眼鏡女王
「うえっ、すげぇ降ってる」
行き付けの美容院でこざっぱりした平古場が店のドアを開けると、雨粒がバタバタと大きな音をたて地面を叩き付けていた。
「折角綺麗に染め直したのにね」
顔馴染みとなった店長も出入口から外を見る。
いつもなら傘が無くても走って帰るところだが、整えたばかりの髪を濡らすのは気分的に嫌だった。
「ヤスにーに、カサ借りてい?」
「止むまで待ってたら?」
「んー…でもいいや。
「そ。じゃあ気を付けて。傘返すのは次来た時でいいからね」
「にふぇー」
店長から傘を受け取り、平古場は店を出た。
美容院がある商店街から家に向かって歩いていると、前方に地面を蹴らず一歩で跨ぐような独特の歩行で急いでいる木手がいた。
『縮地で少しでも進もうってか…』
緩む口元を必死に堪えながら、平古場は木手に追い付こうと急いで駆け寄った。
「永四郎、入ってけよ」
「平古場クン…」
自分の名を呼ばれた木手は、平古場が差し出した傘の下で漸く足を止めた。
「見事に降られたなぁ」
「ええ…もう、最悪ですよ」
木手は髪に付いた滴を邪魔そうに払う。
その拍子にシャツの隙間から覗いた鎖骨が、雨に濡れて妙に艶かしく感じた。
「…なあ、家まで送ってやろうか?」
「いいんですか?」
「お前放ってこのまま帰るわけにもいかねぇし」
「それは…ありがとうございます」
木手はどこか警戒しながらも平古場の差し出す傘の中央に寄り、家に向うため再び歩を進めた。
「やっぱ直ぐ店出て正解だったな」
「何?」
平古場の呟きは雨音に紛れ、木手の耳には届かなかった。
「別に。雨も悪くねぇなって思っただけ」
美容院で雨が止むのを待っていたら木手とこうして出会うことはなかったと思うと、平古場はあの時とった自分の行動を褒めたくなった。