午前３時、木手の携帯電話から着信を知らせるメロディが鳴った。
常時なら非常識な時間帯であるが、今日は１月１日。
昨年末に「一緒に日の出をみよう」と言った甲斐からの電話であった。



「こういう時は遅刻しないんですね」

木手の家の前まで迎えに来た甲斐への、新年の第一声だった。
「だって、一秒でも遅れたらゴーヤー食わすとか言うし…」
「で？どこ行くの？辺戸（へど）？」
朝日がよく見えるという有名な場所を候補に出す木手に対して、甲斐は首を横に振った。

「俺のおすすめビューポイントがあるんだけど」

嬉々として言う甲斐に対して、大人しく従った事を後悔する羽目になるとは、この時の木手は思いもしなかった。



奥深い山道を歩く。
薄っすらと空が白くなりだしてきたが、森の中はまだ暗い。
甲斐を先頭に、懐中電灯で足元を照らしながら進む。

「この先の崖から見える海がすごいキレイなんだよ」

懐中電灯の明かりで微かに見える吊り橋。
その橋の先の頂上付近を指差す甲斐。

「……先って…この橋を渡るんですか？」
周りを照らしてみると、断崖というほどではないが、でも命の危険は感じるほどの高さだと推測できる谷の深さだった。

「にいちゃんと海釣り行った時見つけてさぁ、永ちゃんにも見せたいと思って」
木手がそわそわとしだしていることに甲斐は気付かず話しを続ける。

「本当にここを渡るんですか？」
木手は念押しした。
「え？うん。もうすぐ陽が昇りそうだし急ごう」
甲斐が躊躇なく足を踏み入れると、吊り橋の縄がギシリと音をたてた。
年季の入った吊り橋は、ちょっとでも動かしただけで千切れそうだった。
一度人が渡った後というのはさらに脆くなるはずだ。
そう考えた木手は、甲斐を呼び止める。
「俺が先に行きます」
「あ、そう？」
甲斐が進路を空ける。

木手が渡ろうとした時、ふと、別の思考が過ぎった。
何も知らずに脆い場所に足を踏み入れるのも自殺行為だ。
ここは何度も訪れているだろう甲斐の渡る様子をみるのが得策だろうと考えを改めた。
「やっぱり甲斐クンが先で…」
「どっちだよ！」
半ば甲斐の背中を押すような感じで、木手は恐る恐る吊り橋を渡った。
微かな風ですら吊り橋は揺れた。
先を行く甲斐の背中越しに、木手は橋の先を見つめる。

『いつ着くんだろう…』

実際の距離はそう長くもないが、木手にとっては永遠に続く道のように感じた。
暗くて不明瞭になっている最終到着地点が余計に不安を煽り、絶望にも似た負の感情が木手の歩みをさらに遅くした。

「永ちゃん？」
甲斐が橋の真ん中あたりで一旦立ち止まり、後方の木手の様子を伺う。
「大丈夫？」
完全に足が止まってしまった木手を心配して、急いで木手の元へ駆け寄った。
その拍子に橋が大きく揺れる。

「か、甲斐クンっ、走らないでくださいっっ」

悲鳴に近い木手の怒声に、甲斐は驚く。
「…ご、ごめん。気分悪くなったのかと思って…」
「気持ちは有難いですが、走っていい場所かどうかよく考えてください」
蹲った木手のために甲斐が手を差し出すが、木手は無視して自力で立ち上がった。
差し出した手を持て余した甲斐は、誤魔化すように頭を掻く振りをした。

「あ、ホラ！あともうちょっとだよ！」
甲斐が再び進行方向に向き直る。

その時、一際大きく橋が揺れた。

「！！」
木手は思わず甲斐の腕にしがみ付く。

「す、すみません」
いつもの高飛車な様子が無い木手の態度に、甲斐は何かに思い当たったように手を打つ。

「あ！永ちゃん、もしかして高いの怖い？」

「…………」
高い所というより、不安定な吊り橋を渡っていることが恐怖だった。
言い訳をするのも億劫で木手が黙していると、甲斐はそれを肯定と採った。
「怖いなら怖いって言ってよ～。永ちゃんって変なとこで意地張るよね。まあ、そんなところも好きだけど…」
一人ぶつぶつ言う甲斐に対し、まだ微かに揺れる橋に意識がいって木手は口を開くことすら出来ないでいた。

そう、木手は揺れることが非常に苦手だった。
これが頑丈な鉄橋だったらこんなに怯えなくて済んだはずだ。

「掴まってて」
心なしか顔色が変わっている木手に気付き、甲斐は自分の方に木手を引き寄せた。
そして、木手の歩調に合わせるようにゆっくり歩く。

「不覚ですね…」
「何か言った？」
「いえ…」
今日ほど甲斐を頼もしく思えたことはないと、木手は甲斐に全てを任せた。



「永ちゃん、着いたよ」
「あ、有難うございます…」
甲斐の一言で彼の腕にしっかりとしがみ付いていたことに気づいた木手は、取り繕うように素早く自分の腕を外し顔を背けた。
背けた先に、甲斐が見せたかったという海が広がる。

「ここが俺が見せたかった場所！」

水平線が明るくなり、丁度良く朝日が顔を出し始めたところだった。
「キレイ…」
景観の邪魔をする障害物は一切なく、ただ広い海と大きな空が目前に広がっていた。
木手は目の前の景色になんと言って良いかうまい言葉が見つからず、安直な表現しか出てこない自分をもどかしく思った。

木手が目の前の光景に感動して呆けていると、隣りで柏手を打つ音が聞こえた。
音のする方に顔を向けると、甲斐が朝日に向かって両手を合わせて拝んでいた。

「今年こそ永ちゃんが俺のこと好きになってくれますように！」

感動を殺がれるような甲斐の言葉に、木手は思わず絶句した。
「今年こそ永ちゃんを俺の虜にさせるんだ！今日がその第一歩！」
「…何ソレ…」
「こんな絶景シチュで口説かれたら落ちるっしょ？！」
「…別に」
「えぇ？！にいちゃんから絶っ対ウマくいくって聞いたのに！」
予想と違う木手の態度に甲斐は口を尖らす。
「お兄さんの入れ知恵でしたか…そんなことしたって意味無いのに」
木手は、肩を落とす甲斐を慰めるように背中に手を置く。

「だって…」




だって、もうキミの事――――