了承
真夜中の集会から数日後のことだった。
「アッア~、アンタ、九栄神のひとりだろう」
今日も今日とて重い腰をあげ、消えかかったランプに照らされた廊下を歩いていると、ある男に話しかけられた。普段なら「ヤツら」を徹底的に避けるところだ。でも、妙に親しげな調子の声と聴き慣れない単語に、反応してしまった。
「……九栄神?」
「あら、違ったかい?」
そうだと思ったんだがなあ、と男はおどけたように肩をすくめてみせた。
テンガロン・ハットの特徴的なその男は、口笛でも吹き出しそうなほど機嫌良く笑いかけてくる。私が身構えていると、男は「これは失礼」と鍔を人差し指で上げてみせる。えらく気障ったらしい仕草は、その男には妙に似合った。
「このあいだ、この館で集まりがあっただろ?アンタを見かけたような気がしたんだが……」
「失礼します」
なぜ私に話しかけてくるのかは知らないけれど、この男を私は知らなかった。見ず知らずの男に素性を明かすなんて、DIOだけで十分。怪しいことこのうえないのでさっさと立ち去ろうとすると、男は「ちょちょ、待ってくれよ」と慌てたように後を付いてきた。そして、私の前を塞ぐように立つと咳払いをした。
「カンタンに信用できねェのは分かるけどよォ、俺はDIOみたいにアンタを好き勝手に利用するつもりはないぜ!」
薄暗い明かりの下に現れた顔を見上げる。
この館で見たどんな男性とも、彼は違った。DIOや執事のような得体のしれない妖しさとは程遠く、映画俳優のような隙のなさを感じさせる雰囲気だ。
「どういうことですか、利用しないって?あなたは誰?」
「ンン?アー……レディに自己紹介もせず申し訳ない。俺の名はホル・ホース……『皇帝』のカードを暗示するスタンド使いさ」
ウィンクをしたのは、こちらの警戒を解くためなのだろうか?敵対心がないのは分かる。しかし、何もないのに話しかけてくる人はこの館にはいないはず。必ず企みがあってのことだ。そう、例えば、
「スタンドが目的なんですか」
私の、とまでは自意識過剰に見えるので口には出さなかったけれど、男のうろたえかたから察するに、当たらずも遠からず、といった感じだろう。
「そんなに警戒しないでおくれよ。俺ァ女の子には優しいんだぜ?」
手を挙げて降参のポーズを取るホル・ホース。あえておどけたような真似をする彼をどれだけ疑っても、尻尾は出さないような気がする。
取引先と腹の探り合いをするビジネスマンみたいで嫌になってきたので、私はこれ見よがしにため息を吐いた。
「さっき、DIO様みたいに、と言いましたよね。どういう意味です?」
「DIO様ねえ。あの方が魅力的なのは分かるぜ。あんたら女性からすりゃ文句無しにイイ男だし、何より金払いがいいからな。でもそのぶん吸い取られているだろう、色々とな」
「仕事って、そういうものじゃあないですか?」
「それが違うのさ、お嬢さん。仕事だけさして金は払わねぇなんて輩はごまんといる。DIOだって報酬ははずむと言っていたが、本当のところはまだわからねえ。そこで、ひとつ提案だ」
ホル・ホースは人差し指をぴんと立て、顔をずいと近づけてくる。お線香に似た、どこか甘くて煙たい香りが通り抜けた。
「どうだい、このホル・ホースと一緒に仕事してみるっていうのは?」
自分の容姿を自覚しているのか、ホル・ホースはバッチリとウィンクを決めてそう言った。
私はといえば、彼が何を考えているのか分からなくて目を白黒させていた。
ンドゥールさんの顔が浮かぶ。
仕事。
この人と、一緒に?
「でも……」
「契約違反にはならないはずだぜ。DIOの敵、ジョースター一行とやらを倒しさえすれば、誰と組もうがDIOはたいして気にならねェだろうさ」
「騒がしいですよ」
やけに必死な様子のホル・ホースに打つ手を思い着かずにいると、厨房の戸が開いてテレンスさんが出てきた。いつも通りの眉間の皺は、私たちを捉えた途端にさらに深くなった。
「おや、あなたでしたか。こんな夜更けに、何のご用で?」
「何のって、呼び出されたからですよ。いつものことじゃあないですか」
「私はこのカウボーイかぶれに言ったのですよ。DIO様の館で不埒な真似はしないでいただきたい」
フン、と鼻で笑い飛ばされても、ホル・ホースは肩をすくめただけだった。オヤッと思った。高飛車な態度で小馬鹿にされて怒らなかったのは、ひとりを除いて初めてだ。
「お目付役がいたんじゃあな。しょうがない。今日は引き上げるとするかァ」
「金輪際おやめ下さいませ」
「ハイハイ。じゃあな、お嬢ちゃん」
ひらひらと手を振り、ホル・ホースは去っていった。
「あの男、片っ端から声をかけては相棒にしたがるんです。軟弱な男だ」
「そんなに強いんですか、ジョー、スター、一行?」
「DIO様が敵視するくらいですからね。何人でかかってもよいでしょう」
DIO様はジョースター一行という集団に命を狙われている。
先週の月曜に、テレンスさんを通して知らされたことだ。
こんな大きな屋敷に住んでいるのだから(老朽具合は置いておいて立地もなかなかに良い家だ)、DIO様がただ者でないことは分かっていた。たくさんの用心棒を雇うのも納得していたのだけれど。
それでは、この前の真夜中の集会は何だ?
裏切るなと牽制するというよりは、むしろ試されているようだった。
DIOに尽くす気があるのかどうかを。
「……あなたまさか、あの男と組もうだなんてこと考えてはいませんよね?」
「そんなわけ、ないじゃないですか……」
「そうですか……まあ、そうでしょうね。なんせ、あなたには……」
用心棒たちがDIO様を崇拝するのは、金払いが良いから。
私は、お金なんかでDIO様にすべてを預けたりなんて真似はできない。
私が彼に従うのは、感謝しているからだ。誰も理解してくれなかった悩みを、受け入れてくれたから。
その見返りとして、私はDIO様に尽くすのであって…………――――
「すでに、DIO様に決められたパートナーがおりますものね」
決して、自分の欲望のためではないはず、だ。
「アッア~、アンタ、九栄神のひとりだろう」
今日も今日とて重い腰をあげ、消えかかったランプに照らされた廊下を歩いていると、ある男に話しかけられた。普段なら「ヤツら」を徹底的に避けるところだ。でも、妙に親しげな調子の声と聴き慣れない単語に、反応してしまった。
「……九栄神?」
「あら、違ったかい?」
そうだと思ったんだがなあ、と男はおどけたように肩をすくめてみせた。
テンガロン・ハットの特徴的なその男は、口笛でも吹き出しそうなほど機嫌良く笑いかけてくる。私が身構えていると、男は「これは失礼」と鍔を人差し指で上げてみせる。えらく気障ったらしい仕草は、その男には妙に似合った。
「このあいだ、この館で集まりがあっただろ?アンタを見かけたような気がしたんだが……」
「失礼します」
なぜ私に話しかけてくるのかは知らないけれど、この男を私は知らなかった。見ず知らずの男に素性を明かすなんて、DIOだけで十分。怪しいことこのうえないのでさっさと立ち去ろうとすると、男は「ちょちょ、待ってくれよ」と慌てたように後を付いてきた。そして、私の前を塞ぐように立つと咳払いをした。
「カンタンに信用できねェのは分かるけどよォ、俺はDIOみたいにアンタを好き勝手に利用するつもりはないぜ!」
薄暗い明かりの下に現れた顔を見上げる。
この館で見たどんな男性とも、彼は違った。DIOや執事のような得体のしれない妖しさとは程遠く、映画俳優のような隙のなさを感じさせる雰囲気だ。
「どういうことですか、利用しないって?あなたは誰?」
「ンン?アー……レディに自己紹介もせず申し訳ない。俺の名はホル・ホース……『皇帝』のカードを暗示するスタンド使いさ」
ウィンクをしたのは、こちらの警戒を解くためなのだろうか?敵対心がないのは分かる。しかし、何もないのに話しかけてくる人はこの館にはいないはず。必ず企みがあってのことだ。そう、例えば、
「スタンドが目的なんですか」
私の、とまでは自意識過剰に見えるので口には出さなかったけれど、男のうろたえかたから察するに、当たらずも遠からず、といった感じだろう。
「そんなに警戒しないでおくれよ。俺ァ女の子には優しいんだぜ?」
手を挙げて降参のポーズを取るホル・ホース。あえておどけたような真似をする彼をどれだけ疑っても、尻尾は出さないような気がする。
取引先と腹の探り合いをするビジネスマンみたいで嫌になってきたので、私はこれ見よがしにため息を吐いた。
「さっき、DIO様みたいに、と言いましたよね。どういう意味です?」
「DIO様ねえ。あの方が魅力的なのは分かるぜ。あんたら女性からすりゃ文句無しにイイ男だし、何より金払いがいいからな。でもそのぶん吸い取られているだろう、色々とな」
「仕事って、そういうものじゃあないですか?」
「それが違うのさ、お嬢さん。仕事だけさして金は払わねぇなんて輩はごまんといる。DIOだって報酬ははずむと言っていたが、本当のところはまだわからねえ。そこで、ひとつ提案だ」
ホル・ホースは人差し指をぴんと立て、顔をずいと近づけてくる。お線香に似た、どこか甘くて煙たい香りが通り抜けた。
「どうだい、このホル・ホースと一緒に仕事してみるっていうのは?」
自分の容姿を自覚しているのか、ホル・ホースはバッチリとウィンクを決めてそう言った。
私はといえば、彼が何を考えているのか分からなくて目を白黒させていた。
ンドゥールさんの顔が浮かぶ。
仕事。
この人と、一緒に?
「でも……」
「契約違反にはならないはずだぜ。DIOの敵、ジョースター一行とやらを倒しさえすれば、誰と組もうがDIOはたいして気にならねェだろうさ」
「騒がしいですよ」
やけに必死な様子のホル・ホースに打つ手を思い着かずにいると、厨房の戸が開いてテレンスさんが出てきた。いつも通りの眉間の皺は、私たちを捉えた途端にさらに深くなった。
「おや、あなたでしたか。こんな夜更けに、何のご用で?」
「何のって、呼び出されたからですよ。いつものことじゃあないですか」
「私はこのカウボーイかぶれに言ったのですよ。DIO様の館で不埒な真似はしないでいただきたい」
フン、と鼻で笑い飛ばされても、ホル・ホースは肩をすくめただけだった。オヤッと思った。高飛車な態度で小馬鹿にされて怒らなかったのは、ひとりを除いて初めてだ。
「お目付役がいたんじゃあな。しょうがない。今日は引き上げるとするかァ」
「金輪際おやめ下さいませ」
「ハイハイ。じゃあな、お嬢ちゃん」
ひらひらと手を振り、ホル・ホースは去っていった。
「あの男、片っ端から声をかけては相棒にしたがるんです。軟弱な男だ」
「そんなに強いんですか、ジョー、スター、一行?」
「DIO様が敵視するくらいですからね。何人でかかってもよいでしょう」
DIO様はジョースター一行という集団に命を狙われている。
先週の月曜に、テレンスさんを通して知らされたことだ。
こんな大きな屋敷に住んでいるのだから(老朽具合は置いておいて立地もなかなかに良い家だ)、DIO様がただ者でないことは分かっていた。たくさんの用心棒を雇うのも納得していたのだけれど。
それでは、この前の真夜中の集会は何だ?
裏切るなと牽制するというよりは、むしろ試されているようだった。
DIOに尽くす気があるのかどうかを。
「……あなたまさか、あの男と組もうだなんてこと考えてはいませんよね?」
「そんなわけ、ないじゃないですか……」
「そうですか……まあ、そうでしょうね。なんせ、あなたには……」
用心棒たちがDIO様を崇拝するのは、金払いが良いから。
私は、お金なんかでDIO様にすべてを預けたりなんて真似はできない。
私が彼に従うのは、感謝しているからだ。誰も理解してくれなかった悩みを、受け入れてくれたから。
その見返りとして、私はDIO様に尽くすのであって…………――――
「すでに、DIO様に決められたパートナーがおりますものね」
決して、自分の欲望のためではないはず、だ。