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二月の空に吐き出した息は、髪の色と同じくらい白い。
他に人影も見えず、自分の足音も降り積もる柔らかな雪に吸い込まれて、墓地という場所も相まってあの世に迷い込んだかのように静かだった。
「それチョコか。食べていい?腹減って死にそうなんだ」
銀時の声に墓前に丸めた背中がしかめっ面で振り返る。
「いいわけないでしょ、ばか」
乙玖の薄い肩や小さな頭に積もった雪を銀時は手で払った。
「おめーにゃ聞いてねえよ。そこで寝てる馬鹿に聞いてんだ」
「だから晋助が銀ちゃんに何かをあげるわけないでしょ。ましてやわたしからもらったものだよ?」
墓地の隅、桜の木の下に佇む『高杉晋助』と刻まれた墓。その納骨室は空。高杉晋助はいない。崩壊したターミナルに呑まれた高杉を、せめて形だけでもと坂本辰馬率いる快援隊が手を回した。
その前には小さなチョコレートがお盆に並んで供えられていた。おそらく手作りであろう歪な塊は降り積もった雪に埋もれかけていた。ラッピングもせずに剥き出しで渡すのかよ、まあお前らしいっちゃらしいけど。銀時は心の中で苦笑いした。
「心の狭い男だな。もうチョコなんざ食えないだろーに」
「死人から横取りでもしないとてめーはバレンタイン一個ももらえねーんだなって晋助が言ってるよ」
意地悪く笑う乙玖。その顔に目掛けて銀時は拳を振るうが、ひらりと躱され中手骨頭と墓石が鈍い音を立ててぶつかる。いつの日だったか、乙玖が避けるから隣にいた高杉を殴ってしまったことがあったのを思い出した。あの時のように高杉が殴り返してくることはもうない。
―でも今の方がずっと痛え。
赤く擦りむけた拳も、気のせいだと思いたいが胸の奥の方も。拳を抱えて蹲った銀時はちらりと乙玖を覗き見る。彼女はかつてと、高杉が健在していた日々と同じように、痛みに悶える銀時を見て心底愉快そうに笑っていた。
「…ちょっと安心したよ。ずっとべそかいてんじゃねーかって、ブスな泣き顔拝んでやろうと思ってたんだが」
「べそかいて晋助が戻ってくるならそうするけどさ。涙なんかとっくに枯れちゃった」
そう言う乙玖の頬には一筋の水が垂れて乾いたあとが残っていることを、銀時は気付いていた。気付いていたが、何も言わなかった。
「知ってた?笑ってても泣いてても、晋助はもういないんだよ」
乙玖は銀時越しに再建されつつあるターミナルを仰ぎ見た。もう外観は以前と遜色なく、完成はきっと間近だろう。江戸・地球というあまりに大きく漠然としたものを護った戦いの中で、唯一確かなのは高杉晋助が死んだということ。高杉と共に過ごした日々は矢のように早く、高杉を喪って泣き腫らした日々は嫌になるほど長い。彼がいない一日が当たり前になる日はいつになったら来るのだろう。
「ねえ、晋助がバレンタインにチョコもらってんの見たことある?」
鼻の頭を赤くさせた乙玖の問いに、銀時は過去に記憶を巡らせる。
「あー……松陽が松下村塾の全員に配ってたな」
「あの人バレンタインとか知ってんの……」
高杉と銀時の師、吉田松陽はああ見えて俗なイベント事とか好きな男だった。人の文化や習慣を丁寧になぞろうとしていたと、今ならわかる。銀時も、松陽に付き合わされて人の文化を身に付けていった。体験するはじめてのことのほとんどに、不本意だが高杉と桂もいた。もしかしたらこいつもバレンタインとか全部高杉とがはじめてだったのかもな、と頬を膨らませる乙玖を見て銀時は思った。
「なーんだ、わたしがはじめてじゃなかったのか。最初に渡した時さ、本当見たことない複雑な顔してたから」
乙玖は高杉の複雑な顔の真似をした。なんだそれ、俺も見たかったわと零す銀時も、同じような複雑な顔をしている。
乙玖が高杉にはじめてバレンタインを渡したときは、ほんの軽い気持ちだったのだ。また子と一緒にお菓子を作ることがメインで、出来上がったものをどうせならと高杉に渡した。
嬉しさよりもいたたまれなさとむず痒さが、そしてそれよりも自分に好意を持っていることが信じられないという気持ちが多く混ざった高杉の表情。そんな顔をするなんて、本当にこれっぽっちも思っていなかった。
この人が他人からの愛を素直に受け止められるといい。わたしだけじゃなくて、鬼兵隊や彼の周りにいる人たちからの愛を。そう思って、乙玖はそれから毎年必ず高杉にチョコレートを贈った。とは言ってもほんの数回だったけれども。
「好きだったの、伝わってたかなあ」
一ヶ月後には高杉は鬼兵隊の艋を宇宙に飛ばし、美しい銀河や星雲をふたり並んで眺めた。残念なことに高杉とは違い、乙玖は花鳥風月を愛でるような風流はない人である。バレンタインを渡したことも疾うに忘れ、運良く絶景の近くを通過することを手放しに喜んだ。
何も言わずにいるから、あれが彼なりのホワイトデーだったのではと気付いたのはつい最近だ。あそこがたまたま通ることは滅多にない、遥々行こうとしない限り知ることも辿り着くこともない場所にあるのだと知った。
ねえ晋助、もしかしてわたしのために連れて行ってくれたの。乙玖に確かめる術は、もうない。
「俺は好きだったけどね」
突然の告白に汚物を見るような目で睨む乙玖に、いや口説いてるとかじゃなくてと続ける銀時。
「好きな奴……高杉のためにお菓子作ったりしてるお前がさ、なんつーかすげー楽しそうにしてたから。だからまあ、伝わってんじゃねーの。高杉にも」
そっか、と乙玖は口元を緩めた。その鼻も指先も痛々しいくらいに赤い。どれだけの時間、高杉の墓前にいたのだろう。
「来年はもっとリボンとかでかわいくラッピングしようと思うんだよね」
当たり前のように次のバレンタインも亡き人に贈ろうとしている乙玖に銀時は「そんな先の話、鬼が笑っちまうぜ」と呆れ返る。
「じゃあ晋助も笑ってるかもしれないね」
「さてはお前、節分のときも鬼は内って言ってただろ」
なんでわかんの、とへらへら答える乙玖を見て、少し安堵いている銀時がいた。
―こいつはこの世界をぶっ壊すとか言い出さなくてよかった。
その気持ちは、大切な人を護れなかった怒りや苦しみは、銀時も痛いほどわかっているから。
泣いても笑っても誰かを失った悲しみは変わらないのであれば、せめて、飽きるまでその思い出に縋っていたい。
この先も乙玖は、季節毎のイベントをひとりで過ごしていくのだろう。その墓に高杉の遺体も魂もいないとわかっていても。
「……愛されてんなあ、高杉よ」
『知ってる』とでも言うように、桜の枝から雪垂が落ちた。
僕らはチョコレートに悲しみのリボンをかけた
他に人影も見えず、自分の足音も降り積もる柔らかな雪に吸い込まれて、墓地という場所も相まってあの世に迷い込んだかのように静かだった。
「それチョコか。食べていい?腹減って死にそうなんだ」
銀時の声に墓前に丸めた背中がしかめっ面で振り返る。
「いいわけないでしょ、ばか」
乙玖の薄い肩や小さな頭に積もった雪を銀時は手で払った。
「おめーにゃ聞いてねえよ。そこで寝てる馬鹿に聞いてんだ」
「だから晋助が銀ちゃんに何かをあげるわけないでしょ。ましてやわたしからもらったものだよ?」
墓地の隅、桜の木の下に佇む『高杉晋助』と刻まれた墓。その納骨室は空。高杉晋助はいない。崩壊したターミナルに呑まれた高杉を、せめて形だけでもと坂本辰馬率いる快援隊が手を回した。
その前には小さなチョコレートがお盆に並んで供えられていた。おそらく手作りであろう歪な塊は降り積もった雪に埋もれかけていた。ラッピングもせずに剥き出しで渡すのかよ、まあお前らしいっちゃらしいけど。銀時は心の中で苦笑いした。
「心の狭い男だな。もうチョコなんざ食えないだろーに」
「死人から横取りでもしないとてめーはバレンタイン一個ももらえねーんだなって晋助が言ってるよ」
意地悪く笑う乙玖。その顔に目掛けて銀時は拳を振るうが、ひらりと躱され中手骨頭と墓石が鈍い音を立ててぶつかる。いつの日だったか、乙玖が避けるから隣にいた高杉を殴ってしまったことがあったのを思い出した。あの時のように高杉が殴り返してくることはもうない。
―でも今の方がずっと痛え。
赤く擦りむけた拳も、気のせいだと思いたいが胸の奥の方も。拳を抱えて蹲った銀時はちらりと乙玖を覗き見る。彼女はかつてと、高杉が健在していた日々と同じように、痛みに悶える銀時を見て心底愉快そうに笑っていた。
「…ちょっと安心したよ。ずっとべそかいてんじゃねーかって、ブスな泣き顔拝んでやろうと思ってたんだが」
「べそかいて晋助が戻ってくるならそうするけどさ。涙なんかとっくに枯れちゃった」
そう言う乙玖の頬には一筋の水が垂れて乾いたあとが残っていることを、銀時は気付いていた。気付いていたが、何も言わなかった。
「知ってた?笑ってても泣いてても、晋助はもういないんだよ」
乙玖は銀時越しに再建されつつあるターミナルを仰ぎ見た。もう外観は以前と遜色なく、完成はきっと間近だろう。江戸・地球というあまりに大きく漠然としたものを護った戦いの中で、唯一確かなのは高杉晋助が死んだということ。高杉と共に過ごした日々は矢のように早く、高杉を喪って泣き腫らした日々は嫌になるほど長い。彼がいない一日が当たり前になる日はいつになったら来るのだろう。
「ねえ、晋助がバレンタインにチョコもらってんの見たことある?」
鼻の頭を赤くさせた乙玖の問いに、銀時は過去に記憶を巡らせる。
「あー……松陽が松下村塾の全員に配ってたな」
「あの人バレンタインとか知ってんの……」
高杉と銀時の師、吉田松陽はああ見えて俗なイベント事とか好きな男だった。人の文化や習慣を丁寧になぞろうとしていたと、今ならわかる。銀時も、松陽に付き合わされて人の文化を身に付けていった。体験するはじめてのことのほとんどに、不本意だが高杉と桂もいた。もしかしたらこいつもバレンタインとか全部高杉とがはじめてだったのかもな、と頬を膨らませる乙玖を見て銀時は思った。
「なーんだ、わたしがはじめてじゃなかったのか。最初に渡した時さ、本当見たことない複雑な顔してたから」
乙玖は高杉の複雑な顔の真似をした。なんだそれ、俺も見たかったわと零す銀時も、同じような複雑な顔をしている。
乙玖が高杉にはじめてバレンタインを渡したときは、ほんの軽い気持ちだったのだ。また子と一緒にお菓子を作ることがメインで、出来上がったものをどうせならと高杉に渡した。
嬉しさよりもいたたまれなさとむず痒さが、そしてそれよりも自分に好意を持っていることが信じられないという気持ちが多く混ざった高杉の表情。そんな顔をするなんて、本当にこれっぽっちも思っていなかった。
この人が他人からの愛を素直に受け止められるといい。わたしだけじゃなくて、鬼兵隊や彼の周りにいる人たちからの愛を。そう思って、乙玖はそれから毎年必ず高杉にチョコレートを贈った。とは言ってもほんの数回だったけれども。
「好きだったの、伝わってたかなあ」
一ヶ月後には高杉は鬼兵隊の艋を宇宙に飛ばし、美しい銀河や星雲をふたり並んで眺めた。残念なことに高杉とは違い、乙玖は花鳥風月を愛でるような風流はない人である。バレンタインを渡したことも疾うに忘れ、運良く絶景の近くを通過することを手放しに喜んだ。
何も言わずにいるから、あれが彼なりのホワイトデーだったのではと気付いたのはつい最近だ。あそこがたまたま通ることは滅多にない、遥々行こうとしない限り知ることも辿り着くこともない場所にあるのだと知った。
ねえ晋助、もしかしてわたしのために連れて行ってくれたの。乙玖に確かめる術は、もうない。
「俺は好きだったけどね」
突然の告白に汚物を見るような目で睨む乙玖に、いや口説いてるとかじゃなくてと続ける銀時。
「好きな奴……高杉のためにお菓子作ったりしてるお前がさ、なんつーかすげー楽しそうにしてたから。だからまあ、伝わってんじゃねーの。高杉にも」
そっか、と乙玖は口元を緩めた。その鼻も指先も痛々しいくらいに赤い。どれだけの時間、高杉の墓前にいたのだろう。
「来年はもっとリボンとかでかわいくラッピングしようと思うんだよね」
当たり前のように次のバレンタインも亡き人に贈ろうとしている乙玖に銀時は「そんな先の話、鬼が笑っちまうぜ」と呆れ返る。
「じゃあ晋助も笑ってるかもしれないね」
「さてはお前、節分のときも鬼は内って言ってただろ」
なんでわかんの、とへらへら答える乙玖を見て、少し安堵いている銀時がいた。
―こいつはこの世界をぶっ壊すとか言い出さなくてよかった。
その気持ちは、大切な人を護れなかった怒りや苦しみは、銀時も痛いほどわかっているから。
泣いても笑っても誰かを失った悲しみは変わらないのであれば、せめて、飽きるまでその思い出に縋っていたい。
この先も乙玖は、季節毎のイベントをひとりで過ごしていくのだろう。その墓に高杉の遺体も魂もいないとわかっていても。
「……愛されてんなあ、高杉よ」
『知ってる』とでも言うように、桜の枝から雪垂が落ちた。
僕らはチョコレートに悲しみのリボンをかけた