筋肉ファンタジー

神覚者、監督生、学業。
監督生と学業は同じように思えるがやる内容が違う。
監督生は寮の生徒達の生活態度の指導やその他諸々の雑事をこなすのに対して学業は勉強や課題をしなければならない。
そういう訳でレインは実質三足の草鞋状態であるがそれでも本人は黙々とこなしていくだけ。
世界の何よりも大切で世界の誰よりも幸せになって欲しい弟―――フィンが笑顔で穏やかに暮らせる世界を作る為ならばどうとうい事はない。
むしろ、やっと神覚者になってそのスタートラインに立てたのだからこの程度で音を上げるていてはフィンの幸せを作って守り抜く事など到底不可能。
それに卒業して神覚者の仕事に専念する事になれば今と変わらない仕事量が待っているらしいのでどのみち大変なのだ。
今はその地ならしと思えばこの程度は出来なくてはならない。
とはいえ、レインも人間。
人並みに疲労は感じるし癒しも欲しい。
しかし夜の22時過ぎのこの時間では愛兎達は眠っているだろう。
どうしたものか、なんてぼんやり考えながら監督生業務の一環である夜の寮の見回りをしている時にふと302号室のプレートが目に入って自然と足が止まった。
302号室、魔法の使えないマッシュ・バーンデッドとレインのたった一人の最愛の弟であるフィンが使っている部屋。

(・・・フィン)

咄嗟に脳裏に浮かぶのは悲しそうに涙を流す幼いフィンの泣き顔。
泣き虫で怖がりで、自分に力がないばかりにずっと辛い思いをさせて泣かせてきた。
今はマッシュを始めとした友人達に恵まれて破天荒な面子に振り回されながらも笑顔を溢していて、レインはいつもそれを遠くから眺めていた。
その笑顔を近くで、そして自分にも向けてくれたらなんて思うがそれは叶わぬ願い。
自分といては災いに巻き込まれて折角の笑顔がまた泣き顔に逆戻りしてしまう。
だからレインには扉の前で立ち尽くす事しか出来ない。
フィンの平穏を守る為にも―――。

(・・・・・・今回だけ。ちゃんと寝れているかの確認だ)

ここ最近、フィンにも色々あったのは親友のマックスからも聞き及んでいる。
レインが遠征任務に出ている間にフィンが神覚者選抜試験に参加してカルパッチョ・ローヤンに殺されかけたと。
今思い出しても殺意が込み上げてすぐにでも殺しに行きたいところだがフィンがレインにとって命である事を知られない為にも極めて腹立たしく不本意であるが堪えねばならない。
いつか覚えてろよ、と心の中で恨み言を吐きながら杖を振って音消しの呪文を唱え、小さく扉を開いて部屋の中の様子を窺う。
聞こえてくるのは二つの寝息のみでレインに気付いて起きる気配がないのを確認し、スルリと部屋の中に入り込んで扉を閉める。
窓から微かに差し込む月の光を頼りに迷いのない足取りでフィンのベッドの近くまで足を運ぶ。
暗がりの中、夜目に慣れた目で見下ろすフィンの寝顔は―――穏やかだった。

「すー・・・すー・・・」

(よく寝ているな)

何事もない穏やかな眠り姿に安心感を覚える。
試験でカルパッチョ・ローヤンに酷く刺されたと聞いた。
首筋に切れ目を入れられたらしいが今はその痕もない。
フィンの命が失われず、こうして普通の学生らしく寮のベッドで寝ているという現実がどれだけレインを安心させるか。
寝顔も穏やかで魘されている様子も辛そうにしている様子もない。
二人きりで親戚を盥回しにされていた時や路上暮らしをしていた時は寝ながら泣いたり辛そうにしたり魘されている事が多かったフィン。
孤児院に入った後も悪夢に魘されて目を覚まし、レインのベッドに潜り込んで来て一緒に寝た回数は一度や二度ではない。
だがそれも仕方のないこと。
『普通』のことだ。
幼くして両親を失い、親戚に罵詈雑言を浴びせられた挙句に危険と隣り合わせの路上で暮らす事となったのだ、どうしたって精神的に不安定にもなる。
そんなフィンが変に捻くれたり歪んだ性格を形成する事なく『普通』の男の子に成長してくれたのがレインはとても嬉しかった。
これからもずっとこのまま『普通』でいて欲しい。

(だから、危険な事に首を突っ込むな。お前は安全で平穏な場所で笑っていればいい)

目を細め、悲痛な面持ちで願うように心の中で呟く。
ふと、フィンの口元に前髪がかかっているのに気付く。
このままでは食べてしまうと思い、軽く払ってやるとフィンが緩く眉根を寄せて小さく呻いた。

「ん・・・んん・・・」
「・・・」

すぐに手を引っ込めて様子を窺う。
けれどフィンは寝返りを打ってレインに背を向けてまた安らかな寝息を立てるだけだった。
今日はここまでらしい。
短かったがそれでもフィンの穏やかな寝顔をほんの少しの間でも近くで見れたのは良かった。
それだけでレインは大きな癒しを得られたのでまた明日から仕事や学業に励める。
新しく心に刻んだ弟の寝顔を胸に踵を返して部屋の出入り口に向かい、把手に手をかけようとしたその時。

「んん・・・にい・・・さま・・・だぁい・・・すき・・・」

驚いて足を止め、そっとフィンのベッドの方に顔を向ける。
起きる様子はなく、また寝息が聞こえて来るだけだった。
ただの寝言らしい。
それでも夢の中でまでこんな自分を慕ってくれているのが嬉しかった。
いきなり何も言わず突き放して独りぼっちにさせたこんな自分を―――。

(フィン・・・)

たった今呟かれたフィンの寝言も胸に刻んで目元を和らげるとレインは兄の顔つきで音もなく唇を動かした。

『おやすみ、フィン』




END
8/10ページ
スキ