監督生会議
今日も今日とて始まった監督生会議。
いつものように部屋の机を魔法で三角形に繋ぎ合わせて顔を突き合わせる三人。
一通りの情報共有が終わったところでマーガレットが一枚の紙を手に持って物憂げに目を細める。
「ねぇ、校長先生からの再通達、来た?」
「来たよ」
「俺の所にもな」
「やっぱりね」
三人揃って重い溜息を吐いて項垂れる。
レインに至っては怒りが込められている始末。
本人曰くウォールバーグ校長は人使いが荒いそうなのでそれも止むなしだろう。
そしてこの通達を寄越されてしまえばマーガレットもアベルもレインの気持ちが少しは分かるというもの。
「催しって簡単に言ってくれるけどそんなもの用意してる暇なんてないわよ」
「全く同感だね。普段の監督生としての通常業務は勿論、学園祭にかかる申請書の内容確認と処理、トラブルや相談の対応など忙しい事この上ない」
「あのジジイは何でも簡単に物を言いつけてきやがる」
ぐしゃり、と紙を握り潰してこめかみに青筋を浮かべるレインに同調するようにマーガレットとアベルはまた小さく溜息を吐く。
しかしこうして愚痴を吐いていても仕方ないので三人は示し合わせたかのようにそれぞれ再通達の紙の角に杖の先を向けると呪文を唱えた。
「「「バーンリー」」」
ボッ、という発火音と共に灯る火。
その強さは料理で言う所の中火くらいの火力だろう。
レインの火は荒々しく、マーガレットの火は優雅に、アベルの火は綺麗に灯っており、それぞれの性格がよく表れている。
しかしどうだろう、紙が燃える事は愚か、焦げ目も付かず着火もせず火だけが無駄に酸素を消費して燃え盛るばかり。
「燃焼防止魔法がかけられてるわね」
「チッ、小賢しいジジイめ」
「燃やせないなら別の手段で処分すればいい」
「だったら切ってしまいましょう。丁度ここに切り刻む事で中に入れた物の簡単な魔法が解除出来る魔法の箱があるわ。これに入れて切って燃やしましょう」
「賛成だ」
「同じく」
アベルとレインが頷いたのを確認してマーガレットは懐から真っ白の魔法の箱を取り出すと蓋を開けて杖を振り、それぞれの紙を回収した。
紙は風に乗るようにフワリと舞いながら箱の中にヒラリヒラリと着地していき、最後には蓋が閉じられる。
後はレインの固有魔法パルチザンで切り刻むだけと言わんばかりにレインが杖を構えたその瞬間、彼の意識を逸らす声が窓越しに耳に飛び込む。
「で、できたーーー!!!」
「フィン?」
反射的に窓の方を振り向き、無意識にガタッと席を立って窓際に近付くレイン。
「ホントに弟君の事が大好きね」と微笑ましそうに心の中で呟きながらマーガレットも席を立ち、アベルも「かなり遠くから聞こえた筈なのによく弟だと分かったな」と心の中で小さく呆気に取られながら無言で続く。
放課後のまったりとした時間と空気感溢れる窓の外にはドゥエロの練習も出来る箒専用飛行エリアがあり、そこの空中ではフィンがランスとワースとアビスに見守られながら箒に跨って飛行をしていた。
それを取り囲むようにしてレモンと二人乗り用の箒に跨ったドットとマッシュもいる。
フィンは興奮した様子でランス達に何かを話しかけ、それに対してランス達は頷いたり笑顔で何か言葉をかけている。
先程のフィンのセリフから察して箒に関する何かが上手くいったのだろう。
漠然として嬉しい反面、その瞬間を見れなかったのがレインは残念でならなかった。
無言でフィンを眺めるレインの横顔を見ながらその心内を何となく察したアベルが小さく呟く。
「そういえば今日、アビスとワースがキミの所の一年達と一緒にドゥエロで遊ぶと言っていたよ」
「・・・そうか」
「面白そうじゃない。私達も混ぜてもらいましょう」
「会議も丁度終わったところだしね。行こう、レイン」
「ああ」
ウォールバーグからの再通達の紙が入った箱は一旦マーガレットが魔法で持ち運ぶ事となり、三人は箒を持ってフィン達がいる箒専用飛行エリアに向かうのだった。
「あ、見てドット君。レイン君達だよ」
「お?マジだ」
二人乗り用箒でドットの後ろに跨って箒の柄を握っていたマッシュはレイン達の存在を視界に捉えるとそれをドットに伝え、ドットも同じように監督生三人の姿を捉えると首を傾げる。
「各寮の監督生が揃いも揃って箒を持ってやがんな」
「二人乗り用箒の申請はしたのにやっぱりダメだったのかな?」
「でも先生は良いつっただろ?魔法使えないお前が万が一落ちた時に備えて安全魔法もかけてくれたしよぉ」
「僕自身は頑丈だからかけてもらわなくても全然平気だけどね」
「バーカ、使えるもんは使うに越したこたぁねーだろ」
「それはそう」
「ま、とにかく話聞いてみっか。降りるからしっかり掴まってろよ」
「ガッテン」
ドットは緩やかに大きく旋回しながら地上へ下降していく。
自分だけならそのまま近付きながら急降下してもいいのだが今はマッシュとの二人乗りだ。
二人乗り箒は一人乗り用と違って魔力の使い方が異なり、しかもマッシュは魔法が使えない為、ドット一人で緻密な操縦をしなければならない。
加えて二人分の重さも相まって気を抜いたら一気に落下してしまいそうな怖さがある。
頑丈で且つ安全魔法がかけられているとはいえ、大切な友人に怪我を負わせない為にもドットは安全なやり方を選んだ次第だった。
ドットのその気遣いがなんとなく察せられたマッシュは「ドット君は良い人だなー」とのんびり心の中で感謝しながら地上に到着すると箒から降りてドットと共にレイン達の元へ歩み寄った。
そこへフィン達も降りてきて続々と駆け寄る。
「兄さまどうしたの?監督生会議は?」
「終わった」
「だから私達もドゥエロに混ぜてもらおうと思って来たのよ」
「問題はないか?」
「勿論ありません、アベル様!!」
「チーム分けはどうしますか?」
「そうねぇ・・・」
レモンの質問に対して顎に手をやりながらマーガレットがそれぞれを見回す。
「私達監督生とレモン・アーヴィンとトム・ノエルズ対残りでいきましょう」
「パワーの偏り!!」
「チーム編成明らかにおかしいだろ!!」
フィンとドットがすかさずツッコミを入れるが監督生三人は意味が分からないと言った風に揃って左方向に首を傾けるばかり。
「確かにドゥエロの年間MVPトム・ノエルズがいるけれどこっちは五人でそっちは六人。更に根本的な面で力の差がある女の子のレモン・アーヴィンとただの監督生三人よ?どこに問題があるの?」
「アンタら監督生はそもそも強いだろ!!」
「実力の面では確かに強いがスポーツであるドゥエロにおいては話は別だ。それに僕達は都合がついた時だけ助っ人を頼まれる程度のものだよ」
「いや強ぇーじゃん!!」
「黙れ。そっちはマッシュ・バーンデッドがいんだろ。そいつにボールが渡ったらこっちの負けは確実だ」
「アンタら絶対にボール渡さないように鉄壁のガードするだろ!!」
「バンブー!!」
「いつの間に来たんだよアンタ!!」
炸裂するドットのツッコミと呼んでくる前に現れたトム。
何だこのカオス空間、とフィンが内心引き気味で困惑しているとドットのツッコミを無視してレインがフィンの前に立つ。
ドットが「ちょぉ無視しないで!?」と叫ぼうとも無視してレインはそのままフィンに尋ねる。
「会議の時にお前の声が聞こえた。何か成功したのか?」
「え、ごめん!煩かった?」
「気にするな。丁度終わってジジイからの再通達の紙を処分しようとしていただけだ」
「とんでもない事してた!!」
「箒関係の何かか?」
「それは―――」
「おーっと、そこまでだ」
「弟の成長は試合でその目で見て確かめて下さい」
フィンの言葉を遮るようにワースがフィンの肩を組み、ランスがフィンを隠すように一歩前に歩み出る。
二人の目は既に対戦者としての挑発の色を宿している。
つまり今は見せる気はないという事だ。
一方でフィンは少し困った表情をしながらも「見せる機会がなかったら試合が終わった後にするね」と苦笑してそう言った。
少々、いやかなり不満だがランスやワースに譲る気配はなく、フィンも約束はしてくれているのでレインは仕方なく嫌々渋々引く事にした。
その姿にワースは眉を顰めると共に呆れの溜息を吐き、ランスにそっと耳打ちする。
「お預けされたからつってあんな露骨に残念そうにするもんかぁ?」
「弟の成長を見られなかった訳だからな。もしも俺がレインさんだったら同じように落胆していただろう。兄とはそういうものだ。『お兄ちゃん、ドゥエロ頑張ってね!』ありがとうアンナ。アンナの応援でお兄ちゃんはどこまでも頑張れるぞ」
「コイツはいつもこうなのか?」
「ええ、まぁ・・・」
気まずそうに目線を反らして重々しく頷くフィンの「いつもの事です」と続いた言葉にワースは戦慄する。
そして二人を無視して続く一人二役の兄妹劇場を繰り広げるランスに狂人を見るような目を向けるがペンダントの中の妹に話しかけるのに夢中でランスが気付いている様子はない。
三本線に目覚め且つサーズを開花させたその才能は悔しいが認めるものの、この奇行だけは理解不能だったし理解したくなかった。
それからもう一つ理解出来なかったのが『弟の成長を見れなくて落胆している兄』という構図。
ワースは自身の兄であるオーターとは兄弟関係が疎遠であり、交流自体も殆どない。
であるからして仮にワースが出来るようになったものを披露したところで『それが出来なかった事すら知らない』兄には何の感慨も感動もないだろう。
だから妹の成長を常に楽しみにしているランスや、弟の成長した姿のお披露目のお預けを喰らって落胆するレインがなんだか羨ましかった。
知らず、一人溜息を吐く。
「良かったらオーターちゃんを呼んであげましょうか?」
「どぉわあああああっ!!?」
真横から突然マーガレットの彫りが深く大きな顔がぬっと現れてワースは盛大に驚いて二、三歩後ろに下がる。
これにはすぐ近くにいたフィンも「ヒッ!?」と悲鳴を上げて慄く。
「突然横に立つんじゃねーよマーガレット!今年一番のホラーだわ!!」
「あーら、乙女に向かって失礼ね」
「それよかテメェ、アイツを呼ぶつったな!?ぜってー呼ぶんじゃねーぞ!!ぜってーだからな!!」
「こんなに嫌われちゃってオーターちゃんも可哀想にねぇ」
「お前、アイツの事ちゃん付けで呼んでんのかよ・・・」
「貴方も呼んでみたらどう?」
「呼ぶか!!」
「勿論名前じゃなくて『お兄ちゃん』って」
「もっと呼ばねーわ!!人をからかうのも大概にしろよ!!」
「よさないかマーガレット。ワースもその実はどんな兄呼びをすればいいか決めかねているんだ」
「トドメささないでくれますアベル様!!?」
「アベル様に口答えとは不届き千万!そこに直りなさいワース!!」
「だぁーっ!もーめんどくせぇ!!」
間に入って来たと見せかけて援護射撃してくるアベルと些細な事でもアベルへの侮辱と捉えるアビスに剣を向けられてワースは頭を抱える。
ワース先輩も大変だな、と心の中で同情しながらフィンは箒に跨るとランスと一緒に空に浮いてそっとその場から離れた。
ひと悶着あった末に始まったパワーバランスのおかしいドゥエロ。
人数が一人足りないだの根本的な力の差がある女子のレモンがいるだのそんなのはドットのツッコミ通りやはり全く関係なかった。
文句無しに強いトム、それに負けずとも劣らない監督生三人、マッシュの隣を飛ぶ幸せに浸っていると同時にマッシュへのパスを防ぐレモン。
誰一人として手加減する事なく全力で向かってくる為、もはや大人気ない領域まできている。
これを反則と言っても誰も責めないだろう。
しかしそれでも言わないのが男の意地というものなのかもしれない。
「クソッ!やっぱ強過ぎんな!」
「都度陣形や戦略を変えても即座に対応出来る辺りが流石年間MVPと監督生と言ったところか」
「おい、次の作戦考えるぞ」
焦るドット、素直に相手チームの強さを認めるランス、作戦を練るワース。
他のアビスやフィンは相手チームの動きを警戒しながら注意深く視線を配り、マッシュはフィールド中央でダバダバとバタ足を繰り返している。
それに対して監督生達は余裕の空気を醸しながらこのドゥエロを楽しんでいた。
レインはフィンとドゥエロで遊べる事とフィンが友人と一生懸命に挑んで来る姿が見れる事に、アベルは非公式でドゥエロで遊ぶ事に楽しさを見出していた。
トムは一言で言えば竹であり、レモンも一言で言えばマッシュであったりととにかく楽しそうだ。
(たまにはこうして色んな事を忘れて遊ぶのもいいものね。まさに心躍る春だわ)
チームメンバーのイキイキとした表情を眺めながらマーガレットは微笑みを浮かべる。
力を求める彼女ではあるが、やはりそれとは別になんだかんだこういう遊びも好きだった。
と、そこでマーガレットの中で音符型の電球が輝いて妙案を閃かせる。
「ねぇ、提案があるのだけれどいいかしら?」
「提案?」
汗一つ浮かべず未だに空中に浮遊し続けるマッシュが首を傾げるとマーガレットは「ええ」と頷いて続ける。
「賭けをするのはどうかしら?私達のチームが勝ったらマッシュちゃん達のチームは今度の監督生会議に執事服を着て参加してお茶出しをしてちょうだい」
「えっ」
「えーーー!!?」
「いやいやいやいや!!」
マジか、とでも言いたげにマッシュが小さく驚いたように声を漏らし、頬を赤らめながらレモンが黄色い声を上げ、何だその賭けはとでも言いたげにフィンが声を荒げる。
「監督生会議でそんなふざけた真似していい筈ないじゃないですか!!」
「別にそんな大層なものじゃないわよ」
「でも大事な話とか聞かれたらマズイ内容とか!!」
「ただの寮同士の意見交換とかそんなもんよ。聞かれてマズイ案件はそもそも私達監督生の範疇を超えてるわ。職員案件よ」
「言われてみれば!!」
「あ、あのっ!私も参加してマッシュ君を私専用の執事にしていいですか!?」
「ええ、良いわよ」
「ありがとうございます!」
「マッシュ君の意見を聞いてあげて!?」
「バンブー!バンブ、バンブーバンバンブー!!」
「分かったわ。今度の会議でドゥエロの選手控え室の使用ルール徹底を呼びかけるよう議題に出すわ」
「だから何で分かるの!?僕未だにさっぱりなんだけど!!?」
怒涛のフィンのツッコミラッシュはここで終わるかのように見えた。
しかしここで涼やかな表情でフワリと前に出て来たランスが据わったクリアブルーの瞳で意見をする。
「おい待て。いくら何でも度が過ぎてるんじゃないか?」
「流石ランス君!」
「そっちがそのつもりならこっちが勝利したら全員参加でアンナ講習会を開かせてもらおう」
「もっと度を越してきた!!?」
「何でシスコン講習会を聞かなきゃいけねーんだよ!!そんなんよりも主人公である俺を讃えるパーチーの開催だオラァ!!」
「どっこいどっこいだよ!!」
「だったら私はアベル様を讃えるパーチーを提案します」
「しないでアビス先輩!!」
「しょーもねぇ提案ばっかしてんなよオメーら。俺考案のほぼ俺しか解けない超難関クイズ大会やるぞ」
「ワース先輩大人気なっ!!」
「じゃあ僕はネオシュークリームパーチーやりたい」
「ネオって何!!?」
「待つんだ。僕とレインの要求がまだだ」
「あったの!?」
「僕が勝ったら各々が持つトランプの見せ合いっこだ」
「小学生!?」
「俺が勝ったら一人一つずつウサギの良い所を挙げてもらう」
「発表会!?」
「フィン君は何かないの?」
「みんな一日ボケるの禁止!!」
フィンの魂の叫びがドゥエロの空に轟く。
それからフィンの全速力で走った後のような乱れた呼吸音だけが一同の耳に届き、やや興奮状態にある彼を宥めるようにドットが頭を撫でてアビスが背中をさする。
普段大人しかったり優しい人が本気で怒ると怖い現象を前に少しふざけ過ぎたという反省が全員の心の中で浮かぶ。
レインに至っては後でウサギを吸わせて詫びようと考えているくらいだ。
それでフィンが許すかどうかはまた別の話だが、フィンも大概兄のレインには甘いのできっと何だかんだその辺は許してしまうだろう。
それからフィンが落ち着いた後に各々の欲望を賭けた試合が再び幕を開けるのだった。
「あの」
「なぁに?」
「どうしましたか?マッシュ君」
試合開始から今に至るまで箒に跨ったままずっと足をバタつかせて空中浮遊していたマッシュ。
先の大戦で活躍した事で神覚者となり、魔法不全者の地位向上を見事に果たした彼はもう魔法が使えない事を偽る必要がない。
よって箒に跨る必要はないのだが雰囲気を重視した彼はドットと一緒に使っていた二人乗り用の箒を借りて跨っていた。
ちなみにドットは試合開始前に自前の箒を調達して来て使用している。
マッシュも頑張ろうと思えば前後左右に動けないでもないがランスとワースの立てた作戦と他が怪我をしない為の配慮によりフィールド中央での待機を命じられていた。
その気になれば力加減も出来ない事はないが、うっかりその剛腕で豪速球を投げられた日には死者が出てしまう恐れがある。
それはマッシュの望む所ではなく、また変に活躍してトムにしつこく勧誘されるのも嫌なので有難く今のポジションを受け入れていた。
さて、そんな彼の両隣をレモンとマーガレットが固めている。
レモンが右側を、マーガレットが左側を浮遊している構図だ。
「たかが僕へのパスを阻むのに二人もいらないんじゃないかなーって」
「たかがなんてとんでもないです!マッシュ君は私の立派な未来の旦那様なんですから胸を張っていいんですよ!!」
「いや、そういう事ではなく」
「貴方のチームメイトは私達の陣地まで来てるのにゴールを決めないのはどうしてかしらねぇ?」
「竹先輩達がすかさず阻んで来るからでは?」
「本当にそうかしら?嘘だったらまた前みたいにフーって耳に息を吹きかけちゃうわよ?」
「ヒエッ」
選抜試験でマーガレットに耳に息を吹きかけられたのを思い出してマッシュは咄嗟に左側を手で塞ぐ。
同じくその時の事を思い出したレモンが頬を膨らませて顔を真っ赤にしながらマーガレットに抗議する。
「ダメですマーガレット先輩!マッシュ君の耳に息を吹きかけるの禁止です!私だってまだやった事ないのに!!」
「あら、だったらすればいいじゃない。マッシュちゃんの右耳はまだしてないわよ?」
「ハッ!?盲点でした!」
「あのすいません、あまりレモンちゃんを煽らないで―――」
「フーッ」
「ふぁっ」
身構える暇もなくレモンに右耳に息を吹きかけられてマッシュの全身が総毛立ち、ゾワゾワとした震えと共に力が抜けてそのまま綺麗に落下していく。
「あーれー」
「っうぉぉおおおおい!!何してんだテメーら!!!」
ワースがマッシュに向かって投げたボールは綺麗に空を切ってマッシュが元いた場所を通り過ぎる。
やはりこちらの油断を誘ってマッシュにパスする算段だったかと己の予想が的中してマーガレットは内心ニヤリと笑う。
レモンには悪い事をしたがレモンを煽ったのも実は作戦通りだったりする。
「ごめんなさいマッシュくーーーん!!」と絶叫しながら追いかけるレモンの姿を目で追えばワースが怒りながらもすぐに袖の中から杖を取り出してマッシュの落下地点に泥のクッションを作って落下の衝撃を吸収したのが見えた。
ドゥエロにおいて魔法の使用はルール違反だがこれは人命救助に当たるので問題はない。
鈍い泥の音を立てて見事に綺麗に落下し、それから「かたじけない」と礼を述べながら泥沼の中から這い出るマッシュが無傷なのを確認したマーガレットは改めてボールを探す。
どうやらボールはアビスが回収していたようで、アビスはドットやランスがレイン達の動きを牽制している隙に敵陣のゴールめがけて切り込もうと前進していた。
そこに―――
「行かせないよ、アビス」
アビスの前にフィンのガードを突破したアベルがふわりと飛んで来て立ちはだかる。
途端、ギュンッとアビスの箒は急停止をする。
「お受け取り下さい、アベル様」
「遠慮なくいただこう」
「バッキャロー!!」
「なぁーにやってんだこのすっとこどっこい!!」
一切の躊躇いも無く頭を垂れてアベルにボールを献上するアビスにドットとワースから怒号が飛ぶ。
しかしこの行為になんら罪悪感を抱かず、むしろ当然とでもいうよな態度を取るのがアビスだ。
己の人生はアベルの為にあると信じて疑わない彼にとっては至極当然の行動なのである。
そんなアビスからボールを受け取ったアベルはそのまま箒を前進させてガードする者がいない無防備なゴール目掛けて勢いよくボールを投げる。
そこに―――
「うぉおおおおおお!!」
男らしい威勢の良い声を上げながら必死な形相のフィンがゴールの間に割り込んでボールを受け止める。
ボールの勢いがあったからか、それともフィンの体重が平均より軽いだけか、よろめきながら少しだけ後退したが落下するには至らなかった。
それでもアベルの投げたボールの衝撃は存外強く、フィンの掌がピリピリと痛んで腕が震えたが落とさなかっただけマシと言えよう。
「フィン!ナイスカットォ!!」
「敵ながらナイスバンブー!!」
「そのままゴールまで行け!他は俺達が足止めしておく!」
「分かった!」
味方のドットと敵のトムがフィンを称賛し、ランスが指示を出してフィンは言われた通りに箒を前進させて敵陣のゴールを目指す。
目の前にいたアベルはランスがすかさずやって来て牽制してくれたので箒を下に向けて高度を下げ、低空飛行で通過する。
出力加減を間違えて箒が暴走しないように気を配りながら他に視線を配る。
トムの動きはドットが必死になって抑えており、マーガレットはワースが睨みを利かせてくれている。
これならいける、と内心で勝利の意志を固めながら魔力を流して箒のスピードを上げていると視界の端でアビスの「しまった!」という焦った声と共にレインがこちらに向かって特攻してくるのが見えた。
「っ!?」
フワリと接近してきたかと思うと同じスピードで真横に並走して来るレイン。
その顔はいつもの無表情ながらも優しく頼もしい兄の顔つきではなく、眉根を寄せて瞳を鋭くする戦士の表情をしていた。
距離を置かれていた時に向けられていたのとはまた違った威圧感から手加減をしないという確固たる意志が嫌という程伝わったがそれでもフィンは負けなかった。
むしろ本気でかかってくる姿勢に認めてもらっているような気がして嬉しかった。
ボールを掴む右手にぐっと力を込め、獣のようにボールを鋭く力強く奪い取ってこようとするレインの左手を躱しながら箒ごと左に体を傾けて距離を離そうとする。
しかしまるで磁石でくっついてきているかのようにレインもしなやかに同じ方向に舵を切ってフィンを追う。
「フィン君!今行きます!」
「待て!アビスはトム・ノエルズを抑えろ!ドット一人ではもたん!」
「悔しいけど頼むわ!!」
「バンブー!!」
ランスとドットの言葉に耳を傾けて上空を見上げれば確かに今まさにトムがドットのガードを突破してフィンに肉薄しようとする勢いでいた。
ジグザグに飛行したりフェイントを駆使しつつ上下に飛行したりなどその動きに無駄はなく、年間MVPの称号は伊達ではない。
これは宜しくないと感じたアビスはフィンへの加勢を諦め、トムの牽制に加わる。
「貴方は加勢に行かなくていいの?」
「レインの相手なんざ骨が折れるに決まってんだろ。そういうお前こそレインの加勢に行かなくていいのかよ?」
「あーら、兄弟の戦いに水を差す程野暮じゃないわよ?」
挑発するように口角を上げるワースと不敵に笑いながらウィンクするマーガレット。
その隣ではマッシュが「フィン君頑張れー」といつもの抑揚のない声で声援を送り、更にその隣にいるレモンも「どっちも頑張ってくださーい!」と温かい声援を送る。
それらは辛うじてフィンの耳に届くがレインとの箒チェイスで生じる風圧と耳元で風を切る音によってあっという間に掻き消されてしまう。
フィンがどれだけ敵の陣地で逃げ回ろうがレインはピタリと付いて来て隙を狙ってはボールを奪取してこようとする。
なんとか上下に飛行しながらレインの利き手とは反対の右側に陣取ってボールへの攻撃頻度を下げたいがそこは流石レイン、絶対にそうはさせないし、なりかけてもすぐに元のポジションを取り戻してくる。
それら全てを汗一つかかず涼しい顔でやってのけるのだからドゥエロにおいてもレインがどれだけ強いかが窺える。
今だってそう、風圧で髪がパラパラと踊っていようが鋭い眼光と整った顔立ちが乱れる事は一切ない。
(兄さまは何をしてもカッコいいなぁ)
心の片隅でそんな呑気な事を考えているのを見抜かれたのか、レインの瞳が僅かに大きく見開かれて左手が鉤爪のように鋭くボール目掛けて伸ばされる。
「うわっ!?」
咄嗟に箒のスピードを上げつつ体を左に傾ける事でそれを避ける。
だがレインの手がボールを掠る感触があったのでかなりギリギリだった。
(このままじゃ埒が明かない。こうなったら・・・!)
フィンは口元を強く引き結ぶとそのまま緩やかに左カーブを攻めるようにしてUターンをした。
その様子からただ逃げているだけではないと直感したレインは警戒しながら同じように箒を操縦してフィンを追跡する。
大きな円を描きながら上昇する二つの箒はレイン達のチームのゴールと一直線上に並ぶ。
フィンはレインの方は見ずにそのままゴールに向かって全速力で突進する。
(そのままスローインか或いはゼロ距離ゴールインをするつもりか・・・何だろうがそうはさせねぇ)
大切な弟であるフィンとのドゥエロでの真剣勝負に知らず高揚感を覚えながらレインもフィンに合わせて箒に魔力を流し込む。
即座に横に並び、前方のゴールリングに集中しているフィンの隙を狙ってボールに手を伸ばそうとしたその瞬間。
「今だ!!」
ランスの力強い声が背後からしっかりと届き、それを合図にフィンは箒の柄をぐっと上向ける。
「いっけぇえええええええええ!!!」
雄叫びと共にフィンは強く箒を握って跨ったままその場で大きな弧を描きながら一回転する。
それはまるでジェットコースターやバイキングなどの乗り物が一回転する時のような美しい円だった。
回転して戻ってくるまでの間、フィンは怯えて目を閉じる事なくレイン譲りの力強く細められた瞳でもって数秒だけ世界が反転していたままでもゴールリングを見据えていた。
その一瞬一瞬の時の流れがまるでスローモーションのようでレインは呆気に取られたようにそれを目で追う事しか出来ない。
そして回転の勢いを利用したまま大きく腰を捻って腕を振りかぶる。
「・・・!」
ビュンッ!と鋭く風を切る音がレインのすぐ耳元を通り過ぎ、ボールは綺麗な直線を描きながらゴールリングを鮮やかに通過した。
「っ、ゴーーーーーーーール!!!」
トムの熱い実況が気持ち良くドゥエロの空に響き渡る。
それは全員の鼓膜をピリピリと刺激し、場の高揚感を煽る。
フィンのチームメンバーの表情筋が動く者はニヤリと笑みを浮かべ、動かない者は口の端を小さく上げており、レインのチームメンバーはレモンとトムを除いて呆然としている。
そしてゴールを決めたフィン自身も興奮から頬を紅潮させ、全速力で走った後のように呼吸を乱していた。
「や・・・やった!!大成功だ!!って、わわっ!!?」
箒が殆ど縦に垂直になっている事、そして興奮からうっかり魔力の流れを乱してしまったフィンの箒は危うげに揺れて滑り落ちそうになる。
そこにフィンの慌てた声でいち早く我に返ったレインが駆け付けてフィンの首根っこを強くしっかりと掴む。
「ぐえっ」
「魔力の流れが乱れてる。俺が掴んでてやるから集中しろ」
「あ、ありがとう、兄さま!」
頷いてフィンはパニックになりかける頭をなんとか落ち着かせると深呼吸をして箒に流す魔力を正すイメージを作り出した。
荒れ狂う波のようにぐちゃぐちゃだった魔力の流れはそう長い時間をかけずして穏やかに駆け巡る川のような流れに変わっていく。
そうして箒はまるで意志があるかのように横に平行になり、フィンがそれに跨って安定するのを見届けてからレインはそっと手を放した。
「大丈夫か?」
「うん!兄さまのお陰で助かったよ、ありがとう」
「まさかお前が『箒のムーンサルト』をするとはな」
「えへへ、驚いたでしょ?」
子供のようにはにかみながらフィンは頬を掻いて照れる。
『箒のムーンサルト』とは読んで字の如くムーンサルトの箒版だ。
しかしこれは中々に難しい上級テクニックで出来る者はそう多くはない。
まず箒に跨った状態で一回転をするにあたり、逆さまになる瞬間がある。
この瞬間に上下の感覚が狂ったり恐怖を抱いてしまうとそれが箒に伝わってピタリと逆さまになった状態で停まったり、最悪の場合は落下してしまう恐れもある。
次に回転するにあたっての箒の操縦に緻密さが求められる。
箒の操縦は上昇・下降・前後左右斜めへの移動が一般的で、普通に飛行するだけならそれ以外の技術はいらない。
故にムーンサルトをする為の操縦技術はまさに上級者向けとなっているのだ。
ちなみにドゥエロでは魅せプレーの一つとして箒のムーンサルトを披露する者もいる。
かくいうレインもこの箒のムーンサルトが出来るのだがどちらかというとそれは箒に乗ったまま想定される空中戦で使えるだろうと思って習得したに過ぎない。
とはいえ、レインでも習得するのにそれなりの時間がかかった訳だが、それをまさか苦手科目に箒の授業が該当するフィンが見事にやってのけてみせたのだから驚きを隠せない。
顔は相変わらず無表情だが。
「ランス君やドット君がやってるのを見て僕にも出来るかなって相談して、それから特訓してもらってたんだ。それに僕、箒の授業苦手で成績そんなに良くないし・・・今日はアビス先輩やワース先輩にも付き合ってもらってやっと成功したんだ!」
「それで喜んでたのか」
「そうだよ!」
得意満面の笑みを浮かべるフィンの表情はとても眩しい。
そこに屈託なく笑う幼い頃のフィンと重なってフィンのこの笑顔は変わらないなと温かい気持ちになる。
自然と手がフィンの頭に伸びて「よく頑張ったな」と自分でも無意識に柔らかい声音で褒めれば「うん!」と嬉しそうな返事が返って来た。
「フィン君ヘーイ」
そこへマッシュが片手を挙げてハイタッチを促すとフィンは笑顔で元気いっぱいに「ヘーイ!」とハイタッチをしに行った。
その後もドット・ランス・アビス・ワース、果てはレモンやトムやマーガレットまでもがハイタッチを求めて来たのでフィンは敵味方問わず全員とハイタッチを交わして来た。
流石にアベルが真顔でハイタッチを求めて来た時は一瞬驚いていたがそれでもフィンはハイタッチをした。
アベルとのハイタッチを羨ましがったアビスがとんでもない殺気を放ってきて「ヒエッ」と怯んだがアベルが諫めてくれたので事なきを得た訳だが。
「っしゃあ!こっから巻き返して行こうぜ!」
威勢の良いドットの声がチームを鼓舞し、フィンがゴールを決めた事による勝利の流れが形成されてきたのか、それぞれの動きが良くなっていく。
点差はまだあったものの、それでも確実に追いついて来ているのをレイン達は肌に感じていた。
そしてとうとう一瞬の隙を突かれてマッシュの手にボールが渡ってしまう。
「頑張れー!マッシュくーん!」
「ふんっ」
敵チームでありながらマッシュを応援する事に躊躇いがないレモンの声援を受け、ぐぐっとボールに力を込めてマッシュはゴールリング目掛けて剛速球を投げる。
マッシュの鍛え抜かれた筋肉パワーによってボールはいつの日かの試合の時のように何だか凄い軌道を描きながらマッシュの手元に戻って来る。
それを再び投げて戻ってきての繰り返しでマッシュはどんどん点差を縮めていく。
なるほど、これがあの時の敵チームの気持ちか、などとアベル達が遠い目をしかけたその時だった。
「バンブーーー!!!」
竹のようにしなやかで丈夫な雄叫びと共にトムがマッシュの前に割り込んできてボールを掴んだ。
「バッ、ン・・・ブ~~~!!!」
いくらドゥエロで鍛えられているトムの逞しい腕と言えどマッシュの投げたボールの動きを止める事は出来ず、掌にボールが回転しながら食い込んでいく。
というよりも食い込み過ぎて皮膚を突破し、血が噴き出している。
それでもトムはボールを放そうとはせずに全身から汗を噴き出しながら必死の形相で受け止めようとする。
マッシュは雰囲気だけギョッと驚くとすぐにボールを掴んでトムから取り上げた。
「っぶな。ダメですよ竹先輩、僕の投げるボール危ないんですから素手で触っちゃ」
「マッシュ!お前は人生と言う名の人生にきらめているか!?」
「また始まってしまった」
「確かにお前の投げるボールは危険だ!殺人級だ!俺の手もこんなに血が溢れている!」
「わざわざ見せないで下さい」
「だからと言ってそのまま指を咥えて点を取られるのを眺めるなど俺にはできん!チームの為にも自ら危険を冒してそれを食い止めるのがドゥエロの選手としての俺の使命だ!」
「その姿勢は本当に立派だと思ってます」
「明日にときめけ!人生という名の人生にきらめけ!バンブーーー!!!」
「フィン君助けて」
「このテンションは僕にもどうしようもないよ」とトムの雄叫びで軽く消されそうな声で呟きながらフィンは袖から杖を取り出すとセコンズでトムの掌の治療をする。
だが、ここでフィンは決定的なミスを犯してしまう。
「これでもう大丈夫ですよ」
「・・・」
「トム先輩?」
「・・・・・・ン・・・ブー・・・」
「え?」
「バンブーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」
「わぁあああああああああああああ!!!??」
突如としてトムが荒々しい金色のオーラを放ち、空気を震わさんばかりに吠えてフィンは全力で驚愕と困惑の叫び声をあげた。
それに本能的な危機を察知したレインはすぐにフィンの手を掴んでトムから距離を空けさせ、マッシュもそれに続いて後退し、ヤバイ人を見る目でトムを見た。
少し離れた所で守備についていたドットやランスは「またトムの奇行が始まったか」と半分呆れながらもその様子のおかしさに眉を顰め、トムの奇行をあまり知らないアベル達は困惑気味に事態を静観する。
すると―――
「バンブー!!!!」
トムは素早く袖の中から杖を取り出して心の赴くままにその先端をドゥエロの地上グラウンドの枠外に向け、ありったけの魔力を込めて魔法を放った。
杖の先からは眩い黄緑色の光が迸り、雷が如き速さと強さでもって地面に衝突する。
ズドン!という大きな岩が落ちたような衝撃音が空中にいるフィン達の耳にまでしっかり届く。
「なに、ご―――」
1秒の間を置き、衝撃音のあった地面からボゴォッ!と地面を抉って竹が顔を出し、物凄い速さで文字通り天を突き抜ける勢いで急成長した。
「とぉーーーーーーーーーーーーーーー!!!??」
フィンのツッコミ成分を含んだ絶叫が空いっぱいに響き、マッシュ達は唖然と天高く伸びる竹を見上げる。
マッシュに至っては幼い頃にレグロに読んでもらったジャックと豆の木の絵本を思い出している。
その中であって一人、トムだけは肩を震わせて音もなく笑っていた。
「―――フィン・エイムズ!」
「ひゃいっ!!?」
ガシィッ!と力強く肩を掴まれ、そしてすぐ後ろで自身の名前を呼ばれてフィンは盛大に肩を跳ねさせる。
振り向けばそこには暑苦しい笑顔を乗せたトムがおり、あまりの距離の近さにフィンは思わず後ろに下がり、レインがフィンを庇うようにフィンの前で腕を横に広げて隠す。
しかしそれには構わずトムは暑苦しく迫って続ける。
「お前の魔法のお陰で傷は完治した上に今まで感じた事のない魔力の充足を感じる!きらめくように溢れ返っているのが自分でも分かる!その証拠があの竹だーーーっ!!!」
「あの竹ですか・・・」
「しかも箒のムーンサルトから始まり、今日の動きは中々に素晴らしい!俺と一緒にドゥエロの試合に出ないか!?」
「けけ、結構です!」
「フィン、お前まさか傷の回復をする時に魔力の加算もしたのか?」
「みたい。そんなつもりは全然なくて回復だけのつもりだったんだけど・・・」
「箒に乗っている時は箒に魔力を注ぐ事に気を取られて魔法の出力を誤りやすい。次は箒に乗ったまま魔力の調整をするのが課題だな」
「はーい」
しょんぼりと肩を落として項垂れながらフィンは二本目の痣を消していく。
折角箒のムーンサルトを成功させ、その後もトムの言う通り上手く動けていたのに最後で失敗をやらかして落ち込んでいるのだろう。
仕方のない事ではあるし、レインとしても責めている訳ではないので慰めに優しく頭を撫でてやった。
それからトムの方を振り向いてアドラ寮監督生としての顔つきになって口を開く。
「トム・ノエルズ、一旦地上に降りてこの竹を―――」
「バンブーーー!!!」
レインの言葉などまるで無視してトムは箒を発進させると竹の周りをグルグルと飛び回りながら天高く空へと舞い上がって行ってしまった。
その姿は瞬く間に豆粒のように小さくなっていき、戻ってくる気配はなかった。
言うまでもなくレインの眉間に深い皺が刻まれて苛立ちが込められた舌打ちが漏れる。
そこにマーガレットとアベルがやって来て提案をする。
「とりあえず全員であの竹の根元に集まりましょう」
「こうなってしまってはドゥエロどころではない」
「だな」
「そういう事だから全員竹の根元に集合よ」
マーガレットの号令に皆は頷き、ひとまず地上に降り立って竹の周りに集合する事となった。
竹は伸びている。
どこまでも美しく、しなやかに、丈夫に。
「竹ね」
「竹だね」
「竹だな」
監督生三人は腕を組んで竹の周りを囲み、下から上へと同時に顔を動かして呟く。
その監督生三人を取り囲むようにしてフィン達は立っていた。
皆が呆然と竹を見上げる中、フィンは顔面蒼白になって震えている。
「どっ、ど、どど、どどどど、ど、どうしよう・・・」
「まぁまぁフィン君、落ち着いてシュークリームでも食べなさいな」
「ごめん、喉通らないよ・・・」
「そっか。じゃあ僕が代わりに食べるね」
「食べるんだ・・・」
激しく動揺しながらもツッコミは忘れないフィン。
その隣ではドットがワースに話しかけている。
「ワース先輩」
「あ?んだよ」
「確かワース先輩の友達?かなんかにファンクラブ持ってるクソイケメンいましたよね?」
「クソイケメン?・・・あー、シュエンの事か」
「そうそう、そいつっす!あのクソイケメンの固有魔法って確か薔薇でしたよね?フィンの魔法を受けたら薔薇が咲き乱れるのか、或いは茨が伸びまくってこの学校が眠れる森の美女の城みたいになるの、どっちだと思います?」
「知るかよ・・・」
「はいはい!私は眠れる森の美女パターンがいいです!そして深い眠りに就いてしまった私をマッシュ君が運命のキスで目覚めさせてくれて二人は永遠に結ばれるんです!!」
「その役は俺がやってもいいよねレモンちゃん!?」
「駄目で~す♪」
「そこをなんとか~♪」
勝手に人の幼馴染の固有魔法で盛り上がり始めるドットとレモンに呆れたワースはその処理を押し付けようとランスに水を向ける。
「おいクソガキ、こいつら何とかしろ」
「フン、仕方あるまい。お前達、その辺にしろ。プリンセスの役目はアンナのものだ」
「何を言ってんだお前は」
「すっこんでろスカシ野郎!」
「お姫様の役はおひとり様限定じゃありません!」
「いいや、この世のありとあらゆる全ての姫という姫の役目はアンナだけのものだ」
「もう勝手にしろよ」
しょーもない諍いにワースは溜息を吐いて助けを求めようと視線でアビスを探す。
しかしアビスはマッシュと一緒にフィンを落ち着かせる役に回っていて助けを求められそうにもない。
嘆息して持って来ていた本でも読もうかと考えたその矢先、何か声のようなものが聞こえた。
それは段々と大きくなっていき、方向を探って空を見上げれば落下してくる何か―――トムがおり、ワースは咄嗟に自身の固有魔法で広範囲の地面を泥のクッションに変える。
「バンブッ!!」
ドチャンッ!と泥が飛び跳ねる音と共にトムが勢いよく泥沼に沈み込む。
それを魔法で上手く押し上げてやってなんとか浮かび上がらせてやり、魔法を解いて地上の芝生に寝転がらせてやった。
大の字になって寝転がり、全力で満足満喫した様子のトムにレインが歩み寄って冷たく見下ろす。
「トム・ノエルズ。反省文20枚書いて提出しろ。それからフクロウ小屋の掃除を2週間やれ」
「バンブー!!」
「うるせぇ」
ビシッと敬礼して頷くトムにレインは眉を顰めて再び竹を見上げる。
竹は未だに天高くそびえ立っている。
「ざっと世界一周分はありそうね」
「どうやって処理をしようか」
「マッシュ・バーンデッド」
「うす」
「だるま落としの要領で素手で竹を伐採する事は出来るか?」
「僕の筋肉に不可能はありません」
「よし。俺のラージパルチザンで受け止めてワース・マドルの泥沼で回収する。ワース・マドル、頼めるな?」
「へいへい。いつでもどーぞ」
「なら、すぐに取り掛かるぞ」
レインは杖を構えると巨大なパルチザンを地面に突き刺し、ワースはその周辺に泥沼を作った。
一方でマッシュは一度深呼吸をすると腕を真横に振って竹を一節ずつ飛ばしていく。
「ふんふんふんふんふんふんふん」
一定のリズムで飛ばされ、カンッと耳に心地よく高く乾いた音を立てて竹はパルチザンに当たり、そして泥沼に沈んでいく竹。
まるで機械にでもなったかのようにマッシュはひたすらにその作業を続け、飛ばしても飛ばしても落ちて来る竹を休む事なく伐採していく。
10分経っても竹の終わりが見える事はなく、少し暇になって小腹が空きだした面々は購買でシュークリームを買って食べ始めた。
ちなみにマーガレットは自前のエビフライとタルタルソースを食べている。
マッシュにはレモンが食べさせ、フィンは本当は気持ち的にそれどころではなかったのだがシュークリームを無駄にしない為にもとりあえず少しずつ頬張った。
それから更に15分経っても未だ作業は続き、皆は何となく座禅を組んで気を集中させていた。
その中でレインは続く作業に呆然とするフィンの横に並んであげてマッシュの様子を一緒に眺めた。
そこから更に10分程経った所で漸く竹の先端が降りて来るのが見えてきてそれもマッシュが飛ばし、最後に竹の根を引っこ抜く事で伐採作業は終了となった。
「ふう、ざっとこんなもんですな」
「お疲れ様です、マッシュ君!」
「手間をかけさせたな」
「いえ。にしてもグラウンドが竹だらけになってしまいましたな」
グラウンド一面、竹の積み置き場になっている壮観な光景を前にマッシュは変わらず淡々と事実を述べ、他の面々もそれぞれなりに呆気に取られる。
ただしトムだけは興奮気味だったが面倒になりそうだったので誰も触れないでいた。
「はわ、はわわわわわわ」
口元に手を当てながらフィンは顔色を悪くしてガタガタと震える。
フィンはずっと竹の伐採作業を見ていた。
兄の魔法の剣に竹がぶつかり、それをワースの泥が回収して許容範囲を越えたら泥の中で整頓してグラウンドの空いている場所に移動させる、という流れをずっと。
安全面を考えてかフィンの身長くらいの高さとフィン5人分の横幅まで綺麗に揃えて移動させるワースの魔法の技術に舌を巻いていたが、それが延々と続いて途中から恐怖を感じていた。
そして段々とグラウンドが竹で埋め尽くされていき、もう置き場所がなくなってきた所で漸く伐採作業が終わったのだ。
うっかりトムに魔力を加算してしまったが為にこんなとんでもない事故になるとは誰が予想出来ただろうか。
ある意味人生で一番のやらかしと言っても過言ではない。
フィンは俯き、それはそれは重いトーンで謝罪の言葉を口にする。
「ご、ごめんなさい、兄さま・・・僕も反省文を書いてフクロウ小屋の掃除を一ヵ月します・・・」
「いや、お前は悪くない。気にするな」
「でも・・・」
「レインの言う通りよ。単なる事故みたいなものなんだから」
「この竹については僕達監督生の方で処分を決めておく」
「な、ならせめて僕に何か手伝える事があれば何でも!」
フィンは後にこの発言を後悔する事となる。
監督生三人はチラリとアイコンタクトを取ると頷き合い、マーガレットが懐から白い箱を取り出して地面に置き、アベルがマッシュ達をまとめてフィンとレインの後ろに下がらせたのを確認してからレインがフィンの方を向き直った。
「フィン、確かDIYの関係で真空切りの魔法を覚えたんだったな?」
「う、うん。工具とか使うよりもその魔法の方が綺麗に切れるしお金もかからないからってランス君に教えてもらったんだ」
「なら、あの箱を試し切り台にして俺に見せてくれねぇか?」
「いいけど・・・あの箱何?」
「気にするな」
物凄く果てしなく嫌な予感しかしないが何でもすると言った手前、フィンに拒否権はなかった。
言葉ではなく行動を重んずる兄に倣い、自身もこの事故に対する反省と誠意を見せなければと意気込んでフィンは杖を構える。
「バキュティアット」
呪文を唱えた直後、ザアッと風がざわめき、数秒の間を置いて箱に鋭い切れ込みが走る。
そして次の瞬間、箱は綺麗にぱっかりと三等分に断裁された。
断面も美しく、引き攣った痕や仕損じた箇所はない。
完璧に使いこなしている様子にレインは満足気に頷く。
「上手いな、よく出来ている」
「でしょ?ところで兄さま、何か紙が入ってるのが見えるんだけど?」
褒められて嬉しそうに浮かべた笑顔のままフィンは箱に近付いてしゃがみ、その中身を確認する。
中には端正な筆記体で『監督生諸君へ』やら『ウォールバーグ校長より』という署名と捺印がされており、フィンは本日何度目だろうと誰もが思うくらい顔を真っ青にした。
「に、にににに、に、兄さまこれ・・・こっ、ここ校長先生の・・・!?」
「お前の事は俺が守る。お前は何も心配しなくていい」
「そうじゃなくて!!」
「後は俺達三人で燃やして始末しておく」
「これ以上罪を重ねないでぇーーー!!!」
今日もイーストン魔法学校の空にフィンの悲痛な叫びが気持ち良く響き渡るのだった。
END
いつものように部屋の机を魔法で三角形に繋ぎ合わせて顔を突き合わせる三人。
一通りの情報共有が終わったところでマーガレットが一枚の紙を手に持って物憂げに目を細める。
「ねぇ、校長先生からの再通達、来た?」
「来たよ」
「俺の所にもな」
「やっぱりね」
三人揃って重い溜息を吐いて項垂れる。
レインに至っては怒りが込められている始末。
本人曰くウォールバーグ校長は人使いが荒いそうなのでそれも止むなしだろう。
そしてこの通達を寄越されてしまえばマーガレットもアベルもレインの気持ちが少しは分かるというもの。
「催しって簡単に言ってくれるけどそんなもの用意してる暇なんてないわよ」
「全く同感だね。普段の監督生としての通常業務は勿論、学園祭にかかる申請書の内容確認と処理、トラブルや相談の対応など忙しい事この上ない」
「あのジジイは何でも簡単に物を言いつけてきやがる」
ぐしゃり、と紙を握り潰してこめかみに青筋を浮かべるレインに同調するようにマーガレットとアベルはまた小さく溜息を吐く。
しかしこうして愚痴を吐いていても仕方ないので三人は示し合わせたかのようにそれぞれ再通達の紙の角に杖の先を向けると呪文を唱えた。
「「「バーンリー」」」
ボッ、という発火音と共に灯る火。
その強さは料理で言う所の中火くらいの火力だろう。
レインの火は荒々しく、マーガレットの火は優雅に、アベルの火は綺麗に灯っており、それぞれの性格がよく表れている。
しかしどうだろう、紙が燃える事は愚か、焦げ目も付かず着火もせず火だけが無駄に酸素を消費して燃え盛るばかり。
「燃焼防止魔法がかけられてるわね」
「チッ、小賢しいジジイめ」
「燃やせないなら別の手段で処分すればいい」
「だったら切ってしまいましょう。丁度ここに切り刻む事で中に入れた物の簡単な魔法が解除出来る魔法の箱があるわ。これに入れて切って燃やしましょう」
「賛成だ」
「同じく」
アベルとレインが頷いたのを確認してマーガレットは懐から真っ白の魔法の箱を取り出すと蓋を開けて杖を振り、それぞれの紙を回収した。
紙は風に乗るようにフワリと舞いながら箱の中にヒラリヒラリと着地していき、最後には蓋が閉じられる。
後はレインの固有魔法パルチザンで切り刻むだけと言わんばかりにレインが杖を構えたその瞬間、彼の意識を逸らす声が窓越しに耳に飛び込む。
「で、できたーーー!!!」
「フィン?」
反射的に窓の方を振り向き、無意識にガタッと席を立って窓際に近付くレイン。
「ホントに弟君の事が大好きね」と微笑ましそうに心の中で呟きながらマーガレットも席を立ち、アベルも「かなり遠くから聞こえた筈なのによく弟だと分かったな」と心の中で小さく呆気に取られながら無言で続く。
放課後のまったりとした時間と空気感溢れる窓の外にはドゥエロの練習も出来る箒専用飛行エリアがあり、そこの空中ではフィンがランスとワースとアビスに見守られながら箒に跨って飛行をしていた。
それを取り囲むようにしてレモンと二人乗り用の箒に跨ったドットとマッシュもいる。
フィンは興奮した様子でランス達に何かを話しかけ、それに対してランス達は頷いたり笑顔で何か言葉をかけている。
先程のフィンのセリフから察して箒に関する何かが上手くいったのだろう。
漠然として嬉しい反面、その瞬間を見れなかったのがレインは残念でならなかった。
無言でフィンを眺めるレインの横顔を見ながらその心内を何となく察したアベルが小さく呟く。
「そういえば今日、アビスとワースがキミの所の一年達と一緒にドゥエロで遊ぶと言っていたよ」
「・・・そうか」
「面白そうじゃない。私達も混ぜてもらいましょう」
「会議も丁度終わったところだしね。行こう、レイン」
「ああ」
ウォールバーグからの再通達の紙が入った箱は一旦マーガレットが魔法で持ち運ぶ事となり、三人は箒を持ってフィン達がいる箒専用飛行エリアに向かうのだった。
「あ、見てドット君。レイン君達だよ」
「お?マジだ」
二人乗り用箒でドットの後ろに跨って箒の柄を握っていたマッシュはレイン達の存在を視界に捉えるとそれをドットに伝え、ドットも同じように監督生三人の姿を捉えると首を傾げる。
「各寮の監督生が揃いも揃って箒を持ってやがんな」
「二人乗り用箒の申請はしたのにやっぱりダメだったのかな?」
「でも先生は良いつっただろ?魔法使えないお前が万が一落ちた時に備えて安全魔法もかけてくれたしよぉ」
「僕自身は頑丈だからかけてもらわなくても全然平気だけどね」
「バーカ、使えるもんは使うに越したこたぁねーだろ」
「それはそう」
「ま、とにかく話聞いてみっか。降りるからしっかり掴まってろよ」
「ガッテン」
ドットは緩やかに大きく旋回しながら地上へ下降していく。
自分だけならそのまま近付きながら急降下してもいいのだが今はマッシュとの二人乗りだ。
二人乗り箒は一人乗り用と違って魔力の使い方が異なり、しかもマッシュは魔法が使えない為、ドット一人で緻密な操縦をしなければならない。
加えて二人分の重さも相まって気を抜いたら一気に落下してしまいそうな怖さがある。
頑丈で且つ安全魔法がかけられているとはいえ、大切な友人に怪我を負わせない為にもドットは安全なやり方を選んだ次第だった。
ドットのその気遣いがなんとなく察せられたマッシュは「ドット君は良い人だなー」とのんびり心の中で感謝しながら地上に到着すると箒から降りてドットと共にレイン達の元へ歩み寄った。
そこへフィン達も降りてきて続々と駆け寄る。
「兄さまどうしたの?監督生会議は?」
「終わった」
「だから私達もドゥエロに混ぜてもらおうと思って来たのよ」
「問題はないか?」
「勿論ありません、アベル様!!」
「チーム分けはどうしますか?」
「そうねぇ・・・」
レモンの質問に対して顎に手をやりながらマーガレットがそれぞれを見回す。
「私達監督生とレモン・アーヴィンとトム・ノエルズ対残りでいきましょう」
「パワーの偏り!!」
「チーム編成明らかにおかしいだろ!!」
フィンとドットがすかさずツッコミを入れるが監督生三人は意味が分からないと言った風に揃って左方向に首を傾けるばかり。
「確かにドゥエロの年間MVPトム・ノエルズがいるけれどこっちは五人でそっちは六人。更に根本的な面で力の差がある女の子のレモン・アーヴィンとただの監督生三人よ?どこに問題があるの?」
「アンタら監督生はそもそも強いだろ!!」
「実力の面では確かに強いがスポーツであるドゥエロにおいては話は別だ。それに僕達は都合がついた時だけ助っ人を頼まれる程度のものだよ」
「いや強ぇーじゃん!!」
「黙れ。そっちはマッシュ・バーンデッドがいんだろ。そいつにボールが渡ったらこっちの負けは確実だ」
「アンタら絶対にボール渡さないように鉄壁のガードするだろ!!」
「バンブー!!」
「いつの間に来たんだよアンタ!!」
炸裂するドットのツッコミと呼んでくる前に現れたトム。
何だこのカオス空間、とフィンが内心引き気味で困惑しているとドットのツッコミを無視してレインがフィンの前に立つ。
ドットが「ちょぉ無視しないで!?」と叫ぼうとも無視してレインはそのままフィンに尋ねる。
「会議の時にお前の声が聞こえた。何か成功したのか?」
「え、ごめん!煩かった?」
「気にするな。丁度終わってジジイからの再通達の紙を処分しようとしていただけだ」
「とんでもない事してた!!」
「箒関係の何かか?」
「それは―――」
「おーっと、そこまでだ」
「弟の成長は試合でその目で見て確かめて下さい」
フィンの言葉を遮るようにワースがフィンの肩を組み、ランスがフィンを隠すように一歩前に歩み出る。
二人の目は既に対戦者としての挑発の色を宿している。
つまり今は見せる気はないという事だ。
一方でフィンは少し困った表情をしながらも「見せる機会がなかったら試合が終わった後にするね」と苦笑してそう言った。
少々、いやかなり不満だがランスやワースに譲る気配はなく、フィンも約束はしてくれているのでレインは仕方なく嫌々渋々引く事にした。
その姿にワースは眉を顰めると共に呆れの溜息を吐き、ランスにそっと耳打ちする。
「お預けされたからつってあんな露骨に残念そうにするもんかぁ?」
「弟の成長を見られなかった訳だからな。もしも俺がレインさんだったら同じように落胆していただろう。兄とはそういうものだ。『お兄ちゃん、ドゥエロ頑張ってね!』ありがとうアンナ。アンナの応援でお兄ちゃんはどこまでも頑張れるぞ」
「コイツはいつもこうなのか?」
「ええ、まぁ・・・」
気まずそうに目線を反らして重々しく頷くフィンの「いつもの事です」と続いた言葉にワースは戦慄する。
そして二人を無視して続く一人二役の兄妹劇場を繰り広げるランスに狂人を見るような目を向けるがペンダントの中の妹に話しかけるのに夢中でランスが気付いている様子はない。
三本線に目覚め且つサーズを開花させたその才能は悔しいが認めるものの、この奇行だけは理解不能だったし理解したくなかった。
それからもう一つ理解出来なかったのが『弟の成長を見れなくて落胆している兄』という構図。
ワースは自身の兄であるオーターとは兄弟関係が疎遠であり、交流自体も殆どない。
であるからして仮にワースが出来るようになったものを披露したところで『それが出来なかった事すら知らない』兄には何の感慨も感動もないだろう。
だから妹の成長を常に楽しみにしているランスや、弟の成長した姿のお披露目のお預けを喰らって落胆するレインがなんだか羨ましかった。
知らず、一人溜息を吐く。
「良かったらオーターちゃんを呼んであげましょうか?」
「どぉわあああああっ!!?」
真横から突然マーガレットの彫りが深く大きな顔がぬっと現れてワースは盛大に驚いて二、三歩後ろに下がる。
これにはすぐ近くにいたフィンも「ヒッ!?」と悲鳴を上げて慄く。
「突然横に立つんじゃねーよマーガレット!今年一番のホラーだわ!!」
「あーら、乙女に向かって失礼ね」
「それよかテメェ、アイツを呼ぶつったな!?ぜってー呼ぶんじゃねーぞ!!ぜってーだからな!!」
「こんなに嫌われちゃってオーターちゃんも可哀想にねぇ」
「お前、アイツの事ちゃん付けで呼んでんのかよ・・・」
「貴方も呼んでみたらどう?」
「呼ぶか!!」
「勿論名前じゃなくて『お兄ちゃん』って」
「もっと呼ばねーわ!!人をからかうのも大概にしろよ!!」
「よさないかマーガレット。ワースもその実はどんな兄呼びをすればいいか決めかねているんだ」
「トドメささないでくれますアベル様!!?」
「アベル様に口答えとは不届き千万!そこに直りなさいワース!!」
「だぁーっ!もーめんどくせぇ!!」
間に入って来たと見せかけて援護射撃してくるアベルと些細な事でもアベルへの侮辱と捉えるアビスに剣を向けられてワースは頭を抱える。
ワース先輩も大変だな、と心の中で同情しながらフィンは箒に跨るとランスと一緒に空に浮いてそっとその場から離れた。
ひと悶着あった末に始まったパワーバランスのおかしいドゥエロ。
人数が一人足りないだの根本的な力の差がある女子のレモンがいるだのそんなのはドットのツッコミ通りやはり全く関係なかった。
文句無しに強いトム、それに負けずとも劣らない監督生三人、マッシュの隣を飛ぶ幸せに浸っていると同時にマッシュへのパスを防ぐレモン。
誰一人として手加減する事なく全力で向かってくる為、もはや大人気ない領域まできている。
これを反則と言っても誰も責めないだろう。
しかしそれでも言わないのが男の意地というものなのかもしれない。
「クソッ!やっぱ強過ぎんな!」
「都度陣形や戦略を変えても即座に対応出来る辺りが流石年間MVPと監督生と言ったところか」
「おい、次の作戦考えるぞ」
焦るドット、素直に相手チームの強さを認めるランス、作戦を練るワース。
他のアビスやフィンは相手チームの動きを警戒しながら注意深く視線を配り、マッシュはフィールド中央でダバダバとバタ足を繰り返している。
それに対して監督生達は余裕の空気を醸しながらこのドゥエロを楽しんでいた。
レインはフィンとドゥエロで遊べる事とフィンが友人と一生懸命に挑んで来る姿が見れる事に、アベルは非公式でドゥエロで遊ぶ事に楽しさを見出していた。
トムは一言で言えば竹であり、レモンも一言で言えばマッシュであったりととにかく楽しそうだ。
(たまにはこうして色んな事を忘れて遊ぶのもいいものね。まさに心躍る春だわ)
チームメンバーのイキイキとした表情を眺めながらマーガレットは微笑みを浮かべる。
力を求める彼女ではあるが、やはりそれとは別になんだかんだこういう遊びも好きだった。
と、そこでマーガレットの中で音符型の電球が輝いて妙案を閃かせる。
「ねぇ、提案があるのだけれどいいかしら?」
「提案?」
汗一つ浮かべず未だに空中に浮遊し続けるマッシュが首を傾げるとマーガレットは「ええ」と頷いて続ける。
「賭けをするのはどうかしら?私達のチームが勝ったらマッシュちゃん達のチームは今度の監督生会議に執事服を着て参加してお茶出しをしてちょうだい」
「えっ」
「えーーー!!?」
「いやいやいやいや!!」
マジか、とでも言いたげにマッシュが小さく驚いたように声を漏らし、頬を赤らめながらレモンが黄色い声を上げ、何だその賭けはとでも言いたげにフィンが声を荒げる。
「監督生会議でそんなふざけた真似していい筈ないじゃないですか!!」
「別にそんな大層なものじゃないわよ」
「でも大事な話とか聞かれたらマズイ内容とか!!」
「ただの寮同士の意見交換とかそんなもんよ。聞かれてマズイ案件はそもそも私達監督生の範疇を超えてるわ。職員案件よ」
「言われてみれば!!」
「あ、あのっ!私も参加してマッシュ君を私専用の執事にしていいですか!?」
「ええ、良いわよ」
「ありがとうございます!」
「マッシュ君の意見を聞いてあげて!?」
「バンブー!バンブ、バンブーバンバンブー!!」
「分かったわ。今度の会議でドゥエロの選手控え室の使用ルール徹底を呼びかけるよう議題に出すわ」
「だから何で分かるの!?僕未だにさっぱりなんだけど!!?」
怒涛のフィンのツッコミラッシュはここで終わるかのように見えた。
しかしここで涼やかな表情でフワリと前に出て来たランスが据わったクリアブルーの瞳で意見をする。
「おい待て。いくら何でも度が過ぎてるんじゃないか?」
「流石ランス君!」
「そっちがそのつもりならこっちが勝利したら全員参加でアンナ講習会を開かせてもらおう」
「もっと度を越してきた!!?」
「何でシスコン講習会を聞かなきゃいけねーんだよ!!そんなんよりも主人公である俺を讃えるパーチーの開催だオラァ!!」
「どっこいどっこいだよ!!」
「だったら私はアベル様を讃えるパーチーを提案します」
「しないでアビス先輩!!」
「しょーもねぇ提案ばっかしてんなよオメーら。俺考案のほぼ俺しか解けない超難関クイズ大会やるぞ」
「ワース先輩大人気なっ!!」
「じゃあ僕はネオシュークリームパーチーやりたい」
「ネオって何!!?」
「待つんだ。僕とレインの要求がまだだ」
「あったの!?」
「僕が勝ったら各々が持つトランプの見せ合いっこだ」
「小学生!?」
「俺が勝ったら一人一つずつウサギの良い所を挙げてもらう」
「発表会!?」
「フィン君は何かないの?」
「みんな一日ボケるの禁止!!」
フィンの魂の叫びがドゥエロの空に轟く。
それからフィンの全速力で走った後のような乱れた呼吸音だけが一同の耳に届き、やや興奮状態にある彼を宥めるようにドットが頭を撫でてアビスが背中をさする。
普段大人しかったり優しい人が本気で怒ると怖い現象を前に少しふざけ過ぎたという反省が全員の心の中で浮かぶ。
レインに至っては後でウサギを吸わせて詫びようと考えているくらいだ。
それでフィンが許すかどうかはまた別の話だが、フィンも大概兄のレインには甘いのできっと何だかんだその辺は許してしまうだろう。
それからフィンが落ち着いた後に各々の欲望を賭けた試合が再び幕を開けるのだった。
「あの」
「なぁに?」
「どうしましたか?マッシュ君」
試合開始から今に至るまで箒に跨ったままずっと足をバタつかせて空中浮遊していたマッシュ。
先の大戦で活躍した事で神覚者となり、魔法不全者の地位向上を見事に果たした彼はもう魔法が使えない事を偽る必要がない。
よって箒に跨る必要はないのだが雰囲気を重視した彼はドットと一緒に使っていた二人乗り用の箒を借りて跨っていた。
ちなみにドットは試合開始前に自前の箒を調達して来て使用している。
マッシュも頑張ろうと思えば前後左右に動けないでもないがランスとワースの立てた作戦と他が怪我をしない為の配慮によりフィールド中央での待機を命じられていた。
その気になれば力加減も出来ない事はないが、うっかりその剛腕で豪速球を投げられた日には死者が出てしまう恐れがある。
それはマッシュの望む所ではなく、また変に活躍してトムにしつこく勧誘されるのも嫌なので有難く今のポジションを受け入れていた。
さて、そんな彼の両隣をレモンとマーガレットが固めている。
レモンが右側を、マーガレットが左側を浮遊している構図だ。
「たかが僕へのパスを阻むのに二人もいらないんじゃないかなーって」
「たかがなんてとんでもないです!マッシュ君は私の立派な未来の旦那様なんですから胸を張っていいんですよ!!」
「いや、そういう事ではなく」
「貴方のチームメイトは私達の陣地まで来てるのにゴールを決めないのはどうしてかしらねぇ?」
「竹先輩達がすかさず阻んで来るからでは?」
「本当にそうかしら?嘘だったらまた前みたいにフーって耳に息を吹きかけちゃうわよ?」
「ヒエッ」
選抜試験でマーガレットに耳に息を吹きかけられたのを思い出してマッシュは咄嗟に左側を手で塞ぐ。
同じくその時の事を思い出したレモンが頬を膨らませて顔を真っ赤にしながらマーガレットに抗議する。
「ダメですマーガレット先輩!マッシュ君の耳に息を吹きかけるの禁止です!私だってまだやった事ないのに!!」
「あら、だったらすればいいじゃない。マッシュちゃんの右耳はまだしてないわよ?」
「ハッ!?盲点でした!」
「あのすいません、あまりレモンちゃんを煽らないで―――」
「フーッ」
「ふぁっ」
身構える暇もなくレモンに右耳に息を吹きかけられてマッシュの全身が総毛立ち、ゾワゾワとした震えと共に力が抜けてそのまま綺麗に落下していく。
「あーれー」
「っうぉぉおおおおい!!何してんだテメーら!!!」
ワースがマッシュに向かって投げたボールは綺麗に空を切ってマッシュが元いた場所を通り過ぎる。
やはりこちらの油断を誘ってマッシュにパスする算段だったかと己の予想が的中してマーガレットは内心ニヤリと笑う。
レモンには悪い事をしたがレモンを煽ったのも実は作戦通りだったりする。
「ごめんなさいマッシュくーーーん!!」と絶叫しながら追いかけるレモンの姿を目で追えばワースが怒りながらもすぐに袖の中から杖を取り出してマッシュの落下地点に泥のクッションを作って落下の衝撃を吸収したのが見えた。
ドゥエロにおいて魔法の使用はルール違反だがこれは人命救助に当たるので問題はない。
鈍い泥の音を立てて見事に綺麗に落下し、それから「かたじけない」と礼を述べながら泥沼の中から這い出るマッシュが無傷なのを確認したマーガレットは改めてボールを探す。
どうやらボールはアビスが回収していたようで、アビスはドットやランスがレイン達の動きを牽制している隙に敵陣のゴールめがけて切り込もうと前進していた。
そこに―――
「行かせないよ、アビス」
アビスの前にフィンのガードを突破したアベルがふわりと飛んで来て立ちはだかる。
途端、ギュンッとアビスの箒は急停止をする。
「お受け取り下さい、アベル様」
「遠慮なくいただこう」
「バッキャロー!!」
「なぁーにやってんだこのすっとこどっこい!!」
一切の躊躇いも無く頭を垂れてアベルにボールを献上するアビスにドットとワースから怒号が飛ぶ。
しかしこの行為になんら罪悪感を抱かず、むしろ当然とでもいうよな態度を取るのがアビスだ。
己の人生はアベルの為にあると信じて疑わない彼にとっては至極当然の行動なのである。
そんなアビスからボールを受け取ったアベルはそのまま箒を前進させてガードする者がいない無防備なゴール目掛けて勢いよくボールを投げる。
そこに―――
「うぉおおおおおお!!」
男らしい威勢の良い声を上げながら必死な形相のフィンがゴールの間に割り込んでボールを受け止める。
ボールの勢いがあったからか、それともフィンの体重が平均より軽いだけか、よろめきながら少しだけ後退したが落下するには至らなかった。
それでもアベルの投げたボールの衝撃は存外強く、フィンの掌がピリピリと痛んで腕が震えたが落とさなかっただけマシと言えよう。
「フィン!ナイスカットォ!!」
「敵ながらナイスバンブー!!」
「そのままゴールまで行け!他は俺達が足止めしておく!」
「分かった!」
味方のドットと敵のトムがフィンを称賛し、ランスが指示を出してフィンは言われた通りに箒を前進させて敵陣のゴールを目指す。
目の前にいたアベルはランスがすかさずやって来て牽制してくれたので箒を下に向けて高度を下げ、低空飛行で通過する。
出力加減を間違えて箒が暴走しないように気を配りながら他に視線を配る。
トムの動きはドットが必死になって抑えており、マーガレットはワースが睨みを利かせてくれている。
これならいける、と内心で勝利の意志を固めながら魔力を流して箒のスピードを上げていると視界の端でアビスの「しまった!」という焦った声と共にレインがこちらに向かって特攻してくるのが見えた。
「っ!?」
フワリと接近してきたかと思うと同じスピードで真横に並走して来るレイン。
その顔はいつもの無表情ながらも優しく頼もしい兄の顔つきではなく、眉根を寄せて瞳を鋭くする戦士の表情をしていた。
距離を置かれていた時に向けられていたのとはまた違った威圧感から手加減をしないという確固たる意志が嫌という程伝わったがそれでもフィンは負けなかった。
むしろ本気でかかってくる姿勢に認めてもらっているような気がして嬉しかった。
ボールを掴む右手にぐっと力を込め、獣のようにボールを鋭く力強く奪い取ってこようとするレインの左手を躱しながら箒ごと左に体を傾けて距離を離そうとする。
しかしまるで磁石でくっついてきているかのようにレインもしなやかに同じ方向に舵を切ってフィンを追う。
「フィン君!今行きます!」
「待て!アビスはトム・ノエルズを抑えろ!ドット一人ではもたん!」
「悔しいけど頼むわ!!」
「バンブー!!」
ランスとドットの言葉に耳を傾けて上空を見上げれば確かに今まさにトムがドットのガードを突破してフィンに肉薄しようとする勢いでいた。
ジグザグに飛行したりフェイントを駆使しつつ上下に飛行したりなどその動きに無駄はなく、年間MVPの称号は伊達ではない。
これは宜しくないと感じたアビスはフィンへの加勢を諦め、トムの牽制に加わる。
「貴方は加勢に行かなくていいの?」
「レインの相手なんざ骨が折れるに決まってんだろ。そういうお前こそレインの加勢に行かなくていいのかよ?」
「あーら、兄弟の戦いに水を差す程野暮じゃないわよ?」
挑発するように口角を上げるワースと不敵に笑いながらウィンクするマーガレット。
その隣ではマッシュが「フィン君頑張れー」といつもの抑揚のない声で声援を送り、更にその隣にいるレモンも「どっちも頑張ってくださーい!」と温かい声援を送る。
それらは辛うじてフィンの耳に届くがレインとの箒チェイスで生じる風圧と耳元で風を切る音によってあっという間に掻き消されてしまう。
フィンがどれだけ敵の陣地で逃げ回ろうがレインはピタリと付いて来て隙を狙ってはボールを奪取してこようとする。
なんとか上下に飛行しながらレインの利き手とは反対の右側に陣取ってボールへの攻撃頻度を下げたいがそこは流石レイン、絶対にそうはさせないし、なりかけてもすぐに元のポジションを取り戻してくる。
それら全てを汗一つかかず涼しい顔でやってのけるのだからドゥエロにおいてもレインがどれだけ強いかが窺える。
今だってそう、風圧で髪がパラパラと踊っていようが鋭い眼光と整った顔立ちが乱れる事は一切ない。
(兄さまは何をしてもカッコいいなぁ)
心の片隅でそんな呑気な事を考えているのを見抜かれたのか、レインの瞳が僅かに大きく見開かれて左手が鉤爪のように鋭くボール目掛けて伸ばされる。
「うわっ!?」
咄嗟に箒のスピードを上げつつ体を左に傾ける事でそれを避ける。
だがレインの手がボールを掠る感触があったのでかなりギリギリだった。
(このままじゃ埒が明かない。こうなったら・・・!)
フィンは口元を強く引き結ぶとそのまま緩やかに左カーブを攻めるようにしてUターンをした。
その様子からただ逃げているだけではないと直感したレインは警戒しながら同じように箒を操縦してフィンを追跡する。
大きな円を描きながら上昇する二つの箒はレイン達のチームのゴールと一直線上に並ぶ。
フィンはレインの方は見ずにそのままゴールに向かって全速力で突進する。
(そのままスローインか或いはゼロ距離ゴールインをするつもりか・・・何だろうがそうはさせねぇ)
大切な弟であるフィンとのドゥエロでの真剣勝負に知らず高揚感を覚えながらレインもフィンに合わせて箒に魔力を流し込む。
即座に横に並び、前方のゴールリングに集中しているフィンの隙を狙ってボールに手を伸ばそうとしたその瞬間。
「今だ!!」
ランスの力強い声が背後からしっかりと届き、それを合図にフィンは箒の柄をぐっと上向ける。
「いっけぇえええええええええ!!!」
雄叫びと共にフィンは強く箒を握って跨ったままその場で大きな弧を描きながら一回転する。
それはまるでジェットコースターやバイキングなどの乗り物が一回転する時のような美しい円だった。
回転して戻ってくるまでの間、フィンは怯えて目を閉じる事なくレイン譲りの力強く細められた瞳でもって数秒だけ世界が反転していたままでもゴールリングを見据えていた。
その一瞬一瞬の時の流れがまるでスローモーションのようでレインは呆気に取られたようにそれを目で追う事しか出来ない。
そして回転の勢いを利用したまま大きく腰を捻って腕を振りかぶる。
「・・・!」
ビュンッ!と鋭く風を切る音がレインのすぐ耳元を通り過ぎ、ボールは綺麗な直線を描きながらゴールリングを鮮やかに通過した。
「っ、ゴーーーーーーーール!!!」
トムの熱い実況が気持ち良くドゥエロの空に響き渡る。
それは全員の鼓膜をピリピリと刺激し、場の高揚感を煽る。
フィンのチームメンバーの表情筋が動く者はニヤリと笑みを浮かべ、動かない者は口の端を小さく上げており、レインのチームメンバーはレモンとトムを除いて呆然としている。
そしてゴールを決めたフィン自身も興奮から頬を紅潮させ、全速力で走った後のように呼吸を乱していた。
「や・・・やった!!大成功だ!!って、わわっ!!?」
箒が殆ど縦に垂直になっている事、そして興奮からうっかり魔力の流れを乱してしまったフィンの箒は危うげに揺れて滑り落ちそうになる。
そこにフィンの慌てた声でいち早く我に返ったレインが駆け付けてフィンの首根っこを強くしっかりと掴む。
「ぐえっ」
「魔力の流れが乱れてる。俺が掴んでてやるから集中しろ」
「あ、ありがとう、兄さま!」
頷いてフィンはパニックになりかける頭をなんとか落ち着かせると深呼吸をして箒に流す魔力を正すイメージを作り出した。
荒れ狂う波のようにぐちゃぐちゃだった魔力の流れはそう長い時間をかけずして穏やかに駆け巡る川のような流れに変わっていく。
そうして箒はまるで意志があるかのように横に平行になり、フィンがそれに跨って安定するのを見届けてからレインはそっと手を放した。
「大丈夫か?」
「うん!兄さまのお陰で助かったよ、ありがとう」
「まさかお前が『箒のムーンサルト』をするとはな」
「えへへ、驚いたでしょ?」
子供のようにはにかみながらフィンは頬を掻いて照れる。
『箒のムーンサルト』とは読んで字の如くムーンサルトの箒版だ。
しかしこれは中々に難しい上級テクニックで出来る者はそう多くはない。
まず箒に跨った状態で一回転をするにあたり、逆さまになる瞬間がある。
この瞬間に上下の感覚が狂ったり恐怖を抱いてしまうとそれが箒に伝わってピタリと逆さまになった状態で停まったり、最悪の場合は落下してしまう恐れもある。
次に回転するにあたっての箒の操縦に緻密さが求められる。
箒の操縦は上昇・下降・前後左右斜めへの移動が一般的で、普通に飛行するだけならそれ以外の技術はいらない。
故にムーンサルトをする為の操縦技術はまさに上級者向けとなっているのだ。
ちなみにドゥエロでは魅せプレーの一つとして箒のムーンサルトを披露する者もいる。
かくいうレインもこの箒のムーンサルトが出来るのだがどちらかというとそれは箒に乗ったまま想定される空中戦で使えるだろうと思って習得したに過ぎない。
とはいえ、レインでも習得するのにそれなりの時間がかかった訳だが、それをまさか苦手科目に箒の授業が該当するフィンが見事にやってのけてみせたのだから驚きを隠せない。
顔は相変わらず無表情だが。
「ランス君やドット君がやってるのを見て僕にも出来るかなって相談して、それから特訓してもらってたんだ。それに僕、箒の授業苦手で成績そんなに良くないし・・・今日はアビス先輩やワース先輩にも付き合ってもらってやっと成功したんだ!」
「それで喜んでたのか」
「そうだよ!」
得意満面の笑みを浮かべるフィンの表情はとても眩しい。
そこに屈託なく笑う幼い頃のフィンと重なってフィンのこの笑顔は変わらないなと温かい気持ちになる。
自然と手がフィンの頭に伸びて「よく頑張ったな」と自分でも無意識に柔らかい声音で褒めれば「うん!」と嬉しそうな返事が返って来た。
「フィン君ヘーイ」
そこへマッシュが片手を挙げてハイタッチを促すとフィンは笑顔で元気いっぱいに「ヘーイ!」とハイタッチをしに行った。
その後もドット・ランス・アビス・ワース、果てはレモンやトムやマーガレットまでもがハイタッチを求めて来たのでフィンは敵味方問わず全員とハイタッチを交わして来た。
流石にアベルが真顔でハイタッチを求めて来た時は一瞬驚いていたがそれでもフィンはハイタッチをした。
アベルとのハイタッチを羨ましがったアビスがとんでもない殺気を放ってきて「ヒエッ」と怯んだがアベルが諫めてくれたので事なきを得た訳だが。
「っしゃあ!こっから巻き返して行こうぜ!」
威勢の良いドットの声がチームを鼓舞し、フィンがゴールを決めた事による勝利の流れが形成されてきたのか、それぞれの動きが良くなっていく。
点差はまだあったものの、それでも確実に追いついて来ているのをレイン達は肌に感じていた。
そしてとうとう一瞬の隙を突かれてマッシュの手にボールが渡ってしまう。
「頑張れー!マッシュくーん!」
「ふんっ」
敵チームでありながらマッシュを応援する事に躊躇いがないレモンの声援を受け、ぐぐっとボールに力を込めてマッシュはゴールリング目掛けて剛速球を投げる。
マッシュの鍛え抜かれた筋肉パワーによってボールはいつの日かの試合の時のように何だか凄い軌道を描きながらマッシュの手元に戻って来る。
それを再び投げて戻ってきての繰り返しでマッシュはどんどん点差を縮めていく。
なるほど、これがあの時の敵チームの気持ちか、などとアベル達が遠い目をしかけたその時だった。
「バンブーーー!!!」
竹のようにしなやかで丈夫な雄叫びと共にトムがマッシュの前に割り込んできてボールを掴んだ。
「バッ、ン・・・ブ~~~!!!」
いくらドゥエロで鍛えられているトムの逞しい腕と言えどマッシュの投げたボールの動きを止める事は出来ず、掌にボールが回転しながら食い込んでいく。
というよりも食い込み過ぎて皮膚を突破し、血が噴き出している。
それでもトムはボールを放そうとはせずに全身から汗を噴き出しながら必死の形相で受け止めようとする。
マッシュは雰囲気だけギョッと驚くとすぐにボールを掴んでトムから取り上げた。
「っぶな。ダメですよ竹先輩、僕の投げるボール危ないんですから素手で触っちゃ」
「マッシュ!お前は人生と言う名の人生にきらめているか!?」
「また始まってしまった」
「確かにお前の投げるボールは危険だ!殺人級だ!俺の手もこんなに血が溢れている!」
「わざわざ見せないで下さい」
「だからと言ってそのまま指を咥えて点を取られるのを眺めるなど俺にはできん!チームの為にも自ら危険を冒してそれを食い止めるのがドゥエロの選手としての俺の使命だ!」
「その姿勢は本当に立派だと思ってます」
「明日にときめけ!人生という名の人生にきらめけ!バンブーーー!!!」
「フィン君助けて」
「このテンションは僕にもどうしようもないよ」とトムの雄叫びで軽く消されそうな声で呟きながらフィンは袖から杖を取り出すとセコンズでトムの掌の治療をする。
だが、ここでフィンは決定的なミスを犯してしまう。
「これでもう大丈夫ですよ」
「・・・」
「トム先輩?」
「・・・・・・ン・・・ブー・・・」
「え?」
「バンブーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」
「わぁあああああああああああああ!!!??」
突如としてトムが荒々しい金色のオーラを放ち、空気を震わさんばかりに吠えてフィンは全力で驚愕と困惑の叫び声をあげた。
それに本能的な危機を察知したレインはすぐにフィンの手を掴んでトムから距離を空けさせ、マッシュもそれに続いて後退し、ヤバイ人を見る目でトムを見た。
少し離れた所で守備についていたドットやランスは「またトムの奇行が始まったか」と半分呆れながらもその様子のおかしさに眉を顰め、トムの奇行をあまり知らないアベル達は困惑気味に事態を静観する。
すると―――
「バンブー!!!!」
トムは素早く袖の中から杖を取り出して心の赴くままにその先端をドゥエロの地上グラウンドの枠外に向け、ありったけの魔力を込めて魔法を放った。
杖の先からは眩い黄緑色の光が迸り、雷が如き速さと強さでもって地面に衝突する。
ズドン!という大きな岩が落ちたような衝撃音が空中にいるフィン達の耳にまでしっかり届く。
「なに、ご―――」
1秒の間を置き、衝撃音のあった地面からボゴォッ!と地面を抉って竹が顔を出し、物凄い速さで文字通り天を突き抜ける勢いで急成長した。
「とぉーーーーーーーーーーーーーーー!!!??」
フィンのツッコミ成分を含んだ絶叫が空いっぱいに響き、マッシュ達は唖然と天高く伸びる竹を見上げる。
マッシュに至っては幼い頃にレグロに読んでもらったジャックと豆の木の絵本を思い出している。
その中であって一人、トムだけは肩を震わせて音もなく笑っていた。
「―――フィン・エイムズ!」
「ひゃいっ!!?」
ガシィッ!と力強く肩を掴まれ、そしてすぐ後ろで自身の名前を呼ばれてフィンは盛大に肩を跳ねさせる。
振り向けばそこには暑苦しい笑顔を乗せたトムがおり、あまりの距離の近さにフィンは思わず後ろに下がり、レインがフィンを庇うようにフィンの前で腕を横に広げて隠す。
しかしそれには構わずトムは暑苦しく迫って続ける。
「お前の魔法のお陰で傷は完治した上に今まで感じた事のない魔力の充足を感じる!きらめくように溢れ返っているのが自分でも分かる!その証拠があの竹だーーーっ!!!」
「あの竹ですか・・・」
「しかも箒のムーンサルトから始まり、今日の動きは中々に素晴らしい!俺と一緒にドゥエロの試合に出ないか!?」
「けけ、結構です!」
「フィン、お前まさか傷の回復をする時に魔力の加算もしたのか?」
「みたい。そんなつもりは全然なくて回復だけのつもりだったんだけど・・・」
「箒に乗っている時は箒に魔力を注ぐ事に気を取られて魔法の出力を誤りやすい。次は箒に乗ったまま魔力の調整をするのが課題だな」
「はーい」
しょんぼりと肩を落として項垂れながらフィンは二本目の痣を消していく。
折角箒のムーンサルトを成功させ、その後もトムの言う通り上手く動けていたのに最後で失敗をやらかして落ち込んでいるのだろう。
仕方のない事ではあるし、レインとしても責めている訳ではないので慰めに優しく頭を撫でてやった。
それからトムの方を振り向いてアドラ寮監督生としての顔つきになって口を開く。
「トム・ノエルズ、一旦地上に降りてこの竹を―――」
「バンブーーー!!!」
レインの言葉などまるで無視してトムは箒を発進させると竹の周りをグルグルと飛び回りながら天高く空へと舞い上がって行ってしまった。
その姿は瞬く間に豆粒のように小さくなっていき、戻ってくる気配はなかった。
言うまでもなくレインの眉間に深い皺が刻まれて苛立ちが込められた舌打ちが漏れる。
そこにマーガレットとアベルがやって来て提案をする。
「とりあえず全員であの竹の根元に集まりましょう」
「こうなってしまってはドゥエロどころではない」
「だな」
「そういう事だから全員竹の根元に集合よ」
マーガレットの号令に皆は頷き、ひとまず地上に降り立って竹の周りに集合する事となった。
竹は伸びている。
どこまでも美しく、しなやかに、丈夫に。
「竹ね」
「竹だね」
「竹だな」
監督生三人は腕を組んで竹の周りを囲み、下から上へと同時に顔を動かして呟く。
その監督生三人を取り囲むようにしてフィン達は立っていた。
皆が呆然と竹を見上げる中、フィンは顔面蒼白になって震えている。
「どっ、ど、どど、どどどど、ど、どうしよう・・・」
「まぁまぁフィン君、落ち着いてシュークリームでも食べなさいな」
「ごめん、喉通らないよ・・・」
「そっか。じゃあ僕が代わりに食べるね」
「食べるんだ・・・」
激しく動揺しながらもツッコミは忘れないフィン。
その隣ではドットがワースに話しかけている。
「ワース先輩」
「あ?んだよ」
「確かワース先輩の友達?かなんかにファンクラブ持ってるクソイケメンいましたよね?」
「クソイケメン?・・・あー、シュエンの事か」
「そうそう、そいつっす!あのクソイケメンの固有魔法って確か薔薇でしたよね?フィンの魔法を受けたら薔薇が咲き乱れるのか、或いは茨が伸びまくってこの学校が眠れる森の美女の城みたいになるの、どっちだと思います?」
「知るかよ・・・」
「はいはい!私は眠れる森の美女パターンがいいです!そして深い眠りに就いてしまった私をマッシュ君が運命のキスで目覚めさせてくれて二人は永遠に結ばれるんです!!」
「その役は俺がやってもいいよねレモンちゃん!?」
「駄目で~す♪」
「そこをなんとか~♪」
勝手に人の幼馴染の固有魔法で盛り上がり始めるドットとレモンに呆れたワースはその処理を押し付けようとランスに水を向ける。
「おいクソガキ、こいつら何とかしろ」
「フン、仕方あるまい。お前達、その辺にしろ。プリンセスの役目はアンナのものだ」
「何を言ってんだお前は」
「すっこんでろスカシ野郎!」
「お姫様の役はおひとり様限定じゃありません!」
「いいや、この世のありとあらゆる全ての姫という姫の役目はアンナだけのものだ」
「もう勝手にしろよ」
しょーもない諍いにワースは溜息を吐いて助けを求めようと視線でアビスを探す。
しかしアビスはマッシュと一緒にフィンを落ち着かせる役に回っていて助けを求められそうにもない。
嘆息して持って来ていた本でも読もうかと考えたその矢先、何か声のようなものが聞こえた。
それは段々と大きくなっていき、方向を探って空を見上げれば落下してくる何か―――トムがおり、ワースは咄嗟に自身の固有魔法で広範囲の地面を泥のクッションに変える。
「バンブッ!!」
ドチャンッ!と泥が飛び跳ねる音と共にトムが勢いよく泥沼に沈み込む。
それを魔法で上手く押し上げてやってなんとか浮かび上がらせてやり、魔法を解いて地上の芝生に寝転がらせてやった。
大の字になって寝転がり、全力で満足満喫した様子のトムにレインが歩み寄って冷たく見下ろす。
「トム・ノエルズ。反省文20枚書いて提出しろ。それからフクロウ小屋の掃除を2週間やれ」
「バンブー!!」
「うるせぇ」
ビシッと敬礼して頷くトムにレインは眉を顰めて再び竹を見上げる。
竹は未だに天高くそびえ立っている。
「ざっと世界一周分はありそうね」
「どうやって処理をしようか」
「マッシュ・バーンデッド」
「うす」
「だるま落としの要領で素手で竹を伐採する事は出来るか?」
「僕の筋肉に不可能はありません」
「よし。俺のラージパルチザンで受け止めてワース・マドルの泥沼で回収する。ワース・マドル、頼めるな?」
「へいへい。いつでもどーぞ」
「なら、すぐに取り掛かるぞ」
レインは杖を構えると巨大なパルチザンを地面に突き刺し、ワースはその周辺に泥沼を作った。
一方でマッシュは一度深呼吸をすると腕を真横に振って竹を一節ずつ飛ばしていく。
「ふんふんふんふんふんふんふん」
一定のリズムで飛ばされ、カンッと耳に心地よく高く乾いた音を立てて竹はパルチザンに当たり、そして泥沼に沈んでいく竹。
まるで機械にでもなったかのようにマッシュはひたすらにその作業を続け、飛ばしても飛ばしても落ちて来る竹を休む事なく伐採していく。
10分経っても竹の終わりが見える事はなく、少し暇になって小腹が空きだした面々は購買でシュークリームを買って食べ始めた。
ちなみにマーガレットは自前のエビフライとタルタルソースを食べている。
マッシュにはレモンが食べさせ、フィンは本当は気持ち的にそれどころではなかったのだがシュークリームを無駄にしない為にもとりあえず少しずつ頬張った。
それから更に15分経っても未だ作業は続き、皆は何となく座禅を組んで気を集中させていた。
その中でレインは続く作業に呆然とするフィンの横に並んであげてマッシュの様子を一緒に眺めた。
そこから更に10分程経った所で漸く竹の先端が降りて来るのが見えてきてそれもマッシュが飛ばし、最後に竹の根を引っこ抜く事で伐採作業は終了となった。
「ふう、ざっとこんなもんですな」
「お疲れ様です、マッシュ君!」
「手間をかけさせたな」
「いえ。にしてもグラウンドが竹だらけになってしまいましたな」
グラウンド一面、竹の積み置き場になっている壮観な光景を前にマッシュは変わらず淡々と事実を述べ、他の面々もそれぞれなりに呆気に取られる。
ただしトムだけは興奮気味だったが面倒になりそうだったので誰も触れないでいた。
「はわ、はわわわわわわ」
口元に手を当てながらフィンは顔色を悪くしてガタガタと震える。
フィンはずっと竹の伐採作業を見ていた。
兄の魔法の剣に竹がぶつかり、それをワースの泥が回収して許容範囲を越えたら泥の中で整頓してグラウンドの空いている場所に移動させる、という流れをずっと。
安全面を考えてかフィンの身長くらいの高さとフィン5人分の横幅まで綺麗に揃えて移動させるワースの魔法の技術に舌を巻いていたが、それが延々と続いて途中から恐怖を感じていた。
そして段々とグラウンドが竹で埋め尽くされていき、もう置き場所がなくなってきた所で漸く伐採作業が終わったのだ。
うっかりトムに魔力を加算してしまったが為にこんなとんでもない事故になるとは誰が予想出来ただろうか。
ある意味人生で一番のやらかしと言っても過言ではない。
フィンは俯き、それはそれは重いトーンで謝罪の言葉を口にする。
「ご、ごめんなさい、兄さま・・・僕も反省文を書いてフクロウ小屋の掃除を一ヵ月します・・・」
「いや、お前は悪くない。気にするな」
「でも・・・」
「レインの言う通りよ。単なる事故みたいなものなんだから」
「この竹については僕達監督生の方で処分を決めておく」
「な、ならせめて僕に何か手伝える事があれば何でも!」
フィンは後にこの発言を後悔する事となる。
監督生三人はチラリとアイコンタクトを取ると頷き合い、マーガレットが懐から白い箱を取り出して地面に置き、アベルがマッシュ達をまとめてフィンとレインの後ろに下がらせたのを確認してからレインがフィンの方を向き直った。
「フィン、確かDIYの関係で真空切りの魔法を覚えたんだったな?」
「う、うん。工具とか使うよりもその魔法の方が綺麗に切れるしお金もかからないからってランス君に教えてもらったんだ」
「なら、あの箱を試し切り台にして俺に見せてくれねぇか?」
「いいけど・・・あの箱何?」
「気にするな」
物凄く果てしなく嫌な予感しかしないが何でもすると言った手前、フィンに拒否権はなかった。
言葉ではなく行動を重んずる兄に倣い、自身もこの事故に対する反省と誠意を見せなければと意気込んでフィンは杖を構える。
「バキュティアット」
呪文を唱えた直後、ザアッと風がざわめき、数秒の間を置いて箱に鋭い切れ込みが走る。
そして次の瞬間、箱は綺麗にぱっかりと三等分に断裁された。
断面も美しく、引き攣った痕や仕損じた箇所はない。
完璧に使いこなしている様子にレインは満足気に頷く。
「上手いな、よく出来ている」
「でしょ?ところで兄さま、何か紙が入ってるのが見えるんだけど?」
褒められて嬉しそうに浮かべた笑顔のままフィンは箱に近付いてしゃがみ、その中身を確認する。
中には端正な筆記体で『監督生諸君へ』やら『ウォールバーグ校長より』という署名と捺印がされており、フィンは本日何度目だろうと誰もが思うくらい顔を真っ青にした。
「に、にににに、に、兄さまこれ・・・こっ、ここ校長先生の・・・!?」
「お前の事は俺が守る。お前は何も心配しなくていい」
「そうじゃなくて!!」
「後は俺達三人で燃やして始末しておく」
「これ以上罪を重ねないでぇーーー!!!」
今日もイーストン魔法学校の空にフィンの悲痛な叫びが気持ち良く響き渡るのだった。
END