【ゴルトレ♀】左耳

 アタシの恋人兼トレーナーは人に好かれる。恋愛的な意味でも、そうでない意味でも。夕方のトレーニング終わりの校門を、トレーナーとふたりで並んで歩く。今日はちょっくら放課後デートでも。なんて学生らしいわがままを聞いてもらって、しかも手まで繋いじゃったりして。ともかく、アタシはとてもご機嫌だった。
「あ、ゴールドシップ先輩のトレーナーさん! お聞きしたいことがあるんですが……」
 アタシたちの大事なデートタイムを邪魔するなんて。思わずピクリと耳が動いてしまった。
 声をかけて来たのは、後輩ウマ娘。なんでもアタシの活躍が話題になってるみたいでトレーナーであるコイツも注目されてるってわけだ。
「うん! もちろんいいよ。何が聞きたいのかな?」
 そう答えると、せっかく繋いでいた手をトレーナーは最も容易く離した。
 後輩のウマ娘だって、悪意があるとか邪魔してやろうとか。そんな魂胆で話しかけて来たわけじゃないのは、わかっている。彼女だって速くなりたくて、そのためにアドバイスを乞うているだけだ。
 なのにアタシは心の中で、ちぇっと舌打ちをしてしまう。せっかく二人きりでこれからよろしくやろうと思っていたのにな、と。
 トレーナーのことになると、アタシはアタシじゃいられなくなってしまう。飄々としているねなんてよく言われるけれど、彼女のことになるとアタシはヤキモチ妬きで構ってちゃんな、おこちゃまウマ娘みたいだ。
 トレーナーはそんなアタシの不機嫌にも気が付かず、懇切丁寧にスタートダッシュのアドバイスをしていた。ご丁寧に、メモとペンを取り出して図解までしちゃったりして。
 コイツは仕事をしているだけだ。はやる気持ちを抑え彼女の背中を見つめる。いつだってそう。馬鹿みたいに優しくて、お人好しで、人のために自分を犠牲にしてしまうような。
 彼女のそんなところが大好きで、大嫌いだ。アタシ以外のやつにそんなに優しく笑うなよ、なんて意地の悪いことを思ってしまう。
「トレーナーさん、ありがとうございました! ゴールドシップ先輩もお待たせしてごめんなさい」
 ようやく話が終わったのか、後輩ウマ娘はぺこりと頭を下げると、寮のある方向へと駆けて行った。あたりはすっかりオレンジ色に染まっていて、職員たちは帰路に着き始めていた。
「ごめんね、ゴルシ。つい長くなっちゃって……」
 本当に申し訳なさそうな顔で、トレーナーは頭を下げた。まあ、可愛いし許してやらなくもない。そう思った時だった。
「すみません! ゴールドシップさんのトレーナーさん! ちょっとだけお時間いいですか……?」
 今度はコイツの同僚が声をかけて来た。何でも、折り入った相談があるらしい。
「もちろ……、あっ」
 アタシの方をチラリと見やったトレーナーは、困ったように言った。どうやら、アタシの気持ちはモロに顔へ出ていたらしい。
「ごめんね、また明日でもいいかな……?」
 アタシに気を遣ってくれたのだろう。トレーナーは同僚に背を向けて校門を出ようとした。しかし、その歩き方は何ともぎこちない。私は尾を引かれるような思いです、と背中に書いてあるようだった。
「いいから行ってこいよ。気になるんだろ、アタシのことはいいからさ」
「ほんっとにごめんね。明日必ず埋め合わせをするから!」
 トレーナーは手を顔の前で合わせてぎゅっと目を瞑り、もう一度ごめんねと言った。
 アタシのことはいいからなんて言ったものの、なんだかやりきれない気持ちになってしまった。
 なんだよ。オメーはアタシの恋人なのに。
 みんなに優しいトレーナーは、みんなのトレーナーという感じだ。どうも、アタシのモノという感じがしない。別にモノ扱いしたいとかじゃないけどさ、アタシの心は全部トレーナーに捧げてるわけで。せめて半分くらい、アタシのものになってくれてもいいんじゃねぇの?
 なんて恋する女子中学生みたいなことを考えてしまう程度には、アタシはアイツにはまっちまってる。
 でも、堂々とアタシのもんだって宣言しちまうのはアイツの立場上よろしくない。それがわからないほど、アタシは子供ではなかった。
 ふと、アタシの右耳につけている耳飾りが風に揺れた。そういえば、以前同級生のウマ娘が恋人にピアスを開けてもらった、なんて話をしていた。
「私が彼のモノっていう印なんだって。本当、彼って愛が重馬場なんだよねー」
 なんて口では言っていたけれど、ソイツはすっげー嬉しそうだったのを覚えてる。
 アタシたち二人だけにわかる、恋人の印。なかな良さげじゃないか。
 アタシは寮へ向かっていた体をくるっと回して、近所のドラッグストアへと急いだ。
 翌日は日曜日で、アタシもトレーナーもオフ。アタシは朝からトレーナーの家へとハイジャンプで突撃した。
 いきなりバルコニーに現れたアタシを、トレーナーは特に動じることもなく部屋へと招き入れた。ソファに二人腰掛けて、お茶を飲みながらグダグダと喋る。
「オメー、ピアス開けたことある?」
 いきなりピアスの話を振るなんて不自然だよな、とは思ったけどうまい話題の出し方もわからなかったからストレートに聞いてみた。
「え? ピアス? 開けたことないけど……」
 そう答えると、トレーナーは自分の耳たぶに触れた。小ぶりだけれど柔らかそうな、白い耳たぶ。なんだか美味そうだな、なんて変なことを考えてしまった。
「なぁ、トレーナー。ピアス開けてみねぇ?」
 突然の申し出に、トレーナーは一瞬カップを持ち上げた手を止めた。
「どうして急に?」
 当然の疑問だ。アタシがオシャレギャル番長的なキャラだったらまあわからなくもないが、別にアタシはギャルじゃない。
「いや、なんかさ。恋人の証? 的な??」
 いざ口に出してみるとなんだか子供じみた考えに思えてしまって、恋人の証の部分なんてほぼ消え入りそうな声になってしまった。
「やっぱりいいや。忘れてくれぃ、トレーナーさんよ」
 なかったことにしたくて、適当な言い方をしておどける。鞄の中にはドラッグストアで買ってきた、ノンブランド品のピアッサーとファーストピアス。家に帰ったら、さっさと捨ててしまおう。
「いいよ、ピアス開けても。きっとピアッサーもピアスも用意してきたんでしょう?」
 ずばり言い当てられて、どきりとした。どうしてそのことがわかったのだろうか。
「え、なんでわかったんだよ。アタシ、鞄の中身だしてないよな?」
「そりゃわかるよー!大事な彼女のことだもん」
 なんて柔らかく笑っているけれど、コイツは可愛い顔して観察の鬼だ。本当に彼女はアタシのことをよく見ているな、知っているなと感心してしまう。
「本当にいいのか、いっぺん開けたらずっと残っちまうもんなんだぞ」
 自分から提案しておいて許可までもらったのに、怖気付いてしまう。アタシは彼女に、一生残る穴を開けようとしている。そのことに今更ながら気がついた。
「いいよ。だってゴルシはずーっとずっと、一生一緒にいてくれるでしょ?」
 そんなセリフをさらりと口にするなんて、なかなかできることじゃない。アタシもなかなか愛が重い方だけど、トレーナーも結構重馬場だ。やっぱり、アタシのトレーナーもどこか変わっているな、と思う。
「本当にいいのかよ」
「うん」
 再三確認を取ったが、彼女の答えは同じだった。
「そういうのちょっと憧れてたんだ。私はゴルシのものですって、まだ立場上大きな声では言えないけど。私たちの間だけの秘密っていうのもいいかなって」
 秘密の恋の証だね、なんて笑うトレーナーは多感な思春期の少女みたいだった。
「そろそろいいかな……開けるぜ?」
 できるだけ痛みを感じないように、保冷剤で耳たぶを冷やした。きんきんに冷たくなった耳を、ピアッサーで挟む。
「やっぱり、痛いかなぁ」
「そりゃ痛ぇだろうよ。穴開けるんだから」
 そうだよねー、と笑うトレーナーの手がわずかに震えているのをアタシは見逃さなかった。
「怖いならやめとくか? 無理に開けなくても……」
「いいの、開けて。私はゴルシに開けて欲しい。一生消えない跡を、あなたに刻みつけて欲しい」
 ばちん。一瞬で、トレーナーの耳に小さな穴が開いた。耳は真っ赤になっていて、ほんの少し血も出ている。
「痛くない……わけねぇか」
「うん、痛い……」
 隣で痛みに顔をしかめるトレーナーの頭を、撫でてやった。
「よく頑張ったな、ごめんな。アタシのわがままで」
 必死に痛みに耐える様子を見ているとなんだか申し訳ない気持ちになってしまう。ごめんな、と何度も言って彼女の頭をいつもよりうんと優しく撫でた。
「何度もごめんって言うんだね」
 少し痛みに慣れてきたのか、いつもの笑顔でトレーナーは言った。
「昨日の私みたいだね」
 昨日、トレーナーはヤキモチを妬くアタシに何度もごめんねと謝っていた。どうやら、その時の彼女と今のアタシが重なって見えたらしい。
「ゴルシ、昨日ヤキモチ妬いてたでしょ」
 やっぱり、昨日のアタシはめちゃくちゃ顔に出ていたらしい。ヤキモチを妬いたのも、ちょっぴり拗ねたのも全部バレバレだったみたいだ。
「そーだよ。めちゃくちゃ妬いてた」
 なんだか恥ずかしくなってしまって、ぶっきらぼうな言い方になってしまった。
 そりゃ、恋に恋する中学生でもないのにこんな子供じみたヤキモチ妬いてるのがバレたら恥ずかしいに決まっている。
「だからピアスだったんだね。ヤキモチ妬かせてごめんなさい」
 こう謝るとトレーナーはアタシのおでこにチュッと軽いキスをした。
「その、わがままばっかで良くねぇとは思うけど……もうちょっとアタシのことを特別扱いして欲しい」
 目の前にいる観察の鬼は、言葉にしなくても全部見透かしていると思う。だけど、アタシはきちんと言葉にして伝えた。
「わかった。例えばどうされたら嬉しいとかあるかな?」
「外でも、人がいないところでいいからイチャイチャしたりしたい。たくさん撫でて、触れて欲しい。……他のやつより、アタシを優先して欲しい」
 恋人にどうして欲しいかなんて言うのはめちゃくちゃ恥ずかしいけど、これから先もヤキモチやらモヤモヤを抱えてトレーナーと付き合う方が嫌だから、全部馬鹿正直に伝えてやった。
「ゴルシの大丈夫って言葉に甘えて、あなたに寂しい思いをさせちゃってたんだね」
 可愛いね、と言って今度はトレーナーがアタシの頭を撫でた。同じ形の手なのに、どうしてコイツの手に撫でられるのはこんなに気持ちがいいんだろう。
「今度から気をつけるね。私のこと、許してくれる?」
 きれいなトレーナーの瞳が、真っ直ぐにアタシを覗き込む。そんな目で見られたら、許さないなんて言えるわけがない。
「キス百回で許してやらんでもないぜ」
 なんておどけた顔で言ってみる。本当はただキスがしたかっただけなのに。
「わかった、いいよ。いっぱいちゅーしようね」
 そう言ってトレーナーは、アタシの唇にキスをした。何度もキスをしていくうちに、初めは軽かった口づけがだんだんと深いものになっていく。
「アタシそろそろ限界。トレーナー、ベッド行こうぜ」
「私もそう思っていたところ」
 ぽやぽやする頭でなんとかベッドに誘うと、彼女はふふっと静かに笑った。
 互いの指を絡ませて、ベッドにダイブする。二人ではちょっと狭いシングルベッドは、しんどそうにアタシたちの体を受け止めてくれた。
1/1ページ
    スキ