ…、やはり迂闊なものを食べるものではないな」
「お一人のときは旅籠が無いような街道は絶対に通らないでくださいな」
本当に、本当にお願いします。
ひらに頭を下げる私に、先生はバツが悪そうにひとつ頷いた。
ガタ、と時折大きく風があばら家を揺らす。
「先の雨から、急に冷え込みましたからね。大事になさってください」
「うむ…」
「というわけで、これをつくってみました」
「なんだ」
「卵をいただいたので卵酒を作ってみました。温まりますよ。それと鰍粥をどうぞ」
「………」
「そんなに警戒されなくても、腐ってなどいませんよ」
私の苦笑に、先生は目だけで笑った。
「ああ…。お前はもう休みなさい」
「では隣の部屋におりますので、何かあったらお呼びくださいね」
戸がしまるほんの少しの前に、
「心配を、かけた」
と、それだけ先生は言った。
風の音にまじって、ときおり卵酒をすする音が隣の部屋から聞こえた。
卵酒と鰍で毒殺を連想できた人は仲間です。
「鰍沢」は怪談の名手三遊亭圓朝の作。
鰍澤は山梨です。