筋肉ファンタジー

その日、マッシュは夢を見た。
廃墟となった城の玉座の間にマッシュはいて、そこには崩れた壁の瓦礫に囲まれるようにして一つの大きく真っ黒な玉座が鎮座していた。
その玉座は所々が欠けていたり、ヒビが入っていたりと相当痛んでいたがそこに座する者は全く気にする素振りはなかった。
座する者の姿はレイン。
しかしいつものアドラローブか或いは神覚者コートの姿ではなく、見た事もないような黒い鎧を身に纏っている。
レイン本人なのかどうか確認するべくマッシュは大胆不敵にも声をかけようとするがどうした事だろう、声が出ない。
というよりも体が動かず、視界だけがそこに固定されているように感じられて果たして自分に実体はあるのだろうかという疑問が過ぎる。

(これ、夢かな?)

そんな風な考えが浮かんだ直後、崩れた天井の隙間から差す暖かな白い陽射しの中から一匹の金色の蝶がゆっくりと舞い降りて来た。
蝶はレインの目の前まで降りてくるとまるで挨拶をするようにヒラヒラと楽しそうに泳いでみせる。
するとレインは右手で頬杖を突き、左手で緩い拳を作って自分の目線の高さまで持って来ると人差し指の第二関節を他の指よりも高く上げた。
それを止まり木と認識したのか蝶は細かく羽をはためかせながらゆっくりとそこに着地し、停まる。
警戒する様子のない蝶を眺めるレインの眼差しはとても柔らかく、雰囲気も穏やかに感じられる。
いつも無表情か険しい顔のどちらかのレインが珍しいとも思ったがその謎はすぐに解けた。

(あの蝶・・・)

蝶の放つ温かい黄金の光にはマッシュにも覚えがあった。
それはマッシュの身近にあるもので―――。

(おや?)

とある人物を思い出しそうになった瞬間、金色の蝶の上下に小さな魔法の光が現れ、そこから蝶を覆うようにしていくつかの線が伸びて互いに結び合った。
そして線と線の間に魔力の膜のようなものが広がり、蝶は魔法で出来たガラス玉のようなものに囲われてしまう。
その様子にレインが驚きで小さく目を見開いていると最後には玉座の間の入り口から伸びて来た鉤爪のようなものにガラス玉は掴まれ、そのまま吸い込まれるようにして入り口の向こう側に消え失せた。

(あ、ヤバ・・・)

もしもここに自身の実体があったらマッシュは自分の口元を手で覆っていただろう。
なんだったら冷や汗をかいて「あばば・・・」と焦っていたに違いない。
そう思える程に、そうしてしまう程に今の状況は非常に宜しくなかった。
何故なら金色の蝶が目の前から消えた瞬間、レインが黒く禍々しい殺気を放ち、左手に黒雷を纏った鉾を手に握ったからだ。
そうしてレインが立ちあがり、一歩一歩踏み出す度に重々しい鎧の音と同時に大地は揺れ、殺意は膨れ上がり、空気はピリピリと張り詰めていく。
晴れ渡っていた空は瞬く間に暗雲立ち込めて闘争の兆しを見せる。

(レイン君は相変わらずおっかないですな)

マッシュは場違いな程にのんびりとした感想を抱きながら土煙立ち込める入り口の向こうに消えていくレインの後ろ姿をただ見つめる事しか出来なかった。








「起きてマッシュ君!遅刻するよ!!」
「ハッ」

いつものように朝の身支度とトレーニングを終えたマッシュはこれまたいつものように二度寝をして鼻提灯を膨らませていた。
そして夢ごとそれを割って起こすのはいつだってルームメイトのフィンの役目である。
眠気覚ましのシュークリームの入った袋を手に持つとマッシュはフィンと共に寮の部屋を後にした。

「二度寝の後のシュークリームは格別ですな」
「それってコーヒー代わり的なもの?」
「あ、そういえばさっき夢の中にレイン君が出て来たよ」
「兄さまが?」
「うん。おっかなかった」
「・・・・・・そっか」

たっぷり間を置いて頷くフィンの顔は引き攣っている。
兄を怒らせたらどれだけ恐ろしいかを彼は身をもって知っている。
兄に庇護される側として。
台風の目から見る景色もそう良いものではないのだ。
争いを好まない性格をしているフィンであれば尚の事。

「そのおっかなさが現実にならないといいな・・・」
「ですな」

しかし現実になってしまうのが世の常である。







「なんじゃこりゃ・・・」

目の前の凄惨な光景にドットは引き攣って掠れたような声を絞り出す。
灰色の雲が空を覆う森の奥深くにある石造りの辛うじてギリギリ建物の態を成している物の中には無数の剣が深々突き刺さった痕と夥しい血とその臭いで溢れ返っており、それに相当する数の人間が床の上に折り重なったり転がったりしていた。
幸いにしてそれらの人間が生きているのがせめてもの救いであり奇跡と言っても過言ではないだろう。
或いは僅かばかりの慈悲があったと言っても差支えはない。
けれどもこの慈悲は転がる人間へ向けたせめてもの優しさなどといった綺麗なものではなく、この惨事を巻き起こした人物が守るべき大切な宝に自責の念を抱かせたり悲しませたりしない為の配慮である。
その証拠に一人一人ご丁寧に急所を外してあった。
ギリギリの所で。

「レイン君ってばまた派手にやったね」
「そんな呑気な言葉で済ませられるレベルじゃねーだろ!!」
「もはや災害だな。だが、内容が内容だけにそれもやむなしか」
「限度ってもんがあんだろ!!」

これだからシスコンは話にならねぇ!とツッコミを入れようとした所にガァンッ!と荒々しく文字通り木の扉を蹴り飛ばす音が響き渡ってドットは口を動かすのを止める。
扉の向こうから出て来たのはランス曰く災害の元凶であるレインとその弟のフィンだ。
しかしフィンの方は気を失っており、レインがフィンの片腕を自身の肩に回して掴み、もう片方の手をフィンの腰に添えて半ば引き摺るようにして歩いている。
レインは髪や顔、ローブなどに血が付着していたがそれは怪我ではなく返り血であるとマッシュ達はすぐに察する。
この程度の事でレインが負傷するとは思えず、仮にしたとしても擦り傷などの軽傷で済んでいただろう事は容易に想像がついた。

「マッシュ・バーンデッド」

未だ機嫌が最悪なレインに本当は近付きたくはなかったがフィンが心配な事もあって駆け寄ったマッシュ達にレインが低く重たい声で口を開く。

「フィンを頼む。怪我はしていない。気を失っているだけだが学校に戻って保健室に連れて行ってくれ」
「うす」
「あの連中はどうするんすか?」
「警備隊には俺の方から連絡してある。ここは俺が処理しておくからお前らは先に学校に戻ってろ」
「分かりました。学校には俺達の方から報告しておきます」
「任せた」

行くぞ、とランスが促してフィンをおんぶしたマッシュが頷き、ドットも「お気を付けて!」とレインに頭を下げると学校への帰路を辿り始めた。
ランスとドットは箒に跨って低空飛行をし、そのスピードに合わせてマッシュが早歩きをする。
緊急事態であった為に魔法の絨毯を用意する余裕がなかったのだがマッシュにしてみればこの程度は準備運動にもならないのでさしたる支障はなかった。
それどころかスピードを落とさないまま背中のフィンをチラリと見ながらポツリと小さく呟く。

「ある意味正夢になっちゃったね」
「正夢ってなんの話だよ?」

意外にもマッシュの小さな呟きを拾ったドットに「ううん、こっちの話」と首を振ってはぐらかす。
上手く説明出来る自信があまりなかいからだ。
一方でドットの方もあまり気にしていないのか「そうか」と軽く流すと苦々し気な表情を浮かべながら盛大に溜息を吐いた。

「にしてもウチの学校マジで治安悪すぎんだろ。学校の近くの森に犯罪組織の構成員が潜伏してたとかありえねーっつの!」
「以前、無邪気な淵源の手下が密かに出入りしてアベル達と通じていたくらいだ。警備がお粗末なのは今に始まった事ではない」
「だからこそ警備強化しておけよって話だろ!」
「吠えるなら俺じゃなくて学校に吠えろ、チンピラが」
「オメーはいつも一言余計なんだよ!」

怒鳴るドットだがランスの言う事はもっともだと思ったのか、それ以上に噛み付く事はしなかった。
一方でランスは警備を強化しておくべき点については内心同意していた。
今回フィンは課題で必要な材料を採取しに学校近くの森へ出掛けた。
しかしそこには不運にも犯罪者が数名潜伏しており、貴重で珍しい回復魔法を使える事で知られていたフィンは瞬く間に誘拐されてしまったのだ。
その場面を一緒に採取しようと遅れてやってきたレモンが目撃し、慌ててマッシュ達に知らせに来てくれた。
しかしそこにはレインも居合わせており、レモンが知らせに来ると同時にレインがフィンに持たせていた有事の際に位置情報が確認出来る魔法道具が反応し、すぐにパルチザンサーフでフィンが連れ攫われた方角へ向かった。
教師への報告をレモンに任せてマッシュ達三人も後を追って現在に至るのである。
こうして簡単に不埒な輩が学校に侵入出来てしかも仲間が狙われるという深刻な事件が起きるのはかなり問題だが、それと並行してランスにとっての心配は溺愛する妹のアンナが狙われないかについてだった。
次年度からアンナはイーストンに入るし、自身も神覚者選抜試験を受けて改めて神覚者になるつもりだ。
そうなった時に身内であるアンナが狙われるのは想像に難くない。
それ以前にこの世でもっとも尊くて可憐で愛らしくて清らかな存在が狙われない筈がない。
今回の事件を機に警備の徹底強化を唱えてついでにレインからフィンに渡した防犯用魔法道具などについても教えてもらわなければ。
心の中のアンナに「お兄ちゃんが守るからな」と語るランスの目は遠く、並走するマッシュとドットはすぐに妹の事を考えているのだと見当をつけて呆れた。

その後、保健室で目覚めたフィンにこれといった異常はなく、犯罪組織についてもレインが完膚無きまでに潰したので事件は無事に収束した。
また、レインとランスが学校の警備について強く唱えた事で警備強化に方針が固まる事になったのだとか。
難しい事はマッシュには分からなかったがまた同じような事が起これば己の拳で友人を助けるだけだと胸に誓い、その日も変わらずフィンと就寝の挨拶を交わして眠りに就いた。
そしてまた、夢の世界に招かれてあの廃墟の城の玉座の間に佇む。

(同じ夢を見る事ってあるんだなぁ)

明晰夢である事を自覚しながらマッシュは本人なりに小さく驚いてそんな感想を心の中で呟く。
視点は相変わらず固定されていて実体もあるかどうか分からない。
違いがあるとすれば中央にある玉座にレインがいない事だ。
まだ戻って来ていないのだろうか、なんて思った矢先に玉座の間の入り口から重々しい鎧の音を響かせながら入ってくる男の姿があった。
レインだ、ガラス玉のような物に囚われて力なく羽をはためかせる蝶を伴っている。
入り口の向こうは現実でも見たのと同じくらい激しい戦闘の跡が残る酷い有様だったがレイン自身は傷一つ負っていない。
そして相変わらずマッシュには気付いていないのか、或いは存在を認識していないのかは分からないが目を向ける事なく玉座に座るとレインはガラス玉に魔力を込めた。
ピシッ、ピシピシッ、とガラス玉にヒビが入るとそれは瞬く間に全体に広がって甲高い音を立てながら破片を撒き散らし、キラキラと輝きながら消え去っていく。
自由を得た金色の蝶は徐々に元気を取り戻すとまるでお礼を述べるかのようにレインの頭の上を飛び回り、やがてレインが前回の夢の時と同じように左手の人差し指の第二関節を高く持ち上げるとそれに停まった。
その瞬間、天を覆う暗雲は風によって流され、澄み渡る青い空が顔を覗かせる。
暖かで優しい陽の光が崩れた天井の隙間から差し込み、金色の蝶とレインを照らす。
眉間に深い皺を寄せていたレインの表情も和らぎ、ただ穏やかな雰囲気でもって蝶を眺めた。

(やっぱり平和が一番)

この場にシュークリームがあったらもっと良かったのに、と思った所でマッシュは目覚めるのだった。
その後、いつものように支度して二度寝してからフィン達と共に授業を受けていたマッシュは教室移動する中でレインとすれ違った。
レインは魔法局に向かう予定らしく、フィンが嬉しそうに声を掛けて少し言葉を交わしてから別れた。
言葉を交わしていた際のレインは夢の中と同じように穏やかでフィンを見つめる瞳も心なしか柔らかだった。
これがフィンに何かあれば途端に怒り狂って荒ぶる神の如く暴れるのだからフィン絡みでレインを怒らせてはいけないとつくづく思う。

「フィン君」
「何?マッシュ君?」
「これからはレイン君の弟アピールを全力でしていってね」
「急に何!?」
「そしたらフィン君や周りの生存率も上がるから」
「生存率!?話が物騒過ぎて見えないんだけど!?」

フィン君は戦の神様の大事な宝物だから、という言葉はシュークリームと共に喉の奥に消えた。






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