筋肉ファンタジー
とある休みの日の朝。
支度を終えたフィンは兄とマックスの部屋である1106号室を訪れていた。
「兄さま、マックス先輩、おはようござ―――」
ノックをしてから扉を開けると思ったよりも扉のすぐ近くに来ていたマックスが口元に人差し指を立てて「しーっ」と静かにするように促して来た。
一瞬びっくりしたフィンだったが反射的に両手で自身の口元を塞ぎ、静かに頷く。
それを確認するとマックスは目元を緩め、口元に立てていた人差し指を今度は部屋の奥に向かって指した。
指差す先を追えば、そこにはウサギ柄のベッドで静かな寝息を立てる兄・レインの姿があった。
その姿を認めてフィンは小さな声で「あぁ」と声を漏らす。
「兄さま、昨日の帰り遅かったんですね?」
「ああ。俺、23時頃に寝たんだけどその時はまだ帰ってなくてさ。帰って来てたのも気付かなかったから結構後に帰って来たんだと思う」
「そうなんですね。お疲れ様、兄さま」
レインが起きてしまうので少し離れた所から小さな声で労いの言葉をかける。
兄が寝ているのであればこれから行う任務は迅速且つなるべく静かに遂行せねばなるまい。
そんな訳でフィンはマックスを頼る事にした。
「ウサギ達のご飯はまだですよね?」
「ああ、これからしようかと思ってた所だ」
「じゃあ手伝ってもらってもいいですか?今日はこの後にマッシュ君達と遊ぶ約束があるんですが小屋の掃除もしていきたいので」
「勿論だよ。それじゃあ早速やろうか」
「はい」
マックスと二人、手分けしてウサギの餌を用意してお世話を始める。
ご飯が終わったウサギから順にマックスが体調確認をし、ブラッシングしている間にフィンが小屋の掃除を済ます。
何度も通って世話を手伝う内にフィンも慣れてきたもので小屋の掃除はすぐに終わり、同じくブラッシングに取り掛かった。
レインが世話をしているだけあってウサギたちはとても賢く、レインの睡眠を邪魔するような真似はしないのであった。
えらいえらい、と褒めてあげながら沢山撫でて沢山構ってあげたフィンはマッシュ達と遊びに行くべく部屋を後にする。
それから更に一時間経過した頃にレインは漸く目覚めた。
「ん・・・寝過ぎたな」
「おはよう、レイン」
「ああ、おはよう、マックス。ウサギの世話を任せちまって悪いな」
「気にすんなって。お前も仕事で疲れてるんだしさ。それにフィン君が手伝ってくれたから楽だったよ」
「そうか、フィンが・・・」
そこまで言って言葉を切るとレインの動きは突然止まった。
何事かと一瞬身構えたマックスだったがすぐにその理由に思い至って苦笑を浮かべる。
「フィンが来てたならどうして起こしてくれなかった」
「言うと思ったよ。でも悪いな、親友のお前の気持ちも分かってやりたいがお兄ちゃんを凄く大事に想ってる弟分の気持ちを優先してやりたかったんだよ」
「・・・」
「そんな怖い顔すんなって。明日の日曜の朝もフィン君来てくれるんだろ?ていうか毎週末は来てくれてるんだし」
「・・・一日だって無駄にしたくねぇんだよ、俺は」
「相変わらず極端なお兄ちゃんだな」
無邪気な淵源との大戦を終えて元の距離に戻ったレインとフィン。
レインはそれまで突き放していた分の反動なのかフィンに対してはかなり過保護になり、また、フィンといられる時間を凄く大切にしていた。
そこまでならいいのだが最近では自身が飼育しているウサギとフィンが戯れている光景を眺めては癒しを得ているようだった。
レイン曰く、安全な空間で小さく柔らかで温かなウサギに囲まれている弟が笑顔で幸せそうに戯れている姿はこの世の何にも勝る癒しの光景なのだとか。
兄弟二人、肩を寄せ合って過酷な幼少期を生き抜いた事をレインからそれとなくマックスは聞いていたので、レインが世界で一番大切にしている弟のフィンのそうした姿や光景がレインにとっては何よりも嬉しいのは分かる。
しかしだからと言って仕事でフラフラになって帰ってきて泥のように眠る兄を労わり、心配する弟のフィンの気持ちを少しは分かってあげて欲しいものである。
「ほらほら、拗ねてないで食堂で朝飯食べに行くぞ」
「・・・」
不満そうに眉間に皺を寄せながらレインはひとまず朝の支度を始めるのであった。
そして翌日の朝。
前日はゆっくり過ごせたお陰で今朝は気持ち良く早く起きれたレインは散歩に出かけていた。
散歩と言ってもフィンとの約束で魔法の練習が出来る場所の軽い下見に出掛けていただけだが。
ちなみに魔法の練習が終わったらフィンと一緒に野生のウサギと戯れる予定である。
昨日の朝のウサギと戯れるフィンを見れなかった分を取り戻すつもりだ。
そんな事をつらつらと考えていると眩しい白い朝陽を背にダンベルを前後に動かしながらトレーニーで走る少年の姿が見えた。
誰かなんて考えなくても分かる、世界を救った英雄にしてレインの弟のフィンのルームメイト兼親友のマッシュ・バーンデッドだ。
一定のリズムでダンベルを動かしながら走っていたマッシュはレインの存在に気付くと足を止めてきちんと挨拶をする。
「あ、レイン君。おはようございます」
「ああ、精が出るな、マッシュ・バーンデッド」
「太陽の光を浴びながらのトレーニングは気持ちが良いもんです。レイン君はお散歩?」
「そんな所だ」
「良ければフィン君を起こして来ましょうか?レイン君とのお散歩、喜んで行くと思いますよ」
「いや、今日は魔法の練習を見る約束をしているから無理に起こす必要は・・・」
そこまで言って言葉を止めるとレインはある事を閃く。
まるで子供のような考えだと呆れる自分が心のどこかにいるが構うものか。
親友のマックスだって悪戯好きなのだ、自分だって許されても良い筈だ。
そんな都合の良い言い訳を心の中で並び立てながら途中で言葉を切った自分を不思議そうに見つめるマッシュを見据える。
「・・・フィンはまだ寝ているんだな?」
「ええ?ただ後30分くらいしたら起きる時間かと」
「これからお前達の部屋に行っても問題はないか?」
「大丈夫ですよ。フィン君もレイン君なら大歓迎でしょうし」
「助かる。俺がお前達の部屋に行くまでくれぐれもフィンを起こすなよ」
「分かりました」
マッシュが頷くとレインは背を向けて足早に寮へと戻った。
そんなレインの背中を見送りながらマッシュはポツリと一言。
「レイン君、悪戯っ子みたいな目をしてたな」
あれから5分後。
ウサ吉を抱えたレインが302号室に訪れると申し訳程度に扉が部屋の入り口に立てかけられていた。
考えるまでもない、マッシュが破壊したのだろう。
喜ぶべきか悲しむべきか、マッシュがこうして毎日のように扉を破壊する所為でフィンの趣味にDIYが加わった。
そのお陰でウサギ小屋や棚の製作、果てはアドラ寮の他の部屋の扉や備品の修理・組み立てなどが上手に出来るものだからよく頼らせてもらっている。
大切な弟の趣味が広がって楽しみが増えるのはとても嬉しい事なのだがそのキッカケがルームメイトによる毎度の扉破壊というのがなんとも複雑な気持ちにさせる。
とはいえ、師匠であるカルドに修行をつけてもらう際に魚を捌かされた事から料理も趣味の一つになったそうなのでもう何も言うまい。
フィンが楽しく夢中になれるものが出来た、ただそれだけを喜ぼうではないか。
そんな事を考えながら一応は扉だったものを控え目にノックすると扉と入り口の隙間からマッシュが「どうぞ」と入室許可を出したので扉をずらし、隙間から中に入った。
「早いね、レイン君」
「お前程じゃない」
そんな軽いやり取りを交わしながらフィンが寝ているベッドを探す。
片方のベッドは既にベッドメイキングされており、近くにトレーニング器具が転がっているのでマッシュのベッドで間違いないだろう。
ならばと反対方向のベッドに目を向ければ目的の弟が毛布にくるまって気持ち良さそうな寝息を立てて眠っていた。
「ん・・・んん・・・」
だが、突然フィンが小さく呻いたので咄嗟に気配を消したが仰向けに寝返っただけなので音もなく安堵の息を吐く。
なるべく足音を立てないように近くまで寄ってみるが起きる気配はない。
依然として幼さの残る無邪気な寝顔に心が洗われる。
治安の悪い学校だが高等部に進学した事でマッシュを始めとした気の置けない友人達に恵まれ、雨風の凌げる部屋で暖かいご飯を食べて温かい風呂に入って温かい布団で眠れているフィンの姿はレインの心を何よりも満たす。
それを邪魔するのは少々心が痛むがこれからする事はそれはそれで心が満たされるので良しとする。
フィンが良しとしないかもしれないが優しいし寛大なので許してくれるので暫定的に良しとされるだろう。
そんなちょっと都合の良い事を考えながら―――それだけフィンに対してレインも甘えている証拠である―――レインは腕に抱いて来たウサ吉をそっとフィンのお腹の上に置いた。
「んん・・・」
途端にフィンの眉間に小さく皺が寄る。
一方でウサ吉の方は逃げたり走り回る事なくフィンのお腹の上で大人しくしている。
レインはフィンの眠るベッドから視線を離さないままマッシュの隣に座った。
302号室はフィンとマッシュ達の溜まり場になっているようで、テーブルの周りに置かれている椅子は全部で5脚ある。
テーブルの上にはマッシュがシュークリームを食べた後の空っぽになっている皿が置いてあったがフィンの眠る姿を阻害するシュークリームタワーがなくて安心する。
「あの、フィン君苦しそうなんですが」
「問題ない」
「どうしよう、レイン君が奇行に走っちゃった」
「あ゙?」
「いえ・・・お茶淹れましょうか?」
「いや、いい。楽にしてろ」
「はぁ・・・」
ウサギをどかしてあげたかったがウサギはレインのペットである事とレインが怖くてそれは叶わなかった。
それにレインのウサギがフィンに害を成す存在ではないのをフィンからよく聞いているのでとりあえずマッシュも動向を見守る事にした。
「うぅ~ん・・・マッシュ君・・・このシュークリーム重いよぉ・・・」
「夢の中に僕とシュークリームが出て来てるみたいですな」
「ああ」
そのまま様子を見守っているとウサ吉がフィンのお腹から降りた。
ウサギ一羽分の重みがなくなった事でフィンの眉間に寄っていた皺は徐々になくなり、先程と同じ穏やかな寝顔が戻る。
だが次にそれはウサ吉がフィンの左の掌の下に自身の頭を潜り込ませてなでなでを強請った事で幸せな寝顔に変化する。
「ふっ・・・ふふっ・・・よーしよーし・・・いいこだねぇ・・・」
舌足らずでふにゃふにゃな声を漏らしながら曖昧に動かされる左手はウサ吉の頭や背中を柔らかく撫でる。
「にぃーさまぁ・・・ウサギ・・・かわいい・・・ねぇ・・・」
「今度は夢の中にレイン君とウサギが出て来たみたいですな」
「ああ」
レインは内心物凄く喜んだ。
しかしいつもよりも曖昧で弱いなでなでを不満に思ったのか、ウサ吉はフィンの掌の下から抜け出すと再び体の上に乗って今度は胸の上に鎮座した。
それによってフィンの眉間にまた皺が寄り、声も苦しそうな呻き声に変わる。
「うぅ~ん・・・ランスくん・・・アンナちゃんのにんぎょう・・・おおきすぎるよぉ・・・」
「ありゃ、今度はランス君の夢を見ているようですな」
「アンナというのは確かランス・クラウンの妹だったか?」
「そうです。ちなみに今フィン君が見ている夢をランス君に話すと面倒になるので秘密でお願いします」
「分かってる」
ランスのシスコンぶりは監督生であるレインの耳にまで轟いている。
というかフィンを訪ねた時に度々妹のアンナがどうのと煩く演説したり隙あらば妹グッズを渡そうとする奇行を目にしているのでその面倒さは何となく感じていた所である。
弟の平穏の為にも、そして自分に対して布教されない為にもレインは口を噤む事を決めた。
こんな時ばかりは自身の口下手・口数の少なさに感謝するばかりである。
さて、そうこうしている間にウサ吉が少し前に出たかと思いきや可愛らしく小さな舌を伸ばしてぺろぺろとフィンの顔を舐め始めた。
流石のフィンもそれで目が覚めたらしく、睫毛を震わせて小さく呻くと瞼を開き、眼前のウサ吉の顔に一瞬フリーズするとベッドの上で体を跳ねさせながら驚いた。
「わっ!?ウサ吉!!?」
「おはよう、フィン君」
「おはよう、フィン」
「マッシュ君、とっ!?兄さま!?へ?何で?え?ここどこ!?今何時!?」
「落ち着いて、フィン君。ここは僕達の部屋で今はまだ朝の7時だよ。レイン君は遊びに来たんだよ」
「邪魔してる」
「う、うん?うん?あ、えっと、と、とりあえず準備するから待ってて!?」
上半身を起き上がらせたフィンは未だ混乱の中にありながらもとりあえず自身を落ち着かせる為に顔を洗いに行こうとする。
その際にウサ吉が頭を撫でてくれと甘えて来たので何度か頭や背中を撫で、首周りも軽くマッサージをしてあげてからレインに渡した。
一通り撫でてもらった上にマッサージもしてもらって満足したのか、ウサ吉はレインの腕に抱かれるとくったりと微睡み始める。
それを見届け、同時に目的の達成を終えたレインは立ち上がるとバタバタと忙しなく準備するフィンに声をかけて行く。
「心配しなくてもマッシュ・バーンデッドの言った通り単に部屋に寄っただけだ。約束の時間になるまではゆっくり支度しろ。俺は部屋に戻るからな」
「う、うん!分かった!」
洗面所からまだ慌ただしく返事をするフィンの様子に口の端を緩めて部屋から出ようとするも、レインは足を止めると視線だけマッシュの方に向けた。
「マッシュ・バーンデッド」
「はい?」
「お前はいい加減この部屋の扉の開け方を覚えろ」
「うす」
素直に頷くマッシュだがきっと今日この後も明日もこの先もずっと部屋の扉を破壊し続けるだろう未来がレインには視えた。
それによってフィンのDIYの腕により磨きがかかって卒業する頃にはプロレベルにまで成長しているかもしれない。
そうした場合、果たしてそれは喜ぶべきか嘆くべきか。
今から頭を抱えそうな案件に、いずれマックスに相談をしてみようと思いながらレインは部屋に戻るのだった。
「お。お帰りー」
部屋に戻ればソファで漫画を読んでいたマックスが迎えてくれた。
彼の膝の上ではウサ山が寛いでおり、背中を撫でられて気持ち良さそうにしている。
その向かいに座ってウサ吉の背中を軽く撫でればプゥプゥという気持ち良さそうな鼻の音が耳に届いてレインを癒した。
「フィン君の部屋で何して来たんだ?」
「昨日の朝、俺を起こさなかった報復としてウサ吉で起こして来た」
「陰湿なお兄ちゃんだな。ちなみにどんな風に起こしたんだ?」
「ウサ吉をフィンの腹の上に置いてその後のウサ吉の動向とフィンの様子を見守る。ただそれだけだ」
「あっはは!何だそれ!フィン君はどんな反応してた?」
「ウサ吉に顔を舐められて起きてすぐに驚いていた」
「そりゃな!起き抜けにウサギが目の前にいたら驚くって!」
「俺は驚かないんだがな」
「お前はな。部屋に一緒に住んでる訳だし。でも面白そうだな、もしも今度またやる事があったら誘ってくれよ」
「フィンよりも早く起きれるのか?」
「任せろ。こういうのの為なら早く起きれる」
「それでこそマックスだ」
1106号室で交わされる密約。
マッシュ達と朝食を摂りながら朝の兄の蛮行について友人達に語るフィンには知る由もないのであった。
END
支度を終えたフィンは兄とマックスの部屋である1106号室を訪れていた。
「兄さま、マックス先輩、おはようござ―――」
ノックをしてから扉を開けると思ったよりも扉のすぐ近くに来ていたマックスが口元に人差し指を立てて「しーっ」と静かにするように促して来た。
一瞬びっくりしたフィンだったが反射的に両手で自身の口元を塞ぎ、静かに頷く。
それを確認するとマックスは目元を緩め、口元に立てていた人差し指を今度は部屋の奥に向かって指した。
指差す先を追えば、そこにはウサギ柄のベッドで静かな寝息を立てる兄・レインの姿があった。
その姿を認めてフィンは小さな声で「あぁ」と声を漏らす。
「兄さま、昨日の帰り遅かったんですね?」
「ああ。俺、23時頃に寝たんだけどその時はまだ帰ってなくてさ。帰って来てたのも気付かなかったから結構後に帰って来たんだと思う」
「そうなんですね。お疲れ様、兄さま」
レインが起きてしまうので少し離れた所から小さな声で労いの言葉をかける。
兄が寝ているのであればこれから行う任務は迅速且つなるべく静かに遂行せねばなるまい。
そんな訳でフィンはマックスを頼る事にした。
「ウサギ達のご飯はまだですよね?」
「ああ、これからしようかと思ってた所だ」
「じゃあ手伝ってもらってもいいですか?今日はこの後にマッシュ君達と遊ぶ約束があるんですが小屋の掃除もしていきたいので」
「勿論だよ。それじゃあ早速やろうか」
「はい」
マックスと二人、手分けしてウサギの餌を用意してお世話を始める。
ご飯が終わったウサギから順にマックスが体調確認をし、ブラッシングしている間にフィンが小屋の掃除を済ます。
何度も通って世話を手伝う内にフィンも慣れてきたもので小屋の掃除はすぐに終わり、同じくブラッシングに取り掛かった。
レインが世話をしているだけあってウサギたちはとても賢く、レインの睡眠を邪魔するような真似はしないのであった。
えらいえらい、と褒めてあげながら沢山撫でて沢山構ってあげたフィンはマッシュ達と遊びに行くべく部屋を後にする。
それから更に一時間経過した頃にレインは漸く目覚めた。
「ん・・・寝過ぎたな」
「おはよう、レイン」
「ああ、おはよう、マックス。ウサギの世話を任せちまって悪いな」
「気にすんなって。お前も仕事で疲れてるんだしさ。それにフィン君が手伝ってくれたから楽だったよ」
「そうか、フィンが・・・」
そこまで言って言葉を切るとレインの動きは突然止まった。
何事かと一瞬身構えたマックスだったがすぐにその理由に思い至って苦笑を浮かべる。
「フィンが来てたならどうして起こしてくれなかった」
「言うと思ったよ。でも悪いな、親友のお前の気持ちも分かってやりたいがお兄ちゃんを凄く大事に想ってる弟分の気持ちを優先してやりたかったんだよ」
「・・・」
「そんな怖い顔すんなって。明日の日曜の朝もフィン君来てくれるんだろ?ていうか毎週末は来てくれてるんだし」
「・・・一日だって無駄にしたくねぇんだよ、俺は」
「相変わらず極端なお兄ちゃんだな」
無邪気な淵源との大戦を終えて元の距離に戻ったレインとフィン。
レインはそれまで突き放していた分の反動なのかフィンに対してはかなり過保護になり、また、フィンといられる時間を凄く大切にしていた。
そこまでならいいのだが最近では自身が飼育しているウサギとフィンが戯れている光景を眺めては癒しを得ているようだった。
レイン曰く、安全な空間で小さく柔らかで温かなウサギに囲まれている弟が笑顔で幸せそうに戯れている姿はこの世の何にも勝る癒しの光景なのだとか。
兄弟二人、肩を寄せ合って過酷な幼少期を生き抜いた事をレインからそれとなくマックスは聞いていたので、レインが世界で一番大切にしている弟のフィンのそうした姿や光景がレインにとっては何よりも嬉しいのは分かる。
しかしだからと言って仕事でフラフラになって帰ってきて泥のように眠る兄を労わり、心配する弟のフィンの気持ちを少しは分かってあげて欲しいものである。
「ほらほら、拗ねてないで食堂で朝飯食べに行くぞ」
「・・・」
不満そうに眉間に皺を寄せながらレインはひとまず朝の支度を始めるのであった。
そして翌日の朝。
前日はゆっくり過ごせたお陰で今朝は気持ち良く早く起きれたレインは散歩に出かけていた。
散歩と言ってもフィンとの約束で魔法の練習が出来る場所の軽い下見に出掛けていただけだが。
ちなみに魔法の練習が終わったらフィンと一緒に野生のウサギと戯れる予定である。
昨日の朝のウサギと戯れるフィンを見れなかった分を取り戻すつもりだ。
そんな事をつらつらと考えていると眩しい白い朝陽を背にダンベルを前後に動かしながらトレーニーで走る少年の姿が見えた。
誰かなんて考えなくても分かる、世界を救った英雄にしてレインの弟のフィンのルームメイト兼親友のマッシュ・バーンデッドだ。
一定のリズムでダンベルを動かしながら走っていたマッシュはレインの存在に気付くと足を止めてきちんと挨拶をする。
「あ、レイン君。おはようございます」
「ああ、精が出るな、マッシュ・バーンデッド」
「太陽の光を浴びながらのトレーニングは気持ちが良いもんです。レイン君はお散歩?」
「そんな所だ」
「良ければフィン君を起こして来ましょうか?レイン君とのお散歩、喜んで行くと思いますよ」
「いや、今日は魔法の練習を見る約束をしているから無理に起こす必要は・・・」
そこまで言って言葉を止めるとレインはある事を閃く。
まるで子供のような考えだと呆れる自分が心のどこかにいるが構うものか。
親友のマックスだって悪戯好きなのだ、自分だって許されても良い筈だ。
そんな都合の良い言い訳を心の中で並び立てながら途中で言葉を切った自分を不思議そうに見つめるマッシュを見据える。
「・・・フィンはまだ寝ているんだな?」
「ええ?ただ後30分くらいしたら起きる時間かと」
「これからお前達の部屋に行っても問題はないか?」
「大丈夫ですよ。フィン君もレイン君なら大歓迎でしょうし」
「助かる。俺がお前達の部屋に行くまでくれぐれもフィンを起こすなよ」
「分かりました」
マッシュが頷くとレインは背を向けて足早に寮へと戻った。
そんなレインの背中を見送りながらマッシュはポツリと一言。
「レイン君、悪戯っ子みたいな目をしてたな」
あれから5分後。
ウサ吉を抱えたレインが302号室に訪れると申し訳程度に扉が部屋の入り口に立てかけられていた。
考えるまでもない、マッシュが破壊したのだろう。
喜ぶべきか悲しむべきか、マッシュがこうして毎日のように扉を破壊する所為でフィンの趣味にDIYが加わった。
そのお陰でウサギ小屋や棚の製作、果てはアドラ寮の他の部屋の扉や備品の修理・組み立てなどが上手に出来るものだからよく頼らせてもらっている。
大切な弟の趣味が広がって楽しみが増えるのはとても嬉しい事なのだがそのキッカケがルームメイトによる毎度の扉破壊というのがなんとも複雑な気持ちにさせる。
とはいえ、師匠であるカルドに修行をつけてもらう際に魚を捌かされた事から料理も趣味の一つになったそうなのでもう何も言うまい。
フィンが楽しく夢中になれるものが出来た、ただそれだけを喜ぼうではないか。
そんな事を考えながら一応は扉だったものを控え目にノックすると扉と入り口の隙間からマッシュが「どうぞ」と入室許可を出したので扉をずらし、隙間から中に入った。
「早いね、レイン君」
「お前程じゃない」
そんな軽いやり取りを交わしながらフィンが寝ているベッドを探す。
片方のベッドは既にベッドメイキングされており、近くにトレーニング器具が転がっているのでマッシュのベッドで間違いないだろう。
ならばと反対方向のベッドに目を向ければ目的の弟が毛布にくるまって気持ち良さそうな寝息を立てて眠っていた。
「ん・・・んん・・・」
だが、突然フィンが小さく呻いたので咄嗟に気配を消したが仰向けに寝返っただけなので音もなく安堵の息を吐く。
なるべく足音を立てないように近くまで寄ってみるが起きる気配はない。
依然として幼さの残る無邪気な寝顔に心が洗われる。
治安の悪い学校だが高等部に進学した事でマッシュを始めとした気の置けない友人達に恵まれ、雨風の凌げる部屋で暖かいご飯を食べて温かい風呂に入って温かい布団で眠れているフィンの姿はレインの心を何よりも満たす。
それを邪魔するのは少々心が痛むがこれからする事はそれはそれで心が満たされるので良しとする。
フィンが良しとしないかもしれないが優しいし寛大なので許してくれるので暫定的に良しとされるだろう。
そんなちょっと都合の良い事を考えながら―――それだけフィンに対してレインも甘えている証拠である―――レインは腕に抱いて来たウサ吉をそっとフィンのお腹の上に置いた。
「んん・・・」
途端にフィンの眉間に小さく皺が寄る。
一方でウサ吉の方は逃げたり走り回る事なくフィンのお腹の上で大人しくしている。
レインはフィンの眠るベッドから視線を離さないままマッシュの隣に座った。
302号室はフィンとマッシュ達の溜まり場になっているようで、テーブルの周りに置かれている椅子は全部で5脚ある。
テーブルの上にはマッシュがシュークリームを食べた後の空っぽになっている皿が置いてあったがフィンの眠る姿を阻害するシュークリームタワーがなくて安心する。
「あの、フィン君苦しそうなんですが」
「問題ない」
「どうしよう、レイン君が奇行に走っちゃった」
「あ゙?」
「いえ・・・お茶淹れましょうか?」
「いや、いい。楽にしてろ」
「はぁ・・・」
ウサギをどかしてあげたかったがウサギはレインのペットである事とレインが怖くてそれは叶わなかった。
それにレインのウサギがフィンに害を成す存在ではないのをフィンからよく聞いているのでとりあえずマッシュも動向を見守る事にした。
「うぅ~ん・・・マッシュ君・・・このシュークリーム重いよぉ・・・」
「夢の中に僕とシュークリームが出て来てるみたいですな」
「ああ」
そのまま様子を見守っているとウサ吉がフィンのお腹から降りた。
ウサギ一羽分の重みがなくなった事でフィンの眉間に寄っていた皺は徐々になくなり、先程と同じ穏やかな寝顔が戻る。
だが次にそれはウサ吉がフィンの左の掌の下に自身の頭を潜り込ませてなでなでを強請った事で幸せな寝顔に変化する。
「ふっ・・・ふふっ・・・よーしよーし・・・いいこだねぇ・・・」
舌足らずでふにゃふにゃな声を漏らしながら曖昧に動かされる左手はウサ吉の頭や背中を柔らかく撫でる。
「にぃーさまぁ・・・ウサギ・・・かわいい・・・ねぇ・・・」
「今度は夢の中にレイン君とウサギが出て来たみたいですな」
「ああ」
レインは内心物凄く喜んだ。
しかしいつもよりも曖昧で弱いなでなでを不満に思ったのか、ウサ吉はフィンの掌の下から抜け出すと再び体の上に乗って今度は胸の上に鎮座した。
それによってフィンの眉間にまた皺が寄り、声も苦しそうな呻き声に変わる。
「うぅ~ん・・・ランスくん・・・アンナちゃんのにんぎょう・・・おおきすぎるよぉ・・・」
「ありゃ、今度はランス君の夢を見ているようですな」
「アンナというのは確かランス・クラウンの妹だったか?」
「そうです。ちなみに今フィン君が見ている夢をランス君に話すと面倒になるので秘密でお願いします」
「分かってる」
ランスのシスコンぶりは監督生であるレインの耳にまで轟いている。
というかフィンを訪ねた時に度々妹のアンナがどうのと煩く演説したり隙あらば妹グッズを渡そうとする奇行を目にしているのでその面倒さは何となく感じていた所である。
弟の平穏の為にも、そして自分に対して布教されない為にもレインは口を噤む事を決めた。
こんな時ばかりは自身の口下手・口数の少なさに感謝するばかりである。
さて、そうこうしている間にウサ吉が少し前に出たかと思いきや可愛らしく小さな舌を伸ばしてぺろぺろとフィンの顔を舐め始めた。
流石のフィンもそれで目が覚めたらしく、睫毛を震わせて小さく呻くと瞼を開き、眼前のウサ吉の顔に一瞬フリーズするとベッドの上で体を跳ねさせながら驚いた。
「わっ!?ウサ吉!!?」
「おはよう、フィン君」
「おはよう、フィン」
「マッシュ君、とっ!?兄さま!?へ?何で?え?ここどこ!?今何時!?」
「落ち着いて、フィン君。ここは僕達の部屋で今はまだ朝の7時だよ。レイン君は遊びに来たんだよ」
「邪魔してる」
「う、うん?うん?あ、えっと、と、とりあえず準備するから待ってて!?」
上半身を起き上がらせたフィンは未だ混乱の中にありながらもとりあえず自身を落ち着かせる為に顔を洗いに行こうとする。
その際にウサ吉が頭を撫でてくれと甘えて来たので何度か頭や背中を撫で、首周りも軽くマッサージをしてあげてからレインに渡した。
一通り撫でてもらった上にマッサージもしてもらって満足したのか、ウサ吉はレインの腕に抱かれるとくったりと微睡み始める。
それを見届け、同時に目的の達成を終えたレインは立ち上がるとバタバタと忙しなく準備するフィンに声をかけて行く。
「心配しなくてもマッシュ・バーンデッドの言った通り単に部屋に寄っただけだ。約束の時間になるまではゆっくり支度しろ。俺は部屋に戻るからな」
「う、うん!分かった!」
洗面所からまだ慌ただしく返事をするフィンの様子に口の端を緩めて部屋から出ようとするも、レインは足を止めると視線だけマッシュの方に向けた。
「マッシュ・バーンデッド」
「はい?」
「お前はいい加減この部屋の扉の開け方を覚えろ」
「うす」
素直に頷くマッシュだがきっと今日この後も明日もこの先もずっと部屋の扉を破壊し続けるだろう未来がレインには視えた。
それによってフィンのDIYの腕により磨きがかかって卒業する頃にはプロレベルにまで成長しているかもしれない。
そうした場合、果たしてそれは喜ぶべきか嘆くべきか。
今から頭を抱えそうな案件に、いずれマックスに相談をしてみようと思いながらレインは部屋に戻るのだった。
「お。お帰りー」
部屋に戻ればソファで漫画を読んでいたマックスが迎えてくれた。
彼の膝の上ではウサ山が寛いでおり、背中を撫でられて気持ち良さそうにしている。
その向かいに座ってウサ吉の背中を軽く撫でればプゥプゥという気持ち良さそうな鼻の音が耳に届いてレインを癒した。
「フィン君の部屋で何して来たんだ?」
「昨日の朝、俺を起こさなかった報復としてウサ吉で起こして来た」
「陰湿なお兄ちゃんだな。ちなみにどんな風に起こしたんだ?」
「ウサ吉をフィンの腹の上に置いてその後のウサ吉の動向とフィンの様子を見守る。ただそれだけだ」
「あっはは!何だそれ!フィン君はどんな反応してた?」
「ウサ吉に顔を舐められて起きてすぐに驚いていた」
「そりゃな!起き抜けにウサギが目の前にいたら驚くって!」
「俺は驚かないんだがな」
「お前はな。部屋に一緒に住んでる訳だし。でも面白そうだな、もしも今度またやる事があったら誘ってくれよ」
「フィンよりも早く起きれるのか?」
「任せろ。こういうのの為なら早く起きれる」
「それでこそマックスだ」
1106号室で交わされる密約。
マッシュ達と朝食を摂りながら朝の兄の蛮行について友人達に語るフィンには知る由もないのであった。
END
