【不知火知弥編】
日課である朝のジョギング中に不注意で眼鏡を壊してしまった木手。
すぐに代えがきかないということで、眼鏡がないまま生活をするはめになった。
学校までは幼馴染の田仁志と登校したお陰で何事もなく、朝練も極力ボールを使わないトレーニングでやり過ごした。
問題は、学生の本業――授業中である。
案の定、黒板の文字は薄ぼんやりとしか認識出来ず、教師の発した言葉を書き留めるしか出来なかった。
休み時間は、速記にも近い文字を整理するのに時間を割いた。
「木手、ノート…見るか?」
同じクラスの不知火が、木手に声を掛けてきた。
「え?」
部活も同じとはいえ、不知火から声を掛けてくることは珍しく、木手は一瞬戸惑った。
その木手の間に、自分の唐突さに気付いた不知火は、慌てて説明する。
「や、授業中、黒板見えづらそうにしてたから…」
不知火の行動に合点がいった木手は、不知火のノートを受け取った。
「ありがとうございます」
木手は微かに笑う。
「お前ほど綺麗に書いてねぇけど…」
その笑顔に、不知火は照れる。
「いえ、凄く助かります」
木手は借りた不知火のノートをひと通りパラパラとめくった。
「………?」
暫く白紙が続いた後、再び文章らしきものが出てきた。
板書を写したものにしては不自然な行間に、思わずノートを顔に近づけ凝視してしまった。
『…短歌?』
初めのうちは木手が一定のページで目を留めたことを不思議に思っていた不知火だが、数秒間を空けてから漸く自分のやらかした事に気付いた。
「あ!ちょっ…木手!ちょっと待て」
不知火は慌てて木手の手からノートを奪い取る。
不知火の慌てようから見られたくなかったものと悟った木手は、その不知火の様子に思わず笑ってしまった。
「不知火君でも授業以外のこと考えたりしてるんですね」
「……ま、まあ…」
「でも、短歌ってロマンチックじゃないですか?不知火君が創ったの?」
すぐにノートを取り上げられたので言葉の意味まではわからなかったが、恋の歌のようだったと木手は思い返す。
「…いや…誰かのやつ」
「ふーん…」
「古典の時間に気になったつーか…」
しどろもどろに答える不知火。
これでは言い訳しているみたいだと思いつつ、旨く言葉が出てこなかった。
当の本人は不知火の意外な側面を知ったと喜んでいる風でもある。
そんなことにさえ、不知火は愛しさを感じていた。
『忍ぶ恋、か・・・』
不知火は木手に気付かれないように静かに自嘲した。