花は桜、君は美し
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8月上旬、蝉も鳴くのをやめるほどの猛暑日。図書館で夏休みの課題を片付けてから帰宅したマヤのもとへ、一本の電話がかかってきた。
「──はい、桜木です」
「押忍!自分は男塾1号生富樫源次であります!桜木マヤさんはご在宅であらせられましょうか!!」
受話器から聞こえてきた力強い声に、思わず胸が高鳴る。
「と、富樫くん?」
聞き返した自分の声がうわずっていることに気づき、鼓動がさらに加速する。好きな男の子から電話がかかってきたのだ、動揺しない方がおかしいだろう。マヤは自分にそう言い聞かせた。
「おぉ桜木か!元気にしとったか?」
電話の相手は緊張を解いたようで、いつもの調子を取り戻している。
「うん。富樫くんも元気?」
「元気っちゅうか……まあ、いつも通りだな」
ふふ、と笑うマヤの声に思わず口許が緩む。しばし取り留めのない話をした後、富樫は本題を切り出した。
「あの、よォ……来週の土曜空いてるか?」
「空いてるけど、どうしたの?」
よし、相手の予定は確認できた。あと一息だ。
「……夏祭り、一緒に行かねぇ?」
この近辺の夏祭りといえば、心当たりはひとつだけ。駅前の大通りがそのまま参道になっており、まっすぐ境内へと続く、あの神社だ。
「い、行きたい!」
「よっしゃ!じゃあ、18時に駅前の大鳥居で待ち合わせな」
「土曜の18時ね、楽しみにしてる」
「へぇ〜、夏祭りねぇ」
突如割って入ってきた、凛々しく透き通った声。1号生筆頭・剣桃太郎だ。
「もっ桃!盗み聞きしてやがったな!」
「寮の共用スペースでデカい声出してりゃ嫌でも聞こえるぜ。で、相手は?」
この世の地獄と名高い男塾で筆頭を務めるとはいえ、桃とて年頃の男子だ。同級生が塾外の人間──しかも、通話中の様子から察するにただの友人ではなさそうな者──と親しげにしているとなれば、気にならない方がどうかしているというものである。
「中学の同級生だよ。この前たまたま街で会って、今度ゆっくり会おうやって話になったんだよ」
これ以上詮索されたらたまったもんじゃない。富樫は嘘偽り無く、それでいて詳細をはぐらかして桃から逃げようとする。
「女みてーな声しとったけどなぁ」
そんな富樫にさらに追及の手が掛かる。虎丸だ。
「何ィ、富樫に女だと!?」
虎丸の声を聞きつけ、1号生の愉快な仲間たちがあっという間に富樫を取り囲んだ。
「別に女の同級生がいてもいいだろ、共学だったんだから!」
「その動揺っぷりは、ただの同級生ではなさそうですね」
わあわあと騒ぎ立てる輪の中でげんなりしている富樫に、薄紅色の髪を靡かせた美青年──飛燕がとどめの一言を突き刺す。彼にまで知られてしまってはおしまいだ。
「うっ……ちょっとだけ、好きなヤツ、で……」
降参だ、とでも言うように両手を上げて、蚊の鳴くような声で白状した。
「す、好きなヤツじゃと!?」
「ではこれより不肖松尾鯛雄、富樫源次の恋愛成就を祈って大鐘音のエールを切らせていただきます!」
「切らんでええわ!!」
何だか自分よりも大盛り上がりしている塾生たちに呆れながらも、心優しい仲間を持ったことに感謝する富樫であった。
***
(悪くない……よね)
髪飾りの向きを調整してから、コンパクトミラーを遠ざけて自分の姿をチェックする。
中学に上がる前に、近所の呉服屋で母親にねだって買ってもらった浴衣。尤も、ほとんど友人のいなかった暗黒の中学時代に陽の目を見ることはなかったのだが。
浴衣だけではない。今日のためにメイクも髪型も研究し、どれだけ飲食しても色とツヤが持続すると評判のリップまで買ってしまった。張り切りすぎたかと不安になるが、デートの相手はあの富樫なのだ。気合はどれだけ入れても足りないくらいだ。
「──よっ!」
不意に聞こえてきた声に、思わず背筋が伸びる。背後から鏡に映り込んできた学帽。富樫だ。
「ひ、久しぶり!」
鏡をいそいそとカゴバッグに仕舞いながら自分の方に振り返ったマヤの姿に、富樫は思わず息を呑む。
紺地に白い花柄の、やや古風な浴衣。今風の華やかさは無いが、彼女のような若い女性が着るとかえって新鮮に見える。それに、瞼がキラキラしていて、唇もいつもより赤い。流行に敏感な今どきの女子高生ならこのくらい朝飯前なのか、それとも自分と出かけるために準備してくれたのか。どちらかは分からないが、とにかく可愛い。
「どうしたの?そんなに見つめて……」
マヤの言葉にハッと我に返る。そんなに長い時間見つめていたのか。
「い、いつもとフンイキ違うなと思ってよ……!」
「へ、変かな……?」
綺麗に整えられた眉尻がへにゃりと下がる。
「いや……可愛すぎて……」
考えるより先に出た言葉に、富樫は自分の口元を手で覆った。恐る恐る視線を彼女に向けると、「ありがと」と微笑み返された。とりあえず引かれてはいないようだ。富樫は安堵し、小さく息を吐いた。
「富樫くんも浴衣、似合ってるよ」
彼女の言葉に、富樫はふと自分の足元を見やる。折角の祭りなのだからと仲間たちに無理矢理着せられ、歩きにくいったらありゃしねえと散々文句を垂れたが、彼女のその一言で全て吹き飛んでしまった。
「と、とりあえず何か食おうぜ!変な時間に飯食ったから腹減っちまった」
くすぐったいような何というか、うまく言葉にできない気分を打破するために、富樫は参道の脇を埋め尽くす屋台に目を向けた。
「じゃあ私、甘いものがいいな」
「おう、ちょっと見てくるぜ」
かき氷は外せねえよな、なんて呟きながら雑踏へと消えてゆく富樫を見送る。頭ひとつ高く、学帽を被っている彼の姿はよく目立つ。
かき氷と綿菓子を両手にマヤのもとへ戻ろうとしたときだった。木陰で待つ彼女の隣に、見慣れない男が立っている。色白でひょろりと背の高い黒髪マッシュが2人。笑顔で言葉を交わしていたため、高校の友人かと思って聞き耳を立てながら様子をうかがっていたが、それがいけなかった。
「すみません、私、人を待ってて……」
先ほどまで柔らかな微笑を浮かべていたマヤが、不安げな表情で縮こまっている。あれは本気で嫌がっているときの反応だ。
「友達?それならこっちも2人だからちょうどいいや。ダブルデートってことで」
シルバーアクセサリーを重ねづけした手が、無遠慮にマヤの肩を抱く。その光景にカッと頭に血が上った富樫は、大股で彼女の方へ歩み出した。石畳と下駄の歯が擦れてがりっ、と嫌な音を立てたが、構わず進んでゆく。
「──おい」
ドスの効いた声に、男たちの背筋が凍りつく。
「人の女に気安く触ってんじゃねぇよ。ナンパなら他所当たれや」
眉間に皺を寄せた富樫が、学帽の鍔越しに男たちをぎろりと睨みつける。
「ヒッ!か、彼氏さんがいらっしゃったんです……ね……」
「ごめんなさ〜い!!」
すっかり真っ青になった2人は情けない声を上げながら、時々足をもつれさせてその場から逃げ出した。
「大丈夫か?」
浴衣の襟を正すマヤに、富樫が声をかける。
「うん、ありがとう……っふふ」
「な、何がおかしいんじゃ」
「だって富樫くん、両手にかき氷とわたあめ持って凄んでるんだもん……」
笑いをこらえるように手で口元を隠しているが、すでに声が漏れている。
ナンパ男から助けたというのに、どうも締まらない。マヤに押し付けるように綿菓子を渡すと、空いた方の手を繋いだ。
「……こうしてりゃ、さっきみたいな奴も寄ってこねぇだろ」
返事の代わりに、自分よりもふた周りほど大きな手をきゅっ、と握り返した。
「──あれがヤマトナデシコってやつか」
すっかり陽が落ち、提灯の灯りに照らされた参道を歩く2人を見守る人影。先の驚邏大四凶殺で、富樫と共に関東豪学連を相手に死闘を繰り広げた、J、虎丸、桃だ。
「フッ……富樫の奴、なかなかかっこいいじゃねぇか」
「なーんか俺たちも腹減ってきたのう。焼きそば買ってきていいか?」
「一緒に行こうぜ、虎」
意気投合して屋台へ駆けて行った2人に、桃はやれやれと肩をすくめた。
***
境内の奥にある小さな社。石段に腰掛け、夢中でかき氷を食べる富樫の隣で、マヤも綿菓子を食む。
ふと横を見ると、富樫はもうかき氷を食べ終えて、カップの底に溜まったシロップを飲み干していた。「食べる?」と綿菓子を差し出すと、首を横に振った。
「いい」
そう言って、マヤから顔を背ける。
(彼氏、か……)
富樫は、ナンパ男を追い払ったときのことを思い出す。自分がマヤのもとへ現れたとき、男たちは自分のことをマヤの彼氏だと思い、速やかに退散していった。カップルに見えていたのは嬉しかったが、そう思っているのが自分だけだとしたら。
再びマヤの方へ視線を戻す。綺麗に抜かれた衣紋から見える白いうなじと、夜風に揺れる髪飾り。綿菓子の糸がくっつくのか、時折赤い唇を舐める仕草に、こみ上げてくるものがある。
可愛くなった、と思う。昔のマヤだって富樫から見れば十分可愛かったが、今の彼女は誰もが認める美少女なのだ。実際、あのナンパ男以外にも熱い視線を送る男は大勢いた。彼女の性格からして、そんなことには気づかぬまま、以前富樫に向けたのと変わらぬ優しさで、周りの人間を魅了し続けるのだろう。
(俺なんかより、もっといい奴が……)
すぐ隣にいるのに、遠く感じる。らしくもない感情に掻き乱される胸中を悟られたくなくて、学帽を目深に被り直した。
「あいつ何やっとんじゃ」
隣同士で座ったまま何も進展のない2人を覗きながら、虎丸がぼやく。
「焦れってぇな、俺ちょっとやらしい雰囲気にしてくるぜ」
Jは低く呟くと、ナックルを嵌めた両の拳をガツンと鳴らした。
「いや、その必要は無いみたいだ」
すっかり臨戦体勢のJを、桃が制止する。
「……富樫くん?かき氷で頭痛くなっちゃった?」
マヤの声に、俯いていた顔を上げる。心配そうに見上げてくる表情に、胸がいっぱいになる。
一瞬でも、彼女の隣に立つ男のことを想像したのを後悔した。誰にも渡したくない。かち合ったダークブラウンの瞳からも、この気持ちからも、もう逃げられない。
「──俺、桜木のことが好きだ」
胸の鼓動はうるさいくらいなのに、頭は驚くほど冷静で。思ったことが、素直に言葉になってゆく。
「ったく情けねぇぜ。たったこれだけのこと言うのに3年もかかっちまってよ」
自分に告白するのに3年かかった、と言ったのか。突然の告白だけでも頭が追いついていないのに、3年かかったとは一体どういうことなのか。戸惑いの表情を浮かべるマヤを真剣な眼差しで見据え、富樫は続けた。
「中学んときから好きだった。俺と、付き合ってくれ」
全身の血が一気に駆け巡っていくような感覚に襲われ、視界が潤む。
「わ、私も……」
溢れ出た涙を拭う富樫の指に、マヤの小さな手が重なる。帯と同じ色のマニキュアが、やけに眩しかった。
「富樫くんが、好き……」
甘く柔らかな声とほんのり熱を帯びた顔でそんなことを言われてしまっては、もう抑えきれない。
切れ長の黒い瞳がマヤを捉える。大好きな、俺だけのマヤ。
富樫の吐息が赤い唇を掠め、2人の唇が触れ合おうとしたそのとき──
「ようやった富樫!」
「congratulations!」
「……すまない富樫、俺一人では押さえられなかった……」
満面の笑みでガッツポーズを決める虎丸と、何故かナックルを嵌めているJ、そして2人の下敷きになった桃が植え込みの影から出てきたではないか。
「て、テメェら尾行 てやがったのか!!」
富樫は耳まで真っ赤にして大声を上げる。
「お、男塾のお友達?いつも富樫くんがお世話になってます」
ぺこりと頭を下げるマヤに、Jと虎丸がワイワイと絡む。先ほどまでの甘い空気は一瞬にして消し飛び、薄暗い境内が一気に騒がしくなる。
「──邪魔したな」
やっとのことで虎丸とJを取り押さえ、首根っこを掴んだ桃が息を切らしながら笑う。
「てめぇ桃、ダチの恋路を見守るのを邪魔とは何事じゃい!」
「まぁ、実際キスシーンの邪魔しちまったからな……」
がるるる、と猛獣の如く唸る虎丸と、至極冷静に呟くJ。
「後は2人でよろしくやってくれ」
そう言い残した桃が2人を引きずりながら姿を消すと、境内に再び静寂が訪れる。
富樫が、マヤをそっと抱き寄せる。身を預けたマヤが富樫の胸に耳を当てて、
「ドキドキいってる」
「へへ、敵と殺り合ったときより緊張してらぁ」
互いに顔を見合わせて、照れたように笑う。
「桜木」
名前を呼ばれただけで、胸がきゅんと締めつけられる。身体を屈める富樫に合わせてマヤも背伸びすると、どちらからともなく唇を重ねた。
イチゴ味のファーストキスは少し冷たくて、柔らかくて、溶けてしまいそうなほど甘かった。
「──はい、桜木です」
「押忍!自分は男塾1号生富樫源次であります!桜木マヤさんはご在宅であらせられましょうか!!」
受話器から聞こえてきた力強い声に、思わず胸が高鳴る。
「と、富樫くん?」
聞き返した自分の声がうわずっていることに気づき、鼓動がさらに加速する。好きな男の子から電話がかかってきたのだ、動揺しない方がおかしいだろう。マヤは自分にそう言い聞かせた。
「おぉ桜木か!元気にしとったか?」
電話の相手は緊張を解いたようで、いつもの調子を取り戻している。
「うん。富樫くんも元気?」
「元気っちゅうか……まあ、いつも通りだな」
ふふ、と笑うマヤの声に思わず口許が緩む。しばし取り留めのない話をした後、富樫は本題を切り出した。
「あの、よォ……来週の土曜空いてるか?」
「空いてるけど、どうしたの?」
よし、相手の予定は確認できた。あと一息だ。
「……夏祭り、一緒に行かねぇ?」
この近辺の夏祭りといえば、心当たりはひとつだけ。駅前の大通りがそのまま参道になっており、まっすぐ境内へと続く、あの神社だ。
「い、行きたい!」
「よっしゃ!じゃあ、18時に駅前の大鳥居で待ち合わせな」
「土曜の18時ね、楽しみにしてる」
「へぇ〜、夏祭りねぇ」
突如割って入ってきた、凛々しく透き通った声。1号生筆頭・剣桃太郎だ。
「もっ桃!盗み聞きしてやがったな!」
「寮の共用スペースでデカい声出してりゃ嫌でも聞こえるぜ。で、相手は?」
この世の地獄と名高い男塾で筆頭を務めるとはいえ、桃とて年頃の男子だ。同級生が塾外の人間──しかも、通話中の様子から察するにただの友人ではなさそうな者──と親しげにしているとなれば、気にならない方がどうかしているというものである。
「中学の同級生だよ。この前たまたま街で会って、今度ゆっくり会おうやって話になったんだよ」
これ以上詮索されたらたまったもんじゃない。富樫は嘘偽り無く、それでいて詳細をはぐらかして桃から逃げようとする。
「女みてーな声しとったけどなぁ」
そんな富樫にさらに追及の手が掛かる。虎丸だ。
「何ィ、富樫に女だと!?」
虎丸の声を聞きつけ、1号生の愉快な仲間たちがあっという間に富樫を取り囲んだ。
「別に女の同級生がいてもいいだろ、共学だったんだから!」
「その動揺っぷりは、ただの同級生ではなさそうですね」
わあわあと騒ぎ立てる輪の中でげんなりしている富樫に、薄紅色の髪を靡かせた美青年──飛燕がとどめの一言を突き刺す。彼にまで知られてしまってはおしまいだ。
「うっ……ちょっとだけ、好きなヤツ、で……」
降参だ、とでも言うように両手を上げて、蚊の鳴くような声で白状した。
「す、好きなヤツじゃと!?」
「ではこれより不肖松尾鯛雄、富樫源次の恋愛成就を祈って大鐘音のエールを切らせていただきます!」
「切らんでええわ!!」
何だか自分よりも大盛り上がりしている塾生たちに呆れながらも、心優しい仲間を持ったことに感謝する富樫であった。
***
(悪くない……よね)
髪飾りの向きを調整してから、コンパクトミラーを遠ざけて自分の姿をチェックする。
中学に上がる前に、近所の呉服屋で母親にねだって買ってもらった浴衣。尤も、ほとんど友人のいなかった暗黒の中学時代に陽の目を見ることはなかったのだが。
浴衣だけではない。今日のためにメイクも髪型も研究し、どれだけ飲食しても色とツヤが持続すると評判のリップまで買ってしまった。張り切りすぎたかと不安になるが、デートの相手はあの富樫なのだ。気合はどれだけ入れても足りないくらいだ。
「──よっ!」
不意に聞こえてきた声に、思わず背筋が伸びる。背後から鏡に映り込んできた学帽。富樫だ。
「ひ、久しぶり!」
鏡をいそいそとカゴバッグに仕舞いながら自分の方に振り返ったマヤの姿に、富樫は思わず息を呑む。
紺地に白い花柄の、やや古風な浴衣。今風の華やかさは無いが、彼女のような若い女性が着るとかえって新鮮に見える。それに、瞼がキラキラしていて、唇もいつもより赤い。流行に敏感な今どきの女子高生ならこのくらい朝飯前なのか、それとも自分と出かけるために準備してくれたのか。どちらかは分からないが、とにかく可愛い。
「どうしたの?そんなに見つめて……」
マヤの言葉にハッと我に返る。そんなに長い時間見つめていたのか。
「い、いつもとフンイキ違うなと思ってよ……!」
「へ、変かな……?」
綺麗に整えられた眉尻がへにゃりと下がる。
「いや……可愛すぎて……」
考えるより先に出た言葉に、富樫は自分の口元を手で覆った。恐る恐る視線を彼女に向けると、「ありがと」と微笑み返された。とりあえず引かれてはいないようだ。富樫は安堵し、小さく息を吐いた。
「富樫くんも浴衣、似合ってるよ」
彼女の言葉に、富樫はふと自分の足元を見やる。折角の祭りなのだからと仲間たちに無理矢理着せられ、歩きにくいったらありゃしねえと散々文句を垂れたが、彼女のその一言で全て吹き飛んでしまった。
「と、とりあえず何か食おうぜ!変な時間に飯食ったから腹減っちまった」
くすぐったいような何というか、うまく言葉にできない気分を打破するために、富樫は参道の脇を埋め尽くす屋台に目を向けた。
「じゃあ私、甘いものがいいな」
「おう、ちょっと見てくるぜ」
かき氷は外せねえよな、なんて呟きながら雑踏へと消えてゆく富樫を見送る。頭ひとつ高く、学帽を被っている彼の姿はよく目立つ。
かき氷と綿菓子を両手にマヤのもとへ戻ろうとしたときだった。木陰で待つ彼女の隣に、見慣れない男が立っている。色白でひょろりと背の高い黒髪マッシュが2人。笑顔で言葉を交わしていたため、高校の友人かと思って聞き耳を立てながら様子をうかがっていたが、それがいけなかった。
「すみません、私、人を待ってて……」
先ほどまで柔らかな微笑を浮かべていたマヤが、不安げな表情で縮こまっている。あれは本気で嫌がっているときの反応だ。
「友達?それならこっちも2人だからちょうどいいや。ダブルデートってことで」
シルバーアクセサリーを重ねづけした手が、無遠慮にマヤの肩を抱く。その光景にカッと頭に血が上った富樫は、大股で彼女の方へ歩み出した。石畳と下駄の歯が擦れてがりっ、と嫌な音を立てたが、構わず進んでゆく。
「──おい」
ドスの効いた声に、男たちの背筋が凍りつく。
「人の女に気安く触ってんじゃねぇよ。ナンパなら他所当たれや」
眉間に皺を寄せた富樫が、学帽の鍔越しに男たちをぎろりと睨みつける。
「ヒッ!か、彼氏さんがいらっしゃったんです……ね……」
「ごめんなさ〜い!!」
すっかり真っ青になった2人は情けない声を上げながら、時々足をもつれさせてその場から逃げ出した。
「大丈夫か?」
浴衣の襟を正すマヤに、富樫が声をかける。
「うん、ありがとう……っふふ」
「な、何がおかしいんじゃ」
「だって富樫くん、両手にかき氷とわたあめ持って凄んでるんだもん……」
笑いをこらえるように手で口元を隠しているが、すでに声が漏れている。
ナンパ男から助けたというのに、どうも締まらない。マヤに押し付けるように綿菓子を渡すと、空いた方の手を繋いだ。
「……こうしてりゃ、さっきみたいな奴も寄ってこねぇだろ」
返事の代わりに、自分よりもふた周りほど大きな手をきゅっ、と握り返した。
「──あれがヤマトナデシコってやつか」
すっかり陽が落ち、提灯の灯りに照らされた参道を歩く2人を見守る人影。先の驚邏大四凶殺で、富樫と共に関東豪学連を相手に死闘を繰り広げた、J、虎丸、桃だ。
「フッ……富樫の奴、なかなかかっこいいじゃねぇか」
「なーんか俺たちも腹減ってきたのう。焼きそば買ってきていいか?」
「一緒に行こうぜ、虎」
意気投合して屋台へ駆けて行った2人に、桃はやれやれと肩をすくめた。
***
境内の奥にある小さな社。石段に腰掛け、夢中でかき氷を食べる富樫の隣で、マヤも綿菓子を食む。
ふと横を見ると、富樫はもうかき氷を食べ終えて、カップの底に溜まったシロップを飲み干していた。「食べる?」と綿菓子を差し出すと、首を横に振った。
「いい」
そう言って、マヤから顔を背ける。
(彼氏、か……)
富樫は、ナンパ男を追い払ったときのことを思い出す。自分がマヤのもとへ現れたとき、男たちは自分のことをマヤの彼氏だと思い、速やかに退散していった。カップルに見えていたのは嬉しかったが、そう思っているのが自分だけだとしたら。
再びマヤの方へ視線を戻す。綺麗に抜かれた衣紋から見える白いうなじと、夜風に揺れる髪飾り。綿菓子の糸がくっつくのか、時折赤い唇を舐める仕草に、こみ上げてくるものがある。
可愛くなった、と思う。昔のマヤだって富樫から見れば十分可愛かったが、今の彼女は誰もが認める美少女なのだ。実際、あのナンパ男以外にも熱い視線を送る男は大勢いた。彼女の性格からして、そんなことには気づかぬまま、以前富樫に向けたのと変わらぬ優しさで、周りの人間を魅了し続けるのだろう。
(俺なんかより、もっといい奴が……)
すぐ隣にいるのに、遠く感じる。らしくもない感情に掻き乱される胸中を悟られたくなくて、学帽を目深に被り直した。
「あいつ何やっとんじゃ」
隣同士で座ったまま何も進展のない2人を覗きながら、虎丸がぼやく。
「焦れってぇな、俺ちょっとやらしい雰囲気にしてくるぜ」
Jは低く呟くと、ナックルを嵌めた両の拳をガツンと鳴らした。
「いや、その必要は無いみたいだ」
すっかり臨戦体勢のJを、桃が制止する。
「……富樫くん?かき氷で頭痛くなっちゃった?」
マヤの声に、俯いていた顔を上げる。心配そうに見上げてくる表情に、胸がいっぱいになる。
一瞬でも、彼女の隣に立つ男のことを想像したのを後悔した。誰にも渡したくない。かち合ったダークブラウンの瞳からも、この気持ちからも、もう逃げられない。
「──俺、桜木のことが好きだ」
胸の鼓動はうるさいくらいなのに、頭は驚くほど冷静で。思ったことが、素直に言葉になってゆく。
「ったく情けねぇぜ。たったこれだけのこと言うのに3年もかかっちまってよ」
自分に告白するのに3年かかった、と言ったのか。突然の告白だけでも頭が追いついていないのに、3年かかったとは一体どういうことなのか。戸惑いの表情を浮かべるマヤを真剣な眼差しで見据え、富樫は続けた。
「中学んときから好きだった。俺と、付き合ってくれ」
全身の血が一気に駆け巡っていくような感覚に襲われ、視界が潤む。
「わ、私も……」
溢れ出た涙を拭う富樫の指に、マヤの小さな手が重なる。帯と同じ色のマニキュアが、やけに眩しかった。
「富樫くんが、好き……」
甘く柔らかな声とほんのり熱を帯びた顔でそんなことを言われてしまっては、もう抑えきれない。
切れ長の黒い瞳がマヤを捉える。大好きな、俺だけのマヤ。
富樫の吐息が赤い唇を掠め、2人の唇が触れ合おうとしたそのとき──
「ようやった富樫!」
「congratulations!」
「……すまない富樫、俺一人では押さえられなかった……」
満面の笑みでガッツポーズを決める虎丸と、何故かナックルを嵌めているJ、そして2人の下敷きになった桃が植え込みの影から出てきたではないか。
「て、テメェら
富樫は耳まで真っ赤にして大声を上げる。
「お、男塾のお友達?いつも富樫くんがお世話になってます」
ぺこりと頭を下げるマヤに、Jと虎丸がワイワイと絡む。先ほどまでの甘い空気は一瞬にして消し飛び、薄暗い境内が一気に騒がしくなる。
「──邪魔したな」
やっとのことで虎丸とJを取り押さえ、首根っこを掴んだ桃が息を切らしながら笑う。
「てめぇ桃、ダチの恋路を見守るのを邪魔とは何事じゃい!」
「まぁ、実際キスシーンの邪魔しちまったからな……」
がるるる、と猛獣の如く唸る虎丸と、至極冷静に呟くJ。
「後は2人でよろしくやってくれ」
そう言い残した桃が2人を引きずりながら姿を消すと、境内に再び静寂が訪れる。
富樫が、マヤをそっと抱き寄せる。身を預けたマヤが富樫の胸に耳を当てて、
「ドキドキいってる」
「へへ、敵と殺り合ったときより緊張してらぁ」
互いに顔を見合わせて、照れたように笑う。
「桜木」
名前を呼ばれただけで、胸がきゅんと締めつけられる。身体を屈める富樫に合わせてマヤも背伸びすると、どちらからともなく唇を重ねた。
イチゴ味のファーストキスは少し冷たくて、柔らかくて、溶けてしまいそうなほど甘かった。