エイムズ兄弟とイベント

ある休日の夜。
レインが建てた家のリビングでレインは眼鏡をかけて『人とウサギをダメにするクッション(大・ピンク色)』に腰掛けて『ウサギたちの沈黙』という小説を読んでいた。
本屋で偶然見かけ、店員手書きのポップには『※ウサギは死にません。酷い目にも遭いません』と書かれていたのでほぼ即決で買ったものだ。
読み始めてそこそこ時間が経っており、既に半分のページを読み終えている。
そして丁度中盤の話に一区切りがついた頃にレインはとある魔力を感じて本から顔を上げた。

「・・・久しぶりだな」

レインの視線の先には本来であれば何の変哲もない白い壁がある筈であった。
ところがそこには菱形模様の薄紫と薄い水色のグラデーションの扉が存在していた。
おおよそこの家の雰囲気にそぐわない扉の出現にしかしレインは動じない。
むしろ慣れた様子で落ち着いている。

(前回は確か・・・俺が神覚者になった直後だったか?)

記憶を掘り起こしているとガチャリとドアノブが動いて控え目に扉が開かれる。
隙間からこちらの様子を窺うようにチラリと覗く顔には金色の前髪がかかっている。
その下のトパーズの瞳は小動物のように警戒しながらキョロキョロとこちらの空間に視線を張り巡らせるがレインを視界に入れると驚いたようにその瞳は大きく見開かれた。

「にい・・・さま・・・?」

耳に心地よい高めの声にレインの頬は思わず緩みそうになる。
驚かせないようにじっと動かずに待っていると扉がゆっくりと開け放たれ、中からパジャマ姿のフィンが現れた。

「う、嘘・・・兄さま・・・?」
「ああ」
「ほ、本当に・・・?」
「本当だ」
「え?えぇ・・・?」

まるで幻でも見たかのように戸惑い、フラフラとした足取りと心許なさでフィンが少しずつ近付いて来る。
それからもう一度確認するように困惑に満ちたトパーズの瞳が部屋中を見回す。

「ここ・・・どこ?寮じゃない・・・よね?」
「俺とお前の家だ」
「僕達の家・・・?で、でも僕達の家はもう・・・」
「フィン」

幼い頃に存在していた温かな家を思い出して俯きそうになるフィンの顔をレインの声が上向かせる。
見ればレインはウサギの形の栞を小説に挟んでテーブルの上に置いて両腕を広げてきた。
まるで飛び込んで来いと言わんばかりのそれにフィンはまたしても戸惑う。
本当にいいのかと迷うように何度もレインとその両腕を視線が行き来する。
けれど決心がつかないのか、すっかり固まってしまったフィンの背中を押すようにお揃いのトパーズの瞳で強く催促すると息を呑む音が返事をした。

「えっ・・・と・・・失礼、します・・・」

まるでロボットのようにぎこちない動作でレインの前まで移動し、ゆっくりしゃがむとフィンはレインの腕の中に倒れ込み、その影響でレインの体が更にウサギクッションに沈んだ。
飛び込んだのではなく倒れ込んだのはやはり緊張が勝ったからであろう。
ガチガチに緊張している癖にレインに体重をかけ過ぎないように気を遣っているのがなんだかいじらしくてレインの口元が綻ぶ。
そっと抱き締めてやるとビクッとフィンの体が大きく跳ねたがそれ以上動く事はなかった。
早く緊張を解してやらないとな、と心の中で苦笑しつつレインはフィンの背中を優しく撫で始める。

「もう遅い時間だ。眠れないのか?」
「う、うん・・・色々考えてたら寝るタイミング逃しちゃって・・・」
「そういう時はウサギを数えるといい」
「ウサギ?羊じゃなくて?」
「ウサギだ」
「そ、そう・・・?」
「俺が一緒に数えてやるからお前は目を瞑れ」
「うん・・・」

遠慮がちに頷いてフィンはそっと目を閉じる。

「ウサギが一羽」

ウサギを数える兄の声と共に大きな手が優しくポンッと背中を叩く。

「ウサギが二羽」

またもう一度ポンッと背中を叩かれる。

「ウサギが三羽」

叩かれるのと同時にフィンの中で緊張が少しずつ解けていくのが分かった。

「ウサギが四羽」

兄の落ち着いた低音ボイスと温かく大きな掌が刻む一定のリズムがフィンをリラックスさせていく。
それが眠気に繋がっていき、段々とフィンの意識を沈み込ませる。
瞳はとろんと微睡んで瞼は重力に従って落ちていく。
その様が幼子のようで見下ろしているレインの目元も思わず緩みそうになる。

「ウサギが十五羽」
「・・・・・・すー・・・」

十五まで数えたところでフィンの口から寝息が漏れ始めた。
もう少しだけ様子を見る為に背中を叩くリズムをそのままに見守っていると安定した寝息が続いた。
漸くフィンが寝入った事に安心してレインは小さく息を吐く。

(寝たか)

寝た事でより体重がかかってきた―――とは言ってもやはり軽い―――腕の中の弟の顔を覗き見れば安心しきった蕩けた寝顔がそこにはあった。
自分の腕の中で安心してくれているという事実がレインには何よりも嬉しくて思わずぎゅっと抱き締めると「う、ん・・・」と呻き声が出て来てしまったので慌てて緩める。
起こしてしまったか?と危惧したのも束の間、すぐにまた柔らかな寝息がレインの耳に届いてきて彼を安心させる。

(・・・これで5回目か・・・)

背中の次に頭を撫でてやりながらふと考える。
今回のようにいきなり扉が現れてそこからフィンが出て来るという現象はレインにとって初めてではなかった。
一番最初はレインが中等部に進学して半年経った頃の事。
夜に勉強していると突然今回と同じ扉が現れ、孤児院にいる筈のフィンが出て来たのだ。
何故フィンがここに?と混乱したレインだったがそれはフィンも同じようで、出て来るなり「ここどこ?」と困惑していた。
とりあえず話を聞いてみるとどうやらフィンは悪夢を見て目が覚めてしまったらしい。
寝るのが怖くて起きてぼんやりしていたところに謎の扉が現れ、安全確認の為に戦々恐々としながらも開けたら勉強しているレインの姿を見つけて入ってきたのだとか。
一見すると荒唐無稽な内容に聞こえるが事実として目の前でその事象が起きてしまっているので否定しようもなく、とりあえず現状をなんとか受け入れる事にしたレインはもう夜は遅いからとフィンを寝かしつけにかかった。
また悪夢を見てしまったら、と怖がるフィンを安心させる為に今回と同じようにウサギを数えてやる事でフィンが寝ていたベッドで寝かしつけ、それから自分の部屋側から扉を閉めたら扉は光の粒子となって霧散して消えたのだ。
最初こそ驚いたレインだったがフィンを寝かしつける時に見たカレンダーが三ヵ月前の日付だった事からすぐに彼の中である一つの結論に辿り着いた。
そしれそれは今でも変わっていない。

(ここは・・・中等部の寮か)

フィンを抱き上げて足を踏み入れた扉の向こうにはイーストンの寮部屋があった。
空いている方のベッドにフィンをそっと下ろして毛布を掛けてあげてから窓の外を眺め、夜空の下に森が広がっているのを確認する。
イーストンは学年ごとに寮部屋から見える景色が違っており、初等部は山が、中等部は森が、高等部は湖が見えるようになっている。
これらを踏まえると森が見えるという事はここは中等部の部屋であり、たった今寝かせたフィンも中等部時代のフィンという事になる。

(ルームメイトは・・・やはりマッシュ・バーンデッドではないな)

チラリと視線を流した先にフィンの親友のマッシュの姿はなく、ベッドの周りにトレーニング器具も転がっていなかった。
暗がりで顔はよく見えないが、入って来た扉から僅かに漏れている光からフィンのルームメイトの使うベッドが照らされており、布団やシーツなどは無難な模様の柄であるのが見て取れる。
シュークリームをこよなく愛するマッシュは布団やシーツなどもシュークリーム柄なのだとか。
けれどそうではないのを見るとやはりあのルームメイトはマッシュではないのだろう。

(日付は・・・俺が神覚者になる半年前か・・・)

フィンの机にあるカレンダーに目を向けて日付を確認する。
抜けているところもある弟だがカレンダーはちゃんと月ごとに捲ったり一年ごとに新しいのに取り換える豆さは持ち合わせている。
なのでカレンダーの日付は正確と見て間違いないだろう。

(・・・まだ辛い思いをさせてる時期だな・・・)

視線を眠るフィンに戻し、優しく頭を撫でる。
無邪気な淵源との大戦が終わるまでの間、レインはフィンを守る為にずっとフィンを突き放していた。
その突き放しがフィンを傷付けているという自覚は勿論あった。
それこそマックスに精神面を心配されてウサギの飼育を勧められる程に。
冷たく突き放し、目を合わせないように冷徹に振る舞う度にフィンが傷付いた表情を浮かべ、やがては下を俯いて顔を見せなくなってしまっていった過程をレインは今でもしっかり覚えている。
何度駆け寄って抱き締めて愛している、家族として大切に想っていると伝えたい衝動に駆られただろうか。
何度その涙を拭って笑ってほしいと請いたかっただろうか。
今目の前で眠っているフィンを起こして真実を伝えようか。
いっそのこと、今の自分の時代に連れ帰ってしまおうか。
色々な考えが頭を過ったが結局やめた。
レインはフィンの事が大好きだ。
溺愛している自覚もある。
そんな自分が過去の自分から過去のフィンを取り上げてしまったら過去の自分が壊れてしまう。
そうなってしまっては今を生きる自分もどうなるか分かったものではないので何もしないでおく。

「・・・おやすみ、フィン」

最後にフィンの耳元に言葉を残し、フィンの眠るベッドに背を向けるとレインは最初に入って来た扉を潜って扉を閉めた。
すると扉は足元から光の粒子となって散っていき、最後にはいつもの何の変哲もないレインとフィンの家の壁が姿を現すのだった。

(今回は俺が神覚者になる前の中等部三年のフィンが来たな・・・つくづく不思議な扉だ)

扉があった場所を見つめながらレインは考える。
先程の扉は少なくとも過去の時代に繋がっており、そこから出て来るのは決まって夜に眠れないフィンであった。
そしてそのフィンを寝かしつけ、元来た部屋のベッドで寝かせてレインが扉を閉じる事で漸く扉は消える。
驚く事にこれらをしなければレインの時間も過去のフィンの時間も進まないのだ。
試しに寝かしつけた過去のフィンを抱えたまま体感で一時間程そのままでいたが時計の針は一秒も動かなかった。
他にもフィンの部屋の方に残ったまま扉を閉めてみたが扉が消える事もなかった。
扉が消えるのは決まってフィンを寝かしつけたレインが元の時代側の部屋に戻って扉を閉めた時だけなのである。

(寝かしつけ係か・・・)

心の中で呟いて満更でもないように笑みを浮かべる。
初めて扉が出現して以降、時間のある時に扉について調べているが未だに正体は分かっていない。
なので勝手に解釈するなら『眠れないフィンをぐっすり眠らせる為に今のレインが求められた』という事なのかもしれない。
それもレインに会えていない、または突き放されている間のフィンの為に、過去のレインに代わって。

(悪くねぇ役回りだ)

おかしな話だが過去の自分にマウントを取って優越感に浸ってしまう。
過去の俺がフィンを突き放している間、今の俺がフィンをあやして悪いな、と。
今の所扉に関して危険は見受けられないのでこれからも何回でも出て来てくれていいとすら思っていたり。

「ふぅ~、さっぱりした!」

ぼんやり考え事をしていると風呂から上がったばかりの『現在』のフィンがリビングにやってくる。
タオルを首周りに巻き、しっとりと濡れている髪の毛先に溜まっている水滴を吸わせている。
温かいお風呂に浸かったお陰もあって顔は健康的に火照っていたのでそれを見たレインは大変満足であった。

「お茶飲もっと。兄さまも何か飲む?」
「俺も茶を頼む」
「はーい」

機嫌良く鼻歌を歌うフィンにお茶をお願いして何事もなかったかのようにウサギクッションに戻って本を手に取る。
それから数分としない内にフィンが冷たい麦茶の入ったガラスのコップをローテーブルに置いて隣に座って来た。

「はい、どうぞ」
「助かる」

片手で本を持ち、もう片方の手で麦茶を取って口に含む。
冷たくてスッキリとしたお茶が喉に潤いがもたらされる。
隣のフィンもごくごくと麦茶を飲み干し、「ぷはっ」と子供っぽく息を吐いてコップをテーブルに置くがレインの持つ本を視界に入れると首を傾げた。

「あれ?兄さま、その本って最近買ったやつ?」
「そうだ」
「昔からある作品?」
「いや、最近のものだ」
「ふーん・・・」
「どうした」
「あ、ううん。前にもどこかで見た事あるような気がして・・・」

腕を組んでうーんとフィンは唸る。
それから数秒後に「あっ!」と何かを思い出したかのように大きな声を出す。

「分かった!夢で見たやつ!・・・かも」
「どんな夢だ?」
「えっと、確か兄さまに寝かしつけてもらう夢・・・だったかな?寮の部屋に変な扉が現れて開けたらそこに兄さまがいて、眠れないんだって言ったら一緒にウサギを数えてくれたんだ」
「ほう」
「その時兄さまが読んでたのがこの本だったと思うんだよね。でも所詮は夢だから違うかも」

にへら、と笑みを浮かべるフィンにレインは優しい眼差しを送る。
たった今起きた事をフィンは覚えていたようだ。
夢として片付けられているようだがレインはそれで良かった。
夢ではなく現実であったと訂正するにしても扉についての説明が出来ない。
それにフィンにとって気味の悪い体験だったとかそういうのでなかったのであれば何でも良いのだ。
自分の中でそのように完結し、麦茶をもう一口飲む。

「兄さまは同じ夢を見た事ってある?僕は兄さまに寝かしつけてもらう夢を何回か見た事あるんだよね」
「・・・あると思うが内容は忘れた」
「そっか。良い夢だったら何回でも見たいよね」
「俺に寝かしつけてもらう夢でもか?」
「夢と言わず現実でもしてほしいなぁ、なんて・・・」
「してやってもいい」
「え?いいの?」
「ああ」
「ほ、ホント!?じゃ、じゃあ僕、髪乾かしてくる!!」
「寝るのはもう少し先だぞ」

なんてレインが声をかけてもフィンは聞く耳を持たず慌てて洗面所に駆けこんでいく。
直後にドライヤーの騒がしい音が洗面所から響いてきてレインは音もなく苦笑を漏らした。

(役得は続く、か・・・)

可愛い弟がまた一つ甘えてくれる案件が出来てレインはより一層満たされる。
寝るのはもう少し先とは言ったがやはり今日は少し早く寝てもいいかもしれない、なんて考えながらフィンが髪を乾かし終わるまでの間、小説を読んで過ごすのだった。





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