7年ぶりの初めまして(全39話)
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「お疲れ水蓮」
「お疲れアオイ、セナ、香月」
水蓮こと奈々はギターを肩に担ぎ直しバンド仲間とスタジオで別れクルマに乗りこんだ。ここは米花町の音楽スタジオ。
晴れて高校を卒業した奈々は文化祭に訪れていた音楽業界の人にスカウトされ道場の人間としてありながらも歌手の道へも進んでいる。
覆面バンドとして世に出ればその人気は爆発的に広まっていき様々な方面かはライブをやらないかと持ちかけられているが奈々は姿を見られるのを嫌がり仲間内でもライブをやるやらないど少しモメたこともある。しかしそれは奈々=水蓮が姿を見せないことを条件にライブを行えばそのライブチケットはものの五分で売り切れてしまいその人気はとどまることを知らない。
暁という名で活動しながらも奈々は古武術の道場で29にして師範代としての地位も築いてしまった。
ここで彼女の人生を振り返ってみよう。両親は彼女が3つの時に事故で亡くなっており赤井務武家に引き取られそうになるが母方の佐藤家にもどうかと言われていたが奈々が落ち着いたのは子供を亡くしてしまった近所でも有名な道場。それは奈々が決めたこと。
それでも佐藤家とも赤井家とも交流を持っており時間があれば片家ずつ付き合っていきイギリスに住んでいる赤井家とは手紙や写真でのやり取りをしている。そして佐藤家は長期休みがあれば顔を会わせ佐藤家の一人娘の美和子とも年の差が1つしか違わないのでとても仲がいい。
それでも奈々は古武術を習い歌を作り二足のわらじを踏んでいる。美和子は奈々が歌手という事も知っているし赤井家の皆もそれを知っている。
しかし赤井務武が亡くなってからの交流はそれほど無くなってしまったが長男である秀一とは頻繁にやり取りをしていた。秀一はFBIとなり美和子は警察官の道へと進んでいった。そうして奈々がポツリと思い出したのは22歳の時、降谷に言われた言葉。「俺、警察官になろうと思ってるんだ」と。
降谷が大学を出て警察学校に通う少し前に久し振りにデートをしていれば降谷が呟いた言葉は
「会ったりする時間が取れなくなるだろうし、」
そう言葉を濁したそれにああ、と思ったのは
「別れようって事かな?」
と首をかしげてしまった。そうすれば降谷は難しい顔のまま奈々の事が好きな事には変わりないし将来迎えに行くつもりでもある、けど今は……。そう視線を落とした降谷に奈々は笑いかけると「まあ」気長に待つからちゃんと迎えに来てね。他に好きな子ができたら遠慮しないで言って欲しい。そうすれば私も区切りをつけられるから。
「それは無い。奈々こそ他に好きな奴が出来たら怒るからな?」
「別れるのに何言ってるの零、覚悟決めとかないと後で大変だぞ」
そう奈々は笑い降谷は口を閉ざし俯いてしまったが奈々は笑ったまま降谷に手を伸ばし腕を掴むと見上げ「キスでもしとく?」なんて。
夕暮れの公園、ベンチに腰を下ろしていれば降谷は奈々を見つめ躊躇いがちに久地を開いたのは
「1度だけ、奈々が欲しい」
それがどう言う意味かを考えずとも理解した奈々は降谷をジッと見つめると「優しくしてください」と照れたように笑ってくれて。
たった一度のその行為と二人だけの小旅行。写真も撮って遊んで互いのイニシャルを刻んだリングを首に下げ「また将来よろしくね」と彼女は最後まで笑顔のままで別れてくれた。降谷にはそれが嬉しくもあり悲しくもある。それでも降谷は同じく笑って別れ警察学校へと入校した。
それから七年が経ち奈々は水蓮として名を広げ師範代となり伸ばし続け太ももまである長い髪を結い上げ和装で生きている。
美和子も警察官となりどこはかで降谷とも会ったりしてなんて思いつつ日々を過ごしていく。
「先生、ただ今戻りました」
奈々は西澤流道場の師範である父に頭を下げ顔を見せれば「明日は1日見ていなさい」と。
奈々は、はい」と答え部屋に下がっていく。そうして荷物を置きながら和装を解き軽い身なりにするとスマホを見つめればメールが数件。バンドのメンバーのものや秀一からのものもある。それに美和子からも。
奈々は首からぶら下げた思い出を撫でつつ秀一にメールを返す。一度、秀一が殺されたらしいと話を真純から来たが少しして秀吉から実は秀一兄さんが生きている事を黙っていてほしいと言われ沖矢という人間として工藤邸に住んでいる事も教えてもらった。本人から。
相当ヤバいことになっているらしく、もし何かあったら私を頼る事があるかもしれないからその時は何も言わず助けて欲しいと言われてもある。
私の周りって随分な人が多いななんて思ってしまったがまあいいだろう。母と並んでキッチンに立つと二人で食事を作りつつ話していけば「そういえば」と。
「田中君覚えてる?ほら中学の時の後輩の」
「えー!あー…あぁ、うん、覚えてる」
母は笑って帝丹高校の空手部のコーチをしてるでしょ?と。なのでそれにそういえばそうだったななんて考え、その田中がどうしたのか首をかしげて問いかけたら返ってきた言葉は
「あの人(父)に武道の心得を話してほしいってお願いがあってね、奈々に任せたいらしいのよ」
と。
「えぇ…凄い嫌……」
味噌汁の味見をしながら引いていれば「もー奈々、師範代なんだからしっかりしなさい!」何て言われてしまえば返す言葉もなく、食事の最中に師範である父から
「今度の土曜に帝丹高校に呼ばれているから奈々行きなさい、もう名を通してあるからしっかりやりなさい」
「私の逃げ道がない……」
そうポツリとこぼせば「師範代の自覚を持て、いいな?」なんて。奈々は大きく息を吐き出すと味噌汁を飲み干して「分かりました」行きます、そう仕方なく頷き
「あ、再来週1日時間もらいます」
「音楽?」
「はい」
でも明日はしっかりやるのでと頭を下げ父母私は頷きあった。