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ふと気がついたら見知らぬ場所にいた。

壁も床も何も無い無機質な空間だが、辺りは優しいオーラに満ちている。

手を動かしてみるが空間を切る空気の抵抗は全くない。
足を動かして進んで見ようとしても、そもそも地に足が着いている感覚がない。
大きく息を吸い込んでみても肺に新しい空気は入ってこないし、胸が上下する感覚もない。


「現実ではない、別の世界に来てしまったのでしょうかねぇ…」


何故、ここに来てしまったのか。
今までしてきたこと故に心当たりがないと言ったら嘘になってしまう。

生まれ持った盲目というハンデの代わりに、テレポートと先読みができるというチート級の能力を持った私は、面倒な真っ当な道を進まず楽な裏の仕事に手を汚した。

人に恨まれるようなことばかりやってきた私は、誰かに呪い殺されここに来たのだろうか。
ということはここは死後の世界?
それにしてはこの空間は優しすぎる。

何れにしても。


「もう潮時なのかもしれませんね」

「何が潮時なんだ。ところで、君は迷子か?」


直接頭の中に響く低くどこか聞き覚えのある優しい声。
姿は見えないが、先程までは感じなかったオーラがあり確かに私の前にいるのは分かる。


「迷子という歳でもありませんよ」

「む、そうか。私からしたら子どもも同然だったからな。すまない」


ゆらり、と目の前の暗い霧が揺れた。
何も無い空間に浮かぶ不思議な霧は暗いが優しい雰囲気を醸し出している。


「おや、ということは貴方は霊かなにかなんですかね」

「正解だ。とはいえ悪霊だがな」

「悪霊ですか…ところでここはどこなんです?」

「ここは、私の精神世界。どうやら君は夢を見ているうちに迷い込んでしまったみたいだね」


心当たりはあるかい、と付け足した悪霊は私の周りをくるりと回った。

あぁ、そうか。
今日はいつも通り街をフラフラして、ほんの気まぐれで少年に絡んでいた不良を少しばかり注意したんだっけ。家に帰って久しぶりに晩酌が進んだ私はそのままソファーで眠ってしまったらしい。


「それで、戻ることは出来るのですか?」

「現実の君が目覚めれば直に戻れる」

「なるほど」


落ち着きなく浮遊していた彼は、悪霊と名乗ったのにも関わらずここに来た私をどうするつもりもないらしい。

まあ、もう現世に未練も何もないのでどうなってもかまいませんがね。


「戻るまで時間がある。良かったらそれまで話さないか」

「いいですよ」


特に断る理由もないので快諾する。
そうか、と少し弾んだ声が返ってきた。

暗い雰囲気を纏っていた霧が心做しか明るくなった気がする。


「こんな所では話しにくいだろう。場所を変えようか」


パチンと音がした瞬間、意識いっぱいに広がった光の眩しさに思わず目を閉じた。

え、眩しい…って……


「この場所は私の世界だ。この世界の姿も、意識だけの君をどうするかも、全て私が決められる」


さあ、目を開いてご覧。


優しく子どもに語りかけるように言われそっと瞼を上げる。

視界が明るい。眩しい。
瞳に飛び込んでくる色という色が全て異なっていて、情報の多さに脳がパニックを起こしてしまいそうだ。




知らなかった世界はこんなに色に満ちていたなんて。


「島崎君」


後ろから降ってきた声に振り返ると、1人の若い男性が立っていた。


「これは私が見せている幻影だ。君の脳内に直接映像を送り込んでいる」

「なる…ほど……」


今の私は精神体だから、この光景を見せることは悪霊には容易いことらしい。

風が彼の髪をさらさらと揺らし、太陽の光が反射してキラキラと光っている。


そういえばまだ名乗ってなかったな。
そう呟いた悪霊は"最上啓示"と名乗った。


「もがみけいじ…?」

「おや、知らないのか。これでも一世を風靡した世紀の霊能力者だったんだが」


自分でそれを言ってしまうのか…

顎に手を当て最上は、そんな私を放置してゆっくりと土手を歩き出す。
その後ろを周りを眺めながら着いていく。


「とある少年が見ていた世界は、私が知っていた世界とは大きく違った」


立ち止まった彼は自分の手のひらを眺めながら独り言のように語る。


「生前、この力を悪行に使った私には酷くくすんで見えていたこの世界は、彼の真っ直ぐな瞳にはこんなにも美しく、彩豊かに映っていた」

「その少年は随分と恵まれていたんですね」


ふと、自分の少年時代を思い出す。


両親は過保護で、新しいこと、やりたいことをほとんどさせてもらえなかった。
盲学校に通っていた私は友達もろくに出来ず、1人で道を歩けば不良に絡まれいい思いをしたことはない。

昨日、気まぐれで助けたあの少年はそんな過去の自分を見ているようでいてもたってもいられなかったんだ。

能力があるからいらないと何度言っても無理やり持たされた白杖は、自分がハンデのある人間だと周囲に知らしめているようで嫌だった。


運に見放され散々だった自分とこの景色を普段から見ている少年を比べ、心の中でそっと彼を羨んだ。


「その彼は日常生活で超能力を使おうとしない」

「っ!何故です」


少し動揺し声が裏返った。

能力を使わないと普通の生活を送れない私からすれば、その少年の考えは到底理解できない。
彼は恵まれているから、五体満足な彼だからそう考えられるんだ。


「超能力以外の他の自分の魅力を見つける、だそうだ。そんな考えは私には無かったが、彼らしいとも思った」

「……私には理解できないですね」

「彼の考えは面白い。だが、生前は念動力すら使えなかった私はそもそも、生活に役立つ能力など持っていなかったから同じようにすることは出来ないがな」


なら、なぜ。


「少年に感化され、同じように考える超能力者が彼の周りに集まった」

「……恵まれているからそう考えられるだけですよ」

「しかし、他の超能力者は悪用するのをやめただけで、日常生活での利用を完全に止めた者はいなかった。それでも何故、彼の周りに人が集まるか、君には分かるか?」

「っ…」


人が集まる理由?
その考え方に賛同した者が集まっただけなのではないのか。
しかし、賛同したのに日常生活での超能力の利用をやめない?
理解できない。


「分かりませんね。そもそも、彼らと私は違う。同じ括りに入ることすら出来ない。超能力を持たない私は」


ゴミ以下だ。

そういう前に肩を強く掴まれた。
最上に掴まれた肩が酷く痛い。
精神に干渉しているから、私のガードすらも関係無くなっているのか。どこか冷静な自分が考える。


「いいか、少年本人は日常生活では一切超能力を使っていない。しかし、彼の言う"使わない"は人を傷つけない。悪用しない。そういう意味だ」


真っ直ぐな瞳に射抜かれ、体が動かない。


「島崎君の目の代わりである能力を使うな、という意味ではない。彼の周りに人が集まった理由、それは彼の人としての魅力に惹かれたからだ」

「人としての魅力…」

「私も彼に惹かれ、彼の見る世界や考え、頭の中を見てみたいと思った。能力など関係なしに、真っ直ぐな芯のある彼に皆惹かれ集まった」


人としての、魅力。
今まで無縁だった言葉だ。

常に人に弱者として見下され、蔑まれてきた。
どんなに優しい言葉をかけられても、「可哀想」という裏がある気がしてムカついた。
視えるのに見えない。
日常生活を送ることができるのに、普通に生きることを否定されてきた。

爪に入ったのは、ボス……今はただの犯罪者だが、彼が私をただの道具として扱っていたからだ。
それは、普通に考えれば可笑しいことだし、残酷なことであるだろう。
しかし、常に"障害者"として蔑まれてきた私にとっては、他の超能力者たちと同じようにモノとして扱われることがどれほど救われたことか。


「彼がそう考えることは自由です。でも、私には関係ない」


そう私が呟くと最上はそっと肩から手を離し、土手に座るよう促され素直に隣に座った。


「私は、ただ幸せになりたかった」


ぽつりと零れ落ちた言葉がすとん、と心に落ちた。


あぁ、そうか。
私は、幸せになりたかっただけなんだ。


「そうだな。私もだ」


そういったきり、特に何も話すことなくただ時間が過ぎていった。


その間、私は初めて見る景色を仰いだ。
辺り一面を覆い尽くす草花は、きっと緑色だろう。
目の前をゆったりと流れていく川は何色なんだろう。何とも言えない色。色という括りでは表現出来ないだろう。
どこまでも続く空は青色、そこに浮かぶ雲は白色。

色を知らない私にとって、全てこれは聞いた情報だ。
実際に目で見ることは一生出来ないと思っていたが、何故か叶ってしまった。


自然と目を閉じた。
いつもと同じ光景の筈なのに、全く別のように感じた。
水が流れる音、風が私の肌を撫でていく感触、草花の生きている香り、目を閉じてもわかる光の眩しさ。


全てが新鮮で、時間はあっという間に過ぎた。


「そろそろ、現実の君が目覚める時間だな」

「もう、ですか」


心地の良い空間に少しの名残惜しさが残る。

「素敵な体験をさせて頂きました。ありがとうございます」

「いや、気にするな。ただの私の暇つぶしだ」


そう言った最上は少し寂しそうだった。


意識が遠のいていく。
周りの景色がかすみ、彼の姿が歪んでいく。


「島崎君、いつでもここには来れるからな」

「ありがとうございます。気が向いたら、また来ますよ」


そう言うと微笑しながら君らしいな、と返事が。

もう何も見えない。
何も感じない。

意識を失う前、最後に彼の声が聞こえた。


「君とまた会えてよかった」


その後の記憶はない。





はっと目が覚めた。

いつも通りの部屋だ。
体をぺたぺたと触り感覚があるのを確かめる。


すごく珍しい体験をした気がする。
脳裏に刻み込まれたあの感覚は、今は鮮烈に思い出すことができるが、記録する術もない私はいつかは体験をした事実しか思い出せないだろう。


あの空間に思いを馳せながらも、体はいつも通り外に出れる支度をする。
顔を洗い、歯を磨き、適当にトーストした食パンを口に咥えながらいつもの服に袖を通す。

テロリストとして顔が広まってしまった今、私は普通に働くことは出来ない。だが、誰とは言えないが元爪のメンバーに警察に顔の利く者がいて、一般人には到底出来ない案件が頼んでもいないのに回ってくる。そのため生活に困ることはない。ついでに今住んでいる部屋もその彼が手配したものだ。
恩は売りたく無いが、これに関してはどうしようもない。お互いに恩を売りあっているから、まだ良しとする。

一応、悪事からは手を引いた。
それだけで十分だろう。

それ以外は基本的に暇なのでふらふらと気楽に過ごしている。ただそれだけだ。


「ふぅ…そろそろ出ますか」


今日は、麻薬の密売現場を押さえろ、とのことだ。
できるだけ血が流れないようにしろと言われているが、向こうが脆いのが悪いので私は知らない。



能力が発動した音がする。

辺りに意識を集中すると、数人の男が。
その中の1人がアタッシュケースを持ち、分厚い封筒と今まさに交換しようとしているところだった。

証拠用にと渡された伊達メガネについたカメラで映像はもう撮れただろう。
後は給料分、働くだけだ。


コツ…コツ……

わざと靴音を立て近づくと「だ、誰だっ!」と慌てた声がする。
誰もいないはずの所に人が現れた。当然慌てるだろう。


「みなさん、どうも。こんにちは」


声をかけると彼らは体を固くした。
銃に手をかける音が聞きこえる。
そんな玩具なんて私には歯も立たないのに。


「貴方達を、逮捕しにきました」


何も映さない真っ黒な瞳を開きにこりと微笑みながら言うと飛んでくる弾丸と焦った怒号。
冷静さを失った人間など、赤子の手をひねるよりも簡単なことだ。



そういえば。
最上啓示、彼はどうして名乗ってもいない私の名前を知っていたのだろうか。


「まあ、どうでもいいですね」


そう呟いた声は、銃声にかき消され誰の耳にも届くことは無かった。









彼を見かけたのは十数年前のことだった。
その時もこの場所、私の精神世界に迷い込んだまだ幼さの残る少年だった。

少年は、何も無い空間に驚くどころかどこか馴染んでいて、あと一歩踏み外せば私と同じところに来てしまう脆さを感じた。


自分のしてきたことは正しいとは思っていない。
悪霊になることがいいことだとは思っていない。


自分とどこか似た少年には、同じ過ちをして欲しくなかった。
だから、手を差し伸べた。


今思うと、それは影山くんに対しての極端な救いではなかった。

世界を何も知らなかった彼には、世界を見せた。
私の見てきた世界を、醜く汚い世界と共に美しく幸せだった世界も全て見せた。

しかし、彼は醜くい世界を見ても、美しい世界を見ても、まず見えることに感動していた。
盲目だった彼は、能力を得て見ている世界と異なる世界が目新しくこの世界全てを美しいと言った。


その時、私は彼の残酷なまでの純粋さに酷く惹かれた。


あぁ、この子なら大丈夫だろう、と。
全てを美しいと言い放った彼なら、私と同じ過ちを犯すことなく、自分の好きなことをして生きていけるだろうと確信した。


去り際に、島崎亮と名乗った彼は眩しい笑顔を残し元の世界へと帰って行った。



数年越しの再開は突然で、彼は随分と大人になっていた。
しかし、彼は変わることなく純粋な心のままでいた。

多少は世間の理不尽さに打ちひしがれ、心の中に闇は見えたが、あの残酷な純粋さは健在だった。

私の見せた世界は影山くんの見ていた世界だ。
私の見せた世界とは違う、綺麗な所しか見ていない彼の世界を。


ぽつりと彼が呟いた「幸せになりたかった」の一言は、私の心にも強く刺さっている。

幸せになりたくて、必死に足掻いた結果がこれだ。
彼には未来がある。
私の分まで、幸せになってくれ。

そう願いを込め、彼を送り出した。



幸せになりたかった、彼はこれからも必死になりながら幸せを求めるだろう。
そんな彼の心休まる場所になればいい。



そんなことを思いながら、今日も悪霊としての私の存在が消えるのを待ち続ける。

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