訃報

 ンドゥールさんを見送って以来、“彼女”は事あるごとに私の前に現れるようになった。
 一人の部屋で、両親が神妙に何か話合っているのを聞いてしまった時。湿った気持ちを追い払おうと散歩に出てハーン=ハリーリを横目に通り過ぎた時。そして、ンドゥールさんの事を考えてしまった時。
 幸運なことに、DIO様の尋問のような「お話会」は一週間後までお預けだったが、今の私にとっては好都合だ。DIO様の前でスタンドを出したらホル・ホースの二の舞になりかねない。
 ホル・ホース。あの、気障なカウボーイ。
 彼には、あの後は一度も会っていない。あきれ顔の執事から全て聞いたことだけれど、ホル・ホースはジョースター一行をあと一歩のところまで追い詰めたものの返り討ちに遭い、なぜかエンヤお婆さんに殺されそうになったところを命からがら逃げおおせ、挙げ句の果てにはDIO様を暗殺しようと襲ったという。
「馬鹿なことを」と執事は嘲笑していたようだが、私は感服した。まさか、あの軽い男がそんな度胸を持ち合わせているなんて思いもしなかった。DIO様にスカウトされるだけあって、なかなか腕は立つようだ。
「命が助かっただけマシなような気がします」
「その人の上司は、とても恐ろしい人のようだね」
「恐ろしいというか、人間味がないんですよ。何を考えているのか分かりません」
「なるほど。まあ、確かに上司に意見するのは悪くはないが、時と場合を考えなければね」
「確かに……」
「おや、その手でよいのかな?」
「えっ、惑わさないでくださいよ」
 からかうように喉を鳴らして笑うダニエルさん。彼とはカイロ近郊の、このカフェで知り合った。別段、ロマンチックな出会いでもない。彼の落としたハンカチを拾ってあげたお礼に、飲み物をごちそうしてくれただけだ。それが、なぜか、いつの間にか、一緒にトランプ遊びをする仲になっていた。
 なんだかDIO様の時と似ている。明確なきっかけは思い出せないが、いつの間にか近くにいる。ダニエルさんは必ず私が座るときは椅子を引いてくれるし、飲み物を頼んでくれるし、不審者ではない。素性はしれないけれど、DIO様に出会ってしまうと職業や年齢が不詳なくらいでは怪しいとは思えない。むしろ、何も知らないぶん、何でも話せた。世間話。私がここ数年で身につけた技術のひとつだ。
「しかし、命を狙い狙われる環境に身を置くなんてね。君は、どんな壮絶な人生を送っているんだい」
「壮絶でしょうか」
「壮絶だろう。そこまでいかない、とは言わなくとも、ほんの少しでも日常とかけ離れた世界を観たとしたら、十分に冒険していると言えるね」
 ダニエルさんは、いつも持ち歩いているというアルバムをぱらぱらとめくった。
「例えば、この私。付き合いの延長でギャンブルを続けていたら、並の掛け金ではつまらないと感じ始めた。そこで、才能が開花した。魂を賭けてギャンブルに打ち込むようになった」
 私は空色のジュースを口にしながら、ふうん、と相づちを打った。
 確かに、ここら一帯の賭博場でダニエルさんは負け知らずのようだった。対戦相手は余程こっぴどく惨敗しているのか、二度とダニエルさんのいる賭博場に現れることはなかった。
 魂を懸けるほど熱くなると、熱中にするものが何であれ、結果を出せるものなのだろうか。学校で資格の勉強やスポーツ・クラブに打ち込むクラスメイトを思い浮かべてみる。表彰されたり褒められたりしている姿は、確かに輝いているような気がした。
「でも、魂を賭けるのって、怖くないですか?」
「……怖い?」
「もしもそれが無くなったら、人生おしまいじゃあないかって思うんです」
 ダニエルさんはぷっ、と吹き出した。
「そうでもない気もするが……」
「そんな経験があるんですか?」
 彼は、手にしていたアルバムを爪先でとんとん叩いた。
「誰かを楽しませてくれる、と私は思うね」
 そう言ったダニエルさんは、なるほど、歴代の対戦相手が二度と会いに来ないのも頷けるほどの悪人面である。
「では、今度はこちらから質問してみようかな……何かに熱中して燃え尽きた魂は、一体どこへ向かうと思うかね?」
「魂?」
 ウーン、と首を傾げて考える仕草をしてみせる。からかわれていると思ったのだ。しかし、ダニエルさんは口元は笑っているものの、ゲームの最中に相手の手を読んでいる時と大差ない表情を浮かべていた。
「死んだらどうなるのか、ってことですか?」
 確認してみても表情を崩さない彼に、なかなか終わらせてもらえないゲームをしている気分になる。私は焦れてしまって、ついついこう答えた。
「やっぱり、なんにもなりませんよ。たぶん、ですけど」
「なるほど、なるほど」
 満足そうに頷くダニエルさん。私の答えに満足したのか、それとも答えが出た事に満足したのかは分からなかった。
「じゃあ、もうひとついいかな」
 頷くと、ダニエルさんはこう問いかけた。
「どうしても手放したくない人やいなくなってほしくない人はいるかい?」
「……います」
 どうしてか、ダニエルさんに嘘は吐けなかった。彼はDIO様とは違ってプライバシーという言葉を理解しているようだったが、この質問だけは私の心の奥底を抉っていった。
「ちゃんと伝えられたかい?」
 無視すればいいのに、私は口を開いていた。
「そばにいたいってことを?言えるわけがないですよ。言ったって、なんにもなりませんよ」
「……そうなのかい」
「そうですよ」
 意外だ、と言わんばかりの表情のダニエルさんを、心の中で嘲笑う。
 私の何を知っていると言うのだろう。
 何もかも見透かすような……
 
 空色のジュースが、夕日の色と混ざり合って不気味な紫色に染まるまで、ポーカーで勝負をした。もちろん惨敗。時間が経つごとに変色するジュースの色に、嫌な顔を思い出してしまったせいかもしれない。
 ダニエルさんの瞳も、そういえば似た色をしているのだ。
 ここしばらく見ていない、私を知っているあの目。


***


 顔色が悪いからと、家に押しとどめようとする母を振り払い、私はカイロ中心部の屋敷へと駆けた。
 部屋にはDIO様ひとりだけだった。いやにご機嫌な様子で私を出迎え、
「ンドゥールの仇討ちは君に任せようと思ってね」
 そう、宣った。
「あれほどの男がやられるとは、ジョースター一行はよほどこのDIOが憎いらしい。困ったものだよ。敵わないのに、いつまでもウジウジと這いずり回って寝首を掻こうとウロチョロしおって。君ならやってくれるね。金目当てだった愚かな連中と、君やンドゥールは違うのだから、命を賭してこのDIOに尽くしてくれる。分かっているとも、ちゃあんとね」
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