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夜になっても寝苦しい暑さが続く八月十日。
空はもうすぐ日が昇る予感をさせる群青色をしている。
目を擦りながら艋内の廊下を乙玖は歩いていた。その足取りは軽く、少しふらついている。
楽しかったなあ、鬼兵隊に来てよかった。と乙玖はこの数時間を振り返る。
日付が変わった瞬間にはじまった鬼兵隊の創設者にして総督である高杉晋助の誕生日会は、過激派攘夷浪士、世間的にはテロリストとも言われる集団とは思えないほど賑やかで愉快なものだった。思想こそ危険ではあるものの、隊員の多くは高杉のカリスマ性に惹き付けられたり恩義を感じていたりと彼を中心に統率がとれている。頭が身分や位を気にせず正しく実力を評価してくれることもあり、懐に入ってしまえば意外と居心地がいい、というのが鬼兵隊の実情である。
そんな鬼兵隊が祭り好きの高杉のために盛大な宴を催すのは当然のことだ。総出で飲めや歌えやの大騒ぎで彼の誕生日を、そして各々が彼に出会えたことを、心の底から夜通し祝った。
当の主役は「山手線ゲーム お題:晋助様の好きなところ」がはじまったあたりで席を外してしまったけれども。
乙玖も勧められるままに煽るように酒を飲んだ。高杉の手元に置かれているだけで鬼兵隊ではない乙玖が隊員の面々と宴の席を共にすることは珍しい。
「どこの馬の骨かもわからないわたしみたいなやつでも、この誕生日会に混ぜてもらえて嬉しい」と幸福を噛み締め、この気持ちのまま眠りにつこうとしている。
艋で一番上等な部屋の戸を、音を立てないようにそっと開ける。
薄ら明るい部屋のなかで、本日の主役は掛け布団を足蹴にして無防備に眠っていた。
「松陽が言ってた『寝る子は育つ』ってのをバカ真面目に信じて夜はさっさと寝んだよな、あのバカは。もう手遅れなのによ」と銀時は言う。高杉という男は、そういう一面も持っていた。
「子供みたい」
思わず声にだして呟いて、乙玖はにやける。たくさんの人の晋助の好きなところを聞いたけれど、こんな彼を見られるのは自分だけだろうと思うと少しくすぐったいような気持ちになる。
乱れた布団を高杉にかけなおし、乙玖も寄り添うようにして横たわる。
「ん」
「ごめん、起こした?」
「酒臭え」
「……ごめん」
眉間に皺を寄せた高杉が薄目を開ける。謝りながらも乙玖は顔を高杉の胸元に擦り付けた。
「あの山手線ゲームは終わったのか」
「終わってないよ」
「はぁ?」
「みんな晋助の好きなところありすぎて全然終わらないの。ひとつ好きなとこ挙げる度にすごい盛り上がるし、前の人よりいいエピソード出そうとしてどんどんマウント合戦みたいになってるし」
「何してんだお前らは」
喜ぶには少しむず痒く、呆れが大半を占めた顔で高杉は笑う。左目を覆った包帯が少し歪み、右目だけを細めた柔らかい困り顔は、きっと子供の頃から変わらないんだろうと乙玖は思った。
「負けたら飲むってゲームだけど誰も負けないからみんな勝手に飲んでる。潰れた人が負け」
「……何してんだお前らは」
今度は大半ではなく十割を呆れが占めた顔で高杉はため息をついた。
「晋助をツマミに飲んでるんだよ」
晋助は美味しいんだよ、と乙玖は顔を上げてからかうように高杉の唇に噛み付く。もちろん許されるはずもなく、舌を捩じ込まれた。甘ったるい酒と唾液の味がふたりの口咥内で混ざる。
唇が離れると乙玖はごろんと寝返りを打った。火照った顔を高杉に見られたくない。
背中越しに高杉が尋ねる。
「お前は?」
「ん?」
「お前は何を言ったんだ、俺の好きなところ」
えぇ、そんなの本人がいないから盛り上がったやつじゃん、と渋るが高杉は引き下がらない。それどころか乙玖の肩を抱き自分の方へ向けさせる。
「言わなきゃだめ?」
「聞きたい」
お願いというよりは命令のような口調。それとは裏腹に高杉のまっすぐな眼差しにたじろぐ。「わたしを困らせて楽しい?」と聞くと間髪入れずに「楽しい」と答えるので、乙玖は観念して口を開いた。
「正直言うとね、嫌いなとこばっかり浮かぶの。言葉足らずだし何考えてるかわかんないし生活感ないし銀ちゃんや桂と喧嘩してるし自己完結しちゃうし自分のこと大切にしないし全部一人で背負おうとするしわたしの言うこと聞かないし大事なこと言ってくれないし、本当、嫌い。晋助のそういうところが嫌いなの。わたしの順番が後ろの方じゃなかったら負けるところだった」
水が溢れたように饒舌になる乙玖の言葉を高杉は黙って聞いていた。
「でもどんな時でも晋助でいるところが好き。晋助の意志を絶対曲げないところが好き」
今度は乙玖が高杉をまっすぐ見つめて言う。
「高杉晋助という生き方が好きなの」
夏の夜に打ち上がる花火のように生きるこの男は眩しくて、乙玖はそれを止める術を知らない。人々は彼を見上げ、焦がれ、そして散りゆくのをただ眺める。
死なないで、という言葉を乙玖は飲み込んだ。どうせこの男はわたしの言うことなんか聞いてくれない。
「だからせめて、死ぬ時は高杉晋助として死んで」
高杉は何も答えず、乙玖の小さな背に腕を回す。ふたりはそのまま目を閉じた。
空は青白く、まもなく朝が来るだろう。日が昇りきる前にもうひと眠りしておきたい。誕生日だろうと歩みを止める男ではないのだ、高杉晋助は。腐った世界をぶっ壊す、その日まで。
微睡みのなかで乙玖は高杉の声を聞いた気がした。
「俺ァ思ってたより愛されてたんだな」
それが夢だったのか、現実だったのかはわからない。
花火の生き方