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人の波に流されてライブフロアを出る。
桂くん……じゃなくてDJ OZURAって結構客持ってんだな。普段ラップはあまり聞かないから上手い下手はわからないけど、桂くん持ち前の謎のカリスマ性でフロアは予想以上に沸いていた。
なんと言ってもエリザベスのDJスキル!あれは今日のイベントのピークだった。まだ来たばっかりだけど間違いない。
金曜日の終電で繁華街に来た人たちは地下にあるこのライブハウスに流れつく。わたしも例に漏れずそのひとりで。桂くんに誘われていたオールナイトのイベントに仕事終わりに遊びに来ている。
桂くんみたいなラッパーだけでなくバンドやDJも出る、インディーズとはいえそれなりに大きなイベント。出演者にも来るお客さんにも知り合いがいるから、一人で向かった。
華金の駅前を舐めていたわたしは怪しいキャッチやナンパが行く手を阻まれて、桂くん……じゃなくてDJ OZURAの出番直前についたからドリンクを頼む暇もなくフロアに駆け込んでいた。
喉を湿したいけど、みんなフロアからそのままバーカウンターに向かうから長蛇の列。一瞬考えて、先に煙草を吸いに行くことにした。
嫌煙の風潮はライブハウスやクラブも例外ではなく、ここでも喫煙者は肩身狭い。やたら奥の狭い部屋が喫煙所として宛てがわれている。
ドアを開けると先客がひとり。喫煙所の真っ赤な壁によく映える頭から靴まで真っ黒い男。長い前髪が俯いた顔を隠している。
一応会釈してみるが反応はない。まあ予想通りだし気にしない。灰皿を挟んで男の斜め横の壁にもたれて煙草を咥える。
わたしはヘビースモーカーじゃない。ライブハウスやクラブで音楽とお酒と一緒に味わう煙草が好きなだけで、普段は全然吸わない。最近ではフロアで吸えるライブハウスがほとんどなくなってしまったから禁煙してもいいんだけど、煙草がないとちょっと手持ち無沙汰だし。万が一彼氏ができて煙草やめろって言われたらやめればいいか、なんて思ってる。
つまりわたしが前回煙草を吸ったのは前回ライブに行ったとき―先週の日曜で。その日とは持ってるバッグも着ている服も違うもので。全身すみずみまで探してみたけれど、ライターがない。ひとりだったら諦めてたけど、一連の流れを先客の男に見られている。
ここで出ていくのはちょっとダサい。
「すみません、火借りてもいいですか?」
顔を上げた男の左目は眼帯で覆われていて、わたしを睨む右目は前髪の下からぎろりと鋭い光を放っていた。うわ、怖い人に声かけちゃったかも。後悔に襲われて動けないでいると、男はズボンのポケットに突っ込んでいた拳をわたしの方へ伸ばす。
「やる」
恐る恐るわたしも手を差し出すと、男の開いた掌からライターが落ちてきた。
「えっいいんですか」
男は答えない。ありがたく使わせてもらおうと煙草にライターを近づけると側面にプリントされた文字が目に入る。
「DJ OZURAのグッズじゃん!」
「お前、ヅラの客なのか」
男が目を丸くしてこっちを見た。
「うん、元々友達で。ライブは今日初めて見たんだけどね」
そうか、と小さく呟いて男はまた黙って煙を吐いた。
さっきチラ見した今日の桂くんの物販にはライターはなかったはず。この人結構前からDJ OZURAのライブ来てんのかな。桂でもOZURAでもなくヅラって呼んでるから仲良いのかも。そう思うと怖さが消えた。安心してゆっくり大きく煙を吸って吐く。
男は短くなった煙草を灰皿に押し付け火を消す。
「まだいるのか?」
「もう終電ないし朝までいるけど」
わたしの返事を聞いてんだか聞いてないんだか。喫煙所のドアがバタンと大きな音を立てて、男は出ていった。
バーカウンターの前でライブハウス常連の友達に会った。前飲みから流れてきたらしくすでにほろ酔いみたいだ。この間話していた気になっている子との近況を聞き出すべく、さらにお酒を進めて話し込む。バーカン横でもDJが回してるから、かかる曲にぶち上がることも忘れない。
曲と曲の繋ぎ、アウトロとイントロの間で一瞬静かになった瞬間、唸るような低音が聞こえてきた。地面をから音の振動が身体中に響く。
「待って、すっごいいい音鳴ってない?」
話に夢中になっている間に次のバンドの演奏が始まってたようで。あんたは好きだと思うよ、という友達に背を押されてライブフロアへ駆け込んだ。
ドアを開けると一気に熱気に包まれた。激しいストロボに目を細める。期待通りに重く刻まれるベース。やば、めっちゃ好き。わたしはとにかくベースがかっこいい音楽が好きで、これは大当たり。踊りながらステージ前の一番盛り上がっている人たちの中へ飛び込む。拳を上げて押し合うようにもみくちゃに踊り笑う。これがあるからライブはやめらんない。
ストロボが止み次の曲は赤一色の照明に変わる。
今更だけどどんなバンドなんだろ、とステージを見上げた。よくあるギタボ、ギター、ベース、ドラムの四人編成で、ギターだけ女の子だ。この最高の音を出してくれてるベーシストは、と下手に目をやって驚いた。見覚えのある左目の眼帯。さっき喫煙所にいた人じゃん。
熱狂する観客とは対照的に、じっと自分の手元を見つめ、淡々と弦を弾き続ける。間奏に入るとギタボと向き合って激しい音を掻き鳴らす。ゴツゴツした指が踊るみたいに跳ねた。
思わず歓声を上げたのはわたしだけじゃない。男は一瞬だけ、満足気に笑った。
また喫煙所に篭もる。今度はわたしの他に誰もいない。スマホを片手に、煙と一緒に余韻を味わう。
静寂を突き破るようにドアが開く音がして顔を上げる。少し気まずい顔をして眼帯の男が立っていた。
「シンスケ!」
「は?お前なんで名前……」
わたしはスマホの画面を見せつけた。検索したばかりの先程のバンドのSNSアカウント。プロフィールにはメンバーの名前とパートが書いてある。もちろんフォロー済み。
「ライブ見た!!!!超かっこよかった!!!!次のライブいつ!?」
「そりゃよかった。妙な動きで踊ってるやつがいると思ったらお前で笑いそうになったぜ」
「なんでさっきこの後出るって教えてくれなかったの?見逃しちゃうとこだったよ」
「言っただろ、このあとまだいんのかって」
「それじゃわかんないよ!」
本人を目の前にして上がったテンションのままに詰め寄ると、悪かった、と素直に謝ってくれた。表情もさっき会ったときよりずっと柔らかい。
「っと、煙草楽屋に置いてきちまった。一本くれねえか」
いや柔らかい通り越してかわいいかよ、と思いつつライターの借りもある。バッグを探るが適当に突っ込んだから見当たらず。絶対あるからちょっと待って、とガソゴソ漁るがバッグのなかがぐちゃぐちゃになるだけで見つからない。こんなかっこ悪いとこ見られたくなかったと焦れば焦るほど悪循環。
「これでいい」
目の前にスっと手が伸びてきて、口に咥えたままだった煙草を奪われた。そのまま一口吸って、俺と同じ銘柄、とうれしそうに言う。
関節キス程度で騒ぎ立てるほどウブじゃない。でもなぜか目が離せなくて、ぼーっと口元を眺めていた。視線に気付いたシンスケが不思議そうに顔を上げる。
「どうした。あァ……お前の煙草だが上着のポケットじゃねーか」
言われた通りポケットに手を突っ込むと煙草とライター。そういえばスマホ取り出すついでに煙草をしまったような気がする。
「さすが3B超えて4Bって言われるベーシストだなって。勘違いされるからこういうことすんのやめたほうがいいよ」
「別に誰にでもやるわけじゃねェさ」
「そういうとこだって」
赤くなった顔をかくして煙草に火を付けた。
「今度お前の箱に出るぜ」
「なんでわたしがライブハウスで働いてること知ってるの?」
今度はシンスケがスマホの画面を差し出す。わたしのSNSアカウントが映っていて、右上にはフォロー中の文字。ぎゃっと変な声が出た。
「お前のとこは来月だけどな、その前に来週もライブあんだ。どうだ?嫌でも来月には会うことになるが、その前にも俺に会いに来るか?」
「……行く」
好きなバンドに直接誘われて断れるわけない。シンスケは意地悪そうに口の端を上げて笑った。
「お前が特によかったって投稿してる曲な、あれ俺が作ったんだ。万斉……ボーカルに曲書いてみろって言われてな」
スマホ画面をスクロールしていたシンスケが言う。
「本人の目の前でポスト見るのやめてよ」
「自分の曲で馬鹿みたいに踊るやつを見るのは、なかなか気分がいい。あれ一曲のつもりだったが、また書いてもいいと思った」
シンスケはスマホを黒いジーンズのポケットにねじ込んで煙草を捨てた。出ていくのかな、と思ったらドアの前で立ち止まってこっちを振り返った。
気付いたら肩をぐいと引き寄せられていて、耳元でベースみたいな低く心地よい声が響く。
「またお前を踊らせてやるよ」
わたしを置いて閉まるドア。ふらつく足元。壁に背をつけ体を支える。逸る心臓を落ち着けようともう一本煙草を取り出す。
カチッ
火をつけるライターの乾いた音が恋に落ちるスイッチみたいで。
「いやいやいやいや、曲が好きなだけだし、演奏が好きなだけだし、バンドが好きなだけだから!」
狭い喫煙所にひとり、振り払うように叫んで手を振り回す。
「あーあ、そんなつもりじゃなかったのになぁ」
フロアに戻るとイベントは終盤で、人も疎らになっていた。きっと外はもう明るくなってきているだろう。
始発を調べようとスマホを取り出すと桂くんからメッセージが届いていた。
『貴様も打ち上げ行くだろう?この店集合で』
朝までイベントやってまだ飲もうとする意味がわかんない!っていつもなら思うけど、今日はあいつの顔が浮かんでしまった。シンスケも来るかな、きっと来るよね。
どんな顔していよう。シンスケはどんな顔するかな。
にやける頬を隠せずに、わたしは『行く』と返信を送った。