短編
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「ふー…」
一息ついたところで、私は筆を置く。
火の気の少ない勘定方の仕事場は、底冷えがして指先まで痛い。
今度の赴任地は若狭だった。こちら側は、雪が深い。
今回は少し長くなる予定だ。
畿内に残っても良い。そう言い聞かせたが、妻はついてきた。
残してきても良かったが、それはそれで心配でもあったから、正直ほっとしている。
「わっ」
同僚の声がした。
「どうした?」
「あ、すまない、任暁。しかしなんだ、この算盤は」
私の算盤を動かそうとして動かなかったらしい。
「悪い、特注品なものでな」
「こんなものまで…。鍛錬か」
「勘定方に移動してしまった以上、こうでもしないと身体がなまってしまうからな」
「お前は良いな。勘定方にしておくぶんには勿体ない。武の腕も良いし頭もキレる。上の方で評判になっているそうだぞ。良い拾いものだとな」
同僚の言葉に、私は苦笑した。
謙遜ではなく「お前もだろう」と呟く。
この男、多少愚鈍に見えるが、その実は誠実にして実直。
そういう人間が、得てして可愛がられるのだ。
「謙遜するなって、お前、線は細いが根っこは猪のようだと評判だ」
「猪っ!?」
それは、自分ではなく某・先輩の方だろう。
優秀であるという評価は当然だが、猪扱いは大いに心外だ。
そうして、同僚は戸を開けて出て行こうとしてから、振り返る。
「今年の冬は、寒いぞ」
「これ以上か…」
「若狭の冬は初めてか?」
「私は瀬戸内の生まれなんだ」
「違うか」
「違うな」
私は席を立つ。
奉公先の屋敷を出ると、雪がちらついていた。
暗闇でも歩けなくはないが、忍びであることがバレてもまずい。
そう思って、手元の油に火を灯した。
長屋の戸をあけると、闇の中から声がする。
「旦那様」
「起きていたのか?」
「はい」
「先に休めと言ったはずだ」
「休んでおりましたよ。知った足音にたまたま目が覚めてしまったのです」
「そうか」
「昔の癖です、お気になさらず」
「…そうか」
そう笑いながら、妻は炭櫃に火をおこした。
白湯を差し出してきた彼女に、私は視線だけで応えた。
「寒かったでしょう」
「もっと寒くなるらしい」
「そうなんですか…。なにか、食べるものをご用意いたしましょうか?」
「いや、良い」
「では、肩でもおもみいたしましょうか」
「…私を年寄り扱いしていないか」
「とんでもない」
妻はくすくすと笑った。
触れた手のひらと夜着は冷えている。布団の中にいたとは思えない。
「…どうかされましたか」
「いや」
短く呟いてから、私は妻を抱き寄せた。
手先と同じく、ひやり、と柔らかく冷たい。
そのまま、唇を重ねる。
「布団の中にいたようにはみえんな」
「意地悪ですね、相変わらず…」
相変わらず。
その言葉に、過ぎた昔を思い出して、お互いに笑った。
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