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八月半ば。日は傾きはじめ、空は赤い。どろりと熱い風がわたしたちの身体を撫でた。
少し前を歩く男を見上げる。前髪に隠れた顔の左側は、包帯に覆われている。
「晋助、この季節は包帯暑くない?」
「汗が張り付いて気持ち悪かった。もう慣れたさ」
晋助の左目は盲てはいるものの、傷はない。本当は包帯はなんて必要ないのに。
そんなことを思いながら、彼の左隣に駆け寄る。視界が悪い左側にいると、顔をこっちに向けてくれるから。
「あれ、そうじゃねーか?」
晋助が顎で示す方を見ると人集りとその奥に屋台が見えた。
「じゃあ頼んだぞ」
背中に回していた編笠を深く被り直した晋助は、小銭の入った小さな巾着をわたしに渡した。
「りょーかい、指名手配犯さん。捕まらずに待っててね」
晋助をその場に置いて、わたしは人集りへ向かって駆け出した。連れが攘夷浪士でテロリストだと、ちょっとしたことも面倒くさい。
「ただいま」
煙管を吸う晋助の元に戻ったわたしの両手には二つの灯篭。今日は江戸の灯篭流しだ。願い事や弔いを託した灯篭を川に流す。
「自分で灯篭も買えないなら来るのやめなよ……」
「せっかくの祭りの機会を見過ごす訳にはいかねーだろ」
そう言って灯篭をひとつ手にする晋助の表情は心做しか楽しそうだ。付き合わさせられる身にもなってほしい。
川沿いを灯篭を持った人達の流れに逆らって、二人並んで歩く。懐から筆を取り出した晋助はしばらく灯篭と睨みあったままだ。
「ねぇ、書くこと決まってないなら先に書かせてよ」
痺れを切らせたわたしは手を伸ばして晋助から筆を取り上げた。
「何書くんだ」
「やだ見ないで」
覗き込もうとする晋助から逃げながら決めていた願い事を書き付けた。筆を返すときも願い事が晋助に見えないように隠して灯篭を抱えた。不服そうに口をへの字に曲げた晋助。こういうときの晋助は感情がすぐ顔に出て、年齢よりもずっと幼く見える。
「ここまで来りゃあ大丈夫だろう」
灯篭流しの会場よりもちょっとだけ川上の土手。周りに人はいないが、会場の賑わいは感じられる。そんな場所に晋助は腰を下ろした。わたしも左隣に座る。まだ流し始めるまでには少し時間がある。
晋助の横に置かれた灯篭には散々悩んだ末に『鬼兵隊之霊位』と力強く書かれた。死んでいった仲間の弔い。お尋ね者の身でありながらここまで出向いた晋助の目的は、本当は祭りなんかじゃないんだろう。
「あ、向こう始まったみたい」
灯篭流しのBGMが薄らと聞こえてきた。ぽつりぽつりと赤い灯りが川に浮かぶのが見える。
晋助が煙管に火をつけたマッチで、灯篭の蝋燭にも火をつけた。
火が消えないように、各々の灯篭をそっと川に放つ。二つの灯篭が仲良く並んで浮かんだ。
「なんか……すっごい遅くない?」
今日は風もなく川の流れも凪いでいた。わたしたちの手を離れても、のろのろとした二つの灯篭はずっと目と鼻の先で揺れている。
「生き急いで死んでいった奴らだ。これくらいゆっくりでもいいだろ」
「そういうレベルじゃなくない?」
見えなくなるまで見送っていたらいつになるかわからない。
「まァ、俺にとっちゃあ好都合だがな」
晋助はそう言ってしゃがむと手を伸ばし、ひょいと灯篭をつつき向きを変える。
「わーーーーーー!」
慌てて晋助にしがみついて止めようとしたけど、もう手遅れ。願い事を書いた面がこっちを向いた。
『来年も晋助の誕生日に一緒にいられますように 八月一○日』
歩きながら書いたから、いつもに増して下手なわたしの字が揺れている。
最後の足掻きで、晋助に目隠ししようと背伸びして腕を伸ばす。
「テメェ俺の右目も潰す気か」
意図も容易くわたしの手首を捻りあげた晋助は、ようやく離れていく灯篭を見て薄く笑った。
「そうか、俺の誕生日か。すっかり忘れてたぜ。随分とかわいらしいこと書いてんじゃねーか。隠さなくたっていいだろ、なあ?」
「バカ、恥ずかしいじゃん」
弔いにきた晋助と違って願い事なんて書いちゃってさ。わたしはもう晋助と目を合わせられない。なのに、晋助はわたしの顎を掴んで顔を覗き込んでくる。
「この願いは俺に届かなきゃ意味ねーだろ」
「うるさいうるさいうるさいうるさーい!」
手足をじたばたさせて払い除けるわたしと、それを軽くあしらう晋助が灯篭と街の明かりに照らされる。
水面に映る影がキラキラ揺らめいて、わたしたちはミラーボールの下で踊っているみたいに見えた。
わたしたちが流した二つの灯篭は、いつの間にか川下で他の灯篭たちと混ざりあって、八月一○日の夜に消えていった。
灯篭、揺れて
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