short
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
四人のバンドメンバーとドラムセットだけでも決して余裕があるとは言えない、狭いリハーサルスタジオの一室に三十人程が詰め込まれている。隣の人の吐息がすぐ顔の横で聞こえる。避けようとして身体を少し捻ると、今度はベースアンプに寄り掛かるような感じになってしまう。
―――スタジオライブだったら先に言ってよ!しかも自主企画ワンマンじゃん!
わたしは心のなかでシンスケに悪態をついた。いや、まあ確認してなかったわたしが悪いんだけど。これ明日絶対体の変なとこ痛くなるなあ。
スタジオライブは特別だ。リハスタ、つまり照明もステージも客席もないゼロ距離。生身で感じられる音の振動が、普通のライブの比ではない。インディーバンドのいいところってこういうのだよなあ、と思う。
すでにジリジリと肌が汗ばんでくる。メンバーはまだ来ていない。
開け放ったままのドアから、ボーカルギターのバンサイさんが人と人の合間を縫って入ってくる。わたしたちは彼らのためになんとか通れる隙間を空けた。続いてまた子。わたしを見つけて拳を突き出してきた。わたしも突き返す。タケチさんの影に隠れるようにして、最後に入ってきたシンスケ。
四人が揃うとドアが閉められた。このリハスタにいるのはわたしたちとバンドだけ。
思いっきりファズを踏んで、ひび割れたギターの音が響く。客たちも負けるまいと歓声を上げた。ボルテージは一気に最高潮。拳も腕も頭も足も、音に乗って動かせば誰かに当たってしまうけど、ここにはそんなことを気にする人はいない。全員彼らの音楽が好きで、それに溺れたくてここに来ている。
「誰かドアを開けてくれ。換気したいでござる」
この間のライブではMCは一切なかったけど、熱気で汗だくのバンサイさんが口を開いた。数曲しかやってないのに、サウナ状態のリハスタ。バンサイさんに言われた通りに誰かがドアを解放してくれたみたいだ。わずかに冷えた空気が流れ込んできて、汗が流れる頬を撫でる。わたしは大きく息を吸って吐いた。
「リハスタでのライブははじめてだが、悪くないでござるな」
パタパタと手で顔を仰ぎながら、バンサイさんが独り言のように言う。マイクを通さなくても、この狭い部屋のなかでは全員に聞こえる。
「なあ、晋助。どうでござるか?」
「セックスみてえ」
しん、と鎮まったスタジオにきゃあ、と誰かの小さな悲鳴のような歓声が響いた。
「みんな聞いたか。晋助はこういうセックスをするらしいでござるよ」
バンサイさんが笑いながら言った。シンスケは俯いたまま、口の端を上げて笑ってる。
ジョーク、なんだろうけど汗を垂らしたシンスケが色っぽすぎて誰も笑い飛ばせない。直視できないのはフロアとシンスケのいつもよ距離が近いから。わたしとシンスケの間にアンプしかないから。
最後にやったのはわたしが特に好きな曲だった。アウトロがアレンジされていて、セッションのような四人の歪んだ音がうねる。一際大きな音を出したドラムが立ち去り、次にベース、ギターと一人ずつ抜けていく。最後にエフェクターをいじっていたバンサイさんが、ノイズの余韻のなかフロアに向かって頭を下げる。熱気と拍手を掻き分けて部屋を出ていった。
残されたわたしたちは、一瞬だけ呆けて、すぐにバンサイさんが出ていったドアを目指す。まだ余韻に浸っていたいけれど、この部屋は暑すぎる。
スタジオの屋上へ出ると、思った通り先客がいた。見覚えのあるシルエット。シンスケはわたしに気付くと「これだろ」とでも言うように両手に持った煙草とライターを軽く振った。同じようにわたしも煙草とライターを出す。
「今日は二人とも、ちゃんとどっちも持ってたね」
シンスケの隣で煙草を咥えると、目の前にスッとライターの火が差し出された。
「持ってるからって貸しちゃいけないってこともねェさ」
ありがたくその火をいただく。人に付けてもらった煙草は特別美味しい。
二人並んで、ライブの火照りを夜風で冷ます。繁華街の喧騒もこの屋上までは届いてこない。吐き出した煙が流れていく。それを目で追っていくとシンスケと目が合った。
「あっ、てかあんま近付かないで、今絶対わたし汗臭いから」
急に恥ずかしくなって、一歩離れる。
離れた分シンスケが近付いてきて、フーッと煙草の煙をわたしに吐きかけた。
「これで汗なんざ気にならないだろ。コイツの匂いのほうが強い」
「煙草をファブリーズ代わりにする人、はじめて見た」
「つーか、汗臭いのは俺も同じだろう」
シンスケが吐いた煙は、風に乗って結局全部シンスケの方へ流れていった。
「風向き考えなよ……」
「汗の匂いも煙草の匂いも同じになっちまったな」
シンスケはそっと耳打ちするように、いたずらを仕掛けた子供みたいに言う。
そのときバンッと大きな音を立てて、ドアが開いた。
「おっ、晋助。セックス中だったでござるか?」
ビールの瓶を片手に顔を赤くしたバンサイさんを筆頭に、メンバーも客も入り交じってわらわらと屋上に入ってくる。
「ハハッ、どうだろうな」
「晋助様それわたしのマブなんですけど!取らないでくださいッス」
「ああ、本当でござるな。どうだったでござるか?シンスケのセックスは」
「セクハラはやめるッス万斉先輩!」
酔っ払いは回収しますよ、とタケチさんに引っ張られていくバンサイさん。この間の打ち上げのときも思ったけど、このバンドはライブ中は取っ付きにくそうに見えるけど実はすごく仲がいいし、全員よく喋る。最初はこの人が冗談言うなんて思わなかったな、と隣のシンスケの顔を見上げた。
「感想求められてるぜ。どうだ?試してみるか?」
「うーん、まだいいや」
シンスケが弾かれたように振り向く。いつもは鋭い目をまん丸にしている。意外と表情も豊か、っていうか顔にすぐ出ちゃう人だ。
「まだ?」
「うん、まだ」
わたしの顔を穴が空くほど見てくる。
「なに?」
「いーや別に。この先が楽しみだな」
そう言いながらシンスケは煙草を灰皿に押し付けた。
「乾杯、はじまるみたいよ」
向こうでバンサイさんがショットグラスを配っている。「あの万斉は面倒だ」と嫌がるシンスケを、メンバーが参加しないわけにはいかないでしょ、と腕を引っ張って連れていく。
灰皿には消し損なった煙草の火が、恋心みたいにチラチラ赤く燻っている。わたしは隠しきれなかった自分の気持ちを煙に巻いた。
Light my fire!3
1/12ページ