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血なまぐさい臭いを振り撒きながら兵たちが拠点とする船へ帰ってきた。
その先頭を行くのは、背後に従える男たちよりも少しだけ小柄な男―――高杉晋助。
鬼兵隊を率いるその名の通り血も涙もない鬼のように強く過激な攘夷浪士。
「あっ、おかえりー」
鬼たちを前に気の抜けた声で出迎える女がひとり。凌月乙玖。高杉の恋人、と呼ぶには語弊しかない。困ったことに彼らの関係が何なのかは当人たちが一番わかっていない。だが鬼兵隊でもないのにこの船に置いてもらえる程度には高杉にとって良くも悪くも特別な存在であることは確かだ。例え部外者がこの場にいることを快く思わない者がいても、彼女は力でそれをねじ伏せるだろう。この船どころか広い宇宙でも乙玖と対等に戦うことができる者はなかなかいない。その実力とは裏腹に子供のように細い腕と脚には包帯が巻かれていた。
「お前その怪我はどうした」
「そんなことより晋助に紹介したい男がいるの、ちょっと待ってて」
そう言うと乙玖は背を向けて駆けていく。
「今紹介したい«男»って言いましたよね」
「親に結婚の報告するときみたいな言い方っスね」
「留守の間に寝盗られたか、どんまいでござるよ」
遠慮もなく感じたままの事を口にするのは鬼兵隊幹部、武市半平太、来島また子、河上万斉。万斉は励ますように高杉の肩をポンと叩く。高杉はいつもの如く、顔色一つ変えずに黙っている。
しばらくして廊下の角から乙玖が戻ってきた。その手は男の手を引いている。やはりNTR展開、と誰もが思った次の瞬間、乙玖の身体は壁にめり込む程強く壁に叩きつけられていた。
「触んじゃねぇーーーーーッ」
噛み付くような怒号と共に、若い男の拳が容赦なく乙玖に降り注ぐ。
さすがの高杉も目の前で繰り広げられる光景についていけず唖然として見守ることしかできない。ようやく拳の雨から抜け出した乙玖は頭部や鼻、口など至るところから血を流し、白かったはずの包帯は真っ赤に染まっていた。乙玖はそんなことを気にもせず「こいつ、わたしを殴れるんだよね」と言い放つ。
そりゃあ今袋叩きにされるのを見ていたからわかる、と全員が思った。
「最近鬼兵隊に入った新人らしいんだけど、強いよ」
乙玖は強い。単純な力ではなく、対人の戦闘能力が高い。高杉は乙玖を殴ろうとしたが避けられ隣にいた万斉に当ててしまったことが幾度となくあることを思い出した。乙玖が避けないのではなく避けられないのなら、乙玖を殴ることができるのなら、確かにこの男は強いのだろう。
「晋助様の強さと思想に感銘を受けてただの農民の出ですが入隊させていただきました。俺の家族は数年前に酔っ払った幕府の奴に遊びで斬り殺されました。そいつらを鬼兵隊が、晋助様が討ってくれたと知りこの方のために命を使おうと思っていたんです。まさか直接お会いしてお話できるなんて……」
そうか、と高杉は男に目をやる。
「俺たちゃ誰がどんな出身だろーと気にしねェ。そんなに固くならなくていい」
「もったいないお言葉ありがとうございます!だから……だからテメェみたいな女が晋助様の周りをうろついてるのが許せねえんだよォッ」
高杉への従順な姿勢はどこへやら。突然怒りの沸点に到達した男によって、またもや突然乙玖に浴びせられる拳の集中砲火。
「ちょっと晋助様、あれ止めなくていいんスか……?」
恐る恐る高杉の顔を覗き込んだまた子の背筋は凍りついた。
冷ややかに、でも心底楽しそうに、高杉の目と口が笑っている。自分に尽くす男が自分のために暴力を振るい、自分の女が自分のために暴力を振るわれている。その光景を恍惚と眺めているのだ。
殴られっぱなしだった乙玖の手刀が男に飛び、急所の喉頭隆起を正確に突く。またわたしの勝ちだね、と首をおさえてよろめく男を見て乙玖は得意気に微笑んだ。殴るだけで折れるような女なら、高杉がリスクを犯してまで手元に置いたりしない。
「晋助への忠誠心があって強くて伸び代がある!こいつはいい兵になるよ」
血塗れの顔に満面の笑みを浮かべる乙玖を見て、ここには狂人しかいないのかと比較的常識人のまた子は天を仰いだ。
鬼兵隊の食事事情は各々勝手にどうぞ、というスタンスだが台所や食材はそれなりに整っている。幹部がいないところで隊員たちがこの国の向かう未来について熱く語りながら飲み明かす……つまりは宴会を開いていることもしばしばある。世間からは過激派テロリストたちと恐れられているが、内に入ってしまえば実は個々が尊重され自由でありつつも統率された集団である。これは総督である高杉のカリスマ性と懐の深さがなせる技だろう。
今日はしばしば宴会の場になる客間に高杉を含む幹部が呼び出されていた。先程乙玖を袋叩きにしていた新入りの男が、実は料理の腕もよいらしく高杉に振る舞いたいというのだ。高杉たちが不在の間、鬼兵隊の食は彼が担っていたらしい。
高杉が客間の戸を開けるとすでに乙玖が座していた。生傷は増え見ているだけで痛々しいが当人は「おそろい」と自分の頭に巻かれた包帯を指してあっけらかんと笑う。
「強くて美味しいご飯作れんの、あいつすごくいい人材じゃない?」
「食えりゃあ何でもいいお前が美味いと言うなら期待できそうだな」
高杉は乙玖の隣に腰を下ろした。高杉を囲むようにして他の面々も席に着く。作曲をしたり大江戸青少年健全育成条例改正案反対を唱えたり思い思いに過ごしはじめる。
「拳が飛ぶまでの予備動作がないから予測ができないんだよね。自然体から早いパンチが出せるのは身体の筋肉の作りっていう生まれ持ったものがいいんだ。あと人を殴ることに躊躇いがないの!今は殴るの一点だけどこれだけの素材揃ってれば刀でも銃でも何でもすぐに使いこなせると思うよ」
新入りの男がなぜ強いのか、早口で高杉に語る乙玖を見てまた子は頭が痛くなった。「強くなりそうな人を見つけたら育てて磨きたくなる乙玖の悪い病気がまた発症してるっス……」
ただの戦闘狂とは言え自分以外の男に興味を持っていることを晋助様はよく思わないんじゃないだろうか。ハラハラしながら見守っていたが高杉はたまに相槌を挟みながら程よく聞き流し相手をしていて、また子の心配は杞憂に終わりそうだ。
新入りの男が皿の乗ったお膳を両手に器用に持って現れる。高杉たちの前に置かれたのは華やかでありつつ栄養がきちんと考えられていることが一目でわかる料理だった。
「これは……見事なもんだなァ」
「お褒めに預かり光栄です!そしてテメェはなぜ晋助様の隣に座っているんだァァァァァァァ」
「ギャッ」
摘みあげられ部屋の隅へ投げ捨てられた乙玖が色気のない悲鳴を上げた。
「わたしの隣に晋助が来たんだって!」
「テメェのみたいな捨て猫風情が鬼兵隊と並んで座ろうってのが許されねぇっつってんだよ拾われたペットはペットらしく隅で猫まんまでも食ってな!!!!!!」
ガチャンと冷たく重い音がした。どこから取り出したのか乙玖の首には鎖が繋がれ、その目の前には料理を作る際に出た食材の末端を寄せ集めて煮込んだ“何か”が置かれた。わざわざ用意したのか猫用の餌皿に盛られたそれは、鬼兵隊の前の料理と同じ食材が使われているからこそ臭みとエグ味が際立つ。
また子は眉をひそめた。確かに乙玖は当初は拾ってきた猫として、ペットのように扱われていた。でも今は複雑な立場とはいえ少なくともわたしは乙玖を仲間だと思っているし、さすがにこれは酷い虐めでは……
「おい、いい加減にしろ」と低く静かだがよく通る声が響いた。高杉の一声で場が静まる。
「せっかく振舞ってくれたんだ、温かいうちに食おうじゃねーか」
新入りの男を諌めるのかと思いきや、何事もなかったかのように食事をはじめる。乙玖は部屋の隅で鎖に繋がれ座り込んだままだ。留守番組だった隊員たちはこれが日常茶飯事だったのかまるで気にせず料理に舌鼓を打っている。幹部を中心に艋を離れていた者たちは元より乙玖に大して興味が無い。ロリコンの武市も乙玖に関しては「あれは少女ではありません。また子さんと同じ害獣です」と言うし、万斉に至っては鬼兵隊でない人間がこの場にいることを快く思っていない。面倒には巻き込まれたくないけれど一応妹のように思っている乙玖に助け舟を出せるのは自分だけか、とまた子は腹を括った。が、乙玖は箸も匙もないなか餌皿に顔を近付け、口と舌で器用に猫のように残飯のような飯を食べ始めた。
さすがにそれは人としてどうなんスか、と立ち上がろうとしたまた子を高杉の手が制した。高杉は口数は少ないものの隊員たちに混ざり歓談していた。しかしその目は時折乙玖を捕え、飼い慣らされた動物のように食事をする様をただ愉しそうに眺めている。
我慢ならなくなったのか新入りの男が乙玖に問う。
「プライドとかないのか?」
「だってお皿熱くて持てないし。それにあんたの料理は残飯でも美味しいよ!なんもしなくても美味しいご飯がでてきて雨風凌げる屋根がある鬼兵隊に置いてもらってんだからどんな扱いされたって文句ないよ天国みたいなもんじゃん」
強さ故に常に戦の中に身を置き、寝食ままならない生活が当たり前だった乙玖。嫌味でもなんでもなく一点の曇りもない笑顔でこの待遇を受け入れている。嫌がらせの度を超えた心身への暴力を振るっているつもりだった新入りの男は頭を抱えるしかなかった。
それでも男は拳を振るうことを辞めず、その後も毎日のように乙玖は袋叩きにされていた。男が一方的に手を挙げているように思えたが、数日も見ていると乙玖から度々男へ絡みにいき、わざと殴られる流れを作っていることがわかった。殴る、という動作のあらゆるパターンやタイミングを自分が殴られることによって男の身体に直接覚えこませようとしているのだ。最も、そのことに気付いたのはよくも悪くも乙玖をよく知っているごく一部の幹部だけだったが。
そのおかげか、男は高杉が率いる部隊に抜擢され、宇宙海賊らとの交渉が決裂した際のやむを得ない武力行使においては目覚しい活躍を見せた。
薄暗い艋の片隅で新入りの男はしゃがみ込んでいた。高杉を真似て煙管を始めたものの、うまく吸うことができない。火皿に無理矢理詰め込んだ葉が、火をつける前にこぼれ落ちてしまう。こんな様誰にも見られたくはない。
ここなら誰にも気付かれないと思っていたのに、葉をかき集めて床に落とした視線の先に見慣れた足先がいた。
「よォ」
男は慌てて居住まいを正し、高杉に深く頭を下げる。転がる新品の煙管を見て、高杉はフンと笑った。
「鬼兵隊はどうだ」
「あ……とても居心地がいいです。どんな人間でも受け入れてくれますし、能力を正しく平等に評価してくれる。何より幕府を、世界を憎んでいるのが俺だけではないという、この苦しみを分かち合える人がいることがとてもありがたいです」
鬼兵隊は高杉の思想・行動に共鳴した者の集団。高杉の真の目的を知るものは少ないが、集まってきた者たちは少なからずこの世に憎悪と苦痛を抱えている。
そういえば、と男は続ける。
「ここ数日くそ女を見かけないけどどうしたんでしょうか。いい加減消えてくれたなら嬉しいんですが。あれが許せないのは晋助様の考えに賛同しているようには見えないからです。世界を憎むでもなく恨むでもないのに晋助様にまとわりついているのが許せない」
乙玖を思い出したら沸沸と怒りが蘇ってきたのが饒舌になる男。だが頭頂部の髪を引っ張られて口を噤んだ。
男の髪を掴んだままの高杉が、男と視線を合わすようにしゃがんだ。口元は笑っているがその右目は恐ろしく妖しくぎらついていた。
「乙玖がここ数日部屋に引き篭ってんのはなァ、俺と喧嘩したからだよ。原因?さあな。何かで言い合いになったのが発端だったか……些細なこと過ぎて忘れちまったよ。だがな、こいつだけは忘れてもらっちゃ困るぜ。お前があいつに何をしても俺の知ったことじゃねー。だが、どれだけお前が殴ろうと乙玖が傷付いたり悲しんだりするこたァねーんだ。わかるか?乙玖を傷付けられんのは俺だけだ」
その目に喰われるような感覚。
動けない男を尻目に、高杉は掴んでいた手を離して立ち上がる。「消えんのはてめーのほうかも知れねェな」と、喉を鳴らして去っていく。
その足音だけが冷たく響いていた。
愛とは似て非なる、欲