「……すみません」
か細く弱弱しい声でポツリと謝る彼女の顔を、車にあったティッシュで拭いてやりティッシュを渡す。
「鼻血が出てます。押えておきなさい。痛そうですね。病院に行きますか?」
(しまった。あまりに痛そうなのでつい口にしてしまったが。今、病院という言葉は酷だったな)
彼女は病院という言葉に、びくりっと震え青ざめた。そして、顔をふるふると横に振った。
「やだ。僕、病院なんて嫌いだもん。そんなとこ行かないよ。こんなの放っておけばいい」
「痕でも残ったらどうするんです」
その言葉に泣きそうになり、俺の目から顔を逸らすようにぷいっとそっぽを向いた。顔をそむけたまま至極小さな声でポツリと言った。
「……いいよ。そんなん。どうせ、半年だ」
(半年。恐らくは間違いない。この子が次のターゲットの一人にされたんだろう。……でも、言うわけには行かない)
「では、せめてドラッグストアで薬を買いましょう」
(言うわけには行かないが、これ以上捲き込まれないように守ってやらなくては。一刻も早く奴らを捕まえなければなりません。それが今の私に出来る事──本当に、そうか? こんなに傷付いているのに? それで、本当に良いのか……?)
立場と本音がせめぎ合い葛藤が起こる。ドラッグストアの駐車場で手当てをしながら、思いあぐねる。仕事では冷徹にならねばならない。なのに、この子を見ているとそれが揺らぐ。この子の真っ直ぐさに感化されるのかも知れない。
「なまえさん……」
「ねぇ……秀樹兄ちゃん」
思わず言ってしまいそうになり話し掛けた俺を彼女は、遮るように言葉を発した。
「あのさ僕、今ちょっと余裕なくてあんま頭働いてないんだよね。だから、全くのカンで検討外れかも知れないんだけど。それ、仕事に関係して来る事? なら、言わなくていいよ。どういう話か、何で今話そうとしてるのか、そういうの分かんないけど。無理してんでしょ? 秀樹兄ちゃんの顔、見たら分かるよ。いい。言わなくていいから。僕、これでも警察官だよ。仕事上、言いたくても言えない事があるのは理解してる。僕もそういう事当たり前にあるしね。何か分からんけど僕の事考えて無理しようとしてくれたのかなあってのは、何となく分かったからもうそれで十分。ありがとう。だから言わないで。つーか僕、さっきからタメ口で失礼だよね。すみません。色々してくれてありがとうございます」
「妹が兄にタメ口をきいてもおかしくはない。今はプライベートタイムだからかまわない」
言葉を少し崩し言うと、彼女は両手で両目を隠すように押えた。
「……優しいね。僕、今マジで余裕ないんだわ。だから今そんなに優しくされたら……我慢出来ないよ……」
「今日は我慢したくないんじゃなかったか? さっきそう言ったろう?」
「だ、だから、そういう事今、言わないでよ。……もーマジ泣くぞ」
必死で目を押え我慢する彼女の頭を引き寄せた。
「泣きたいなら我慢しないで泣きなさい。お兄ちゃんに遠慮は必要ない」
俺がそう言うと彼女は震えながら堰を切ったように泣き出した。
(今はこんな事しかしてやれることが無い。この子はああ言ったが後で真実を知ったらひどいと思うだろう。この仕事をしている限り仕方ない事だが……)
暫く泣いてから彼女はまた『すみません。ありがとう』と言った。家の近くまで送り、降りる時『ねえ? 今は幻さんでしょ? 秀樹兄ちゃんの幻さん。だから、この事は忘れて下さいね』と言った。
(一柳や穂積さんに言わないつもり何だろうか? ひとりで全て抱え込む気か?)
まだ少しふらつきながら去って行く彼女の姿をミラー越しに見ながら、苦しめてしまっている事をひとり詫びて早急にこの案件を片づけなければと肝に銘じた。
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