牽強
それは、私にとってはアルバイトのようなものだ。
授業が終わったら、クラスメイトとの雑談もそこそこに教室を出る。マーケットを通り過ぎ、教会の角を曲がり、そこを尋ねる。
一見すると廃墟だけれど、あの人がいる場所だと思えば名のある遺跡のようにも見えてくる。
「来たか」
カーテンが役目を存分に発揮するその部屋に、その人はいる。豪奢な内装の広い部屋。傍らに執事。彼は、ある一点を除いては館に住む富豪のご主人様みたい。
毎週月曜日。私は彼を訪ねる。何も、毎夜毎夜異なるおとぎ話を聞かせてくれと頼まれたわけではない。もしも、そんな仕事内容であれば、市立図書館からアラビアン・ナイトを借りてきてどうぞと渡せば良いだけだ。
彼が聞きたがったのは、もっぱら私自身についてだった。
「私と友達になろうじゃあないか」
DIO。そう名乗った彼は初対面でそう宣うが早いか、私の個人情報についてぺらぺらと質問をしてきた。私は始め訝しんだものの、私の反応が良くないことを察するとそれ以上は聞いてこない彼に、ある程度の好感を持つようになっていた。DIOは、初めの強引さは何だったのかと思わせるくらいには、すこぶる紳士だったのだ。
「親族に霊感のある者はいるか」
「学校ではどんな本を読んでいる」
「耳の聞こえない者と接したことはあるか」
DIOの質問は私にまつわる「何か」だったり、私自身についてだったり。統一性はなく口が開くまでどんな質問をされるか分からない。それはさほど気にするべきことではなかった。
「私は、君がこの館に来るのを好まないということを知っている」
心を抉り、その傷を滑らかに癒す。
「そんな風に思われるのはしかたのないことだ。ただ、私が君に嫌われるのはとても悲しい」
「嫌い、なんて……」
正直、彼自身を好きか嫌いかなんて考えたこともない。絶妙なタイミングで現れて、誰にも話せずにいた悩みに理解を示してくれたことは有り難いと思っているけれど。
「私は君を困らせたくはないのだよ。君の年齢なら、周りにいくらでも理解者を見つけられる」
たとえば、ボーイフレンドとかね。
話の分かる大人のような口ぶりだ。
15歳。私は誰かに切なくなるほど想いを寄せたことなどない。
「あなたを迷惑だなんて、思っていませんよ……感謝しているくらいです」
もしかしたら、彼の思い通りに言わされているだけかもしれないな。けれど、それを差し引いても彼は上に立つ者として、とても魅力的な男だ。
彼が何者なのか、気にならないと言ったら嘘になる。昼間から大きなお屋敷にこもり、何らかの仕事をしている気配もない。
人の本心を見透かして欲しい言葉をくれる。それは、人を喜ばせるのに最高の能力だと思うのに、DIOはこの館に来る人間としか会わないらしい。ということは、DIOにとって甘い言葉をかけることは、何かを手に入れるための手段に過ぎないのかもしれない。
一体、目的は何だろう。
私は、そんな怪しい人間に関わるほど命知らずで非常識ではなかったはずだ。日本からエジプトへ引っ越してきたせいで、気が大きくなっていたのかもしれない。怖いもの見たさで知らない男の家へ通うなんて、日本では絶対にしなかった。
それが、今ではこの有様だ。
「こんな形でもよければ、いつでも来ますから。また呼んでくださいね」
DIOは、満足そうに唇を歪めた。どんな表情をしてもさまになる人だ。もし彼が人を殺していたとしても、殺された側は見惚れてしまうのではないだろうか。
「ああ、やはりこのDIOの目に狂いはない。君は、最高の友人だ」
ひやりとする恐ろしさを確かに感じさせる彼を友人と呼ぶには、私は幼すぎる。彼に大して、特別な親しみを感じているわけでもない。ほんとうに信用してよいのかも、まだわからない。
けれど、「友人」と呼ばれるくらいに近しい存在だと、誰かに認識されているのは、嬉しかった。
***
“それ”は、幼い頃から私の傍にいた。
私以外の人、両親や当時の友達には見えていないようだった。何か悪さをするわけでもなかったので、特に気にせず放っておいたら事件が起きた。
小学1年生の夏休み。プールから帰る途中、知らない年上の中学生たちにちょっかいを出され、気が付けば彼らは体中に切り傷を作って倒れていた。 “それ”は悪さをしたのだ。そして、“それ”の責任は私にあると分かっていた。会社で多くの部下を持つ父が家で仕事の話をするときに口に出す、ある言葉が頭の中で繰り返し鳴り響く。
監督不行届。
“それ”はスタンドと呼ばれるものらしい。見える人と見えない人がいて、見える人は“それ”を使うことができる。そして、本人の傍から離れない。
すべて、DIOが教えてくれたことだ。ずっと誰にも話さずにいれば、私は彼の家へ通うようにはならなかったかもしれない。そんなことを今さら考えても仕方のないことだけど。
守護霊なのか。悪霊なのか。背後霊なのか。
人を傷つけることのできる“それ”を、私は心底恐れていた。
DIOは、私のそんな本心までも見抜いているようだった。
人の心を掴むのが上手い人だ。
地下室のようにひんやりとした廊下を、高く結い上げられた頭を観察しながら歩く。彼の部屋を出て玄関まで引き返す途中、ずっと無言だった執事が、背中越しにこう言った。
「DIO様が怖いですか」
「……」
「心配せずとも、告げ口など致しませんよ」
そういう風に予防線を張る人間が、実際に口を閉じているものだろうか。
私にとって、DIOより問題なのは、この執事である。彼は常にDIOの部屋の隅に佇み、動かない。
屋敷で毎回いちばん初めに顔を合わせる彼とは、当然ながらプライベートな会話をしたことはない。毎回、丁寧な言葉を選び気品すら感じさせる態度で応対されている。ただ、どうにも不安を煽るというか。恭しいが過ぎるというか。わざとらしいというか。
それに、DIOに根掘り葉掘り聞かれて話す内容を第三者にまで筒抜けになるのは不快である。薄暗い部屋の中でも窓から遠いドアの前で、じっとこちらを見たままぴくりとも動かないさまは不気味の一言に尽きる。目の前でソファに腰掛ける彼と挟まれるかたちになるのは居心地が悪いのだ。
私は挑戦的になった風を装って執事を見上げた。
「あんな怖い人、他にいますか」
執事はちらりと肩越しにちらりと振り返り、おや、と片眉をわざとらしく上げて見せた。
「具体的には」
私の答えは予想通りだったのか、余裕を持ったままだ。
「……誰にも話したことがない事を、あの人は知ってました」
「あなたが私を信用していらっしゃらないのは重々承知のうえで言いますが、質問の答えになっていないのでは?」
鈍い切っ先で突かれたように背筋が強ばり、息苦しくなる。
「すみません、……他の人には、話したくないんです」
「二人だけの秘密、ですか」
かあっ、顔が熱くなる。
どうしてこんな事を言われなくてはならないのだろう。しかし、一つだけ分かったことがある。この執事、相当性格が悪い。
黙ってしまった私に、執事は話しかけ続けている。
「この館へ招かれた。それは、DIO様に認められたということです。拒否せず受け入れたということは、私達はいわば、DIO様に尽くす義務を負う同士ということ」
仕える主人について語っているせいか、やたら饒舌だ。
「しかしながら、私は仕事とプライベートは分けるタイプです。あなたが私を嫌おうが関係ありません。DIO様にとってそんなことはどうでもよいことですからね。無理に馴れ合わなくとも、支障はない。ただし」
執事がくるりと振り返ったので、私はひきつった表情を隠す間もなく一歩後ずさった。
光彩のせいか赤く見える瞳が、きらりと光っている。
「何事にも、程度があります……わかりますね?」
どこか面白がるような、私を見ているようで見ていない瞳だと想った。
「は……はい……っ」
「よろしい。では、ここで一つ忠告を」
執事の顔にゆっくりと笑みが広がっていった。
「DIO様に興味を持たれるのは喜ばしいことですが、追及するのは芳しくないでしょうね」
執事は口元を緩ませたまま、私をじっと見つめた。
「また来週、お会い致しましょう」
パタンと扉が閉まった。
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