この世界で迷子の僕を(全80話)


ラボについたジン、ウォッカ、リレが厳重な扉を抜けていけばそこにいた半分ほどの視線が3人に注がれ、しかしすぐ仕事に戻って行く。そしてシェリーも視線を3人に向けリレを見つめると小さく笑いそんなシェリーにジンは歩み寄っていく。


「例のブツはどうした」
「今のところ問題ないわね」


ただちょっと組み替えたりしなければいけないところもあるけど
「それだけかしら」

そうシェリーは肩をすくめリレを見てポンとリレの頭を撫でてきた。それにくすぐったさを感じ小さく笑ってしまったがシェリーにもジンにもウォッカにも気にされることもなく、

「スペインからのメール」

そうシェリーはジンに向き直り、一通の真っ白い4サイズの封筒を差し出しジンはそれを受け取った。この場で見るのだろうかと黙ってジンを見上げていれば今度はジンに頭をぐしゃりと撫でられ連れられ、ついでにノートパソコン持っているとウォッカに気づきなるほどそういうことかと頷いてしまう。
翻訳するのだろう、応接室のようなところへついていけば椅子に座らされ資料を取り出し差し出されればそれは確信に変わる。それでも一応というようにジンは資料を眺めており

「リレ、できるな」

と。
うん大丈夫、と頷き、パソコンのWordを開きスペイン語の資料を日本語に訳していくことに専念するが、もちろんジンが部屋を出て行かないようにそちらに気を向けてもいる。しかしウォッカは腕時計に視線を向けジンに小声で何事かを話しかけており


「リレ、5分だ」

5分だけ一人になれるな?
そんなこと言われてしまえば頷くしかないだろう。だがそんな言葉を聞いてしまうとそれだけで気持ち悪くなってくる。
たかが5分。されど5分。
ジンは部屋を出る際にちらりとリレを見て「すぐだ」と伝えウォッカと共に部屋を後にしてしまう。
リレは眉間に皺を刻み下唇を強く噛み締めスペイン語の資料を急いで翻訳し直していく。時折、資料内で不穏な言葉が混ざっている気がして本当にジンは僕を信用しすぎではないだろうかと思うが、ジンの側を離れることができないんだから信用されるのは当然だろう。
離れる=嘔吐=信頼、なんて何だか嫌な方程式だななんてぼんやりと思うがそれが正しいのだから仕方ない。気持ち、一生懸命ただ訳すことに意識を向ければ少しはマシであろうがそんなうまい話は存在しない。
パソコンを打つ指が震え肩や全身にまで広がっていき画面を見つめる視界が揺らぎ滲んでいく。ジンとウォッカが出ていてからもうすぐ5分だ。早く戻ってきてジン。指が震えキーボードを打つ手がブレてしまいリレは立ち上がり応接室の扉は開けて出ようとすればその前に扉が開かれ姿を現したのはジン。そう、ジン。

勢い余って突進するようにジンに抱きついてしまったが、ジンは気にする素振りも見せずどこまでやったと声かけられる。

「あと3ページ…」

まだ全て翻訳してないのになんで外へ出ようとしているなんて言われるのではと本の少し身構えていてもジンは何も言わずリレの頭をポンと叩き「やれ」そう口にされる。

「すぐ!」

そうリレは頷きジンの手を引き再びパソコンの前に座ればまた作業を開始した。本の10分だろうか、リレは顔を上げ最終チェックに入る。

資料の一枚目から最初の一行を見つめ、見つめ、見つめ、確認してそっと息を吐き出した。

「できたか」
「うん」

頷いたリレの頭をジンはぐしゃりと撫で薄く笑うと「いい子だ」と呟いてくれた。目を細め嬉しそうに笑うリレの背後からジンはパソコンを操作してすぐ近くにあるコピー機で文章を印刷していき、その資料をリレは封筒にしまっておく。資料をまとめパソコンにある文章を全て削除するそれを目にしながらリレにチラリと視線を向け「来い」とだけ口にする。そんなの行くに決まってるとジンの後を追いかけ応接室を後にすればスペイン語の資料をシュレッダーにかけ、たった今リレが訳した資料をシェリーに渡して

「一週間で事足りるな」

そう声をかけている。

「一週間ですって?冗談でしょ、最低でも10日は貰いたいわね」

シェリーは資料に目を通しながらジンにそう口にし、ジンはもう一度「一週間だ」と。
シェリーは苛立たしげに眉を寄せ、ジンもジンで眉間にしわを寄せている。ちょっと二人の間に火花が散っているように見えるのはリレだけだろうがそうではない。他の研究員は胃に来ているだろう表情が引きつっている上に顔色も悪い。シェリーにも研究員にも僕が何かを言って助けることはできないのだがそれでもとジンのコートを軽く引き「10日も待てない理由があるの?」そうリレは呟いた。
こうしてリレが、ジンがウォッカ以外の人間と話をしている時に声をかけるなんてことはあまりないのだがそう「つい」声をかけてしまったのは多少であってもシェリーの負担を消せないだろうかと思ってのことでのこと。

ジンはリレを見下ろしシェリーを見つめる、ちょっとした三竦み状態であるが折れてくれたのはシェリーではなくジン。


「10日だ、いいな」


とジンは低く言い捨て、シェリーも小さく息を吐き「分かったわ」と。


「一週間」

その間研究から離れるからそのことをちゃんと理解してちょうだい。折れたのはジンだけではなかったようだ。

互いに火花を散らせつつジンは「行くぞ」と背を向けシェリーの手がリレの頭をそっと撫でるとちょっとだけ笑い、ありがとう助かるわ、と呟き ジンは素知らぬ事としてリレもシェリーに向かって本の少し微笑むとすぐジンの後でかけてシェリーのいる研究室を後にした。

無言のジンであるが、背中がまるでリレを責めてをいるようにも思え、リレは視線を落としながらも歩き続け突然立ち止まったジンの背中に思い切りぶつかってしまった。

「わ…」

トン、として衝撃に少しよろめきつつ倒れそうになるも、耐えぶつけた鼻を押さえ「ジン?」と問いかけた。

「リレ…」
「何?」
「…なんでもねぇ」

全然何でもない何ていう雰囲気じゃないしその表情からは伺い知れないがやはりつい先ほどのシェリーとのことだろう。


「……ごめんなさい」


思わずポツリと呟けばジンは振り返りリレを見下ろし「何がだ」と問われ「さっき、シェリーとの会話に口を挟んで迷惑だったよね」もう一度ごめんなさいと言えばジンは黙ったままとリレの頭に軽く手を乗せ

「お前が気にすることなんて何一つねーんだよ」

わかったらその辛気臭い顔をやめろ、そっちの方が鬱陶しいと言われ、リレはパッと表情を明るくし微笑みかけた。

その花が綻ぶような微笑みに一瞬だけジンは驚いたように目を見開くがジンも口端を吊り上げ笑うと

「お前はそうして笑って俺に従えばいいんだよ」

そんなの当然だ。力一杯頷けばジンは低く笑い

「日本を離れるぞ」と。
「え?」

驚きジンを見上げれば、あっちにいる人間に顔を合わせてもらう。気が進まねえかがアイツと顔を合わせておけば後々に役立つかもしれねぇしな。

…あいつって、誰?なんて人?ここでどんな答えが返ってきても平静を装っていなければいけないだろうが

「コードネームはベルモット」

一瞬息を止めそうになってしまったがすぐ何でもないを装い

「シャロン・ヴィンヤード」

知ってるか?
名前は知っているけど知らないふりをした方が今後の自分のためだろう小さく首を振り


「有名なの?」
「まあそれなりに有名だろうが、」

知らねえならそれでいい。
そう言われてしまえばそれ以上の追及はしない方がいいだろう、所で僕パスポートないよ?そもそも戸籍自体存在していないのだがジンは低く笑ったまま

「問題ねえ」


そうリレの頭をくしゃりと撫で歩き出してしまった。












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