この世界で迷子の僕を(全80話)



深夜の道、それはどこかは分からないがただただポツリと歩いていたその瞬間、物凄い吐き気に襲われすぐそこに見えた路地裏に駆け込み蹲り、嘔吐した。

全身を震わせ激しく呼吸をしながら勢いよく吐き出すが己の口から出てくるのは胃液ばかり。
何度も嘔吐いていながらも、頭の端に浮かんでくるのはここは一体どこなのだろうということ。

そもそも自分はこんな道を歩いたことも見かけたこともない、そう考えられたのは本の一瞬だけ。

そう、気持ち悪い。

蹲るどころか膝をついて苦しみの涙を流しながらそう何度も何度も吐き出していく。

ナニかを吐いて、胃液を吐いて、果ては空気を吐き出して痙攣する腹部を押さえて全身までをも震わせる。
しんどい、苦しい、ツラい、助けて……誰か助けて……。


「うっ、ぐ……」


形容しずらい音を喉から立てながら何度目かして嗚咽をもらす。

「…ふ、く、…ん……」

グスグスと鼻を啜りながらそれでも身体を起こすことは叶わない。突如、物凄い耳鳴りに襲われ腹部を押さえていた手で耳を塞ぐがその甲高い不快な音と、聞こえるはずのない車や人々の行き交う音、音、音。

五月蝿い、苦しい、寂しい、悲しい、ここは、どこだろう……?私は、俺は、僕は。


「おい」


そんな低い声が頭上から聞こえた気がして、いつの間にか閉ざしていた瞳を開き、耳を塞いでいた手を離し、恐る恐ると顔を上げた。
薄暗い路地裏、はるか先から灯る灯りと月が静かな光を作り上げている。その本の僅かな灯りだけではその人物をハッキリと見えた訳ではないがそこにいたのは一体誰なのかが分かってしまった。

黒いハットに黒いコート、黒いズボンに薄暗い青いネックのシャツ。そんな装いとは相反するかのような美しくも長い長い銀色の髪。帽子の影になっているその瞳は伺い見れないが、彼は、この男は、そう、某マンガのジンという男ではないだろうか。
涙でボヤける視界でそこまでは認識することが出来たがしかし今はそれどころではない。本当に無理。

五度目の吐き気に顔を落としボロボロと涙と鼻水を垂らしながら何もない胃から空気を吐き出し再び強くきつく瞳を閉ざしてしまう。瞬間、首に鈍い衝撃を感じたのだが、しかと思う前に意識を飛ばしてしまいグラリと身体が倒れてしまう。そのままであればこの身体は自身の吐瀉物の上に倒れこんでしまうのであろうがしかしそれは銀色の髪の男によって防がれた。

崩れた身体を銀色の髪の男、ジンによって抱き上げられそしてジンは歩きだす。

涙と鼻水と口の端に胃液が伝っているがジンは少しも気にせず裏通りから姿を現すとそこにはウォッカの姿があり、ウォッカは、ジンとその腕の中にいる人物に困惑してしまう。


「あ、アニキ、そいつは?」
「行くぞ、ウォッカ」


後部座席のドアを開けろと顎で指示すればウォッカは戸惑いながらもドアを開けジンはそこに腕の中にいる人物を横たえた。
本の少し、ジンは横たえた人物を見るがすぐ視線をそらし

「ホテルに戻るぞ」

と。
訳も分からぬウォッカであるがアニキが言うなら従おうと頷き運転席に落ち着きジンは助手席に腰を下ろした。

一度尋ねたが答えはこなかった。つまり、もう聞くなという事だろう、きっと“今はまだ”というモノだろうと1人納得しウォッカはアクセルに足をおいて踏み込んだ。

ポルシェ特有の音を立てながら街に灯る明かりの中、車と通りのない道を走らせていけばあっという間にホテルへとたどり着き、ウォッカは車を停車させる。
相も変わらずジンは無言であるが停車した車から降り後部座席の人物を抱き上げ歩きだす。ウォッカはそれでもジンの後を追い真夜中のホテルへと足を入れ受付係の怪しむ視線を無視し二人と一人はエレベーターに乗りこみウォッカはボタンを押す。

サッとしまるドア、明るすぎる照明の下、ジンの腕の中にいる人物の涙などは乾いてしまっており、青白い顔はそのまま白く光っている。
先程まで暗闇の中にいたためその顔は伺い見れなかったのだが明るすぎるエレベーター内で見えたその姿は、鎖骨より少し長めのプリン状態の髪に、そして少し汚れてはいるが中々に整っていることがよく分かる顔。

中々の上玉じゃねえかと思ったウォッカだがジンにチラリと視線を向けられてしまえば慌てて顔をそらすしかなく、エレベーターは目的の階に静かなそこにポーンという高い音と共にドアが開く。そうして開いたドアからジンは足を踏み出しすぐ部屋の前まで来るとウォッカは鍵を開け

「アニキ、明日は」
「いつも通りだ」
「分かりやした」


頭を下げたウォッカにチラと視線を向けたがすぐ反らし一室へと姿を消してしまった。ウォッカはもう一度「では、」と言葉を返すと自身の部屋へと戻っていく。

ジンは路地裏から拾ってきた人物の身体をベッドに寝かせてやればその人物は本の一瞬目蓋を揺らすがそれだけであり、ジンはコートと帽子を脱ぎとりながら椅子に腰を下ろし煙草を燻らせた。そのまましばらく眺めていればすぐベッドに寝かせたその人物は目を開きパッと起き上がり混乱したようにキョロキョロと視線をさまよわせている。
そうしてジンに視線を向けたその人物は小さくそして消えそうな声で「ここは?」と呟いている。


「よお」
「あ、の……」


ジンは煙を吐き出しながら声をかけるが当然のようにその人物は難しく困ったような表情になりそっと脅えたようにジンを見つめる。そしてジンは口端を吊り上げ笑う。

「どこまで覚えてる?」


と。
そのジンの言葉にベッドの上の人物は本の少し視線を落とすがしかしその表情はただ一つ。

「わかり、ません…」

というもの。

「あの、あなたは、……」

誰だ、と尋ねればジンは笑ったまま煙草を灰皿に押し付け今に至るまでの事柄を楽しげに話し、ベッドの上の人物は泣きそうな表情を浮かべそれはもう小さな声で「ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」そう呟いた。

ベッドの人物はベッドを降りヨロヨロと歩きだそうとしジンは制止の声を上げる。「どこへ行くつもりだ」と。


「分かりません…」


そう返ってきた言葉とどこをも見ていない沈んだ瞳を床に向け、ジンはその人物に「来い」と口にする。声をかけられたその人物は恐る恐るというようにジンに近寄り目の前で立ち止まる。ただ、困ったように。それにジンは目を細め口端を吊り上げたまま、その、金の瞳を見上げた。


「名前は?」
「な、まえ…」
「年は?」
「…」
「出身地は?なぜ」

あそこにいた?

そんな全ての質問に「何も、分かりません……」と。
あんな場所もあんな場所にいた理由も何も分からない、その言葉を聞いたジンは更に楽しげに笑ったままもう一本煙草を咥え火を着け煙を吐き出す。
金の瞳をもったその人物は両の瞳に闇を宿し絶望にも似たその表情にジンは背筋にゾクゾクとしたものを走らせ、さてどうするかと考える。あの時は勢いで連れてきてしまったがこの金の瞳を見つめた瞬間にはもう決断していた。

その人物は見た目としては10代後半だろうと見て、義務教育での質問を投げ掛ければその全てに正しく答えていきなるほど逆行性健忘、記憶喪失だろうと判断する。そんなジンの言葉に金の瞳を持つ人物はどこか呆然とし泣きそうな表情を浮かべるとどうしようといったように俯き、その姿を見たジンは独占欲にかられその感情を抑えることなく


「俺についていろ」と。


そんな言葉をかけられるとを本の少しも想像しておらず、驚き目を見開く。ぽかんとしていればジンは煙を吐き出しながら聞いているのか、と。その言葉にハッとすると慌て口を開き

「聞いて、ます…でも、それって……」
「黙って従え」

ハッキリと口にされた。
何も分からない、ただ自分は吐いていてそれを助けてくれた、そして何も分からないという自身のことを救ってくるような言葉に震えそうな声で「ありがとうございます」そう頭を下げた。
そんな人物にジンは煙を吹きかけるが本の少しも不快そうな表情を見せずそれがジンの好感を上げてしまう。そのままジンの手の中にある煙草を見つめていれば、、ジンは「吸うのか」と尋ねかけるも己は首をふり


「ごめんなさい、少し失礼します」

と慌ててバスルームへと早足で向かった。ジンが不思議そうな表情を浮かべるのを気にもせずバスルームの鏡を見て唖然としてしまう。
そう、本当は記憶が無くなった訳でもないし自分の年齢が分からない訳でもない。勿論性別も。
鏡に映る己は確かに幼く見えるが髪は依然伸ばしっぱなしのプリンであり前髪は目にかかったまま、サイドとバックは寝癖のように跳ねている。その毛先を軽く弄りながらふと気付いたのは胸元、正確には胸を。ペタペタと触っても何の感触もないし鏡に映る己の胸だってない。まさかと思い今着ていた服を脱ぎ鏡の中と生の自分を見つめ再びぽかんとしてしまえばガチャと扉が開かれた。それに顔を向ければジンがこちらを見たまましばらく黙り、何かを考えると扉をしめ消えてしまった。一体何だったのだろうか。あ、いや、でも「少し失礼します」と消えた人物が裸でいればそりゃ驚くよな。少なくとも己は思う。

それにしても性別が変わっているとは、名前を言わなくて正解だったかもしれない。でもあの場所にいた理由だって何も分からない。それだけは本当だ。そうして大きく深呼吸をすると鏡の己と向き合い扉を小さく開けジンにシャワーを借りても良いのでしょうかと問いかければ

「好きにしろ」

と返ってきたためシャワーのコルクを捻り頭から湯をかぶる。ザアザアとした音を聴きながら混乱の中、もう一度ため息を吐き出した。


「…名探偵コナン……?」


間違いなければ、そうなのだろう。主人公側ではない反対側の人間に拾われたのだということは、今後はどうなるのだろうかと思いつつバスルームから出てジンに頭を下げればグシャリと頭を撫でられジンがバスルームに消えていく。これからどうなるんだろう、私…いや、僕。

三度目にして大きく息を吐き出した。










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