【エストレ♀】世界はそれを恋と呼ぶ
こんな夢を見た。そんな書き出しの小説を昔読んだことを、不意に思い出した。広いトレーニング用のターフの上で、私は最近よく見る不思議な夢を思い出し、頬が自然と熱くなる。
「トレーナーさん、どうした? 顔が赤いけど、熱でもあんのか」
不意に近づく私の担当ウマ娘であるカツラギエースの顔。スタミナ作りのマラソントレーニングを終えたばかりで、彼女は体は汗だくだった。意志の強さを証明するような凛々しい眉に情熱を秘めた青い瞳。少し尖った形のいい鼻。
その彫刻みたいに綺麗な顔にうっとりとしていると、汗に濡れた彼女の額が私のおでこにくっついた。
ひゃあ、と思わず声が漏れると彼女は
「悪い、汗かいてたから……。嫌だったか?」
と耳をしょんぼりさせてこちらの表情を伺っていた。
「ううん。ただ顔が近かったから。なんだかドキドキしちゃったの。ごめんね」
まだ動揺が残っていたからか、ドキドキなんて意味ありげなことを口にしてしまった。これでは彼女に好きですとアピールをしているみたいじゃないか。こんなことを言われて、彼女もきっと困っているだろう。変な意味ではないと言わなければ。慌てて口をパクパクさせている間に、彼女は閉ざしていた口を開いて笑った。
「はははっ! トレーナーさん、そういうのは好きなやつに言うもんだぜ」
カツラギエースは真っ白な歯をチラリと覗かせた。
ーー好きなやつ。私と彼女はただのトレーナーと担当。いくら仲がいいとはいえ、それ以上でもそれ以下でもない。
しかし最近、私は彼女を恋愛対象として意識してしまっていた。その理由は、とてもありきたりなものだった。
最近、決まって同じ夢を見るのだ。その夢の内容は、カツラギエースとキスをするというまるで少女漫画みたいなものだった。
夢を見る場所は決まってトレーナー室。疲れた私がソファで横になっていると、唇にふにゅりとした感触がある。うっすら目を開けるとそこにはカツラギエースが立っていて愛おしそうに私を見つめている。
そんな夢をしょっちゅう見てしまうものだから、彼女を意識してしまうのも仕方のないことだった。
何を思うことも、個人の自由だと私は思う。ネズミに恋をするのも自由だし、担当ウマ娘のことを想うのも、また自由である。しかし、その気持ちのせいで他者に迷惑をかけるのはいただけない。
現に私は、自分の想いのせいでカツラギエースのことを心配させてしまった。相手に迷惑をかけてしまうなら、こんな気持ちは捨ててしまうべきだ。意識していたからあんな夢を見てしまうのか、それとも夢のせいで彼女を好きになってしまったのか。卵が先か鶏が先かと同じくらい、難しい問題だった。
「よし、トレーナーさん! 次のトレーニングはなんだ?」
彼女のこめかみを伝う汗は、西陽の光を受けてきらきらと輝いていた。
「次は筋トレをしておしまいかな」
「わかった! がんばるから見ててくれよな!」
彼女はベンチに放られた真っ白なタオルで滝のような汗を拭った。
彼女に迷惑はかけたくない。意識してしまうなら、接する時間を減らせばいいのではないだろうか、と私は思った。なんだかんだ、朝から晩まで寮にいる時間と授業中を除き私たちはいつも一緒に行動していた。
ーー彼女と少し距離を取ろう。私はそう決意した。
そしてほてった気持ちを冷まさなければ。もちろんトレーナーとしての役割は全うするけれど、一緒に出かけたり遊んだりといった時間を削った方がいい。
「トレーナーさん、このあと何か用事あるか? この間すごい美味い野菜を扱う八百屋を見つけたんだ! よかったら一緒に……」
いつもの通りに「うん!」と言いかけたところで、さっきの決意を思い出し私は首を横に振った。
「ごめんね。今後仕事が立て込むから、しばらくはお出かけしたりできそうにないんだ」
とっさについた嘘は、ハリボテみたいにぺらぺらなものだった。けれど学生である彼女に「仕事」という言葉は効果テキメンだったらしい。
彼女は寂しそうに唇を尖らせたあと、少し不満そうに「わかった」と言った。
それからの日々は、実につまらないものだった。仕事が立て込んでいるなんて嘘をついてしまったから、私はトレーナー室にこもっていなければならない。それはさほど苦痛ではなかったけれど、カツラギエースと過ごせないことがなによりも辛かった。
あんな言い方をしたから、彼女は全く、トレーナー室にやって来なくなった。連絡はメッセージアプリのみ。
特に繁忙期でもないので、することもなく私は仕事を終えたあと、トレーナー室のソファで毎日のように眠っていた。
会う時間は格段に減った。なのに相変わらず、私は同じ夢を見続けていた。もしかして、私は自分が思っているより彼女のことが好きなのかもしれない。
そう思って、自分の気持ちを抑えようとした私は、自然と彼女の顔から目を逸らすようになっていた。見ると、気持ちが高揚して頬が赤く染まってしまうからだ。
「トレーナーさん、最近あたしから目を逸らすよな」
ある日の練習終わり。夕陽の眩しいグラウンドで道具の片付けをしていると、近づいてきたカツラギエースが私に言った。
「そ、そうかな。ほら、私人の目を見て話すの苦手だから……」
また、嘘をついた。こんな不誠実な態度、良くないと思う。しかし、私の気持ちを彼女に告げることはトレーナーとして失格だ。
私は指導する立場であり、立派な大人。そんな私が彼女に想いを寄せているなんて、カツラギエースからしたら迷惑以外の何者でもないだろう。
「トレーナーさん、嘘ついてるだろ。前はあたしの目を見て話してたじゃないか」
彼女はキッと鋭い視線で私を刺した。彼女は私が嘘をついたことをすぐに見抜いたのだ。二人三脚で歩んでいかなければならない私たちにとって1番大切な「信頼」を私は壊してしまった。完全にトレーナー失格だ。
「トレーナーさんは、あたしから距離を取ってる気がする。なんでそんなことするんだよ。あたし、何か気に触るようなことでもしちまったのか? もう、嘘はいやだ。正直に言ってくれよ」
彼女眉間に皺を寄せて、泣きそうな、訴えるような目で私を見ていた。いつも力強い彼女のこんな表情は初めてだった。
「……実は、ちょっと変な夢を見ちゃって。なんかね、あなたとキスする夢………それで、エースを意識しちゃうというか何というか…………」
大人なのに、子供みたいにしどろもどろになりながら私は必死に弁解をした。心はもうぐちゃぐちゃで、夢の内容までうっかりバラしてしまった。
「忙しいって言ってたけど、あれも嘘だろ? アタシ、知ってるんだ。トレーナーさん、あれからしょっちゅうトレーナー室で昼寝してるだろ」
その一言で、私の心は完全に縮こまってしまった。これではもう、トレーナーとしてどころか大人として失格だ。もう、今すぐ退職届を学園長に……
「……あれ? エース、あの後トレーナー室に来たことあったっけ?」
ここ数ヶ月のことを思い出し、私はひとつの疑問を浮かべた。気がついていたなら、どうしてそのことをもっと早く私に言わなかったのだろう。
真っ直ぐな性格の彼女なら、きっとそうする。なのに、なんで……
「それ、は……」
いつも快活な彼女が珍しく言葉に詰まっていた。困った顔をして、地面に視線を落としている。
「トレーナーさん、ごめん」
突然の謝罪に、私は困惑した。陽はすでに沈みかけていて、辺りは薄暗くなっていた。他のウマ娘やトレーナーたちはとっくにいなくなっていた。
「どうして謝るの? 嘘をついていたのは私だったのに……」
彼女は決心したように、私の目をしっかりと見て口を開いた。
「さっき言ってたあたしとキスするって夢、多分夢じゃないんだ」
私は、頭にたくさんのハテナが浮かぶような気持ちになった。夢じゃないってどういうことなんだろう。いつもはストレートな物言いとは打って変わって、何だか回りくどい。彼女は、何が言いたいのだろうか。
「どういうこと……?」
「まだわかんねぇ? トレーナーさん」
不意に彼女が近づいてきて、そのまま私を抱きしめた。ウマ娘特有の華奢だけれど力強い体が、私を包む。
「あたし、寝てるトレーナーさんにキスしてたんだ。何度も、何度も。ダメなことだってわかってた。だけどやめられなかった」
彼女の体温をジャージ越しに感じる。鍛えた体はしなやかだけれど硬くて、温かかった。
薄らぼんやりとした、彼女にキスをされる瞬間の記憶。夢だと思っていたそれは、現実だった。
「もう2度と、あんなことはしないから。だから、今だけ抱きしめさせてくれ。距離をとったりとか、しないでくれよ。トレーナーさんがいないとあたし、どうにかなっちまう」
彼女の悲痛な声が、吐息が耳にかかる。私を抱きしめる腕は苦しそうに震えていた。
「私ね、あなたのことが好きなんだ。キスされる夢……嫌じゃなかった。嬉しかったの。だから、距離を取らなきゃって。こんな気持ち、きっと迷惑だと思って、それで……」
気がつくと、頬が濡れていた。それは、カツラギエースの涙だった。そして、いつのまにか溢れていた私の涙だった。しばらく私たちは黙ったままだった。
「あたしたち、両思いだったってことか?」
頭の上で静かな、囁く声がした。
「うん、そうみたいだね」
自分たちの空回りを思い出して、私は何だかおかしくなってしまった。私は彼女のことを、好きでも良かったのだ。
「世界ではこれを恋って呼ぶんだろ」
「うん、そうらしいね」
私たちは顔を見合わせて笑った。いつのまにか辺りは暗くなっていて、月が上り始めている。
「ね、エース。キスしよう。今度はちゃんと起きてるから」
彼女は頷いて、私の唇に触れた。ちゅ、と軽い音がして、彼女の唇は離れた。
このキスは私と彼女と、青白い三日月だけの秘密にしよう。月光で縁取られた彼女の輪郭を、私は何度も目でなぞった。
「トレーナーさん、どうした? 顔が赤いけど、熱でもあんのか」
不意に近づく私の担当ウマ娘であるカツラギエースの顔。スタミナ作りのマラソントレーニングを終えたばかりで、彼女は体は汗だくだった。意志の強さを証明するような凛々しい眉に情熱を秘めた青い瞳。少し尖った形のいい鼻。
その彫刻みたいに綺麗な顔にうっとりとしていると、汗に濡れた彼女の額が私のおでこにくっついた。
ひゃあ、と思わず声が漏れると彼女は
「悪い、汗かいてたから……。嫌だったか?」
と耳をしょんぼりさせてこちらの表情を伺っていた。
「ううん。ただ顔が近かったから。なんだかドキドキしちゃったの。ごめんね」
まだ動揺が残っていたからか、ドキドキなんて意味ありげなことを口にしてしまった。これでは彼女に好きですとアピールをしているみたいじゃないか。こんなことを言われて、彼女もきっと困っているだろう。変な意味ではないと言わなければ。慌てて口をパクパクさせている間に、彼女は閉ざしていた口を開いて笑った。
「はははっ! トレーナーさん、そういうのは好きなやつに言うもんだぜ」
カツラギエースは真っ白な歯をチラリと覗かせた。
ーー好きなやつ。私と彼女はただのトレーナーと担当。いくら仲がいいとはいえ、それ以上でもそれ以下でもない。
しかし最近、私は彼女を恋愛対象として意識してしまっていた。その理由は、とてもありきたりなものだった。
最近、決まって同じ夢を見るのだ。その夢の内容は、カツラギエースとキスをするというまるで少女漫画みたいなものだった。
夢を見る場所は決まってトレーナー室。疲れた私がソファで横になっていると、唇にふにゅりとした感触がある。うっすら目を開けるとそこにはカツラギエースが立っていて愛おしそうに私を見つめている。
そんな夢をしょっちゅう見てしまうものだから、彼女を意識してしまうのも仕方のないことだった。
何を思うことも、個人の自由だと私は思う。ネズミに恋をするのも自由だし、担当ウマ娘のことを想うのも、また自由である。しかし、その気持ちのせいで他者に迷惑をかけるのはいただけない。
現に私は、自分の想いのせいでカツラギエースのことを心配させてしまった。相手に迷惑をかけてしまうなら、こんな気持ちは捨ててしまうべきだ。意識していたからあんな夢を見てしまうのか、それとも夢のせいで彼女を好きになってしまったのか。卵が先か鶏が先かと同じくらい、難しい問題だった。
「よし、トレーナーさん! 次のトレーニングはなんだ?」
彼女のこめかみを伝う汗は、西陽の光を受けてきらきらと輝いていた。
「次は筋トレをしておしまいかな」
「わかった! がんばるから見ててくれよな!」
彼女はベンチに放られた真っ白なタオルで滝のような汗を拭った。
彼女に迷惑はかけたくない。意識してしまうなら、接する時間を減らせばいいのではないだろうか、と私は思った。なんだかんだ、朝から晩まで寮にいる時間と授業中を除き私たちはいつも一緒に行動していた。
ーー彼女と少し距離を取ろう。私はそう決意した。
そしてほてった気持ちを冷まさなければ。もちろんトレーナーとしての役割は全うするけれど、一緒に出かけたり遊んだりといった時間を削った方がいい。
「トレーナーさん、このあと何か用事あるか? この間すごい美味い野菜を扱う八百屋を見つけたんだ! よかったら一緒に……」
いつもの通りに「うん!」と言いかけたところで、さっきの決意を思い出し私は首を横に振った。
「ごめんね。今後仕事が立て込むから、しばらくはお出かけしたりできそうにないんだ」
とっさについた嘘は、ハリボテみたいにぺらぺらなものだった。けれど学生である彼女に「仕事」という言葉は効果テキメンだったらしい。
彼女は寂しそうに唇を尖らせたあと、少し不満そうに「わかった」と言った。
それからの日々は、実につまらないものだった。仕事が立て込んでいるなんて嘘をついてしまったから、私はトレーナー室にこもっていなければならない。それはさほど苦痛ではなかったけれど、カツラギエースと過ごせないことがなによりも辛かった。
あんな言い方をしたから、彼女は全く、トレーナー室にやって来なくなった。連絡はメッセージアプリのみ。
特に繁忙期でもないので、することもなく私は仕事を終えたあと、トレーナー室のソファで毎日のように眠っていた。
会う時間は格段に減った。なのに相変わらず、私は同じ夢を見続けていた。もしかして、私は自分が思っているより彼女のことが好きなのかもしれない。
そう思って、自分の気持ちを抑えようとした私は、自然と彼女の顔から目を逸らすようになっていた。見ると、気持ちが高揚して頬が赤く染まってしまうからだ。
「トレーナーさん、最近あたしから目を逸らすよな」
ある日の練習終わり。夕陽の眩しいグラウンドで道具の片付けをしていると、近づいてきたカツラギエースが私に言った。
「そ、そうかな。ほら、私人の目を見て話すの苦手だから……」
また、嘘をついた。こんな不誠実な態度、良くないと思う。しかし、私の気持ちを彼女に告げることはトレーナーとして失格だ。
私は指導する立場であり、立派な大人。そんな私が彼女に想いを寄せているなんて、カツラギエースからしたら迷惑以外の何者でもないだろう。
「トレーナーさん、嘘ついてるだろ。前はあたしの目を見て話してたじゃないか」
彼女はキッと鋭い視線で私を刺した。彼女は私が嘘をついたことをすぐに見抜いたのだ。二人三脚で歩んでいかなければならない私たちにとって1番大切な「信頼」を私は壊してしまった。完全にトレーナー失格だ。
「トレーナーさんは、あたしから距離を取ってる気がする。なんでそんなことするんだよ。あたし、何か気に触るようなことでもしちまったのか? もう、嘘はいやだ。正直に言ってくれよ」
彼女眉間に皺を寄せて、泣きそうな、訴えるような目で私を見ていた。いつも力強い彼女のこんな表情は初めてだった。
「……実は、ちょっと変な夢を見ちゃって。なんかね、あなたとキスする夢………それで、エースを意識しちゃうというか何というか…………」
大人なのに、子供みたいにしどろもどろになりながら私は必死に弁解をした。心はもうぐちゃぐちゃで、夢の内容までうっかりバラしてしまった。
「忙しいって言ってたけど、あれも嘘だろ? アタシ、知ってるんだ。トレーナーさん、あれからしょっちゅうトレーナー室で昼寝してるだろ」
その一言で、私の心は完全に縮こまってしまった。これではもう、トレーナーとしてどころか大人として失格だ。もう、今すぐ退職届を学園長に……
「……あれ? エース、あの後トレーナー室に来たことあったっけ?」
ここ数ヶ月のことを思い出し、私はひとつの疑問を浮かべた。気がついていたなら、どうしてそのことをもっと早く私に言わなかったのだろう。
真っ直ぐな性格の彼女なら、きっとそうする。なのに、なんで……
「それ、は……」
いつも快活な彼女が珍しく言葉に詰まっていた。困った顔をして、地面に視線を落としている。
「トレーナーさん、ごめん」
突然の謝罪に、私は困惑した。陽はすでに沈みかけていて、辺りは薄暗くなっていた。他のウマ娘やトレーナーたちはとっくにいなくなっていた。
「どうして謝るの? 嘘をついていたのは私だったのに……」
彼女は決心したように、私の目をしっかりと見て口を開いた。
「さっき言ってたあたしとキスするって夢、多分夢じゃないんだ」
私は、頭にたくさんのハテナが浮かぶような気持ちになった。夢じゃないってどういうことなんだろう。いつもはストレートな物言いとは打って変わって、何だか回りくどい。彼女は、何が言いたいのだろうか。
「どういうこと……?」
「まだわかんねぇ? トレーナーさん」
不意に彼女が近づいてきて、そのまま私を抱きしめた。ウマ娘特有の華奢だけれど力強い体が、私を包む。
「あたし、寝てるトレーナーさんにキスしてたんだ。何度も、何度も。ダメなことだってわかってた。だけどやめられなかった」
彼女の体温をジャージ越しに感じる。鍛えた体はしなやかだけれど硬くて、温かかった。
薄らぼんやりとした、彼女にキスをされる瞬間の記憶。夢だと思っていたそれは、現実だった。
「もう2度と、あんなことはしないから。だから、今だけ抱きしめさせてくれ。距離をとったりとか、しないでくれよ。トレーナーさんがいないとあたし、どうにかなっちまう」
彼女の悲痛な声が、吐息が耳にかかる。私を抱きしめる腕は苦しそうに震えていた。
「私ね、あなたのことが好きなんだ。キスされる夢……嫌じゃなかった。嬉しかったの。だから、距離を取らなきゃって。こんな気持ち、きっと迷惑だと思って、それで……」
気がつくと、頬が濡れていた。それは、カツラギエースの涙だった。そして、いつのまにか溢れていた私の涙だった。しばらく私たちは黙ったままだった。
「あたしたち、両思いだったってことか?」
頭の上で静かな、囁く声がした。
「うん、そうみたいだね」
自分たちの空回りを思い出して、私は何だかおかしくなってしまった。私は彼女のことを、好きでも良かったのだ。
「世界ではこれを恋って呼ぶんだろ」
「うん、そうらしいね」
私たちは顔を見合わせて笑った。いつのまにか辺りは暗くなっていて、月が上り始めている。
「ね、エース。キスしよう。今度はちゃんと起きてるから」
彼女は頷いて、私の唇に触れた。ちゅ、と軽い音がして、彼女の唇は離れた。
このキスは私と彼女と、青白い三日月だけの秘密にしよう。月光で縁取られた彼女の輪郭を、私は何度も目でなぞった。
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