眼鏡女王
花の色 雲の影
音楽室から聞こえるピアノの音。
卒業式の定番合唱曲だが、歌っているのは少年一人。
ピアノの音が途切れると、少年は息を吐いた。
「うん。出だしはもう少し、強くはっきり発音した方がいいな」
「…はい」
「まあ、でもパートの音も取れているし、大丈夫だろ」
少年は、音楽教師の言葉に漸く肩の力を抜いた。
「わざわざ時間を取って頂いて…有難うございました」
少年は歌詞カードを鞄に仕舞い身支度をする。
「いや、このぐらい。特待生の補習なんて単なる出席数合わせるためのようなものだしな」
「そんな…」
「早乙女先生が羨ましい」
「え?」
突然出てきた己の部活の顧問の名前に、少年は目を丸くする。
「教え子がスポーツ特待生として進学して、君がプロで活躍したら先生も鼻が高いだろう」
「…あの人は…俺の事なんて忘れますよ」
部活中のやり取りでも思い出したのか、少年が目を伏せた。
「そう?」
「出来が悪いし」
「俺だったら離さないのにな。君みたいな……」
教師がピアノ椅子から立ち、少年に詰め寄った。
息が掛かるくらいの距離まで来て、少年の腕を掴もうとした瞬間、少年の携帯電話のバイブの音が響いた。
「…!すみません。ちょっと電話に…」
逃げる口実が出来たと少年は安堵し、電話に出る。
「あ、終わりました…。ええ、はい…」
教師に聞かれないよう少し離れて背を向ける。
手持ち無沙汰になった教師は窓の外を眺めた。
「………」
眺めた視線の先に入った光景。
聞こえてくる少年の会話と、自分が目にした光景に、教師は無意識に笑みがこぼれた。
「…別にそんな事…ただ雑談を……あ、!」
教師は会話中の少年の電話を無理矢理取り上げた。
「早乙女センセ、遠くで見てないでこっち来たらどうですか?」
教師が顔を向けている窓に少年も視線を移した。
「…!」
音楽室の窓から見える向かいの廊下で、厳しい顔をした部活の顧問が携帯電話を持って立っていた。
「俺、五年待つほど辛抱強くないんで」
教師が早乙女に挑発めいた発言をした途端、通話が途切れた。
教師は耳から携帯電話を離すと、そのまま少年に返した。
「はい。早乙女先生、慌てて走っていったなぁ。もうすぐ怒鳴り込んでくるでしょ」
少年は警戒しつつ教師から電話を受け取った。
少し上目遣いの、少年の物言いたげな表情に、音楽教師は苦笑した。
少年が自分に問いたいことを、何となく悟ったからだ。
とりあえず何かを発しようと教師が口を開きかけた時、けたたましくドアが開いた。
「木手ぇ!呼び出してんだ、さっさと来い!」
音楽教師の予想通り怒鳴り込んで来た早乙女は、有無も言わさず木手と呼ばれた少年の手を掴み、引っ張った。
少年は急いで鞄を手にし、早乙女についていく。
少年が音楽教室から去る間際、音楽教師は少年に声を掛けた。
「さよなら、木手君。俺は忘れないよ、君のこと」
君の声―――
いざさらば
輝かしい明日の日のため