旧暦３月３日には、浜下りという行事がある。
家族や地域ごとで近くの海辺へ料理を持ち寄り、潮干狩りをする。
美男に化けた蛇に狙われた姫君が、その穢れを祓うため海水で手足を清めたという言い伝えから、女性が厄災を祓うための行事でもある。
場所によっては海で亡くなった死者を供養するところもある。


俺が生まれてから１１年目の浜下りの日。
中々目ぼしい収穫が得られなかった俺は、潮干狩りに飽きかけていた。
何か面白いことはないかと、近くをうろついていると、俺と同じ年くらいの子どもがいた。
声を掛けようと近付いてみる。

ヤツのバケツの中をなんとなしに覗いてみた。
いっぱいとまではいかないが、バケツの底が見えないぐらいには貝が入っていた。
つい、俺のバケツと見比べてしまう。
「お前、ずいぶん採ってんな」
ヤツは貝を採る手を止め、顔をあげた。
眼鏡をかけた生真面目そうなカンジの野郎だった。
「キミが要領悪いんじゃないの」
俺のバケツが外からでも軽そうに見えたのか、ヤツは鼻で笑った。
キツい物言いをするそいつに、俺はカチンときた。

第一印象は最悪だった。

「んだよ。そんなちまちま小っせぇ貝ばっか。自慢になんねぇよ」
気に食わないなら相手にしなきゃいいだけなのに、俺は何故だが、初対面のこいつを負かしたいという気持ちになった。

「おい！どっちがいっぱい採れるか勝負しようぜ！」
ヤツは面倒くさそうに右手で眼鏡の縁を上げた。
「勝負というからには、勝者にはそれ相応の見返りがあると思っていいの？」
「…お、おう…！」
「じゃあ、いいよ。付き合ってあげる」
ヤツが不気味に笑ったので、絶っ対ぇ負けられねぇと思った。
「今から採るやつだけだからな。それは数に入れんなよ」
「…わかりましたよ」
ヤツは一旦バケツを家族の元へ置いて行き、空のバケツを持ってきた。


「よーし、スタート！」

俺達は背中合わせになって貝を探す。
この時の俺は、偉そうにしているヤツの負ける姿が見たいという気持ちだけが突っ走っていた。
ヤツに「バカにしてごめんなさい」って謝らせ、俺の凄さを認めさせ、それから…

それから………？



「ねぇ、見て！大きいハマグリ！」

急にヤツが俺の方に振り向いた。
興奮してるのか、ヤツは声を上げて俺に特大のハマグリを見せびらかした。
「！！」
今までのイケスカねぇ雰囲気とはまるで違うことに驚いて、俺は思わず絶句してしまった。
「……あ、」
俺に話しかけたことに気まずくなったのか、ヤツは頬を赤くして俯いた。
「…す、すげぇな…」
俺も何だか照れ臭くなって、どう会話していいのかわからなくなった。
妙な沈黙が流れてしまい、どうしようかと考えていると、ヤツが徐に立った。

「お、俺、もう戻らないと…」
「え…」
見計らったかのように、遠くから大人が叫ぶ声がした。
「親が呼んでるし…」
どうやらコイツの名前を呼んだらしい。
「…そっか…」
暫く一緒に居たせいか、いざ別れることになると妙に寂しくなった。
「これ、あげる」
それは、さっきヤツが採った特大ハマグリ。
「い、いいのか？」
「うん。楽しかったから」
「なあ、また遊ぼうぜ！」
名前もどこに住んでるのかも知らないのに、俺はついそう言ってしまった。
「…うん。またね」
ヤツは今までの仏頂面が嘘のように、柔らかく微笑んだ。




その“また”は意外に早く訪れた。

「あ、ハマグリ君」
「お前…！」

中学入学式のことだった。
クラス分けの掲示板の前で、ヤツと再会した。
「…っ、ハマグリじゃねぇっ！」
相変わらず、対面した時の印象は最悪だった。
「俺は平古場凛ってんだ。覚えとけ！」
「ヒラコバくん……」
ヤツは俺の名前を反芻した後、掲示板を見た。
「俺は木手永四郎。同じクラスだね、平古場クン」
ヤツは１年前の去り際に見せた時と同じように笑顔を向けた。

これが運命の出会いだと感じたって告白したら、ヤツはまた鼻で笑うだろうか。

俺はあの時貰ったハマグリの貝殻を、今でも後生大事に持っている。


何よりも、一番嬉しい誕生日プレゼントだったから―――