虚構のアイランド【まとめ】

本編10・テンス『オーバー』(1)

2024/07/27 08:07
アイランド本編
通気口から少し覗いただけで、気配を感じられない事はない。
ピリピリとした空気は、漂っていた。
誰もいなさそうなのに、ただならぬ雰囲気を感じ取っていた私達は、早く脱出したかった。
出入り口すぐのB棟の個室にも、出入り口までの僅かな距離の通路にも、人気がなかった。
いや、[ノータブル]の基地の施設内に潜入してから今まで、人の通過が数える程しか、目撃しなかった。

その真相が、今、明らかになった。
格納庫内への出入り口を出て左側に、沢山の人が押し寄せていた。
どの人間も全員、同じ制服を着こなしていた。
どこの所属の制服なのかも、私には見覚えがあった。
緊急会見で周りの人間がきっちり着用している礼服。
今、私達がどこにいるのか知れば、それだけでも答えになる。

[ノータブル]の制服だ。
兵士達の集団がここまで押し寄せてきている。

発砲した者を探し当てるのは、容易だった。
引火に伴う小さな煙が、うっすらと見えた。
格納庫内部の天井と壁面が暗めの色で統一されているから、白い煙が映える。

足音も、大きくなった。
ザッ、ザッ、とゴムの靴底とコンクリートの地面が擦り合う音が。
それが終わる時、足音を立てた者は集団の最前列に現れた。

扇浜筋道。
[ノータブル]の総指揮官だ。
扇浜本人が、銃口をこちらに突きつけてきていた。

「朝からネズミがコソコソ嗅ぎ回っているなぁと思えば、何だぁ?
[サウス・エリア]の《メス》が、紛れ込んでいたとはなぁ。」
言い方がとても嫌味たっぷりであった。
ニヤニヤしながら、私達を見ている。
だけど、目は細めてはいるけど…笑っていない。

集団で八方塞がりにして、銃口を向ける。
私達を逃す気は、ないようだ。

後ろも、囲われた。
集団をかき分ける必要があるため、走って突破するのは困難になった。

私の隣には、輝がいる。
彼の身体能力を、私は全然把握できていない。
ダイナミックに飛び上がって、隊員の頭を踏み台にして渡れるのか…。
咄嗟に思いつく脱出方法と言えば、それぐらいしかない。

緊迫した状況で固まっていると、クスクスと笑い声が聞こえた。
扇浜はもちろん、周りの[ノータブル]の隊員達のほとんどが男性だ。
若い人でも、成人している者が多数である。

女の子のような可愛らしい笑い声が、私達の耳に入ってくるはずがない。
軍の基地には大人しかいないと思い込んでいたら、笑い声の主は謎に包まれただろう。

私は今、[ノータブル]には子供の兵士がいるであろうと気がついた。
扇浜の近くにいた2人の子供に、目が行ったから。

子供、といっても極端に小さくなかった。
隊員の肩の高さぐらいまでの背丈。
男の子だったら、声変わりが始まっているだろう…と想像がつくだろうに。

2人の子供の声は、ソプラノ程度の高さだった。
「…本気で信用しちゃうんだね?」
「僕達、設立時からここにいるのに。」

クスクス笑った後の、誰かを馬鹿にした発言。
口に手を当てて2人でコソコソしているように見せているけど、声はこちらに届いている。
黙っていられない人物が、私の側にいた。

「ヨーネン!ドーレン!君達はあれほど虚像獣に怯えていただろう!?」
輝の声が、荒げていた。
何か、焦っているような雰囲気だった。
ひとまず、隊員達より背の低い子供達の名前は、輝の口から知った。
これは頭の片隅に置いておこう。

今は、脱出を考えないといけない。
私は輝を、後ろに立たせていた。

取り囲まれた状況下で、後ろも安心はできない。
今までの業務以上に、細心の注意を払わなければ…。

輝の狼狽えた声は、ヨーネンとドーレンという子供達に届いていた。
ただ単に自分達の耳に入っただけ。
感情までは、揺さぶられなかった。

済ました表情は、変わらない。
むしろ彼らは、確実に年上であろう輝に対して、侮辱する発言をした。
「え?本気で怖がってるの?」
「バカだなぁ。あんな『紛い物』の怪獣が脅威の対象だなんて、まだ信じてるの?」

…子供達の言葉が、引っかかった。
虚像獣に対する捉え方が、全く異なっているんではと感じた。
子供達を責める気はない。
危険な状況下にいるのは私と輝だ。

何らかの意図が含まれているような発言達。
機会があれば、[サウザンズ]の人達に話を伺えばいいだろう。

優先順位を決めて実行しよう、という考えが他の者に通用するかとなると、そうでもない場合がある。
後ろに下がっている輝は、この問題を引きずっていた。
彼は子供達に対して、まだ話を続けた。

「君達がもの凄く怖がっていたじゃないか!
その為に俺は…ルールを破って出撃したんだ!
専用機【ヴィラー・ルーズ】をわざわざ持ち出して!」
私は驚きで、輝の方へ振り向いた。
彼は爽やかな笑みとは無縁の、厳つい表情に変わっていた。
彼の目元が、赤くなっている。
悲しみも込み上げてきているのだろう。
あの子供達に対しての、憐れみで。

輝は口を慎まなかった。
真剣に彼らと向き合っていた。
「【ペンタグラム】で即座に倒せたなら、[ノース・エリア]に虚像獣は侵入しなかった。
だがあの巨大ロボットはそれを許してしまった。
あのまま放置すれば…君達はガタガタと身体を震わせて、気が狂ったに違いない!」

輝の主張は、格納庫内に響き渡っていた。

彼は、子供達を守る為に出撃した。
私は【ペンタグラム】のパイロット部隊の1人。
あの上空の光景は、覚えている。
境界線まで100メートルの距離しか離れていない虚像獣相手は、苦戦した。
ラウトさんの《銃》で仕留めようとしたが装甲が硬く、急に北上し始めたからアージンさんの《槍》で一気に飛ぶしかなかった。
規則が変更されたが、責任は重い。
あの黄色いロボット【ヴィラー・ルーズ】がピンポイントで射撃しなければ…虚像獣は確実に[ノース・エリア]に侵入していただろう。

救世主は、身近に存在した。
私は、2度も彼に、助けられていたんだ。
コンサートの交流会で緊張していた私と、伝説の女性デュオの話題で盛り上げてくれて。
規則違反にも関わらず、専用機を持ち出して虚像獣の対処までしてくれて。

元アイドルとファンの関係だけで、ここまで尽くしてもらった…。

恩を感じているのは、この緊迫した場面では、私1人だけだった。

輝が庇おうとした子供達に…彼への感謝が読み取れなかった。
ニヤついた邪悪な笑いは、一向に変わらない。
「ここまでバカだと、お手上げだよねぇ?」
「仕方ないよ、[サウス・エリア]出身だし、お頭が劣っているんだから。」

器の小さい人ならすぐに怒り心頭に発する物言いがされた。
圧倒的に不利な立場でなければ、彼らと口論になっていたかもしれない。
賢そうな雰囲気だから、口喧嘩では歯が立たないだろうが。

ここで悩みの種子が再び芽生えた。
子供達とのやり取り時に黙っていた扇浜が、割り込んできた。

「もういいか?そろそろ処分の判断を下さんといかんしなぁ?
それとも、俺の元へ降参か?[サウザンズ]の雌ネズミちゃん?」

子供達に同調するように、扇浜もほくそ笑んでいた。
彼の手に握られている銃は、未だに私と輝がいる方向に合わせたままで。

「残念だが、コッチにはそんな余裕はないからなあ。可愛げもないし。」
銃声は、扇浜の発言が終わってから鳴り響いた。
周りに銃を構えている者はいなかった。
せいぜい、ホルスターに収めている程度であり、誰もそれに触れていなかった。

となると、答えはたった1つだけ。
扇浜がこちらに構えていた銃が、発砲したのだ。

矛先は私達なのだから、確率的に前面に出ている私が弾に当たる、筈だ。
鍛え抜かれた戦士でも、銃弾を防備無しで受けると、相当のダメージがのしかかる。
立っていられても、動きが鈍くなる。
ヨロヨロ歩くだけで、精一杯になる。
呼吸も荒くなり、意識も朦朧とするだろうと覚悟していたのに。

私は、無事に立っていられてる。

何かがおかしい。
そう気づいた私は、周りの状況把握に徹した。

前に、私と変わらない背丈の男性が、身体を丸めながら立っている。
彼の後ろ髪は、ネロと同じく金色が輝いていた。
「輝、さん…?」
私は、後ろにいた輝が前に出ている事を不思議に思った。

うずくまっている原因は、判明した。
ポタリ、ポタリと、赤い雫が地面に落ちる。
「くっ、ううっ…!」
輝の苦しそうな声が漏れる。
普通に真っ直ぐ立っていた彼だが、今は歩く足がおぼつかなくなっている。
ヨタ、ヨタ、とゆっくり歩いて、輝はドサリと地面にしゃがんだ。
落胆する時の姿勢の後、寝転がった。
仰向けの姿勢になっていた。

彼は両手で、腹部を押さえていた。
手の指の隙間から…真っ赤なインクが流れていた。
私ははっきりとわかる。血であると。

私は、立ったまま動けなくなっていた。
両目を大きく見開いて、狼狽えた顔つきになった。

「うそ…なん、で…」
やっと絞り出すように、か細い声が私の口から出た。
こんな事態になりかねないとわかっていたのに。
いざ立ち会うと…後頭部を強く叩かれたような衝撃を受ける。

ショックのあまり立ちすくんだ私の耳に、高笑いする男の声が流れてきた。
「ハハハハハ!こりゃあ傑作だなぁ!
人質が犯人を庇うなんてよお!」
扇浜が空いた手で顔を当てて、ゲラゲラ笑っている。
蒼白な表情をした私から、5メートル程離れた先で。
「あ、ああ…。」
私は膝から崩れ落ちた。
輝の側でしゃがみ、流血が止まらない腹部に手を当てる彼しか、見ていなかった。

気力が、失われていく。
目元が、熱くなっていく。

「ガキ共に失望して、寝返ったってか?
そうだよなぁ!お前には『弟』が向こうにいるんだからなあ!
結局、恋しいんだろう?

なあ?寝落ち寸前の《サウスフィールド家》の双子の『兄』よ。」
「…双子?」
私は顔を上げた。

子供達の発言からでも気にしてはいたが…扇浜の言葉に引っかかった。
輝に『弟』がいた噂もだが、突如名家の名前が出たのだ。
《サウスフィールド家》は、[サウス・エリア]では地主的存在の名家である。
一般家庭とは異なり、土地建物が広大であったり、家族構成が複雑である特徴がある。

正規軍との密接な繋がりがあるとされており、私も名前ぐらいは聞いた事がある。
[ノータブル]に在籍する隊員も、元々は正規軍から派遣された人間ばかりだ。
トップである扇浜が知っていても、不思議ではない。

問題は、別にある。
銃弾で倒れている金髪の男が、その名家と深い関わりがある件だ。

どういう関係性があるのかさっぱりわからない私に、扇浜が勝手に喋り出した。

「《ユナイテッド》っつー特性の双子のガキがいるんだわ。
初めは普通に産まれるが、成長段階で手術を受けて、感受性の強いガキが出来上がるんだわ。」
時折出てくる、聞き慣れない言葉。
推定できるとすれば、輝が双子の兄ではないかという説だけで…あとは何もわからない。

私の戸惑いは隠しきれていない。
勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、扇浜は話を続けた。
「…昔、災害で消沈しきった人類に、安らぎの歌が流れてきた。
活動休止以降メディアに一切現れなくなった、伝説の女性デュオ[Salty Sugar]。
その後の雌ガキ共の人生を教えてやるよ。」

私は驚きで、扇浜をじっと見ていた。
私が訓練兵時代からずっと大好きだった、女性デュオのアーティスト。
彼女達を『雌ガキ』呼ばわりで、扇浜が侮辱しているのがわかる。
これだけでも腹立たしいのは事実だが…私はその後の人生が気になった。

私が先を急かさなくとも、[ノータブル]の総指揮官は勝手に喋り出した。

「あの雌ガキ共は《ユナイテッド》のプロトタイプだったんだよ。
綺麗なハーモニーが感じられて美しいと評判あったがな、あれは作られたもんなんだ。」
「幼少期からお互いの共有・共感・共鳴を促進するのに、大掛かりな実験をさせたみてえでな。
最終的にパンクして精神崩壊して…飛び降りたさ、崖の上からな。」

私は自分の頭が、強く叩かれた気分を味わった。
自分が昔から推していた女性デュオが、今は生きてすらいない真実に。
これには、私も正気でいられなかった。
ショックの連続で、体が思うように動けない。
輝の側で、涙が少しずつ、ポタリと落ちていくだけ。
悲しみばかりが、私の心を支配していた。
[ノータブル]の隊員達の数人が、私と輝を取り囲む。
自分達を捕縛しようとやってくる。
こんな時なのに、動く気力がない。

私に、語りかけようとしてきた者がいた。

その人は、言葉を少しずつ、紡ぐようにゆっくりと喋りだした。
緊迫した事態で優しく話す人間は、たった1名だけだった。

「…知って、ました…。誰が、僕を、呼んで、いる、のか…。」
私は正気を取り戻した。
輝は銃弾が腹部にのめり込んだ状態であり、危篤である。
まだ言葉を紡げるのならば、彼は生きている…!

私は彼に生存率を高めさせようと、強く説得した。
「輝さん!今は喋ってはいけません!あなたの傷口は…。」
「僕の…弟…だね?あの、時…アレを…倒した…時、と…、感覚…同じ、だ…。」
輝は私の制止を聞かず、懸命に伝えたい事を話した。
残りわずかの、限りない命だというのに。

このまま、終わらせてほしくはない。
私の涙は段々と溢れていった。
私の目元が、頬が、暖かい雫で濡れる。
雫の果ては、危篤状態の彼の身体に落ちていった。
「ダメです!あなたは生きなくてはならない!私の処遇はどうだっていいんです!あなただけでも…。」
「僕は…何も、できません…。芸能…活動…も…、メンバー…支えて、くれました…。僕には、能力…が、あり…ません…。」
段々と輝の声が弱くなっていく。
彼の瞼も、閉じかかっている。
私が触れた胴体も、冷たさが伝わってくる。
彼に残された時間はわずかだと、告げられているようだ。

「あなたは役に立っていますよ!短い間でしたが、心の支えになりました。
あなたの声で救われるファンは大勢います!だから…!」
「戦え…るのは、あなた…です…。」
私はまた、彼に発言を止められた。
ハッと声をあげて、口が塞がらない状態になった。
涙は止まらない。
寒気はしないのに、自分の体がプルプル震えている。
いやだ。やめてくれ。いきていてくれ。
それぐらいしか思考が働かなくなって。
奇跡が起きてほしいと、願ったのに…。

「どうか…僕、の…おと…うとを…、セン、ズ…ネロ…アマ、リーノ…を、たの…む…。」

吐息混じりでゆっくり話しかけていた言葉は途切れた。
金髪ストレートの端正な顔立ちの若い青年の瞼が、閉じられた。
眠る子供のように、自身の頭を横に倒した。

彼に、再び起きる気配はなかった。
身体の体温が冷たい。
脈の鼓動も、止まってしまった…。

「輝さん…輝さん!?
お願いです!返事して下さい!輝さん!輝さん!!輝!!!」
いつの間にか、名前を呼び捨てしていた。
普段、悲哀の涙を流す事があっても、大声でむせび泣くまではいかなかった、今までの私。
現在、銃弾の傷口から血を垂らし続ける彼が眠りについたのを目の当たりにして…嘆いてばかりいた。
鏡に私の顔を映し出したら、酷く荒れた表情だと知るだろう。
それほど、私は今、人生で初めて、身に染みる悲劇に遭遇した。

私の泣き声以外、格納庫に響き渡っていなかった。
[ノータブル]の隊員達は、黙って整然と立っているだけ。
総指揮官の扇浜だけ…引き裂く仲のシーンを見て、ニタニタ笑っていた。

「ネズミは雌だけじゃなく、『雄』もいるよなぁ!輝の『弟』よお!」

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