素性

 エジプトへ来て早数ヶ月。赤道直下の灼熱の国で、私は肩を出した服を着ることを覚えた。昨日届いたのは、白地に赤い花の刺繍の入ったブラウスだ。初めて着ていくなら、どこが良いだろう。
 私にはオシャレで不良な祖母がいるので、電話でちょこっと相談したら国際便で送ってくれたのだ。もちろん、両親には秘密で。海外転勤で家族を振り回したと気にしている父への、ちょっとした反抗だもの。母娘間では情報が筒抜け状態なので、おそらく母は知っている事だけど。
 いわゆる「良い子」の私は、家族に対して隠し事なんてほとんどしたことがなかった。無理していたのではなく、本当になかった。せいぜい、好きな男の子ができたことくらいだ。隠すほど悪い成績なんて取ったことがないし、何か不満があれば徹底的に伝えた。
 
 だけど、さすがに目に見えないものについて相談することはできなかった。

 恋や将来についての不安じゃない。
 実際にいるのだけど、私にしか存在を把握できないものについて両親に相談したって、何の解決になるだろうか?
 それに、慣れない環境におかれて頭がおかしくなったと誤解されかねない。
 私が“それ”を認識し始めてから時間が経ちすぎた。もっと早くに、相談すべきだったのだ。小学生ながら両親を心配させまいとして見て見ぬふりをしてきたのが間違いだった。怪我を放っておくと、やがて化膿し腐り果ててしまう。

 家族にばかり依存してはいけない。15歳にもなって、やっと私は悟ったのだ。
 家庭や学校以外に居場所を見出すことは良いことだと、本で読んだことがあるし、大丈夫。私の行動自体は何も間違っていない、道を踏み外してはいない。DIOと会う度、私はそう考えるようにしていた。
 話もしないのに“それ”について言及し長年の悩みの種にたどり着いて見せたDIO。私にとって救いだった。

  『君のどこへもやりようのない気持ちを、私が受け止めてあげよう』 

 差し伸べられた手を取ったのは、どこへ向かえば良いのか悩むばかりの私を、救いの方向へと導いてくれると思ったから。
 救われたのかはいまだに分からない。でも、理解者がいるというだけで、心理的負担は大幅に軽減された。

 その代わりに、新に抱えなくてはならなくなったものがある。
 それは、私の中でキシキシと音を立てて静かにその存在を主張し続けている。



***


 ここのところ、DIOの部屋に呼ばれていない。体調が悪いのかと執事に聞いてみようかとも思ったけれど、追及するなとこの前言われたばかりだったので止めた。
「いつも、こういうことしてるんですか?」
「仕事ですので」
 代わりに、そんな質問を投げてみると、澄ました顔でぽいっと返された。
 黄色いクリーム状の生地を混ぜている。何ですかこれ、と尋ねたらシュークリーム生地です、とまたぽいっと返ってきて拍子抜け。当たり障りのない質問をするのも、なかなか疲れるんだな。シュークリーム、誰が食べるのだろう。
「怪我は……手の甲、切れてましたよね」
「たいしたことありません」
 これまたばっさりと切られる。世の大人たちは世間話の種をたくさん持っているんだな。しばらく会話していない父を思い浮かべていると、執事が突然、こう言った。
「……あなたには他に行くところがたくさんあるでしょうに、なぜここへ来るのですか?」
「えっ?」
 上擦った声が出た。まさか、そんなことを質問されるとは。
「前は、怖いと言っていたではないですか。それに、私ばかりが答えるのは不公平でしょう」
 生地を垂らして硬さを確かめる執事の表情に、特別な意図は感じられない。穏やかで冷たい顔が、私に向けられた。
 すこし考える素振りをして、口を開く。
「理解してくれたから……」
 それしか理由はなかった。


  『ぜったいいないよ。見えないもん』
  『冗談もいい加減にして。しつこいよ』


「スタンドのこと、ずっと誰にも言えなくて。みんな、心霊番組はキャアキャア言って観るけど、実際、見える人が近くにいたら絶対変に思うし」



  『安心していい。私は裏切らないよ……』



「あの人は、DIO様は、私から言う前にはもう、分かってくれたから」
 言葉通り、あの人から話しかけられると、私は安心できる。ここへ来てよいのだと。私には家族以外にも頼れる人がいるのだと。
「まあ、私も似たようなものですがね」
「そうなんですか」
「ええ。聞きたいですか?」
「え?あの……話したくないんじゃ?」
「別にそんなことはありません。何でもどうぞ」
 この前とは真逆の言葉に目をしばたく。執事の考えている事が分からない。
 いつの間にか、彼のスタンドが姿を現していた。ロボットの恰好をしているそれは、変形もせず、レーザー光線も出さず、静かに、執事の背後からこちらを伺っている。ないはずの瞳に、何もかも見透かされそうだ。
 そんなに質問してほしいのか。DIO様に使えている動機なんて聞かれるのは恥ずかしいだろうし、他にどうでも良さそうなこと……。
「えっと……私は一人っ子なんですけど、執事さんてご兄弟とかは?」
「……兄が」
「……あの、生地出過ぎて、くっついちゃってますよ」
「聞いて欲しくない質問だったもので」
 それなら、どうして何でも質問して良いなんて言ったのだ。
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