虚構のアイランド【まとめ】
本編5・フィフスシンパシー
2024/07/22 12:42アイランド本編
扇浜の会見から数日後。
虚像獣は出現せず、[スロープ・アイランド]全域では平和に過ごしていた。
[サウス・エリア]内を管轄する基地[サウザンズ]では、小さな集会があった。
集会、というより顔合わせに近いかもしれない。
【ペンタグラム】のパイロット部隊のみで構成された集会だからだ。
私達5人は、基地内の食堂の隅で、固まって座っていた。
食事時ではないので、テーブルには各自注文した飲み物が置かれていた。
ボーデンさんとラウトさんはコーヒー。
アージンさんと私はお茶。
ネロだけはオレンジジュースだった。
「毎度お馴染みの機会だが、お前ら、調子はどうだ?」
ボーデンさんが優しく話を切り出した。
リーダー格らしく、彼は部隊のメンバーを常に心配してくれている。
集会を開いてくれるだけでも、気持ちに安心感があった。
「んー。特に変化はないっすよ?」
「お前の場合はそうだろうなぁ。酒とか女とか嗜むぐらいだし。」
「いやいやいや、たまに有力な情報持ってくるんすよ?侮ってはダメですって!」
ラウトさんの行動に、ボーデンさんは納得していた。
ほとんどの確率で、ボーデンさんの発言は揶揄いの意味を含んでいた。
ラウトさんは慌てて否定したけど、怒る様子はなかった。
集会では日常茶飯事なので、聞いていた私達は普通に流していた。
「ラウトはさておきですが…。俺も特別、変化はありません。
扇浜の会見は気掛かりですが…。」
続いてはアージンさんの発言だ。
やはり歳上のボーデンさんの手前、敬語で話していた。
「ああ、あの野郎か…。」
「ラウト、一応階級的には扇浜が上だぞ?」
「でも今は呼び捨てだろ?」
「呼び捨てもアウトではあるが…。」
「まあ今は話題の張本人は聞いてないし、それでいいだろう。」
ボーデンさんは扇浜の呼び捨てを、今は認めた。
「扇浜の会見は、ブーイングものだったな。
ラウトは他の者達と一緒になって吠えていた。
冷静なアージンも、表情を一変するぐらいだ。」
「そりゃそうでしょうよ?尻拭いは嫌だけどよ、野放しにするのも相当キツいっすよ?」
「俺も同感です。」
ラウトさんとアージンさんの、根本的な意見は一致していた。
2人は正規軍の同期で、年齢も変わらないとの事で、肝心な部分は気が合うようだ。
ラウトさんとネロみたいに、小競り合いが発展するのも少なかった。
「[サウス・エリア]内の虚像獣はこちらで迅速に処理できますから、いいんですけど…。」
「[ノース・エリア]っすよ、厄介なのは。前回の戦闘でも随分ノロノロ動いていたですし。」
2人とボーデンさんは、扇浜の会見内容の話題で持ちきりだった。
問題点はいくらでもあったのに、会見などの公の場で強引に押し通す扇浜。
決まって「正規軍を通しているから」という一言を付け加えるから、私達の出身まで示されたらぐうの音もでない。
話し合いを設けず、単独で仕切ろうとする扇浜に、皆頭を抱えていた。
私は話し合いに口を出したりはしないが、気持ちは理解できた。
普通に相槌を打っていた。
たまにラウトさんやネロが許容範囲内のちょっかいをかけてくる時は、喋ったりするけど。
ラウトさんは、今回も相変わらずの口説きぶりだったが。
今のネロの様子は、おかしかった。
会見の時もほぼ固まった状態だったので、まだ引き摺っているのだろう。
大好きなオレンジジュースを飲んでいたネロ。
透明の容器から、氷とジュースの量が全然減っていない事に気づく。
そこまで、深刻になっているのかな?
私は隣に座るネロが気がかりになり、小さな声で彼に尋ねた。
「ネロ、ネロ。」
ポンポンと最年少の少年の肩を、私は軽く叩いた。
ネロは子供っぽいけど、体つきは鍛え抜いた小柄な成人男性と変わらなかった。
肩の筋肉の硬さが、伝わってくる。
大人の仲間入りに近づいている少年が、こっちを向いた。
現実に戻された、みたいな表情をしていた。
両目と口が開かれた状態だったから、どこかに意識がトリップしていたんだなぁ、と私は勘づいていた。
「あ…燃華。」
「ずっと黙ったままだけど、大丈夫?」
「いや…その…。」
いつもの明るく強気な彼とは違って、今のネロはオドオドしていた。
話題で盛り上がっていたボーデンさんも、ネロに気づいた。
「どうしたネロ、体調が優れないのか?」
「この前の会見からずっと調子悪いんじゃねぇか?飯食ってるのか?」
「め、飯はちゃんと食ってるぜ…。」
ラウトさんに反論したネロだが、いつもよりもトーンが弱かった。
その…と後に続けて、ネロはテーブルの上で指を動かしていた。
特に左右の人差し指が何度も交差していた。
「悩み事なら、はっきり言ってしまった方がスッキリするぞ?相当、何かを抱えているんではないのか?」
アージンさんが言った。
今は話を合わせているアージンさん。
普段は冷静で無口な彼から告げられたネロは、観念して本音を吐いた。
『悩み』というより、『頼み』事だった。
「あのさ…燃華を借りてもいい?」
「私?」
私は右手の人差し指を自分の顔に向けた。
益々、ネロの深刻さがわからなかった。
私達は全員、同じ【ペンタグラム】に乗って戦うパイロット。
他の基地内の人間よりも、信頼関係は強固だった。
ネロは直接悩みを打ち明けず、私を借りようとしている。
一体、どういう事なのか?
名指しされた私のみならず、ボーデンさん達も困惑していた。
「それは…、燃華以外には秘密にしないといけないくらいの内緒話、になるのか?」
ボーデンさんの発言だった。
倍以上の大人に摘まれた感覚を味わったのか、ネロは身体を震わせた。
うっ、と声を漏らして。
それからの彼の行動は、早かった。
隣に座っていた私の手首を握って、引っ張っていた。
ネロは立ち上がって、食堂の出入り口である両開きのドアを目指していた。
普段は大人しく控えめでいる私でも、流石に慌ててしまった。
「ちょっと!ネロ!」
私は制止してもらうために、戦闘時以外で大きな声を出した。
でも彼は、手首を離さずに強引に私を連れ出そうとする。
私もネロもパイロットだから、訓練で鍛え上げられている。
全力で抵抗すれば、腕を振り払うのは可能だった。
しかし、そうなればネロも怪我をしてしまう。
大袈裟だけど、任務に支障をきたすだけは避けたかった。
ネロの咄嗟の行動に驚いた私だが、半分は彼に流されてみようと考えた。
ネロ本人が、私と2人きりだったら、悩みを打ち明けやすいのだったら。
どうしてもボーデンさん達への報告が必須なら、その時はネロがいない所で場を設けてもらおう。
頭の転換が必要だ。
♪♪♪
ネロに強引に連れて行かれた私は、彼と一緒に通路の行き止まりまでやって来た。
正確には『行き止まり』ではなく、頻繁に開閉しない金属のドアの手前である。
そこは通路の間に入った、薄暗い場所だった。
暗がりの『行き止まり』で、既に隠れ場所まで辿り着いた私達。
だがネロはもう少し、自分達の身を潜めようと考えていた。
例の『行き止まり』の隅まで、かなり奥まで入り込んでいた。
「ネロ!こんな所まで来て一体…。」
ドン!と衝撃音がした。
ネロが金属のドアに、強く掌を当てたからである。
私を連れてここまで来る事に、文句を言わさぬ空気が漂った。
ドアと壁がなす角の位置で、私はネロに塞がれた。
側から見れば、ネロが私に迫っているかのようだった。
ネロ本人に、私を襲うやましい心は持っていない。
長い事パイロット仲間をしてきてるので、私はそれを理解している。
考えられるのは、ネロの悩みが私以外には打ち明けられない、秘密にしておきたい内容を抱えている、って事だ。
彼の本音は、聞いてあげたいのだが。
どうも食堂を出る時から乱暴気味で、私は少々困惑している。
「ネロ…本気でどうしたの…?」
私は柄でもないのに、普通の女の子が怯える時の素振りをしていた。
ネロを落ち着かせる為の苦肉の策でやったので、見知らぬ同性が目撃したらブーイングが舞い込んでくるだろう。
そんな感じの可愛らしい態度を示した。
女の子らしい態度の前に、今まで強引だったネロがタジタジになった。
「あ、ごめん…。」
そう言った彼は、私との間隔を空けた。
これで、ちょっとした苦しみから解放されるだろう。
繊細ではあるが、あまりに切羽詰まりすぎても、私には対処できない。
何でもいいので、まずは私より年下の男の子を冷静にさせる工夫が必要だった。
これが子供っぽいネロではなく、成人男性なら効果があるのかはわからないが。
今の相手はネロだけだ。
彼に効き目があればいいと、私はより深くは考えなかった。
謝ったネロは、今までの勢いが嘘だったかのように、左右の人差し指でモジモジしていた。
私と2人きりになっても、肝心の悩みは打ち明けにくいのか…。
よっぽど、深刻そうに俯きながら、生きていたのかな?
聞き出したいのは山々だけど、私は彼本人が重い口を開くまで待ってあげた。
流石に追い込みすぎたのか、ネロは観念して、本音をぶちあけた。
「あのさ、燃華。一ノ宮輝って元アイドルだよなぁ?」
「そうだよ?[5秒前]というグループに所属していたんだよ?」
「やっぱり、俺の見間違いじゃないんだな…。」
ハハハ、とネロは乾いた笑いをこぼした。
心身共に支障をきたして、壊れてはいない。
しかし、彼が心底辛そうな表情を見せていると、聞いているこちらまで心配してしまう。
「ネロ、本当に…体調が悪いとか…。」
「あのさ、燃華。」
ネロが私の心配を遮った。
多少の疲れが残っていても、肝心の本音は打ち明けようとしているのだ。
私が闇雲に手を差し伸べてはいけない。
ネロの話を、よく聞いてからアドバイスでもしよう、と私は考えた。
「燃華はさ、」「うん。」
「あの輝って男、どう思ってるんだ?」
…そんな悩みを、今まで抱えていたのか。
いや、ネロが真剣に悩んでいるんだ。
呆気ないなんて思うと、失礼だろう。
だから、私はネロからの問いに、真剣に答えた。
「脱退して寂しいけど、輝が決めた事だろうし…。アイドルとは別の道に進んでも、私は応援するよ?」
これはネロに聞かれて即興で考えた答えではない。
脱退のニュースを聞いて、立ち直ってからずっと考えていた本心だ。
輝が[ノータブル]という嫌な組織に属したからと言って、真っ向に否定してはいけない。
輝の事を思うならば、彼が決めた道を歩むのを黙って見守るのが、ファンとしての心構えだろう。
私のファン歴はかなり短いので、簡単に説教じみた事は言えないけど。
ところが、私がそう言った後のネロは、目を逸らした。
ひどく困惑していたようで。
もしかして、私の答えが悪かったのかと、逆に気を遣ってしまった。
「ご、ごめん!私、正直に答えただけだから!」
「いや、いいぜ。燃華の考えが普通なんだよ。」
気にしていない、とネロは口で言った。
口では否定していたが、表情は素直だった。
いつも明るく元気でお調子者のネロから、暗い雰囲気が漂う。
もう少し、気にかけてみる必要がある。
今、ネロの深刻な悩みを共有できるのは、私だけ。
彼にあと1歩踏み込ませるよう、私は促した。
「ネロ。今聞いてるのは私だけよ。君が輝に対してどう思ってるか、具体的に言って欲しいの。」
ネロは、う、ううっ、と唸った。
本音を洗いざらい話すのに、戸惑っている。
だが唸ったわりに、彼は気持ちを切り替えて、素直に打ち明けた。
「俺、感じてしまうんだ。アイツは嫌々入隊しているんじゃないか、って。」
「嫌々?」
「そう。扇浜か他の奴らに誘われてよ。嫌々でやってるけど、それでも続けてんのはなんか目的あんのかなぁ、って。」
ネロはあの扇浜の会見で、輝の本当の気持ちを自分なりに感じ取っていたらしい。
「よくそう読み取れたのね?」
「読み取った、つーか、俺、アイツの表情を見たんだよ。
全然、笑っていねぇんだ。」
「そりゃあ…。大事な会見の場だから、ヘラヘラ笑えないし…。」
ネロは常々子供っぽい仕草をするけど、たまに頓珍漢な発言もする。
変わっているなぁと思ってしばらく耳を傾けていたら、彼の発言には続きがあった。
「扇浜とか、他の奴らなんかニヤニヤしてんだぜ?ドヤ顔みたいな感じでよ?」
「扇浜はともかく、他の[ノータブル]の人達は彼の部下のようなものだから、そこは合わせないと…。」
「じゃあ、アイツだって笑わねぇといけないだろ?」
なるほど。そういう事か。
私はようやく、ネロが奇妙に思う点について、今理解できた。
あそこに立っている以上、務めは果たさないといけない。
扇浜は[ノータブル]の総指揮官だ。
建前上、彼の意向には従わないといけない。
他の部下が笑っているなら、輝も笑わないといけないのに…。
「そっか…。ネロは輝が務めを果たしてないから、嫌々やっていると言いたいのね?」
「俺、話した事ねぇからわからねぇけど…燃華の想像通りでいいぜ。」
ネロは素直に認めた。
さっきまでの暗い表情は、段々と明るくなっていった。
まだ、いつもの彼みたいに元気はつらつな姿まで回復はしていない。
でも、どんよりとした表情と比べたら、マシになっていった。
ネロの悩みは、大体判明しただろう。
それだけでも十分な成果だ、と安心したその時だった。
[サウザンズ]の基地全域に、けたたましい警報音が鳴り響いた。
完全に慣れてしまっているが、やはり突然の高音は耳が痛くなる。
私もネロも、この警報音の意味を十分理解していた。
「虚像獣の出現!」
「今度はどっちなんだよ!」
ネロが吠えるように言った後、私達はすぐに走り出していた。
基地内では直通の移動装置があり、端末機での転送は使えない。
通路を走っていると、直通の瞬間移動カプセルが各階に4基設置されている。
そこに私とネロは乗り込んだ。
音声認識で各フロアに飛んでいける仕組みとなっており、私は『格納庫』と叫んだ。
移動カプセルのAIが認識し、移動を開始した。
「ネロ、私達の使命は『虚像獣を消滅させる事』よ。輝を安心させたいなら、最後まで虚像獣を倒していこう。
今は、それが1番よ?」
「ありがとう、燃華。そうだよな、アイツが出なくていいようにしないとな!」
話が終わる頃には、格納庫に到着していた。
虚像獣は出現せず、[スロープ・アイランド]全域では平和に過ごしていた。
[サウス・エリア]内を管轄する基地[サウザンズ]では、小さな集会があった。
集会、というより顔合わせに近いかもしれない。
【ペンタグラム】のパイロット部隊のみで構成された集会だからだ。
私達5人は、基地内の食堂の隅で、固まって座っていた。
食事時ではないので、テーブルには各自注文した飲み物が置かれていた。
ボーデンさんとラウトさんはコーヒー。
アージンさんと私はお茶。
ネロだけはオレンジジュースだった。
「毎度お馴染みの機会だが、お前ら、調子はどうだ?」
ボーデンさんが優しく話を切り出した。
リーダー格らしく、彼は部隊のメンバーを常に心配してくれている。
集会を開いてくれるだけでも、気持ちに安心感があった。
「んー。特に変化はないっすよ?」
「お前の場合はそうだろうなぁ。酒とか女とか嗜むぐらいだし。」
「いやいやいや、たまに有力な情報持ってくるんすよ?侮ってはダメですって!」
ラウトさんの行動に、ボーデンさんは納得していた。
ほとんどの確率で、ボーデンさんの発言は揶揄いの意味を含んでいた。
ラウトさんは慌てて否定したけど、怒る様子はなかった。
集会では日常茶飯事なので、聞いていた私達は普通に流していた。
「ラウトはさておきですが…。俺も特別、変化はありません。
扇浜の会見は気掛かりですが…。」
続いてはアージンさんの発言だ。
やはり歳上のボーデンさんの手前、敬語で話していた。
「ああ、あの野郎か…。」
「ラウト、一応階級的には扇浜が上だぞ?」
「でも今は呼び捨てだろ?」
「呼び捨てもアウトではあるが…。」
「まあ今は話題の張本人は聞いてないし、それでいいだろう。」
ボーデンさんは扇浜の呼び捨てを、今は認めた。
「扇浜の会見は、ブーイングものだったな。
ラウトは他の者達と一緒になって吠えていた。
冷静なアージンも、表情を一変するぐらいだ。」
「そりゃそうでしょうよ?尻拭いは嫌だけどよ、野放しにするのも相当キツいっすよ?」
「俺も同感です。」
ラウトさんとアージンさんの、根本的な意見は一致していた。
2人は正規軍の同期で、年齢も変わらないとの事で、肝心な部分は気が合うようだ。
ラウトさんとネロみたいに、小競り合いが発展するのも少なかった。
「[サウス・エリア]内の虚像獣はこちらで迅速に処理できますから、いいんですけど…。」
「[ノース・エリア]っすよ、厄介なのは。前回の戦闘でも随分ノロノロ動いていたですし。」
2人とボーデンさんは、扇浜の会見内容の話題で持ちきりだった。
問題点はいくらでもあったのに、会見などの公の場で強引に押し通す扇浜。
決まって「正規軍を通しているから」という一言を付け加えるから、私達の出身まで示されたらぐうの音もでない。
話し合いを設けず、単独で仕切ろうとする扇浜に、皆頭を抱えていた。
私は話し合いに口を出したりはしないが、気持ちは理解できた。
普通に相槌を打っていた。
たまにラウトさんやネロが許容範囲内のちょっかいをかけてくる時は、喋ったりするけど。
ラウトさんは、今回も相変わらずの口説きぶりだったが。
今のネロの様子は、おかしかった。
会見の時もほぼ固まった状態だったので、まだ引き摺っているのだろう。
大好きなオレンジジュースを飲んでいたネロ。
透明の容器から、氷とジュースの量が全然減っていない事に気づく。
そこまで、深刻になっているのかな?
私は隣に座るネロが気がかりになり、小さな声で彼に尋ねた。
「ネロ、ネロ。」
ポンポンと最年少の少年の肩を、私は軽く叩いた。
ネロは子供っぽいけど、体つきは鍛え抜いた小柄な成人男性と変わらなかった。
肩の筋肉の硬さが、伝わってくる。
大人の仲間入りに近づいている少年が、こっちを向いた。
現実に戻された、みたいな表情をしていた。
両目と口が開かれた状態だったから、どこかに意識がトリップしていたんだなぁ、と私は勘づいていた。
「あ…燃華。」
「ずっと黙ったままだけど、大丈夫?」
「いや…その…。」
いつもの明るく強気な彼とは違って、今のネロはオドオドしていた。
話題で盛り上がっていたボーデンさんも、ネロに気づいた。
「どうしたネロ、体調が優れないのか?」
「この前の会見からずっと調子悪いんじゃねぇか?飯食ってるのか?」
「め、飯はちゃんと食ってるぜ…。」
ラウトさんに反論したネロだが、いつもよりもトーンが弱かった。
その…と後に続けて、ネロはテーブルの上で指を動かしていた。
特に左右の人差し指が何度も交差していた。
「悩み事なら、はっきり言ってしまった方がスッキリするぞ?相当、何かを抱えているんではないのか?」
アージンさんが言った。
今は話を合わせているアージンさん。
普段は冷静で無口な彼から告げられたネロは、観念して本音を吐いた。
『悩み』というより、『頼み』事だった。
「あのさ…燃華を借りてもいい?」
「私?」
私は右手の人差し指を自分の顔に向けた。
益々、ネロの深刻さがわからなかった。
私達は全員、同じ【ペンタグラム】に乗って戦うパイロット。
他の基地内の人間よりも、信頼関係は強固だった。
ネロは直接悩みを打ち明けず、私を借りようとしている。
一体、どういう事なのか?
名指しされた私のみならず、ボーデンさん達も困惑していた。
「それは…、燃華以外には秘密にしないといけないくらいの内緒話、になるのか?」
ボーデンさんの発言だった。
倍以上の大人に摘まれた感覚を味わったのか、ネロは身体を震わせた。
うっ、と声を漏らして。
それからの彼の行動は、早かった。
隣に座っていた私の手首を握って、引っ張っていた。
ネロは立ち上がって、食堂の出入り口である両開きのドアを目指していた。
普段は大人しく控えめでいる私でも、流石に慌ててしまった。
「ちょっと!ネロ!」
私は制止してもらうために、戦闘時以外で大きな声を出した。
でも彼は、手首を離さずに強引に私を連れ出そうとする。
私もネロもパイロットだから、訓練で鍛え上げられている。
全力で抵抗すれば、腕を振り払うのは可能だった。
しかし、そうなればネロも怪我をしてしまう。
大袈裟だけど、任務に支障をきたすだけは避けたかった。
ネロの咄嗟の行動に驚いた私だが、半分は彼に流されてみようと考えた。
ネロ本人が、私と2人きりだったら、悩みを打ち明けやすいのだったら。
どうしてもボーデンさん達への報告が必須なら、その時はネロがいない所で場を設けてもらおう。
頭の転換が必要だ。
♪♪♪
ネロに強引に連れて行かれた私は、彼と一緒に通路の行き止まりまでやって来た。
正確には『行き止まり』ではなく、頻繁に開閉しない金属のドアの手前である。
そこは通路の間に入った、薄暗い場所だった。
暗がりの『行き止まり』で、既に隠れ場所まで辿り着いた私達。
だがネロはもう少し、自分達の身を潜めようと考えていた。
例の『行き止まり』の隅まで、かなり奥まで入り込んでいた。
「ネロ!こんな所まで来て一体…。」
ドン!と衝撃音がした。
ネロが金属のドアに、強く掌を当てたからである。
私を連れてここまで来る事に、文句を言わさぬ空気が漂った。
ドアと壁がなす角の位置で、私はネロに塞がれた。
側から見れば、ネロが私に迫っているかのようだった。
ネロ本人に、私を襲うやましい心は持っていない。
長い事パイロット仲間をしてきてるので、私はそれを理解している。
考えられるのは、ネロの悩みが私以外には打ち明けられない、秘密にしておきたい内容を抱えている、って事だ。
彼の本音は、聞いてあげたいのだが。
どうも食堂を出る時から乱暴気味で、私は少々困惑している。
「ネロ…本気でどうしたの…?」
私は柄でもないのに、普通の女の子が怯える時の素振りをしていた。
ネロを落ち着かせる為の苦肉の策でやったので、見知らぬ同性が目撃したらブーイングが舞い込んでくるだろう。
そんな感じの可愛らしい態度を示した。
女の子らしい態度の前に、今まで強引だったネロがタジタジになった。
「あ、ごめん…。」
そう言った彼は、私との間隔を空けた。
これで、ちょっとした苦しみから解放されるだろう。
繊細ではあるが、あまりに切羽詰まりすぎても、私には対処できない。
何でもいいので、まずは私より年下の男の子を冷静にさせる工夫が必要だった。
これが子供っぽいネロではなく、成人男性なら効果があるのかはわからないが。
今の相手はネロだけだ。
彼に効き目があればいいと、私はより深くは考えなかった。
謝ったネロは、今までの勢いが嘘だったかのように、左右の人差し指でモジモジしていた。
私と2人きりになっても、肝心の悩みは打ち明けにくいのか…。
よっぽど、深刻そうに俯きながら、生きていたのかな?
聞き出したいのは山々だけど、私は彼本人が重い口を開くまで待ってあげた。
流石に追い込みすぎたのか、ネロは観念して、本音をぶちあけた。
「あのさ、燃華。一ノ宮輝って元アイドルだよなぁ?」
「そうだよ?[5秒前]というグループに所属していたんだよ?」
「やっぱり、俺の見間違いじゃないんだな…。」
ハハハ、とネロは乾いた笑いをこぼした。
心身共に支障をきたして、壊れてはいない。
しかし、彼が心底辛そうな表情を見せていると、聞いているこちらまで心配してしまう。
「ネロ、本当に…体調が悪いとか…。」
「あのさ、燃華。」
ネロが私の心配を遮った。
多少の疲れが残っていても、肝心の本音は打ち明けようとしているのだ。
私が闇雲に手を差し伸べてはいけない。
ネロの話を、よく聞いてからアドバイスでもしよう、と私は考えた。
「燃華はさ、」「うん。」
「あの輝って男、どう思ってるんだ?」
…そんな悩みを、今まで抱えていたのか。
いや、ネロが真剣に悩んでいるんだ。
呆気ないなんて思うと、失礼だろう。
だから、私はネロからの問いに、真剣に答えた。
「脱退して寂しいけど、輝が決めた事だろうし…。アイドルとは別の道に進んでも、私は応援するよ?」
これはネロに聞かれて即興で考えた答えではない。
脱退のニュースを聞いて、立ち直ってからずっと考えていた本心だ。
輝が[ノータブル]という嫌な組織に属したからと言って、真っ向に否定してはいけない。
輝の事を思うならば、彼が決めた道を歩むのを黙って見守るのが、ファンとしての心構えだろう。
私のファン歴はかなり短いので、簡単に説教じみた事は言えないけど。
ところが、私がそう言った後のネロは、目を逸らした。
ひどく困惑していたようで。
もしかして、私の答えが悪かったのかと、逆に気を遣ってしまった。
「ご、ごめん!私、正直に答えただけだから!」
「いや、いいぜ。燃華の考えが普通なんだよ。」
気にしていない、とネロは口で言った。
口では否定していたが、表情は素直だった。
いつも明るく元気でお調子者のネロから、暗い雰囲気が漂う。
もう少し、気にかけてみる必要がある。
今、ネロの深刻な悩みを共有できるのは、私だけ。
彼にあと1歩踏み込ませるよう、私は促した。
「ネロ。今聞いてるのは私だけよ。君が輝に対してどう思ってるか、具体的に言って欲しいの。」
ネロは、う、ううっ、と唸った。
本音を洗いざらい話すのに、戸惑っている。
だが唸ったわりに、彼は気持ちを切り替えて、素直に打ち明けた。
「俺、感じてしまうんだ。アイツは嫌々入隊しているんじゃないか、って。」
「嫌々?」
「そう。扇浜か他の奴らに誘われてよ。嫌々でやってるけど、それでも続けてんのはなんか目的あんのかなぁ、って。」
ネロはあの扇浜の会見で、輝の本当の気持ちを自分なりに感じ取っていたらしい。
「よくそう読み取れたのね?」
「読み取った、つーか、俺、アイツの表情を見たんだよ。
全然、笑っていねぇんだ。」
「そりゃあ…。大事な会見の場だから、ヘラヘラ笑えないし…。」
ネロは常々子供っぽい仕草をするけど、たまに頓珍漢な発言もする。
変わっているなぁと思ってしばらく耳を傾けていたら、彼の発言には続きがあった。
「扇浜とか、他の奴らなんかニヤニヤしてんだぜ?ドヤ顔みたいな感じでよ?」
「扇浜はともかく、他の[ノータブル]の人達は彼の部下のようなものだから、そこは合わせないと…。」
「じゃあ、アイツだって笑わねぇといけないだろ?」
なるほど。そういう事か。
私はようやく、ネロが奇妙に思う点について、今理解できた。
あそこに立っている以上、務めは果たさないといけない。
扇浜は[ノータブル]の総指揮官だ。
建前上、彼の意向には従わないといけない。
他の部下が笑っているなら、輝も笑わないといけないのに…。
「そっか…。ネロは輝が務めを果たしてないから、嫌々やっていると言いたいのね?」
「俺、話した事ねぇからわからねぇけど…燃華の想像通りでいいぜ。」
ネロは素直に認めた。
さっきまでの暗い表情は、段々と明るくなっていった。
まだ、いつもの彼みたいに元気はつらつな姿まで回復はしていない。
でも、どんよりとした表情と比べたら、マシになっていった。
ネロの悩みは、大体判明しただろう。
それだけでも十分な成果だ、と安心したその時だった。
[サウザンズ]の基地全域に、けたたましい警報音が鳴り響いた。
完全に慣れてしまっているが、やはり突然の高音は耳が痛くなる。
私もネロも、この警報音の意味を十分理解していた。
「虚像獣の出現!」
「今度はどっちなんだよ!」
ネロが吠えるように言った後、私達はすぐに走り出していた。
基地内では直通の移動装置があり、端末機での転送は使えない。
通路を走っていると、直通の瞬間移動カプセルが各階に4基設置されている。
そこに私とネロは乗り込んだ。
音声認識で各フロアに飛んでいける仕組みとなっており、私は『格納庫』と叫んだ。
移動カプセルのAIが認識し、移動を開始した。
「ネロ、私達の使命は『虚像獣を消滅させる事』よ。輝を安心させたいなら、最後まで虚像獣を倒していこう。
今は、それが1番よ?」
「ありがとう、燃華。そうだよな、アイツが出なくていいようにしないとな!」
話が終わる頃には、格納庫に到着していた。