「仁王君、１４日の都合は如何ですか？」

一昨日、珍しくヒロの方から誘いを受けた。

「よろしければ、うちにいらっしゃいませんか？」
もちろん、二つ返事で「行く」と答えた。
２月の１４日といえば、恋人達の甘い記念日じゃないか。
しかも自分の家に招待とは、さすがの奥手なヒロでも何も無いわけがないだろう。

俺はその日から１４日が来るのを楽しみに待ち、そして当日は、妙な興奮と期待で柄にもなく浮かれていた。



…が、浮き足立ってヒロんちへ行けば、玄関先で見知った顔を見つける。
浮かれ気分が一気に萎えた。

「何だ、仁王も招待されていたのか」
そこには、部長の幸村をはじめ、毎日顔を合わせているテニス部のメンツが揃っていた。
「皆さんお揃いだったんですね。どうぞあがってください」
玄関先で、ヒロがにこやかに出迎える。
「早くごちそう食いたいッス」
「ヒロちゃんちの料理なら美味そうなもんいっぱいなんだろうなー」
「ブン太…涎出てるぞ…」
呆然とする俺を余所に、他の連中は次々にヒロんちへ入っていく。
「大方、お前だけが呼ばれたと思ったのだろう。残念だったな、雅治」
参謀は俺の横を通りすがら、薄っすらと目を開き、俺を一瞥した。


「どういうことじゃ」
俺はヒロんちへ入る早々、ヒロに詰め寄った。
「どう…とは？」
「なんでレギュラー全員招（よ）ばれとる」
「親戚からリンゴを大量に頂きまして、食べ切れないので、ティーパーティでもして皆さんに振舞おうかと」
「…それだけ…？」
「他に何か？」
「…いや…」
過剰な期待をした俺が馬鹿だった。
俺はがっくりと肩を落とし、その場でしゃがみこんだ。
「では、皆さん、暫くゲストルームでお待ちください」
ヒロはそう言ってキッチンへ向かった。
ここで待つのもつまらんと、俺もヒロの後についていった。

「仁王くん？お手洗いですか？」
「いや…俺も何か手伝う」
「お客の立場なのですから、そんな気を遣わなくてもいいですよ」
「あいつらといてもつまらんし」
「……そうですか？」
ヒロは困った感じであったが、一緒にキッチンまで連れていってくれた。
「アップルパイを作ろうかと思いまして」
下手すると人一人住めそうなぐらい広いヒロんちのキッチンは、中央に大きな作業台が贅沢に幅を利かせていた。
「なんじゃ、調理実習みたいじゃの」
ヒロんちのエプロンを借り、俺はパイ生地作りを任された。
横では、ヒロがリンゴを切り始めている。
「ヒロは４つ切りにしてから皮剥くんか」
「え、ええ…」
「それじゃあ時間がかかるじゃろ」
俺はまだ剥いてないリンゴを手に取り、リズムよく回しながら皮を剥いてやった。
「さすが仁王君、器用ですね」
途中切れることなく剥いた皮を摘まみながら、ヒロが感嘆のため息を漏らす。
褒められるのは気分がいい。
「これぐらい、当たり前だろ」
「私はどうも、４つ切りにしてから剥く方がやり易くて。こんなのとかは得意なんですよ」
そう言ってヒロが見せたのは、皮を途中まで残し、真ん中で笹状に切りこみを入れた、所謂うさぎリンゴだった。
それを手にしてはにかむヒロに、俺は不覚にも撃沈した。
『なんて愛らしさじゃ…！』
思わずヒロに抱きつく。
「ちょ、仁王くんっ！！」
身じろぐヒロにお構いなしで、俺はヒロの柔らかい抱き心地に酔いしれた。
「刃物持っているんですから、危ないですよ！」
「…ああ…」
なんとか落ち着きを取り戻し、俺はヒロから離れる。
少し、名残惜しいけど。
「もう、真面目にやりたまえ」
パタパタとエプロンを直し、ヒロは再び作業を開始する。
その後も、俺は、調理中のヒロの可愛い仕草に理性を失いかけたり戻したりと忙しかった。
エプロン姿で俺に笑顔を向けるお前さんが悪い。


何度目かの理性を失くして抱きついていたら、参謀がキッチンへ顔を出した。
「比呂士、赤也がそろそろ痺れを切らしてきたので、様子を見に来たんだ、が…」
「や、柳くん…！」
ヒロは明らさまにホッとした表情をした。
参謀は俺を見るなり、事情を把握したらしく、呆れた顔をした。
「人手がいるようなら、何か手伝うか？」
「俺がいるから手は足りとる。参謀は大人しく座っとれ」
余裕がないと思われるのは癪だが、参謀に対して牽制した。
「逆にお前がいるから比呂士の作業が進まないのではないか？」
「大丈夫ですよ、柳くん。もうすぐ出来上がりますから」
「そうか？比呂士がそういうなら…」
さすがの参謀もヒロの言葉には従うしかないようだ。
俺に対して何か言いたそうだったが、大人しくゲストルームへ戻って言った。
「後は焼き上がりを待つだけですね」
「んじゃ、皆に出来たって言ってくるわ」
エプロンを外し、キッチンを出ようとしたところで、ヒロに声を掛けられた。

「あ、仁王君は先にこちらをどうぞ」
目の前に差し出されたのは、他のパイには無いチョコのコーティングがされていた。
「これ…」
「どうやって渡そうかと考えていたのですが、仁王君がこちらを手伝ってくださったので丁度良かったです」
「ヒロ…」
いつの間に作ったのか、まだ温かいパイは、見た目からサクサクとして美味そうだ。
「切原君達に見つかると煩そうですから、ここで召し上がってください」
フォークでパイを一口サイズに切れば、中からリンゴがトロリと出て来た。
シナモンの香りと、チョコの味。そして、リンゴの甘酸っぱい酸味。

「仁王君だけ、バレンタイン仕様の特別です」
ヒロはまた理性を無くしそうなぐらいの愛らしい笑顔を俺に向けた。

幸福で満たされるというのはこういうことか、と俺はパイの味を噛み締めた。