彼女が聞くと、石神がふっと笑い言った。
「今は、プライベートだ」
「じゃあ、秀樹兄ちゃん。僕は案外わがままな妹だから、秀樹兄ちゃんにきいてもらいたいわがままが、あるんだけどぉー」
「何だ。言ってみなさい」
「良いの? 聞いたら、お願いきいてよね? はい、指切り」
彼女に小指を出され、石神は指切りをした。
「もう約束したよ? あのさ、僕今回の事でちょっと疲労困憊だし、喧嘩中のお父さんと秀樹兄ちゃん。それから、お母さんに他の兄ちゃん達や旦那さまも一緒にさ、仲直りの温泉旅行に行きたいんだけど。連れて行って? 秀樹兄ちゃんはお魚さん飼ってるし、誠二兄ちゃんも猫さん飼ってるから、長期は心配だろうから一泊二日位で。ね?」
「え? 温泉?」
「そうそう。温泉。秀樹兄ちゃん。兄ちゃんのくせに知らないの? 僕ねぇ前にみんなと行った温泉楽しくってさ、温泉大好きになったんだよねぇ。僕にも、秀樹兄ちゃんにも、みんなにも癒しは必要だよー? だから温泉。ね? 秀樹兄ちゃーん。いいでしょう? あ、もうきいてくれるって約束したんだもんな。じゃ、秀樹兄ちゃんスケジュール開けてねー。よろしくぅー。やったー! 温泉行かれるぅ! 温泉♪ 温泉♪ はぁー、生きてて良かったあー!」
石神はどんどん進む話の展開に呆気に取られたようだが、彼女の最後に言った言葉を聞いて降参したようだった。
「全く、貴女という人は。そんな風に言われては、連れて行くしかありませんね」
その言葉により一層はしゃぐ彼女。嬉しげな様子に目を細めていると石神に呼び掛けられた。
「一柳、旅行の相談に乗ってくれないか? お前が、一番かのじ──妹の好みを知っているだろう? どうせなら、お祝いも兼ねて喜ぶものにしてやりたい」
「ああ、分かった。石神」
「何だ?」
「お前も、じゃじゃ馬な妹には、かたなし、か?」
「ふっ、ああ。お前や穂積さんと一緒、だな」
それを聞いて、二人して笑ってしまった。
「ふふふ。しかし。まだ何も決まってないのに、本当に嬉しそうないい顔をする。見てるだけで、こちらまで楽しくなるようだ」
「ふっ、だな。ま、温泉も行きたがってたから嬉しいんだろうが……生きていられるのが、な。やっぱり嬉しいんだろう。死の恐怖からやっと解放されたんだ。あいつ、ひとりで夜も眠れね―程苦しんでたからな」
「やっぱり、そうだったか……苦しめたくは、なかったんだが。かわいそうな事をした」
「フッ。そんな顔、すんなよ。兄貴のお前がそんな顔すっと、あいつが心配してせっかくのあの笑顔が曇るよ」
「一柳……」
「石神、あいつが世話になったな。色々、ありがとな。あの、顔に傷作って帰って来た日。あれ、お前が手当してくれたんだろ? オレ、傍にもいてやれなかったからな。あいつ、一人だったらどうなってたか……お前が拾ってくれて助かったよ。感謝してる」
「一柳……。お前、本当に変わったな。夫婦は似ると言うが、どうやら事実らしい」
「似て来たか? ふふ……だけどな、オレだけじゃねーぞ。気付いてねーのか? お前も、だいぶ変わったよ? 何だよ、驚いた顔して。あはは。ルイパパ曰く、あいつは周りみんな捲き込んで影響を与えるんだと。台風の目みたくな。じゃじゃ馬ハリケーンとか言ってたな」
「ふむ、妙にしっくり来る。じゃじゃ馬ハリケーン、凄そうだな。ふふふ……うまい事を」
二人でそんな話をしてる内に、さっきまでぱらついていた雨も上がったようだ。夕方前の柔らかな光が雲間からのぞき、街並みを照らす。病院前の歩道に出来た水たまりや、歩道脇の花壇に植えられた植物の花や葉が、雨で濡れ陽射しを受けてきらきらと光る。
今、オレが幸せなせいでなのか雨上がりの情景はきらきらと輝いて、ひときわ美しく感じる。そしてその美しい世界が、ご機嫌な彼女の笑顔をより一層、引き立ててオレを魅了する。
思わずポツリと心情が口をつく。
「良かった……。また、あんな笑顔が見られて。何だか……幸せだ」
「ああ、本当にそうだな──」
隣で、石神もまた口元に笑みを浮かべ、彼女を見ながら頷く。美しさが感傷的にさせるのか、お互い珍しく素直に心情を吐露したがオレ達はそれには触れず、暫くその幸せな情景を胸に刻み込むように目を細め眺め続けた──。
──本編28。 アンドロイドは電気羊の夢を見る。──
End.
本編の続きは
29。へ。
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