明星

「重傷だって聞いていたのに」
「そのへんの年寄りと一緒にするんじゃあない。老いてなお盛ん!ジョセフ・ジョースターとはワシのことじゃ」
 スピードワゴン財団の車で砂漠を疾走しながら、私は適当な返事をした。車は標識どころかサボテン一本見あたらない道なき道を、迷いなく進んで行く。

 特に重傷だと聞かされたジョセフ・ジョースターが私の病室に現れたのは、なんと職員の報告を受けたその晩だった。呆気にとられるばかりの私に向かって「明日の朝イチで出発じゃ」とニヤリと笑った顔は、悪童のように輝いていた。
 その背後で、比較的軽傷に見える承太郎が「やれやれだぜ」と言った。彼は、もう一人の仲間の見舞いに行くというので、カイロに留まった。おかげで私は騒がしいジョセフ・ジョースターと楽しくドライブしている。
「この辺りかのう、承太郎の話では目印があるそうじゃが……」
 オープンカーの後部座席から身を乗り出す彼を尻目に、私は指先をきゅ、と丸めるばかりだった。

 果たして、私は行っても良いのだろうか。
 ついぞ見ることの叶わなかった、彼の瞳の色。それを知りたいがためにDIOに従った、愚かな私。私欲とは程遠い存在の彼がいまの私を知ったら、失望するのではないだろうか。

「見つけたぞ! あそこじゃ! ほれ、見なさい」
「……………」
 ンドゥールさんの手に握られていたときには逞しく見えた杖は、持ち主を失い砂塵を纏ってもなお、矜恃を持って佇んでいた。
「詳しい事は承太郎が知っておるだろうが、恐ろしく強い男だったそうじゃ」
「……ええ、そうでしょうね」
 そうか、承太郎は知っているのか。
 私はンドゥールさんが闘っている姿を見たことがないのに。途端に承太郎が憎たらしく思えてくる。
「しばらく、一人にして」
「それはできん。君はワシの監視の下、療養の一環として外出していることになっている」
「じゃあ、療養の一環で、ストレス回避のために一人にしてください」
「じゃから、できんと」
「インドで若い美女に絡まれて満更でもなかったこと、奥様に教えてさしあげてもいいんですよ」
 執事の雑談内容のセンスは悪くなかったようだ。
 ジョセフ・ジョースターは私から目を離さないまま、その場で静止した。もちろん、スタンドは出したまま。
 足指の隙間に砂が入って、ひどく熱い。
 落ち着かない気持ちを察したのか、「ヌト女神」が姿を現す。
「大丈夫だから」
 そわそわ、ふわふわ、身体に巻き付く彼女は、杖の上を漂う。
 スラム街で私を捕まえた逞しい腕を思い起こさせる、どっしりとした杖。その柄で琥珀色の鈍い光を放つ石。彼の瞳の色はついぞ知ることはできなかったけれど、こんな色だったなら、私は彼をこの上なく愛せただろう。でも。
「ンドゥールさん」
 いけない。
 もっと貴方の足音を聞いていたかった。好きな色も知りたかった。
 私は、もうすぐこの地を去る。ンドゥールさんをきっと連れてはいけないだろうと、
 でも、なんとなく分かった。忘れたくないといつまでも駄々をこねる程の子どもではなくなってしまったと。
「……――さようなら」
 砂が、舞い上がる。乾いた土地に、ただ一滴の水を残して。




※※※




「そうか……」
 日本へ帰ることを伝えると、ベッド脇の承太郎は微笑んだ。いつもの不敵な笑みとは違い、穏やかな顔と声だ。
 直射日光の下でそれなりの時間を過ごしたせいか、私は車に乗り込んですぐに頭痛と吐き気に襲われた。ジョセフ・ジョースターの膝に寝かされたのは一生の不覚である。
「両親とも話し合ってね、バカロレアを取って、アメリカの大学へ行こうと思うの。万が一、財団に目をつけられてもすぐに行けるでしょう?」
「そこまで考えなくてもいいんじゃあねぇか」
「先回りしておかないと、難癖つけてきそうじゃない」
 承太郎は明日の飛行機で帰国することになっていた。ジョセフも一緒だ。あの、騒がしい銀髪男も帰郷するらしい。
 横になって窓から空を眺める。もういない二人がどこへ行くのかを考えても仕方がない。
「……あの人は、死んだのね」
「…………ああ」
 承太郎は緑色の瞳を伏せて答えた。
「…………――あの人も、人だったんだ」
 ぽつりと、正直な呟きがこぼれた。
「ちゃんと死ねるのね。なんだか、安心した」
「………………」
「そんな顔しないでよ……終わらせられるって、良い事でしょう」
 私が入院してから律儀に見舞いに来てくれた承太郎。DIOとどんな因縁があったのかは私の知るところではない。でも、私と対峙した時に比べ塞ぎ込んでいるような表情が多かった。もしかしたら、承太郎は、そんなに冷たい人ではないのかもしれない。そこは、執事と大違いだ。
「私は、なかなか終わらせられないタイプだから、羨ましい」
「終わらせたい事があるのか?」
「みっつあるの。ふたつは、終わった。一つ目は貴方が、二つ目は貴方のおじいさんが手伝ってくれた」
「あとの一つは?」
 承太郎が真剣に尋ねるものだから、なんだか、思わずぷっと吹き出してしまう。
「内緒に決まっているでしょう。あのね、仲良くなったと勘違いしてない? 私、あなたに殴られた痣、まだ治っていないんですからね」
 ぐっ、と口を閉じて怖い顔をする承太郎がおかしくて、また笑った。
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