眼鏡夫婦

「越前、そこのリターンはもう少し右に重心を置いた方が入り易くなるよ」
「……っス」

青春学園中等部に入学して1ヶ月。
ここのテニス部は都内でもそこそこ強いらしい。
そんな所に入学できた事をラッキーだと思う。

何より、あの人に会えた事は運命にすら感じた。



「後は…ひたすら背を伸ばすだけだな」

今、目の前でノートを広げて俺にアドバイスをくれている先輩は、初っ端の校内ランキング戦で俺が負かした相手だ。
でも、先輩の集めたデータは結構役に立ち、実際こうしてアドバイスを受けているわけだが、身長の事だけはあまり言われたくない。
こればっかりは自分でどうにか出来るものでもないし。

「…もういいッスか?」
「ん?…あぁ、じゃあ、向こうのコートで練習してていいよ。今、言った事憶えておけよ」
「……っス」
俺は帽子を目深に被り、コートへ向かった。

去り際、俺と入れ替わるようにあの人が先輩に声を掛けた。
「話は終わったか?」
「うん。何?」
「少し見て欲しい所があるんだが…」
「どこ?」
「あの…」
部活のメニューの事だろうか。
先輩は俺と話していた時と変わらない笑顔で、あの人の話を聞いている。

あの人もいつもと変わらない、眉間に皺を寄せて難しい顔をしている。

なのに、何だろう。

二人を纏うあの空気は…


いつもと変わらない筈なのに、先輩の口調は優しかった。


いつもと変わらない筈なのに……


『……あ、笑った…』



あの人の表情は柔らかかった。

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