桜花歳時記
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当年、酒初め
早稲の刈り取りは、すでにすんでいる。
稲藁の干した匂いが、野辺にふく。
まだまだ日差しは暑いが、風にはどことなく秋の気配があった。
目の前の家は、小さな…と言ってはなんだが、ごくありふれた農家だった。
軒先に瓢が干してある。
学園から借りてきた馬を手近な木につなぐと、私は軒をくぐる。現在、学園は秋休みの最中だった。
「ごめんください」
「はいはい、どちらさまで…って、おや?」
「こんにちは、乱太郎のお母上。私は…」
「いえいえ、覚えてますとも。学園の先輩ですよね。学園祭のときはご親切に…。あらあら、若衆姿が本当に似合うこと…」
「先輩!」
長くなりそうな母君の言葉を遮ったのは、その息子だった。
「乱太郎」
「どうしてここに?」
ぱあっと透る声音に振り返ると、赤毛のふわふわ髪の少年が畑から駆けてきた。
笠をかぶったその様子は、愛らしい案山子みたいだ。
一年は組の猪名寺乱太郎だ。
「母君から学園にお手紙をいただいて」
「ああ、それでわざわざ…、いやですよ、乱太郎に持たせるつもりでしたのに」
そう言って、乱太郎の母上は奥から一抱えの樽を持ってくる。
乱太郎が青くなった。
「もうっ、こんな重い樽、学園まで運ぶなんて無理に決まってるじゃないか、母ちゃんったら!」
馬に樽を背負わせて、私は徒で乱太郎と学園へ向かう。
秋休みは後半にさしかかっている。
「当年酒始めだな」
「そうです、うちの早稲で作ったそうです」
ついでに新米、それも白米をご馳走になった。
艶やかに光って、美味しかった。本当に。
「乱太郎の実家は立派な農家なんだな。たしか忍者と兼業されていたと聞いていたんだが…」
「はい、正確には『五流忍者』兼『一流農家』なんです」
辛辣な乱太郎の言いように、どちらが果たして猪名寺家の本業なのかは聞かないでおこうと思う。
農家は早稲が実ると、村で酒を造って寄り合いを開く。
猪名寺家から、今年一番にとれた米で作った酒を学園へ送るという旨の手紙がきたのだ。
「学園長先生も喜ばれる」
「はい。…ときに先輩はお酒はたしなまれないのですか?」
「………………」
「先輩?」
「乱太郎、忍者の三禁とはなにか」
「え、えっと、酒と欲、それに色、でしたっけ?」
「そう、酒とは溺れればたちが悪いものである」
「…先輩、飲めないなら飲めないと素直におっしゃってください」
「…うん」
素直に私は頷く。
私は飲めない。すぐに眠くなるタイプだ。
しかし「絡み酒で面倒くさいからお前とは呑みたくない」とは同級生の弁。そう言われても、そんな記憶はなかった。
給仕仕事は嫌いじゃない。宴会のときは主に肴を用意する係だった。
「給仕か…」
私は乱太郎を見る。
「そういえばあの二人も早めに登校してきたけれど…追試か?」
「きり丸としんべヱのことですか?いいえ、追試ではないんですけど、毎回いつも遅刻してしまうから、早めに登校しようって休み前に三人で打ち合わせたんです。なにか?」
「…いや、今日の食堂当番は、下ごしらえがいささか大変かもしれないと思ってな」
「?」
本日、酒が届くと聞いた学園長が、食堂のおばちゃんに希望された夕飯を記しておこう。
芋と根野菜の煮物、秋茄子と味噌の炙り焼き、鯖の焼き物、鶏の水炊き、最後にはうどんでしめる。
「ああ、うどんとか煮物とか鶏肉とか、本っ当、面倒くせえ!!」
「乱太郎、来年はお酒は控えるようにパパさんに言っておいてよぉ!」
「ぼくのせいじゃないよ!」
来年の酒は、学園長には届けずに、そっと医務室の消毒液として使おうと思います。
そんなふうに、乱太郎は伊作につぶやいたらしい。
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