眼鏡夫婦
乾貞治は、生まれて初めて足を踏み入れる宝石店に些か緊張していた。
一見無表情にみえるその奥で、脳内は何度もシミュレートした段取りを繰り返す。
『落ち着け、貞治…たかが指輪一つ買うだけじゃないか…』
ぎこちない動きで店内をまわるが、目が泳ぐ。
「贈り物でしょうか?」
「あっ、は、ハイ」
ふいに店員に声を掛けられ、思わず声が上擦る。
「恋人の方への贈り物でしょうか?」
「はあ…まあ…」
「でしたら、こちらは如何でしょう」
店員は手元をかざす動作で、ショーケースの商品に視線を促す。
「そうですね…」
ライティングの効果か、装飾の石が光輝き眩しかった。
「あの、そんなに華美で無くていいんですけど…そんな感じのってありますか?」
「少々お待ち下さい」
店員は別のショーケースからいくつか見繕って持ってきた。
乾はその中の一つにすぐに目がいった。
小さい宝石がワンポイントとして二、三付いている程度の控えめな装飾。
しかし、そのフォルムは気品に溢れ、先ほど見た指輪と同じくらい、否、それ以上の高級感を漂わせ、一瞬で惹き付けられた。
「こ、これください!」
まさに、一目惚れであった。
国内有数の国際線発着地である空港の待ち合いフロアで、乾は時間潰しに持ってきた文庫小説を読みながら、目当ての飛行機が到着するのを待っていた。
次の章に差し掛かったところでしおりを挟み、腕時計を見る。
針が到着予定時刻を指した事を確認し、席を立つ。
乾は到着ゲートから次々と出てくる乗客から待ち人を探す。
東の島国に降り立ち心躍らせている外国人家族、ツアーの添乗員に付いて歩く団体客、見過ごすまいと人だかりの隙間に視線を凝らす。
人もまばらになった頃、漸く待ち人の姿を確認する。
「おかえり、手塚」
端から見れば淡白な挨拶だが、乾は全身で喜びを感じていた。
「ああ」
迎えられた青年も乾同様あまり表情を変えるタイプではないらしい。
他人から見ればそっけなくみえる返事にも、乾はにこやかに対応した。
それが当たり前の事のように青年の持つ荷物を受け取り、空港の駐車場に向かう。
「中継見たよ。あの選手に4ゲーム取ったのは凄かったな。ランクも上げたし」
「だが勝たなければ意味がない」
「“油断せず行こう”か?変わらないな…」
待ち人の青年――手塚は、プロテニスプレイヤーとして国外の数々の試合に出場し、今日は久しぶりのオフとなり母国へ帰ってきた。
学生時代から付き合いがあり、今でもマメに連絡をくれる乾にだけは、帰国日時を知らせていた。
手塚の荷物を後部座席に置くと、乾は運転席、手塚は助手席に乗り込む。
「あ、あのさ」
乾は少し手塚の方に身体を向け、胸ポケットから車のキーではない別の物を取り出した。
「…こんな所で何だけど…これ、貰って欲しいんだ」
「何だ?」
手塚は乾に左手を取られ、されるがままに乾の行いをじっと見つめた。
「乾、こんな高価なもの…」
自分の薬指にはめられた指輪を凝視する手塚。
「俺の気持ち。形だけでも段取り踏みたくて」
「…………」
薬指の指輪が何を意味するのか、テニス馬鹿と言われがちな手塚でもさすがに理解出来る。
「挙式は出来ないけど」
乾の言葉に手塚は一瞬表情を曇らせた。
「乾、明日は仕事早いのか?」
「いや、休みだけど?」
「ならばこのまま実家に泊まれ」
「え…」
「どうせなら二人一緒に報告した方がいいだろう?」
「報告って…それってつまり…」
「恐らく母はこの指輪にすぐに気付くだろうからな。言及されるのは明白だ」
「うわっ、ちょっ、いくらなんでもそれは急だよ」
乾は手塚の家人に挨拶をする自分を想像して、慌てる。
「お前は、覚悟もなしに俺にこれをくれたのか?」
「いや…そうじゃないけど…」
「一生責任取れよ」
微かに笑みを浮かべる手塚。
手塚の綺麗な笑みを見て、これ程の口説き文句は無いと乾はときめきを隠せなかった。
「勿論だよ」
乾は覚悟を決め、漸く車のキーをまわす。
車は二人の前途を示唆するように、軽快に走り出した。
一見無表情にみえるその奥で、脳内は何度もシミュレートした段取りを繰り返す。
『落ち着け、貞治…たかが指輪一つ買うだけじゃないか…』
ぎこちない動きで店内をまわるが、目が泳ぐ。
「贈り物でしょうか?」
「あっ、は、ハイ」
ふいに店員に声を掛けられ、思わず声が上擦る。
「恋人の方への贈り物でしょうか?」
「はあ…まあ…」
「でしたら、こちらは如何でしょう」
店員は手元をかざす動作で、ショーケースの商品に視線を促す。
「そうですね…」
ライティングの効果か、装飾の石が光輝き眩しかった。
「あの、そんなに華美で無くていいんですけど…そんな感じのってありますか?」
「少々お待ち下さい」
店員は別のショーケースからいくつか見繕って持ってきた。
乾はその中の一つにすぐに目がいった。
小さい宝石がワンポイントとして二、三付いている程度の控えめな装飾。
しかし、そのフォルムは気品に溢れ、先ほど見た指輪と同じくらい、否、それ以上の高級感を漂わせ、一瞬で惹き付けられた。
「こ、これください!」
まさに、一目惚れであった。
国内有数の国際線発着地である空港の待ち合いフロアで、乾は時間潰しに持ってきた文庫小説を読みながら、目当ての飛行機が到着するのを待っていた。
次の章に差し掛かったところでしおりを挟み、腕時計を見る。
針が到着予定時刻を指した事を確認し、席を立つ。
乾は到着ゲートから次々と出てくる乗客から待ち人を探す。
東の島国に降り立ち心躍らせている外国人家族、ツアーの添乗員に付いて歩く団体客、見過ごすまいと人だかりの隙間に視線を凝らす。
人もまばらになった頃、漸く待ち人の姿を確認する。
「おかえり、手塚」
端から見れば淡白な挨拶だが、乾は全身で喜びを感じていた。
「ああ」
迎えられた青年も乾同様あまり表情を変えるタイプではないらしい。
他人から見ればそっけなくみえる返事にも、乾はにこやかに対応した。
それが当たり前の事のように青年の持つ荷物を受け取り、空港の駐車場に向かう。
「中継見たよ。あの選手に4ゲーム取ったのは凄かったな。ランクも上げたし」
「だが勝たなければ意味がない」
「“油断せず行こう”か?変わらないな…」
待ち人の青年――手塚は、プロテニスプレイヤーとして国外の数々の試合に出場し、今日は久しぶりのオフとなり母国へ帰ってきた。
学生時代から付き合いがあり、今でもマメに連絡をくれる乾にだけは、帰国日時を知らせていた。
手塚の荷物を後部座席に置くと、乾は運転席、手塚は助手席に乗り込む。
「あ、あのさ」
乾は少し手塚の方に身体を向け、胸ポケットから車のキーではない別の物を取り出した。
「…こんな所で何だけど…これ、貰って欲しいんだ」
「何だ?」
手塚は乾に左手を取られ、されるがままに乾の行いをじっと見つめた。
「乾、こんな高価なもの…」
自分の薬指にはめられた指輪を凝視する手塚。
「俺の気持ち。形だけでも段取り踏みたくて」
「…………」
薬指の指輪が何を意味するのか、テニス馬鹿と言われがちな手塚でもさすがに理解出来る。
「挙式は出来ないけど」
乾の言葉に手塚は一瞬表情を曇らせた。
「乾、明日は仕事早いのか?」
「いや、休みだけど?」
「ならばこのまま実家に泊まれ」
「え…」
「どうせなら二人一緒に報告した方がいいだろう?」
「報告って…それってつまり…」
「恐らく母はこの指輪にすぐに気付くだろうからな。言及されるのは明白だ」
「うわっ、ちょっ、いくらなんでもそれは急だよ」
乾は手塚の家人に挨拶をする自分を想像して、慌てる。
「お前は、覚悟もなしに俺にこれをくれたのか?」
「いや…そうじゃないけど…」
「一生責任取れよ」
微かに笑みを浮かべる手塚。
手塚の綺麗な笑みを見て、これ程の口説き文句は無いと乾はときめきを隠せなかった。
「勿論だよ」
乾は覚悟を決め、漸く車のキーをまわす。
車は二人の前途を示唆するように、軽快に走り出した。