「手が滑ったとか言ったらしいが、いたヤツの話じゃわざとにしか見えなかったって。いきなりで止める間もなかったらしい」
「はぁ……聞いてるだけでうんざりして来るな」
「ゲス水に人をイビらせたら容赦ないからなー。あそこはゲス水の天下だし。……それに女王様がバックにいるんじゃ、下手に逆らえないだろう」
「んー、確かに覚悟がいるな。下手すりゃ女王のそのまた後ろから、飛んでもないのが出て来るかも知れん」
「ああ。それこそ、こんな所で名前さえ出せないのがな」
「ま、噂の域を出ないが……それ、お前も知ってたのか?」
「まあ、噂だけは、な」
「しかし、あの子も飛んだ災難だな。……最初さ、見掛けた時に随分チビで華奢な野郎だなと思ったら、男装趣味の女だって言うし。変わった子なのかと思ったよ。けど、案外感じの良さそうな子だよな」
「ん? まあ確かにな」
「この前さ、報告書やっちまおうと思って遅くに戻ったんだよ。隣、あの子がさ一人だけで残業しててな。報告書書きながら、時間も時間だし『腹減ったな』って、つい独り言が出てな。そしたら、聞こえたらしくて『お疲れさまです。良かったらこれ、どうぞ』っておにぎりとお茶を淹れて持って来てくれてさ。お茶はもらったが、おにぎりは悪いからって遠慮したら『おにぎり、いっぱいあって一人じゃ食べ切れないし……。食べてもらえたら僕も、助かりますから。どうぞ』って笑顔でさ……。疲れてたから、何か沁みたわ」
「へぇー。そういえば、俺も笑顔で挨拶されたな。だけどあの子、来た時と比べると急激にやつれたよなー」
「ああ、何となく顔色も悪いような……。もしかして虚弱体質か? でも、それじゃこの仕事勤まらんよな?」
「と、言うよりさ。キツいだろ。ゲス水にイビられてりゃあ。よく堪えてる方じゃねぇかな。何でもな。日中そんなで外行かされて、帰って来ると書類仕事の山らしいぞ。ゲス水の手下がいいように自分の仕事も全部押し付けてるみたいだな。だから家に帰る余裕もなくて、一人で泊まり込んでやってるって話だ」
「それも一人かよ? 誰も手貸さねぇのか?」
「いや、手伝ってたんだけどな。バレると手伝ったヤツまでネチネチやられるんだ。それを見た彼女が『自分一人で大丈夫です。お気持ちだけで十分です』って言うようになったらしい」
「はぁ……本当にゲス水の部下になったヤツは気の毒だな。あの子も早く緊急特命に帰れるといいな」
「だよな。俺、ゲス水の部下にだけは、なりたくねぇ。隣で良かった」
「ああ、全くだな。俺もそう思うよ」
隣の男二人組が飯を食いながらそんな会話をした。その間、オレ達も黙って食いながら聞き続けた。隣のヤツ等が出て行くと、如月が憤慨した。
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