才能

 すべてを失うかもしれない。ダニエルさんとの勝負で鍛えられたとはいえ、DIO様相手では訳が違う。DIO様には勝てない。彼に勝つには、度胸や勇気ではやや心許ない。同じようにシンプルで強い感情が欲しい、と思った。しかし、私はもうそんなもの、持っていない。持っていたとしても、きっと私は胸にひっそりとしまっておくだろう。それは暴力的な形で昇華するような感情では、けしてないのだ。
 DIO様に一言申して、解放してもらいたい。そんな浅はかな望みはDIO様の部屋へ入った途端に押しつぶされた。
「どうしたね?」
 とDIO様は言った。カーテンが備え付けられたベッドに肩肘をついて横たわる彼は、右手に持ったなに(・・)か(・)から視線を外し、蕩けたような目でこちらを見た。体を上から下まで舐められているような、ゾッとした感覚が纏わり付く。
「あ、……ッ……」
 助けて。そんな叫びが口を次いで出そうになる。誰も来てはくれないというのに。
「君が自ら訪ねてくるとは嬉しいなァ……出向く手間が省けたというものだ」
 暗くて見えないけれど、DIO様は小さめのボウリングの球のような何かをベッドの下に放り投げた。それなりの質量がありそうな感じがしたのに、それは何の音も立てず、暗闇に吸い込まれるように下に落ちていった。
「ここに来るまでに、ずいぶん長くかかったではないか。心根の優しい君のことだから、敵とはいえヒトを傷つけるのを怖いから止めたいと言い出すんじゃないかと疑ったが、その顔は違うなァ……何かを決意しましたという顔だ。聞こうではないか。さあ、このDIOに、何を伝えに来たのだ?」
 くいっ、と首を傾げるDIO様は、今までとはどこかが違っていた。見る者全てを虜にしてしまうピジョンブラッドの瞳と不自然なほどに生白い肌を携えて、初めて会った時と何ら変わりなく私の前に立ち塞がっているように見えるのに。ゴクリと唾を飲み込むと、私はやっとのことで口を開いた。
「怖いのは……本当です……ジョースターを倒すのがではなくて……DIO様、私は貴方をもう二度と拝めなくなってしまうのが怖いんです。このままこの館を出て行って、それきり帰って来れなくなってしまうなんて嫌なんです」
 嘘はついてはいなかった。
 正直、学校と家を往復するだけだった毎日で自分が何に感動して何に夢中になっていたのかまるで思い出せないのだ。私の人生、いちばんキラキラしているのがまさしく今だった。
「ずっとこのDIOの顔を拝んでいたいというのか?」
「だって、DIO様に出会ってから、悩むことがなくなったんです。自信が持てるというか……間違っていないって、安心できたんです。…………こんな人って、なかなかいないと思います」
 私は、すうと息を大きく吸い込み、続ける。
「だから今日は、DIO様にお伝えしに来たんです。DIO様を付け狙うジョースター一行を倒して……それで、DIO様にお仕えできる日々を、絶対」
「十分だよ」
 私の言葉をDIO様が遮る。その表情は、お気に入りのペットの粗相を慈しんでいるかのようだった。または、寛容な上司というものを絵に描いたような顔。
「みなまで言わずとも、きみの本心はおよそ想像がつくね。実に忠実で、健気だ」
 なぜかは知らないけれど、とても楽しそうだ。
「では、やってくれるかな……ほんとうは別の手段を考えていたのだが、きみの場合は何も細工はいらないようだね。いつものきみのままで、ジョースター達に向かっていってくれればいい」
 寝そべっていた体を起こすDIO様は、ドライな執事が文句も言わず仕えているだけあって、ひどく艶があった。どうしてここで働いているのかと尋ねた時は弱みでも握られて嫌々働いているような口ぶりだったが、それでもこの館に留まってしまうのか理解できるレベルである。性別さえ超越して、DIO様はその名の通り、「神(DIO)」と呼んでも差し支えないほどだった。
 どんな反応を返したのが覚えていないけれど、DIO様がとても凶悪な甘い笑みを浮かべていたので、機嫌を損ねずにすんだみたいだった。
「ンドゥールのこともある。彼はとても忠実だった。そして、彼と共にいたきみも、私を裏切ることはない。テレンスの報告でも聞いているよ」
 その名を聞いて、頭の中を占拠していたもやが一瞬で晴れる。目の前にDIO様が立っているのに、ようやく気付いたほどだ。自分が恐ろしい約束を交わしてしまったと悟ったような気がするけれど、拒否なんてできるはずもない。それは、もう誰の顔も見れないということだった。永遠に。
「DIO様……必ず、戻って来ますから……だから……」
 あの夜と同じように、DIO様の指が私のくちびるをなぞってゆく。そこから皮膚の感覚が失われていくような感覚がした。かろうじて理性は手放さずにすんでいたけれど、それが幸か不幸かなんて、この時の私に分かるはずもなかった。ただ、フワフワとして現実味がなかった。
 館から10分も離れていない通りを歩いている間もその状態から抜け出せず、こんな調子でジョースター一行を見つけられるのかと他人事みたいに心配した。
 でも、それは杞憂に終わった。彼らは、とても目立っていたからだ。背の高い学生服の隣には、この辺りではよく見るエスニックな髪型。それに、色素の薄い髪色に帽子の男。あまり見ない組み合わせに加え、乞食の縄張りに侵入するという失態を晒している。
 正直、確信はなかったけれど、こびりついていた理性が「声をかけろ」と命令する。
 任務で引っかけてきた人たちよりも間抜けそうで、これならアッサリ終わるかもしれない、と思った。
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